数年前から何度もe-plusやぴあチケットで応募しては落選を繰り返していましたが、今回やっと山下達郎さんのライヴに当選しました。夫婦ともども、しかも山下達郎さんの一番思い入れのある中野サンプラザでのライヴです。
二人してワクワクして、中野サンプラザに到着しました。
もし、山下達郎さんのライヴに行く場合、充分注意していただきたいのは、かなりセキュリティチェックが厳しいことです。
他のアーティストでは経験したことはないのですが、チケットをきちんと見せて、写真付き身分証明書を提示し、チケットの名前と住所、実際の顔をかなりきちんとチェックされました。そして、手首に「2019年8月9日中野サンプラザホール 」などと書かれた紙製のリストバンドを付けられました。写真付き身分証明書を忘れるとマジで入場できないようなので、ご注意ください。
会場に入り、早速席につきました。僕たちの席は1階の12列14番と15番で、山下達郎さんをやや右側に見る感じですが、ステージ全体を見渡せて、とても良い席です。
6:30開演ですが、10分遅れて、メンバーと共にさりげなく山下達郎さんが現れたときは、ものすごく感激してしまいました。
そして、迫力あるドラムの響きとともに、「SPARKLE」が始まり、これぞ山下達郎のオープニング曲という感じで、幕を開けました。この曲、とても夏らしく都会的で、大好きな曲です。
その後、印象的なギターのリフと共に、「あまく危険な香り」が始まり、「ドーナツ・ソング」「土曜日の恋人」と続いたところで、MCとなりました。
山下達郎さんは、1980年に「RIDE ON TIME」がヒットするまでの1970年代の時期は、いわゆる「下積み」「不遇」の時代だったようで、仕事も恋愛もうまくいかない鬱屈した時代だったようです。当時のレコード会社の廊下を歩いていると、アイドル担当のディレクターから「君、まだいたんだ!」と言われていたとのことです。そんな時代の精神状態を如実に表した曲ということで、「PAPER DOLL」が紹介され、演奏が始まりました。確かにマイナーコードでブルース調のやるせない曲調と歌詞は、当時の山下達郎さんの心境をよく表していると思います。
その後、「サウスバウンドNo.9」を演奏したのですが、この曲は20年前の曲だが、ライヴで演奏不可能な曲だったので、今回初めて演奏したのだそうです。このような曲が全体の三分の一ほどあるみたいですが、最近のテクノロジーの進歩のおかげで、ライヴで再生可能になった曲が多数出てきたそうです。今後ライヴでチャレンジしていきたいそうで、楽しみです。
その後、山下達郎さんにとって、兄貴分である、大瀧詠一さんの話になりました。
大瀧詠一さんの出身地は岩手県江刺で、山下達郎さんの母方は宮城県仙台の出身だそうですが、系図を遡って辿っていくと、岩手県に辿り着いたそうです。もしかしたら、実は血縁関係とか深い関係にあったかもしれないと思っているそうです。昔、はっぴいえんどの頃、細野晴臣さんが、山下達郎さんを指して、大瀧詠一さんに、「お前弟がいたんだ!」と言ったそうですが、そう言われるほど、とても似ていたとのことです。(確かに今でもかなり似ています)
大瀧詠一さんが亡くなってから、公式の具体的なコメントは控えていました。部外者はそれに対していろいろと文句を言っていましたが、山下達郎さんにとっては、とてもひと言で簡単にコメントできるような間柄ではない深い関係があったからとのことでした。加えて、大瀧詠一さんの熱狂的なファンのグループである「ナイアガラ」の人たちがイヤだったとも言っていました。
あれから、約5年半の歳月が経ち、ようやく自分の中のわだかまりのようなものが氷解してきて、「もういいかな?」と思えるようになってきたとのことでした。
20数年前のある日、大瀧詠一さんを含めた数人で、カラオケボックスに行ったことがあったそうです。山下達郎さんが大瀧詠一さんの「ある曲」を歌ったら、大瀧詠一さんに「お前にその曲あげるよ」と言われたそうです。
そして、山下達郎さんはこう言いました。「すっかりそのことを忘れていたので、今回のライヴでその曲を歌います。大瀧さんの曲を歌えるのは僕しかいないし、僕には歌う資格がある。」
そう言い終わると同時に、すぐにピアノとドラムが刻むあのメロディが流れました。
「君は天然色」でした。このイントロを聴いた時、背中がゾクゾクっとして、思わぬ感動で涙ぐんでしまいました。山下達郎さんの「君は天然色」を聴けるなんて、なんとラッキーなのでしょう!あまりの嬉しさに呆然としてしまいました。山下達郎さんはこころなしか、心を込めてとても丁寧に歌っていたような気がしました。曲が終わり、割れんばかりの拍手が起こり、「僕の曲よりも拍手がすごいね」と山下達郎さんが照れて言っていました。
これだけでもラッキーなのに、「今回も、ウ・ケ・ネ・ラ・イ」とつぶやいて、近藤真彦さんの「ハイティーンブギ」やKinKi Kidsの「硝子の少年」を披露してくれて、本当にラッキーと言うほかありません。
そして、途中「BOMBER」が終わった後、爆弾発言がありました。
それは、来年はオリンピックで、このような大きなライヴ会場施設はなかなか押さえることが難しくなり、地方のライヴ会場施設でもオリンピックの選手村に利用されるなど、ツアーを開催すること自体が難しくなりそうで、これらのことを考慮して、来年2020年の一年間はライヴをお休みするとのことでした。
そして、その1年間は、最近のレコーディング技術がどんどん進化しているので、それを研究し、学習する時間に当てたいとのことでした。山下達郎さんらしい考えです。ただ、CD作品は出していきたいとのことで、このところ滞っていた30周年記念ものは、作業を再開させ、1986年の「ポケットミュージック」から、「僕の中の少年」、1991年の「ARTISAN」まで、一気に仕上げていきたいとのことです。
ライヴは本編が終わり、一回退場した後、また出場して、アンコールを6曲もやってくれました。
そして、メンバーがステージを去った後も、一人ステージに残り、心に思っていることを静かに打ち明けました。
「最近の世の中は、日本だけでなく、世界中が殺伐としていると感じています。あらゆる人達が言い争い、罵り合い続けています。その一番の原因は、SNSにあると感じています。ただし、音楽の世界だけは、このような殺伐とした世界とは無縁の世界となるよう、微力ながら努めていきたいと考えています。」
そして、流れてくるBGMに合わせて、心を込めて、一人「YOUR EYES」を歌ってくれました。
全26曲、約3時間半の、とても充実したライヴでした。
山下達郎さんの、本当に心のこもった「気」がいっぱいに感じられた素晴らしい時間でした。
超難関の抽選ですが、またライヴに参加できるよう、応募したいと思います。