肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

松任谷由実コンサートツアー「深海の街」東京国際フォーラム 2022年4月23日

ゴールデンウイーク連休前の2022年4月23日に行われた、ユーミンこと松任谷由実氏のコンサートツアー「深海の街」を観に行きました。
今回の場所は、東京国際フォーラムのホールAで、とても大きなホールです。

 

東京国際フォーラムのホールA  とても大きなホールです。
今回は、2階席の前から3列目のほぼ正面の席です。

 

昨年の10月12日の川口リリアで行われたコンサート・今年3月26日の神奈川県民ホールで行われたコンサートに続いて3回目の参加となりました。

 

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

前回は1階席の前から3列目のほぼど真ん中の席で、ユーミンを間近に見ることが出来ましたが、今回は、2階席の前から3列目で、ほぼステージから正面の席ですが、かなり遠目に見ることになり、双眼鏡を使わないと、ユーミンや各メンバーの顔の表情は見えません。

 

今回もフェイスシールド装着が義務付けられましたが、やはり装着方法わかりづらく、前回・前々回に続き、妻にやってもらいました。

 

今回も18時半開演でしたが、今回は5分ほど遅れてのスタートとなりました。

現在コンサートツアーの第2期が終わり、第3期のツアーが始まる前ですが、まだツアー中ですので、多少ネタバレとなりますことをご注意ください。

 

前回までと同様、パープル色の凛々しい軍服のような船員服姿のユーミンがゆっくりと現れ、あの印象的なコーラスと共に、荒井由実時代の名曲「翳りゆく部屋」の演奏が厳かに始まりました。

今回、この曲や、次の「グレイス・スリックの肖像」から「深海の街」までの一連の曲を聴いて気づいたことは、前回の神奈川県民ホール・前々回の川口リリアに比べて、格段に音響が良いと感じたことです。

音が会場全体にダイナミックかつ聴きやすい形で響き渡り、耳に音の粒がすっと入っていく...そんな感じを受けました。

 

今回のユーミンの歌やダンス、メンバーの演奏も、素晴らしいものでした。

また、2階席だったので、向かって右側の武部聡志氏のキーボード演奏、左側の小田原豊氏のドラムの演奏の様子は、とてもよく見えました。

武部聡志氏とユーミンとの関わりは、かなり長いようで、突然どの曲をリクエストされても即座に演奏できるようで、それはとてもスゴイことだと思います。

要求の厳しいプロデューサーの松任谷正隆氏がずっと起用しているのも、かなりの信頼と安定感があるからなのでしょう。

(正隆氏のエッセーなどでは、いろいろと書かれてはいますが・・・)

小田原さんのドラムは、レベッカ時代より円熟味を増していて、とても安定感があり、それでいてダイナミックなので、安心して聴ける感じです。

身体を動かしながら、口をすぼめて、息を吐く仕草がなかなか良い感じです。

 

ただ、今回感じたことは、過去2回のコンサートと比べると、ユーミンの歌唱やダンスに切れを感じず、なんとなく疲れがたまっているのかなあ、という印象を受けました。

MCのトークも、なんとなく抑揚が無い感じで、流暢な感じでは無いような印象を受けました。

まあ、第2期のコンサートツアーの最終日だし、前日の4月22日も同じ東京国際フォーラムでコンサートをやったので、仕方が無いことなのかもしれません。

先日のラジオ「YUMING CHORD」もしくは「オールナイトニッポンゴールド」でも言っていましたが、今回のツアーがコロナ禍のため、1年ほど延期になったので、元々予約してあった会場を押さえることが出来ないこともあるようで、会場から会場への移動がなかなかスムーズに行かないようです。

1週間のうちに、九州から東北に大移動しなければならないなど、なかなか大変そうです。

 

それでも、アンコールは2回もやってくれて、2回目のアンコールは恒例の武部聡志氏のピアノ演奏に合わせて、「二人のパイレーツ」をしっとりと歌ってくれました。

 

ゴールデンウイーク中は、一休みして、また5月10日の石川県から第3期のコンサートツアーが始まるようです。

7月9日の神戸まで続く長丁場となりますが、ユーミンにはぜひ無理をせず、身体に気を付けて、いつまでも音楽活動を続けていってほしいと思います。

 

テレビ局やラジオ局、レコード会社からの豪華な祝花が並ぶ中、隅の方でただ一人JUJUの真っ白な花に覆われた祝花が印象に残りました。JUJUは松任谷正隆氏とユーミンプロデュースのアルバムを最近発売し、松任谷正隆氏プロデュースの全国ツアーを行う予定だそうです。

夫婦揃ってTシャツを買いました。パープルの方は僕は似合わないということで、妻が買い、僕はシティグリーンのTシャツを買いました。パープルは3,500円(税別)、シティグリーンは3,800円(税別)です。

今回は1989年発売の「LOVE WARS」のCDを購入しました。またマスクケース(チケットケース?)がもらえました。

yuming.co.jp

YouTubeもやっていますので、ぜひこちらもご覧になってください。

 

youtu.be

 

 

 

 

 

春の寒暖の激しさと体調不良について その5

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

自分がコロナではないかと、内心ビクビクして恐れている中、やっと近所の診療所でコロナの検査をやっていることがわかり、電話して予約を取りました。

電話に出た受付の女性は、「病院の正面入口からではなく、必ず建物の脇の方にある裏口から入ってください」と、しつこく念を押されました。

コロナ感染の疑いを持たれると、こんなにも慎重な扱いを受けるのか、と初めて現実を知ることになりました。

 

車を停め、勝手口のような陳腐な感じの裏口から中に入りました。

中は診察室のようになっていましたが、とても狭く密室のような感じでした。

しばらく待たされ、40代後半くらいの女医の先生が入ってきました。

そして、3月ころからの体調不良を洗いざらい、順を追って説明し、現在の体調の状況も詳細に説明しました。

ずっと、倦怠感のようなものが続き、やる気が起きず、だるくて頭痛がすることを伝えました。

ずっと僕の話に耳を傾けていた、その女医の先生は、目を細めて僕の顔を見つめ、こう言いました。

「お話を聞いてみると、ちょっとオミクロン感染患者の症状に似ていますね・・・オミクロンに感染した人もそういう症状になるんですよ。ちょっと検査してみますか。」

「マジかよ!」と僕は内心思い、恐れおののきました。

女医の先生は、細長く柔らかくしなったスティックのようなものを持ってきて、「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してくださいね。すぐ終わりますから。」と言うなり、いきなり僕の鼻の中にそのスティックを突っ込み、奥の方まで入れてグリグリとかき回し、取り出しました。

これは本当に痛かったです。

涙が出ました。

 

スティックを持って、女医の先生は再びドアの向こうへ消えていきました。

それから結構な時間待たされました。

その間、僕は、コロナ感染していたら、これからどうしよう、会社に言うべきか言わないべきか、など、いろいろなことが頭の中をグルグル回っていて、気が気でありませんでした。

 

30分ほどは待たされたと思います。

ドアがガチャッと開いて、先ほどの女医の先生が入ってきました。

そして、入るなり、「良かったですね・・・コロナじゃありませんでしたよ。」

と言ってくれて、僕は内心ホッとしました。

「でも、お話を聞いたところ、だいぶお疲れの様子ですね。元気が出るような薬を処方しましょう。」

ということで、「補中益気湯」という漢方薬と、鼻水を柔らかくして排出しやすくする点鼻剤を処方されました。

そして、サプリでもいいから、ビタミンBとビタミンCを取るように言われました。

 

また、こんな時に、二日後に3回目のコロナ予防接種を予定していたので、接種を受けてよいかどうか、先生に確認したところ、

「うーーん、それは別にいいと思いますよ」と、軽く言ってくれたので、受けることにしました。

 

その後、特に劇的に良くなっていったわけではありませんが、微熱が出ることは無くなったので、週末の金曜日の午後に、3回目のコロナ予防接種を受けました。

帰宅し、特に身体に異変は無かったのですが、やはり長引く体調不良もあり、午後9時過ぎには寝てしまいました。

そして、ふと目が覚めると、午前0時を過ぎており、とてもだるくて熱っぽいことに気が付きました。

熱を測ってみると、38度8分!

明らかにコロナ予防接種の後遺症で、翌日の土曜日と翌々日の日曜日は、40度近い高熱と耐え難いだるさのため、ほぼ寝たきりの状態となってしまいました。

 

翌週の火曜日くらいにようやく平熱に戻りましたが、その後4月いっぱいは、どうにも体調が思わしくない日々が続きました。

相変わらず寒暖の差が激しく、晴天と雨天のローテーションが激しい気候も影響していたのかもしれません。

また、僕の仕事はトラブル処理の仕事が主で、基本的に心休まることがありません。

 

ゴールデンウイークに入り、基本的にゆっくりしていますが、年齢も50代前半、やはり以前に比べて体力気力は落ちており、若い時のような無理はできません。

以前の会社の上司がよく言っていました。

「身体の健康が一番であり、命を懸けてやる仕事なんて無いんだよ」

厳しい人でしたが、この言葉はよく口にしていました。

僕は基本的にまじめな性格であり、つい無理をしてしまいがちですが、この言葉を肝に銘じて、今後の人生を進んでいきたいと思います。

 

 

 

春の寒暖の激しさと体調不良について その4

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

出勤の月曜日の朝。

目が覚めると、前日までとは打って変わって冷たい雨が降っていて、温度は10度を切っていました。

「スゴイ寒いなあ」と思って、妻に声をかけようとしました。

しかし、声が出ませんでした。

「アレ?」と思い、思いっきり声を出してみると、まるで自分の声とは思えない奇妙な低い声しか出ませんでした。

熱を測ってみると、37度2分で微熱があり、フラフラした感じで、明らかに調子が悪い感じでした。

その日は、僕の会社の社運を賭けた、うどんの店が渋谷に出店し、そのレセプションの日なので、ちょっと休むわけにはいきませんでした。

調子の悪い身体にムチを打って、冷たい雨の中、バスと電車を乗り継いで、渋谷に向かいました。

 

現地に着くと、すでに出店担当の同僚が来ていて、店前の調査をしていました。

「おはようございます。○○さん、なんか顔色が悪いですね。」

「そうなんですよ。風邪をひいたみたいで、今朝も熱が37度2分あったですよ。」

「えっ?マジっすか?まさか、コロナじゃないですよね?」

「まさか、大丈夫ですよ。」

僕が店の中に入ると同時に、同僚は

「熱があるって、言わない方がいいですよ。」

と後ろから声をかけてきました。

 

カウンターに座り、うどんを平らげた後、僕はハッとしました。

コロナだったらヤバいよなあ・・・。

陽性者が出たら、オープン早々この店はいったん休業しなければならないよなあ・・・。

そう思うと居ても立ってもいられず、即座に店を出て、帰宅することにしました。

途中、コロナ検査所がありましたが、もし検査して陽性だったらと思うと恐ろしくなり、その前を素通りして、一目散に電車に乗って帰宅しました。

 

無理に外出したおかげで、帰宅してから一層体調は悪くなり、翌日は有休を取って、休むことにしました。

熱はなぜか夜間寝ている時に37度台前半まで上昇し、昼間は36度台後半に下がるという感じでしたが、基本的には終日ダルくて何もする気が起こらない、絶不調の状態でした。

 

有休を取って休んでも調子が悪いので、その翌日の水曜日、意を決して病院に行くことにしました。

コロナなのかどうなのか、不安ではありましたが、このまま不安な状態を続けるわけにもいかず、「えーい、ままよ!」という気分で、コロナ検査を行っている近所の病院を片っ端から調べてみることにしました。

しかし、意外にもコロナ検査を行っている病院はそう多くはなく、電話してみると、「今は検査はやっておりません」とか「院内感染が発生したため、現在は中止しています」などといった返答ばかりでした。

よくコロナ患者を受け入れてくれる病院が無いとか、たらい回しにされるとか、耳にしたことがありましたが、こうやって自分で調べてみると、その実態の片鱗がうかがわれるような気がしました。

 

そんな中で、やっと近所の診療所でやっていることがわかり、行ってみることにしました。

(次回に続く)

春の寒暖の激しさと体調不良について その3

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

口内炎が沈静化したので安心したのもつかの間、4月第一週の土曜日の朝、目覚めると、ものすごく焼けつくようなのどの痛みがあり、明らかに風邪の初期症状と思われました。

「今日、鎌倉行けるだろうか・・・」

3月初旬から心身共に疲弊して、体調不良が続き、鎌倉の建長寺半僧坊に行って、お祓いではありませんが、厄払いをするため、正式参拝に行こうと計画していました。

僕としては、ぜひとも早急にこの悪い流れを断ち切りたいため、体調不良ではありますが、行きたい気持ちを抑えることは難しい状況でした。

「ええい!きちんと用心していけば、なんとかなるだろう!」

心配する妻をも説得し、防菌用のきちんとしたマスクをするなど、重装備を施して、行くことにしました。

 

当日は気持ちの良い快晴でしたが、急に気温が上がり、汗ばむような陽気でした。

建長寺に入ると、桜が満開で、とても綺麗で心和む光景でした。

 

4月初旬の建長寺は桜が満開でした。

 

建長寺の境内を通って、奥にある山の頂上に、半僧坊はあります。

 

半僧坊の境内へ向かう途中の光景 ここでも桜が満開でとても和みました。

 

結構傾斜が急な階段を登っていかなければならず、結構心拍数が上がり、汗が吹き出し、「はあーはあーぜえーぜえー」言うような状況でした。

頂上まで登り、半僧坊に到着するころには、大汗をかいて疲れ切ってしまい、目の前の絶景は目に入りませんでした。

 

半僧坊境内から、相模湾方面を望む なかなかの絶景です。

 

大汗をかきながら、本堂の奥に進み、ご本尊の前に座りました。

住職のお経や小気味良い太鼓のリズムを聴いているうちに、気分は徐々に良くなっていき、正式参拝の威力を感じました。

焼香を取って、お祈りをし、「あー、これは体調も良くなり、運気の流れも変わるかな?」と思わせるような清々しさでした。

新しいお札をいただいて、しばし絶景を眺めた後、半僧坊のさらに上の方へ登っていきました。

半僧坊の上方はハイキングコースにつながっていて、細い階段がさらに上の方へ続いていました。

登っていく過程で見る、緑と桜に覆われた鎌倉の山々の光景、そして少し遠方に控える相模湾の光景は、まさしく絶景でした。

頂上にたどり着くと、古くからこの場所に鎮座していたと思われる祠があり、厳かにお祈りをし、頂上の絶景をしばらく楽しみました。

 

半僧坊よりさらに上の方の頂上から、相模湾方面を望む 建長寺境内と、その向こうには鎌倉市街が見えます。

 

心なしか、体調も良くなった感じがあり、あれほど痛かったのどの痛みも気にしなくなっていました。

「良かった。正式参拝のおかげで、ずっと続いていた心身の不調も良くなり、運気も良い方向に向かっていくかな?」

下山し、建長寺のご本尊にもご挨拶をし、バスに乗って、鎌倉駅へ向かいました。

 

鎌倉駅に着き、小町通り入口付近にある、行きつけのしらす丼のお店「五八」で、いつもの「生しらす釜揚げしらすの二色丼」を食べました。

ここのしらす丼は本当に美味しいです。

 

tabelog.com

 

しかし、違和感を感じたのは、この時からでした。

しらす丼を食べながら、「どうも寒いなあ」と感じ始めていました。

僕はただでさえ、暑がりの汗っかきで、建長寺では大汗をかきながら階段を登っていきました。

その僕が「寒い」と感じることは、かなり異常なことです。

しかし、その後も寒さは収まることは無く、普段寒がりの妻は普通にしているのに、僕はジージャンのボタンを全部閉めて、ガタガタ震えている始末でした。

 

翌日の日曜日は、家で安静にしていて、体調は安定していました。

そして、出勤の月曜日の朝。

目が覚めると、冷たい雨が降っていて、温度は10度を切っていました。

「スゴイ寒いなあ」と思って、妻に声をかけようとしました。

しかし、声が出ませんでした。

(次回に続く)

 

春の寒暖の激しさと体調不良について その2

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

3月中旬から始まった突発性難聴と思われた耳の不調はだいぶ良くなり、安心していました。

しかし、安心したのもつかの間、その後突然下あごの内側の口内の粘膜が痛み出し、口を動かしたり、飲食物が当たると、沁みるような痛みが生じ、再び苦しめられました。

 

下旬に入り、3月26日は、松任谷由実神奈川県民ホールでのライブに行くことを予定していました。

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

当日は早めに横浜駅まで行き、クイーンズ伊勢丹の「だん家」というお気に入りの肉料理定食などがおいしい店に入り、大好物の「三元豚ピートロ定食」を食べました。

あまりに美味しく、肉を味わって食べているうちに、「ガブリ!」という感触がありました。

どうやらほっぺの内側を奥歯で思いっきり噛んでしまったようで、じわじわと痛みが襲ってきました。

舌で感触を確かめると、ほっぺの内側の粘膜が切れて、垂れ下がっているような感じで、妻に見てもらうと、やはり白い粘膜のようなものが膨らんでいるような感じでした。

先日から痛みが増大してきた下あごの内側の痛みもあって、ダブルで口内を直撃されました。

これからライブだというのに、だんだんと痛みが増してきて、結構ツラかったのですが、ライブ中は音楽に集中して、ほとんど根性で考えないようにして、我慢しました。

 

しかし、その後あまりにツラくて、歯医者を予約し、4月に入ってすぐに受診しました。

僕の口内を見るとすぐに医師は「結構お疲れですか?口の中を拝見すると、そんな感じですね・・・」

と言われました。

「はい、気候の寒暖差が激しいのと、仕事が結構大変で忙しくて、ストレスも溜まっていて、体調はかなり悪いです」と答えました。

「それでは、対症療法になりますが、痛み止めのロキソニンと、塗り薬を処方しますので、痛みがあったら、使ってみてください」

処方された薬を飲んだり、塗ったりして、僕を苦しめた口内炎は2・3日すると沈静化していきました。

 

「このところ、仕事も大変で忙しいし、体調も良くないので、ちょっと鎌倉のお寺でも行って、正式参拝に行ってみようか・・・」

妻と相談し、過去2回正式参拝したことがある建長寺の半僧坊に、次の土曜日に行くことにしました。

そして、その当日の朝目覚めると、なにやらのどにものすごい違和感があることがわかりました。

「あれ・・・?」

のどがものすごく痛く、真っ赤になっていて、明らかに風邪の初期症状となっていました。

(次回に続く)

 

 

 

春の寒暖の激しさと体調不良について

ご無沙汰しております。

「背水の陣」に直面した中年男こと「リラポン」です。

今年3月31日に最後のブログを更新して以来、半月以上が経ってしまいました。

もともとそれほど更新頻度は高くないので、このようなことを言ってもあまり意味は無いかと思いますが、半月以上更新が開いてしまったのは、釈明しなければならないと思い、ブログを書くことにしました。

 

簡単に申し上げて、僕は春が苦手です。

特に3月・4月が苦手で、毎年心身ともに芳しくないのですが、今年は特に心身ともにこたえたようで、いつもの年よりもヘビーな症状に悩まされることになりました。

 

3月に入ってすぐに僕はメンタルの調子がおかしくなり、何をやるのも億劫で、やる気が起きず、うつ病のような状態になりました。

 

何とか自分に鞭を打って、仕事だけは最低限続けていましたが、そのうちに気分の移り変わりが激しくなり、激しく気分が落ち込んでいたかと思うと、ちょっとの刺激を受けると激高するようになりました。

コロナ禍のため、僕の業務はほとんどテレワークとなっていましたが、メールやチャットでのやり取りが主だったため、相手の文章の書き方が気になると、すぐに癇に障るようになり、危うく上司と喧嘩して、トラブルとなるところでした。

 

そうしているうちに、3月も中旬を過ぎると、気候は夏日と真冬日を繰り返すようになり、身体にもこたえ始め、なぜか右耳が詰まった感じで聴こえづらくなり始めました。

会話や音楽やテレビの音など、左右で比較してみると、明らかに聴こえ方が異なるのがわかり、焦っていろいろと調べてみたところ、ストレスによる「突発性難聴」の可能性があることがわかりました。

突発性難聴は、片耳だけ聴こえづらくなることが多く、1週間以上放っておくと、そのまま治らなくなってしまうのだそうです。

 

すぐに近くの耳鼻咽喉科に連絡し、予約を取り、受診しました。

名前を呼ばれ、電話ボックスのようなところに入れられて、ヘッドホンを付けて、左右の聴力検査を受けました。

音が聴こえてきたら、ボタンを押し続けるという単純な検査ですが、必死で耳を澄ませて音を聴きとり、ボタンを押し続けました。

結果が出て、40代くらいの女の先生に説明を受け、左右の聴力の差はあるものの、一応正常の範囲内であり、突発性難聴とは認められない、とのことでした。

もしかしたら、身体にむくみが生じていて、右耳の聴覚神経のあたりがむくんでいて、それが影響しているのではないかとのことでした。

そして、そのむくみを取るための漢方薬「五苓散(ごれいさん)」を処方されました。

 

f:id:pilgrim1969:20220417170650j:plain

漢方薬「五苓散(ごれいさん)」僕はあまり漢方薬を信用していませんでしたが、この漢方薬は効果はあったと思います。2・3日経って突発性難聴の症状は消えましたからね。風邪の症状やなんと糖尿病にも効くということです。

 

突発性難聴ではないということで、とりあえず安心しましたが、その翌日は真冬のような冷たい雨が降った日で、耳の調子は大いに悪く、本当に大丈夫だろうかと焦り、祈る思いで処方された漢方薬を飲み続けました。

 

2・3日経ち、右耳の調子はようやく落ち着きを取り戻し、僕は安心しました。

まだ3月下旬で、あいかわらず寒暖の差は激しい状況でしたが、僕は

「これで体調も復活してくれるといいなあ」

と漠然と思い、期待していました。

 

しかし、「春の嵐」は、そんな生易しいものではありませんでした。

(次回に続く)

 

 

樺沢紫苑「精神科医が教える、毎日を楽しめる人の考え方」を読んで

樺沢紫苑先生の新刊「精神科医が教える毎日を楽しめる人の考え方」

略して「まいたの」を読みましたので、気づいたことをお話します。


まず、いつも樺沢先生が言っている通り、本を読む目的を定めました。
僕なりの目的としては、「本当に人生を楽しめるようになるための方法を知り、実践できるようになること」と考えました。


この本を通読して、真っ先に心に響いたことは、「仕事よりも遊びが重要」ときっぱり言い切っていることです。

「さいごに」で樺沢先生自身も言っていますが、このような本は今までに無かったと思います。
そして樺沢先生は何度も強調して言っています。
「仕事ばかりしても、幸せにはなれない!」
「遊びに集中する人が、幸せになる!」
「今を楽しむ人が、幸せになる!」
本当にその通りだと思います。

 

かく言う僕も、30代までは典型的な仕事人間かつ会社人間でした。

まさに「社畜ゾンビ」そのものだったと思います。

僕は某大手有名外食企業に勤め、新しい店舗を作るために、地主や家主と交渉して賃貸借契約を結び、新店を立ち上げる仕事や、既存店のトラブル処理の仕事をしていました。
仕事のノルマは厳しく、トラブル処理はとてもハードで身を削る思いでした。
社内の人間関係はとてもドライでギスギスした雰囲気で、心休まる時間はほとんどありませんでした。
それでも大手有名企業に勤めているという自負があり、「会社=自分」とプライドや使命感があったのでしょう。
毎日夜遅くまで、休日も自主的に返上して仕事に没頭していました。
睡眠時間はほぼ毎日4時間から5時間だったと思います。
 
そのような日々を過ごしているうちに、徐々に体調は悪くなり、常に疲労を起こして、混み入ったことをだんだん考えられなくなり、ミスも連発して、しょっちゅうパワハラ上司に怒られる始末でした。
やがてリーマンショックが起こり、社内の雰囲気はさらに悪くなり、リストラも始まって、恐怖感にさいなまれながら、仕事をするようになりました。
 
そのうちに、原因不明の腰痛や肛門付近の痛みが生じてきて、整形外科や肛門科を受診しましたが、一向に原因がわかりませんでした。
大学病院で検査したところ、かなり進行した血液の癌であることが判明しました。
即入院し、精密検査を受けたところ、癌としては最終ステージの4と呼ばれる末期癌であり、さらにタチの悪いT細胞性芽球型悪性リンパ腫と診断され、余命2ヶ月と宣告されました。
 

f:id:pilgrim1969:20220331200548j:plain

「仕事ファースト」から「遊びファースト」へ
このようなことを言う本に初めて出会いました。
とても画期的な本だと思います。
 
それから長い闘病生活が始まりました。

長い闘病生活は大変苦しいものでしたが、それまで仕事一筋だった僕にとって、自分を振り返る良い機会となりました。
「なんで自分はこんな状況になってしまったんだろう」
「人一倍仕事を頑張ってきた自分がなぜ末期癌になって死に直面しなければならないのか」
「今までの自分の人生は一体何だったのだろうか」
それまで考えたことがないようなことを考え、真摯にそれまでの自分の人生と生活を振り返るようになりました。


そして、仕事以外で自分の好きなものは何なんだろうと考え、自分は音楽が好きで、好きなアーティストのCDなどをコレクションすることが唯一の趣味だったことに気づきました。
抗がん剤治療など大変な治療を続けている中、アマゾンなどで好きなアーティストのCDなどを色々と見たりして、携帯電話のサイトで注文したりしました。

関連する書籍や雑誌なども購入し、ベッドで読み耽る毎日でした。
それは意外にもとても楽しい時間でした。

仕事一筋の自分でしたが、久しぶりにリラックスして、遊びに夢中になれたのでした。

 

そのような日々を過ごしているうちに、本当に奇跡的としか言いようがないのですが、癌は消滅していき、約7ヶ月もの長い入院生活でしたが、晴れて退院することができました。


樺沢先生は本の中で「病気になったら、後から楽しめない」と言っていましたが、まさにその通りだったと思いました。

自分自身で体験して、イヤというほど思い知らされました。
僕は運良く末期癌から生還しましたが、もしこのまま死んでしまっていたら、仕事一筋で全く楽しめない人生で終わっていたことでしょう。

我慢に我慢を重ねて、後に楽しみをとっておくような人生ですと、途中で何かあった場合、全く楽しめない人生で終わってしまうのです。

今日楽しめることは、今日は楽しんだ方が良いということは、僕の経験から言っても、激しく同意します。

 

この本を読んで、僕は改めて遊びの大切さを実感しました。

そして、末期癌になった経験から、あらゆるものの中で、「時間」というものが最も大切であることは、僕の無意識の中に入り込み、根幹の思想となっています。

死んでしまったら、全て終わってしまうのです。


「遊びは時間術」とは、本当のことだと思います。
悔いのない人生を送るため、僕はこの本を読んで、3つのToDoを実践することにしました。


①遊びの予定をスケジュール帳にきちんと書く。


樺沢先生は、よく「人生は有限」「時間は有限」と言っています。
遊びの予定というのも、一期一会だと思います。観たい映画も行きたいコンサートもその時を逃すとたいていは二度と出会うことはできません。

 

僕は故・忌野清志郎さんの大ファンでした。

2007年末のジョン・レノン・スーパーライブに出演するということで、チケットを購入しようとしたのですが、あいにく仕事が立て込んでしまい、行くことをあきらめました。

その2年後、忌野清志郎さんは他界してしまいました。

僕は永久にステージ上の忌野清志郎さんを見ることは叶わなくなってしまいました。


そのような大切な機会を逃さないよう、きちんとスケジュール帳に書いていきたいと思います。


②ケツカッチン仕事術を日々実践する。


大抵の人は仕事が立て込んでくると、遊びの予定を簡単に諦めてしまいます。

しかしこのようなことを続けていくと、どんどん遊びの大切な機会が網の目から落ちるように失われていき、気がついたらツラい仕事だけの人生だったと気づくはずです。
終了時間や制限時間を設けて、それまでに終わらせようと必死で仕事をすれば、何とか仕事は終わるのです。

僕は常にこれを実践していこうと思っています。


③ スキマ時間を遊びに活用する。


仕事でかなり忙しくても、日々の生活の中で、結構スキマ時間というものはあるものです。

この時間を利用して、読書をしたりラジオを聴いたり動画を見たりして、有効に活用していきたいと思います。

「スキマ時間は、時間の埋蔵金です」という本の中の言葉に非常に共感しました。

 

f:id:pilgrim1969:20220331200745j:plain

今現在、大変な思いをしていて、人生に行き詰まってしまった方にこそ、ぜひ読んでいただきたい本です。

 

まとめ


この本は本当に画期的な本だと思います。


遊びが「メイン」であり、仕事は「サブ」
「仕事ファースト」から「遊びファースト」に切り替えるだけで、楽しい幸せな人生になる。


このようなことを言っていた本が過去にあったでしょうか。
これこそが、仕事ばっかりして経済的には豊かになったものの、めちゃくちゃ幸福度が低い日本人に大切なことなのではないでしょうか。
ぜひ、今現在、楽しい人生を過ごすことが出来ず、行き詰まってしまっている方に読んでいただきたい本です。

 

YouTubeもやっていますので、こちらにぜひご覧になってください。

 

youtu.be