肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆) ビルボードライブ東京_20240804 最終回

日本音楽界のレジェンドである鈴木茂氏・小原礼氏・林立夫氏・松任谷正隆氏が結成した「SKYE」が六本木の東京ミッドタウンにある「ビルボードライブ東京」で行った2024年8月4日の夜の部(18:30開演)を観に行ってきました。

前回からの続きです。

 

 

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壮絶な客席からのアンコールの声援と手拍子が鳴り響き、数分後、メンバーたちがグッズで売り出しているTシャツに着替えて、ステージに戻ってきました。

CDジャケットのイラストと同じデザインのTシャツを着ていました。

但し、鈴木茂氏だけは着ていませんでした。

 

小原礼氏と松任谷正隆氏のMCとなり、二人は再結成してから2枚目のCD作成・収録までの話を簡単に話し、「これ(2枚目のCD)で終わるのは、やっぱり寂しいです。また、やります!」と言ってくれました。

何年後になるかはわかりませんが、この言葉はとても嬉しかったです。

 

 

アンコール第一弾は、1枚目の「SKYE」からの「Dear.M」が演奏されました。

「ありそーでなさそーなロックンロール」というフレーズで始まる松任谷正隆氏ボーカルのゴキゲンなナンバーです。

心なしか、本編よりも、アンコールの方が、鈴木茂氏のギター・ソロ、林立夫氏のドラムが激しさを帯びていたのが印象的でした。

2曲目は、ブギウギ調のリズムが印象的な明るい感じの「Isolation」。

この曲の鈴木茂氏のギター・ソロも激しさを帯びており、松任谷正隆氏がいつにも増して熱唱していました。

 

この曲が終わると、メンバー全員がステージの前に出てきて、肩を組んで、一礼し、手を振って、ステージを去って行きました。

「ライブは終了しました」という会場アナウンスも流れ、これで終わりかと思っていたのですが、会場のアンコール声援と手拍子は鳴りやまず、しばらくして、鈴木茂氏以外の3人が出てきたのですが、端の方にいたスタッフが腕でバッテンを作ったので、結局再アンコールは取りやめになりました。

まあ、残念ですが、アンコール含め全15曲、席も良かったし、充分楽しめました。

 

2度目のアンコール催促の声援と手拍子も壮絶なモノでした!

今から3枚目の次回作と、次回のライブツアーが楽しみですが、だいぶ懸念していることがあり、それは鈴木茂氏と他の3人との溝が深まっている感じがしたことです。

今回の2枚目の作品では、鈴木茂氏の単独作品というものが無く、ボーカルを取っている作品は最初の「ホームアゲイン」だけです。(作詞:林立夫氏、作曲:鈴木茂氏・小原礼氏・松任谷正隆氏)

二つ目は、松任谷正隆氏がDJを務めるレギュラーラジオ番組「松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?(TOKYO FM)の7月26日と8月2日の2回に渡って、小原礼氏と林立夫氏がゲストとして参加したのですが、鈴木茂氏は両方とも欠席でした。

メンバー3人は気を遣っているのか、鈴木茂氏のことを頻繁に話題に出していましたが、どうも釈然としません。

新しいアルバムを発売したばかりの、しかも同じバンドメンバーのレギュラーラジオ番組に、他のメンバーは全員出演しているのに、一人だけ欠席というのはちょっと考えられないと思います。

三つ目は、やはり今回のライブでの鈴木茂氏の佇まい・態度でしょう。

どの曲でも鈴木茂氏のギター・ソロプレイは素晴らしかったのですが、自分の周りをまるで機材で囲ってバリアを作っている感じがしました。

他のメンバー3人は、MCでしゃべっているのに、鈴木茂氏はMC一切無し。

アンコールで、他のメンバー3人は、グッズ販売のTシャツを着てきたのに、鈴木茂氏だけそのまま自分のステージ衣装で出てきました。

最後の再アンコールで、とりあえず他のメンバー3人は演奏は出来ずともステージに出てきたのですが、鈴木茂氏はとうとうそのまま出てきませんでした。

なので、僕のあくまでも推測ですが、鈴木茂氏は近いうちにSKYEを脱退するのではないかと考えています。

とても残念ですが、仕方ありません。

残った3人で、3枚目のアルバムを作っていくか、新たなメンバーを招聘するか、いずれにしても、SKYEがこのまま続いていくことを願ってやみません。

 

8月4日 2回目のライブ セットリスト

①ホームアゲイン

②Too Old

Wire Walker

④Bermuda

⑤Scarabaeid

⑥ちぎれ雲

⑦radio

⑧Paint It Black

⑨メリーゴーランド

ウッドストック

⑪Smailling Faces

⑫Night Crawler

⑬The Light In the Dark

【アンコール】

⑭Dear.M

⑮Isolation

 

SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆) ビルボードライブ東京_20240804 その3

日本音楽界のレジェンドである鈴木茂氏・小原礼氏・林立夫氏・松任谷正隆氏が結成した「SKYE」が六本木の東京ミッドタウンにある「ビルボードライブ東京」で行った2024年8月4日の夜の部(18:30開演)を観に行ってきました。

前回からの続きです。

 

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10曲目は、小原礼氏作詞作曲&ボーカルの「ウッドストック」。

せつないメロディラインに、ミドルテンポのロック調のアレンジが気持ちいい曲です。

ウッドストック」とは、1969年の夏、LOVE & PEACEのフラワームーブメント華やかなりし時代にニューヨーク州で開かれた大規模な野外コンサートで、30組以上のアーティストが参加し、40万人以上の観衆を集めたそうで、ジミ・ヘンドリックスも参加したロック史上における代表的な野外フェスティバルです。

「この曲を聞くと、なんかちょっと重い感じを受けて、暗い感じがするんだよな・・・」と松任谷正隆氏が言ったのを、小原礼氏は意外に思ったらしく、こう返しました。

「いやあ、この曲はオレと当時の彼女と二人であのウッドストックに行ったと想定して、メチャクチャ明るく書いたつもりなんだけどなあ…」

間奏の鈴木茂氏のギター・ソロがとても素晴らしかったです。

 

 

次の11曲目も、小原礼氏作詞作曲&ボーカルの「Smiling Faces」。

これはグループサウンズを意識して書いた曲だそうで、鈴木茂氏のギター・ソロも超グループサウンズ風で、とても良かったです。

 

曲が終わると、松任谷正隆氏のMCとなりました。

そして、こんなことを言い出しました。

「オレって、実は『破滅願望』があるんだよなあ…」

「今のオレ、これからどんどんダメになりたい、って思ってるんだよ」

「次に歌うオレの作った曲だけど、自分がやったことないことを書いてるんだよ」

「酒飲んでタバコ吸ってグデングデンになるなんて、実はやったことないんだよな…」

そこへ、林立夫氏がこう切り出しました。

「そうなの?マンタ(松任谷正隆氏)、じゃあこれから不良になってみたら?」

松任谷正隆氏にこんなマゾヒステッィクな破滅願望があるなんて意外でしたが、確かに松任谷正隆氏は家も裕福でいわゆるおぼっちゃんで、幼少の頃から優等生しかりとしていたようです。

常にオシャレでスマートで持ち物にも異常にこだわる性格で、いつもビシッとカッコつけていたようでした。

ユーミンのプロデューサーとして君臨し、有能で威圧感のあるディレクターとして、ユーミンやサポート・メンバーやスタッフたちに厳しく振舞う姿は、映像で観たことがありました。

いわゆる有能で口うるさく、「イヤな」ヤツという雰囲気でしたが、今回松任谷正隆氏の口からこんな言葉を聞いて、人間というものの深層心理というのはわからないものだなあ、と感心してしまいました。

 

 

そして、12曲目として、「ダメな男:第一弾」の曲である「Night Crawler」(松任谷正隆氏作詞作曲ボーカル)が演奏されました。

(「Night Crawler」とは、「夜にほっつき歩く人」という意味だと言っていました)

歌詞は、育ちが良くうぶで女々しい中年男がカッコつけて付き合っていたオンナを振ってしまい、後から激しく後悔して、大酒を飲んで千鳥足で酒場や歓楽街をほっつき歩きながらも、そのオンナのことを思い出しているという、なんとも女々しくカッコ悪い男の歌ですが、松任谷正隆氏にはとても合っていて、歌もとても上手かったです。

サポート・メンバーの小林香織氏のサックスも妙に哀愁を帯びていてなかなか良く、鈴木茂氏のギター・ソロも慰めるような穏やかな感じでした。

曲が終わり、松任谷正隆氏が、「まあ、どっちの『ダメさ』が、よりダメか?」などとつぶやくように言っていました。

13曲目の小原礼氏の「The Light In the Dark」が終わり、メンバーは会場に手を振って、そのままステージを去って行きました。

(次回に続く)

 

 

SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆) ビルボードライブ東京_20240804 その2

日本音楽界のレジェンドである鈴木茂氏・小原礼氏・林立夫氏・松任谷正隆氏が結成した「SKYE」が六本木の東京ミッドタウンにある「ビルボードライブ東京」で行った2024年8月4日の夜の部(18:30開演)を観に行ってきました。

前回からの続きです。

 

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松任谷正隆氏のMCの後、5曲目の「Scarabaeid」のイントロが流れてきました。

小原礼氏いわく、この曲はメンバーそれぞれが関わったリレー方式で作ったのだそうです。

「オレは何も考えずに作ったよ」

小原礼氏は飄々とこのように話していました。

 

 

そして、6曲目は鈴木茂氏作曲・松本隆氏作詞のなかなかの名曲「ちぎれ雲」でした。

この曲はSKYEの1枚目のアルバムに入っていた曲で、ひと際異彩を放っていた曲でした。

ミドル・テンポのゆったりとした感じの曲で、聴いていると自然と癒されてくる、とても良い曲です。

元々は、1970年代はっぴいえんど時代に作った曲で、はっぴいえんどのアルバムに収録される予定の曲だったのですが、他の曲と雰囲気が合わず、残念ながらボツになってしまったのだそうです。

もっと早く聴きたかったですね。でも、元々の曲はもっとテンポが速かったそうで、雰囲気がかなり違っていたそうで、今だからこそ良い味を出すようなアレンジになったのでしょうね。

もちろん鈴木茂氏がボーカルで、一昨年のライブでも歌われましたが、その時の鈴木茂氏の声の調子があまり良くなく、ギターもトラブルが発生していたのか、心ここにあらずといったボーカルで、ちょっと残念でした。

今回はボーカルもギターもばっちりで、サイコーの「ちぎれ雲」を聴かせてくれました。

この曲でのギター・ソロはばっちりだったのですが、鈴木茂氏は全曲でなかなか良いギター・ソロを聴かせてくれて、松任谷正隆氏のラジオ「松任谷正隆の…ちょっと変なこと聞いてもいいですか?」に小原礼氏と林立夫氏が出演した時、メンバー3人が鈴木茂氏のギター・ソロのことをかなりほめていました。

 

僕たちの席から見たステージの光景です。
メンバーたちがばっちり見えました。
松任谷正隆氏のキーボードを弾く指がよく見えました。

 

その後、サポート・メンバーとして参加していた「3人娘」の紹介となり、ユーミンのライブでも大活躍している小林香織氏のニューアルバムが紹介されました。

そして、もう一人のサポート・メンバーのイチハラヒカリ氏がボーカルを取って、7曲目「radio」の演奏が始まりました。

この曲のボーカルはオリジナル・アルバムでは、あの小坂忠氏の孫であるRaine氏が歌っているのですが、イチハラヒカリ氏のボーカルもなかなかのものでした。

 

8曲目は、「Paint It Black」訳して「黒く塗れ」で、ザ・ローリング・ストーンズにも同名の曲がありますが、この曲は林立夫氏作詞・小原礼氏作曲。

作詞担当の林立夫氏が、この曲に関して、「世の中の陰で力を持った人たち」のことを歌った曲だと言っていました。

「えっ?てっきり男女関係の曲だと思ったよ」と松任谷正隆氏は言っていましたが、歌詞を確認すると、まあ確かにそんな感じに受け取れなくもないと思いました。

まさに、林立夫氏特有の筆致で、「自民党の裏金問題」を歌った曲なんじゃないかな?と思いました。

 

次の9曲目の「メリーゴーランド」(作詞作曲:松任谷正隆氏)の前に、MCとなり、小原礼氏が話し出しました。

「次の曲はマンタ(松任谷正隆氏)の作詞作曲なんだけど、『ダメな男』の歌なんだよね」

「オレは違うと思っているけど」

「実はこの曲は『ダメな男』第二弾の曲なんだ」

曲が始まり、松任谷正隆氏がいつになく力がこもっていて、キーボードを弾きながら、実にすばらしい熱唱ぶりでした。

CDでは、ほろ酔い気分のオッサンが気持ちよくカラオケで歌っているような感じで、どうなんだろう?とあまり良い印象が無かった曲だったのですが、このライブでの曲を聴いて、印象が変わりました。

歌詞もなかなか含蓄のある内容で、中高年の男性であれば、誰もが共感するような内容です。

鈴木茂氏のギター・ソロも心なしか、優しく響いていました。

(次回に続く)

 

 

SKYE(鈴木茂・小原礼・林立夫・松任谷正隆) ビルボードライブ東京_20240804 その1

日本音楽界のレジェンドである鈴木茂氏・小原礼氏・林立夫氏・松任谷正隆氏が結成した「SKYE」が六本木の東京ミッドタウンにある「ビルボードライブ東京」で行った2024年8月4日の夜の部(18:30開演)を観に行ってきました。

 

SKYEは、2021年の秋に結成して、1枚目のアルバムをリリースし、その翌年に第一弾のライブツアーを行い、僕はこの時も参加しました。

詳細は、以下のブログをご覧ください。

 

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今回は2枚目のアルバム「Collage(コラージュ)」を引っ提げてのライブツアーということでしたが、全ての会場がビルボードライブということで、前回とは異なった雰囲気のライブとなりました。

 

7月24日に発売された2枚目のアルバム「Collage(コラージュ)」

 

神奈川・大阪・東京の3都市・6公演を行い、僕と妻が参加したライブは最終日のまさに千穐楽でした。

ビルボードライブ東京は、いわゆる食事をしながらライブを観る形式の会場で、僕たちは食事ではなく、軽食とドリンクを取りながら観る形式を選んだので、2階席のカウンターとなりました。

それでも眺めは良く、なかなか良い席でした。

 

席はこんな感じです。

ライブの開演時間となり、メンバー4人は充実感のある笑顔でステージに入ってきました。

そして、1曲目はアルバム「Collage」の最初を飾る「ホームアゲイン」から始まり、鈴木茂氏がギターを弾きながらボーカルを取りました。

前回のライブでは、鈴木茂氏のボーカルはどことなく不安定だったのですが、今回は調子は良いようでした。

 

2曲目は、小原礼氏がボーカルの「Too Old」が演奏され、最初のMCとなりました。

林立夫氏が今回リリースしたアルバム「Collage」を簡単に紹介し、「一家に三枚あってもいいほどの名盤だ」と豪語していました。

続いて、そのまま林立夫氏が作詞・ボーカルの「Wire Walker」が演奏されました。

(作曲は松任谷正隆氏)

この曲は林立夫氏のしゃべるようなボーカルとレゲエ調の曲調のコラボレーションがなかなか良く、僕はこのアルバムの中では二番目に好きな曲です。

 

その後、同じく作詞:林立夫氏・作曲:松任谷正隆氏の「Bermuda」が演奏されました。

青く澄み渡ったカリブ海と青空を思わせる、爽やかな曲調と、決して上手くはないがリゾート・ソングにぴったりな正隆氏のボーカルがなかなか良く、このアルバムの中では一番好きな曲です。

 

そして、曲が終わると、松任谷正隆氏によるMCとなりました。

今回は千穐楽、最終ステージということで、メンバーの知り合いがたくさん観に来ているのだそうです。

そして、この日出かける前のユーミン(妻の松任谷由実氏)とのエピソードをさりげなく聴かせてくれました。

ユーミンはこの日「トザンゲザン?」のライブに行くので、SKYEのライブには参加できないと告げてきたのだそうでした。

(正隆氏が「トザンだかゲザンだかのライブ」とちょっと不機嫌そうな感じで言っていました)

仕方なく正隆氏は承諾し、よくわかりませんが、SKYEの紫色のTシャツをユーミンにあげたのだそうです。

一連のことを、正隆氏はどことなく不機嫌そうな口調で話していたので、きっと喧嘩をしたのだと思います。

そういえば、一昨年に参加した渋谷のオーチャードライブでは、ユーミン尾崎亜美氏・奥田民生氏が参加して、それぞれ持ち歌を歌い、とても盛り上がったのを覚えています。

ちなみに、小原礼氏の妻である尾崎亜美氏はこの日のライブを観に来ているとのことでした。

まあ、SKYEも2回目のライブツアーなので、もう助っ人は必要ないのではないでしょうか。

正隆氏のMCの後、5曲目として、「Scarabaeid」のイントロが流れたのでした。

(次回に続く)

 

ポール・マッカートニー写真展を観て

六本木ヒルズ森タワーで7月から開催されている「ポール・マッカートニー写真展」を観に行きました。

 

ここがエントランスです

 

ポール・マッカートニーは言わずと知れた世界的なロックグループの元ビートルズの中枢メンバーで、ジョン・レノンと組んで「Michelle」「Here,There And Everywhere」「Let It Be」「The Long And Winding Road」など数々の名曲を世に送り出してきた世界の音楽界のレジェンドです。

 

今回展示している写真約250点は、2枚目のアルバム「With The Beatles」が発売されたばかりでイギリスのチャートで連続1位を記録し、世界を熱狂させ社会現象となり始めた1963年12月から、アメリカの著名な音楽番組「エド・サリバン・ショー」に出演して、アメリカを席捲し始めた1964年2月までの約3ヶ月間に、ポール・マッカートニー自身のカメラによって捉えられた撮影の記録です。

 

ビートルズのメンバーだからこそ撮ることのできた非常にプライベートな写真や、エド・サリバン・ショーに出演した際の写真、ステージが終わった後のバックステージの写真、その時代の特有の風景や日常が映し出されている写真が数多く出展されていて、とても興味深かったです。

 

ポール・マッカートニーの写真と共に、壮大な東京のシティ・ビューが体験できます!

 

今回は僕が展示会で観た写真の中で、興味のあった写真をいくつかご紹介します。

 

このカメラと同一の型のカメラで撮影していたとのことです。
「ASAHI PENTAX」日本製ですね。

メンバーの前でしか見せない表情は貴重ですね

リンゴは疲れているのでしょうか?

ジョンが一人で弾き語りをして練習している写真が見受けられました。
なかなかカッコいいです。

ビートルズ初期のポールとジョンが2人で一所懸命練習している有名な写真ですね。

ジョージが撮ったのでしょうか?
ニューヨーク観光を心から楽しんでいる3人の表情が窺えます。

マイアミで魚釣りに興じていたポールの写真です。
わけのわからない奇妙な魚を釣ってしまって、
ギョッとしているポールの表情がなかなかファニーです。

シンシアの写真を撮るジョン 
ヨーコと出逢う前のジョンとシンシアの姿はとても貴重です。

プールサイドで、仲睦まじい姿のジョンとシンシア このころはうまくいっていたのですね、とても貴重な写真です。その後のことを思うと悲しい思いが込み上げてきます。

 

まだまだたくさんの貴重な写真が展示されていますので、興味のある方はぜひ現地でご覧になってください。

会期は9月24日(火)までです。

公式サイトのリンクは以下の通りです。

https://t.pia.jp/pia/events/paul-photo

 

また、最後にグッズ販売の店があり、なかなか基調でセンスの良い商品がありますので、ぜひ立ち寄ってみてください。

展示会の全ての写真を収録して詳細な説明も書いてある重量版の冊子もあったのですが、14,000円以上もするので、僕はこちらのミニガイドブック(3,520円(税別))を購入しました。こちらで充分かと思います。

「アクリルフォトブロックミニ」ちょこっと飾るには最適です。880円(税別)

 

辻仁成 JAPAN ファイナル ツアー“終わりよければすべてよし” 2024.07.31(水) ヒューリックホール東京

辻仁成氏が、2024年7月31日(水)に東京・有楽町の「ヒューリックホール東京」で行った二日目のライブに参加しました。

 

 

辻仁成氏は、今回の日本公演を「引退公演」と銘打っており、日本での公式な音楽活動は今回のツアーをもって完了し、今後は行わないとしていました。

その決意に至った経緯については、いろいろとあったらしいが、辻仁成氏に大変失礼で冷淡な知り合いからの「いやがらせ」もあったらしいし、以前のツアーが台風やコロナで中止になり、そのたびに辻仁成氏がかかった費用を全額負担してきたらしく、これ以上遠く離れた日本での活動を続けていくことは非常に困難であると悟って決意した背景もあったらしいです。

とても残念であるが、辻仁成は現在住んでいるフランスでは伝統あるオランピア劇場でのライブを大成功させ、イギリスでのライブも好評を博したので、今後はそちらでの活動で大いに活躍されることを祈るばかりであります。

 

辻仁成氏が1985年にデビューした時に所属していたのが「ECHOES」
そのファン一同ということで、ずいぶんと長く応援していたのですね 

 

当日のライブは時間通りに始まり、メンバーに少し遅れて辻仁成氏が現れました。

キャスケットを頭にかぶり、自分で袖を切って補修したという山本耀司のグレンチェック柄のジャケットに、黒のパンツルックに、黒のブーツというシックな感じで統一した辻仁成氏らしい粋なファッションでした。

 

最初の3曲は、正統派ロックともいうべきストレートなロックの曲で、おそらくエコーズ時代の曲だったのでしょう。

3曲が終わって、辻仁成氏のMCとなり、「こんばんは!」と元気に挨拶をしました。

「今日は、『辻仁成引退コンサート』にようこそいらっしゃいました!これを機にメンバーそれぞれが新たな道を進んでいくので、みんな応援してくださいね!」と、バンドのメンバーを見回しながら、ユーモラスに語ったのですが、誰一人「引退」という悲壮感は感じさせず、辻仁成氏もそれを楽しんでいるように見受けられました。

 

辻仁成氏の顔がはっきり見えた、なかなか良い席でした

 

その後、歌われたのは、「故郷」。東日本大震災後に日本のことを心配して急遽作った曲だそうです。

続いて、辻仁成氏の代表曲とも言える「空」「ガラスの天井」と2曲立て続けに演奏されました。

アレンジはすべてピアノ・キーボードを担当していて、昨年もライブ・メンバーだったDr.kyOn(ドクター・キョン)氏ですが、とても小粋な素敵なアレンジで、思わずかなりノッテしまいました。

 

その後、「新曲を歌います。と言っても7年前の2017年に出した曲だけどね」と自嘲気味に言った後、「孤独をラッタッタ」を歌い、その後またMCとなりました。

現在、辻仁成氏が拠点として在住しているフランス・パリでオリンピックが行われており、Dr.kyOn氏とともにしばしその話題で盛り上がった後、フランスの代表的な歌手であるエディット・ピアフの名曲「La Vie En Rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)」を心を込めて歌い上げ、客席も手拍子で賑やかな雰囲気となりました。ステージ上は、照明でフランス国旗を思わせるトリコロールカラーに染められていました。

 

 

そして、辻仁成氏は前日初日に突然飛び入り参加して大いに盛り上がった加藤登紀子氏のことを話しました。

「突然客席がざわついて、見ると客席を下りてくる人物がいて、これってテロの多いフランスでは典型的なテロリストの行動なんですよ!」

辻仁成氏は本当にビビっていたようで、内心「ヤベエ!」と思ったらしいのですが、すぐに加藤登紀子氏と気づいたらしく、「予定外なんですが、僕の『サボテンの心』という曲をカバーしていただいている加藤登紀子さんです!」と紹介したそうです。

そして、二人でデュエットして、客席も大合唱となり、大いに盛り上がったのだそうです。

 

そんな話の後、エコーズ時代の曲が6曲ほど続き、途中のMCでは、「僕は実は月から来た人間で、早く帰らなければならないんです」などというお茶目でわけのわからないギャグをかまし、メンバー紹介となりました。

真ん中の辻仁成氏の向かって左側がDr.kyOn氏(ピアノ・キーボード)、その後ろが太田惠資氏(ヴァイオリン)、辻仁成氏の真後ろが竹内理恵氏(サックス)、辻仁成氏の右側に山下あすか氏(ドラムス・パーカッション)、ユン・ファソン氏(トランペット・フルート)でしたが、皆スゴ腕のプレーヤーたちで、聴いていてとても安心感がありました。

特に、バンドマスターでもあるDr.kyOn氏は、ノリノリの状態で、ピアノ・キーボードだけでなく、アコーディオンまで弾いて、抜群の手腕を発揮しました。

昨年のライブでは、打ち合わせ不足と練習不足で、ミスった場面もあっただけに、今年は本当に良かったと思います。

 

 

その後、一昨年リリースした最新アルバム「Japanese Soul Man」からの代表曲「ALONE」「冬の虹」「City Lights」そしてラップ調のボーカルがなかなか粋な「どの方角から誰が来るのか分からないから全部開いてる」を歌った後、辻仁成氏とメンバーたちは手を振って、ステージを去って行きました。

 

壮絶なアンコール・コールが続き、明かりがついて、辻仁成氏とメンバーたちがステージに戻ってきました。

そして、辻仁成氏は引退記念の「全体写真」と称して、自分自身と客席がきちんと映るように、スマホを構えて、自撮りで撮影しました。

おちゃらけている雰囲気でしたが、これで最後という名残惜しい気持ちで撮ったのでしょう。

その後、また長いMCとなり、辻仁成氏に弟がいたとは知らなかったのですが、日本での様々な細かい手配関係はすべて弟が取り仕切っていたのだそうです。弟はなぜか東京に来ることは無いのですが、いろいろと手配してくれて、とても助かっていることを話していました。

また、弟は車を持っていなかったが、最近初めて新型のプリウスを購入したことを話していました。

そして、おちゃらけて、自分は先ほども言ったように月の星人だから、もう少しで帰らなければならない、などと言い、客席に向けて両手を広げてエネルギーを送るような仕草をしていましたが、ライブがことのほかうまくいったことのうれしさの表れだったのでしょう。

 

 

アンコールの1曲目は、前日加藤登紀子氏とデュエットした「サボテンの心」を歌いました。

そして、今後のことについて話しました。

「これで日本での公式な公演は今回のツアーで最後になりますが・・・」

「そうですね・・10年後にまた会いましょう!あ!そしたらオレは70代になっているんだよな!大丈夫かな・・」

(これで完全に終わりじゃないだ!10年後でもいいから会えればいいな!)

僕を含めた客席のファンの人たちはそう思ったのでしょう。

客席からは壮絶な大歓声と拍手が沸き起こりました。

 

しかし、辻仁成氏は少し考え、またこう言い出しました。

「・・やっぱりこうしましょう!」

「30年後に会おう!!」

(30年後?!30年後と言ったら辻仁成氏は90代中頃、オレだって85歳、この会場にいるほとんどの人たちはもう高齢で会いに来れないんじゃないだろうか?)

きっと会場のファンの人たちは皆同じようにこう思ったことでしょう。

少し会場のテンションが下がったように感じました。

 

辻仁成氏のフォト・ファイルとしおり なかなかカッコイイデザインのしおりです 併せて1,000円(税込)

 

そして、最後に辻仁成氏最大のヒット曲と言われる「ZOO」が演奏され、引退ライブ二日目は幕を下ろしたのでした。

まあ、最後の言葉はよけいだったと思いますが、辻仁成氏はとても楽しそうで、声もよく出ており、メンバーたちの演奏は素晴らしいものでした。

 

ツアーは、この後、8月5日(月)ヒューリックホール東京、8月7日(水)大阪フェスティバルホールまで行われます。

日本での公式な公演はこれで終わりますが、多才な辻仁成氏ですので、音楽に小説に絵画に料理と、いかんなく才能を発揮し続けるでしょう。

今後の活躍をお祈りいたします。

 

辻仁成氏が自らデザインした、とても芸術的でカッコイイTシャツなのですが、
Sサイズしかなく、僕の分は購入できませんでした(´;ω;`)ウゥゥ
4,500円(税込)

 

人事部長との面談~会社側からの意外な提案 その2

人事部長とのZoomでの面談を実施し、二つの提案をされました。

一つ目は、復職した後の仕事内容の話でした。

ある程度予想はしていましたが、かなり厳しい話でした。

前回からの続きです。

 

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そして、次に出てきたU人事部長の言葉が更に僕の心と身体を緊張させることになるのでした。

「もう一つの選択肢として考えて欲しいのは、退職していただくことです」

復職のことについても厳しい内容でしたが、さすがにこれについてはとても言いにくかったらしく、少しどもり気味で声が小さくなっていました。

「当社は今年の年末の11月に上場を予定しています。それまでRさんには会社に在籍していただきます」

「12月分までは従前と同額の給与をお支払いすることはお約束します」

(どういうことなのだろう・・・)

 

よく話が呑み込めない中、U人事部長は話を続けました。

それは、僕たち社員が一番興味を持っていて、気にかかっているストック・オプションと持株会についてでした。

「ストック・オプションと持株会についてなのですが、本来はこれらは行使制限がかかっていて、最低3年間は行使できず、持ち続けなければなりません」

「但し、特例として、「会社都合による退職」または「定年退職」であれば、この制限を外してもらえて、すぐに行使できることになります。Rさんの場合は、「定年退職」には当てはまらないので「会社都合による退職」により、この制限を外してもらえて、すぐに行使できることとなります」
「但し、その時点で当社に在籍していることが条件です」

(ふーーん)

僕はこの話を聞いて、別に悪い話ではないのではないか、と思いました。

復職の条件は厳しいが、別に復職にこだわる必要はなく、会社に上場してもらって、ストック・オプションや持株会の持ち分を退職金代わりに現金化してもらえれば(うちの会社は退職金制度が無いのです)、それはそれでいいのではないか、そう思えてきました。

 

但し、うちの会社は何年も前から上場を予定していて、延び延びになっています。

本来今年7月に上場予定と聞いていたのに、いつのまにか11月の上場予定に変わっているのも気になるところです。

(本当に今年11月に上場できるのだろうか?)

僕は心配になり、こう質問しました。

「11月上場予定とのことですが、今まで延び延びになってきた経緯もあるので、今回は確実なのでしょうか?」

あと、これがまた重要です。

「あと、仮に上場が再度延びた場合の、私の扱いはどうなりますでしょうか?」

 

U人事部長は一瞬厳しい顔になりましたが、すぐに取り直し、こう答えました。

「1年以上延びてしまうと困るのですが、現在東京証券取引所審査中なので、上場できる確度は高く、これ以上スケジュールが延びることは無い可能性が高いと思います」

一応、自信はあるような口調でした。

そして、こう続けました。

「以上、復職と退職の二つのパターンですが、8月いっぱい休養して、今後どうするかを考えていただきたいのです。但し、8月分の給与は従前の給与の額で当社から支払われます」

 

とりあえず、何か質問したいことがあったら、また連絡を取り合うということで、Zoomでの会議は終了しました。

 

悪い話ではないかもしれないとはいえ、なんともいえない気持ちになりました。

「なんか、くさくさするから、肉でも食べに行こうよ」

妻もあまり良い気分ではないようで、僕も賛同しました。

近くのステーキ店で、ハンバーグ定食を食べながら、いろいろと思いを巡らす僕たち二人なのでした。

(次回に続く)