5月16日の日本武道館ライヴを最後に、ユーミンの45周年を記念した約8ヶ月間に亘った「YUMI MATSUTOYA TIME MACHINE TOUR」は幕を閉じました。
僕も3月9日の日本武道館ライヴと4月6日の横浜アリーナのライヴに行ってきて、とても感動しました。
★3月9日のライヴのブログ
http://pilgrim1969.hatenablog.jp/entry/2019/03/10/145340
★4月6日のライヴのブログ
http://pilgrim1969.hatenablog.jp/entry/2019/04/14/191457
グッズショップで、ツアーパンフレットを買ったのですが、とても重厚で立派な装丁で、内容も45年間に亘るライヴの集大成のような内容でしたので、簡単にご紹介したいと思います。
⬇ 表紙です。とても重厚で荘厳な感じです。
内容は、時期ごとに、ユーミンと松任谷正隆氏がその時を思い返しての対談が載っており、歴代のツアーの写真や演奏した曲のセットリストが載っており、見応えがあります。
また、その時のツアーを見に行って思い入れがある有名人の方のコメントが載っており、これもなかなか興味深いです。
これを読んで、僕が印象に残ったことを簡単に述べます。
①ユーミンがまだライヴハウス回りをしていて、メジャーでなかった頃、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドやアリス・海援隊と共演したことがあったらしいです。海援隊と富山か福井で共演した時に、近くの公園に武田鉄矢氏から呼び出されて、「明治維新のことをもっと知るべきだ」と説教をされたらしいのですが、「あれはたぶんナンパだと思う」と書いてあるのには笑いました。こんなこと書いちゃって大丈夫なのと心配になってしまいました。
②薬師丸ひろ子さんのコメントが載っていましたが、薬師丸ひろ子さんもデビューしてからしばらくは大変だったのだなあと共感してしまいました。
10代の頃は、映画などの撮影現場で褒められたことなど一度も無く、「翔んだカップル」や「セーラー服と機関銃」の監督から、朝9時から深夜0時までしごかれる日々を送っていたそうです。
すっかり疲弊してしまい、仕事を辞めることを決意して、友達とユーミンの苗場での「SURF & SNOW」を車で観に行ったそうです。
そして、ユーミンのライヴを観て、ユーミンと話をすることができ、ユーミンの歌を聴いて喜ぶお客さんの姿を間近で見て、それまで自分をしばっていた「人に迷惑をかけてはいけない」という固定観念から開放され、ニュートラルな気持ちになって、また仕事をガンバる気持ちになれたそうです。
まあ、あの頃の時代は、特に「褒めて伸ばす」なんて考えはメジャーではなく、叱って叩いて立ち上がらせるという体育会系の考えがまだまだ幅を効かせていましたよね。本当に低能な時代だったと思います。
③シャングリラでの海津亮さんのコメントが結構心に残りました。シャングリラの現場の指揮をとっていたらしいのですが、これがいかにものすごく大変だったか、赤裸々な苦労話が綴ってありました。
プロデューサーの松任谷正隆氏は、ユーミンも含めて、周りの関係者に常にものすごく高いレベルを求める厳しい人とのことで、本当に大変だったということです。
このような松任谷氏のもとで19年間も続けてこれたのは、一種の「鈍感力」があったからだと言っていました。
ユーミンも現場ではとてもストレスフルな局面が頻繁に起こっていたと言っていました。
ファンとしては、そのアーティストが楽しんでやっているところだけを想像したいのですが、このような話を聞くと、ユーミンの曲を聴いたり、ライヴの映像を観ても、今までと違った風に心に写ってしまいますね。
⬇ 最後の方では、ユーミンのこの8ヶ月間のライヴの写真がコラージュされていました。
とても圧巻でした。
とにかく、このツアーパンフレットはとても丁寧に編集されてあり、とても読み応えがありました。
ツアーが終わってしまったので、通販サイトなどで購入するしかありませんが、まだ販売しているかどうかはわかりません。
手に入れる機会がありましたら、ぜひ購入されることをオススメします。