「男はつらいよ50」観に行きました。
1969年(昭和44年)に第一作目を公開して以来、ちょうど50年が経ち、50作目という記念すべき作品です。僕の年齢と同じで妙に感慨深いです。
主人公の「寅さん」こと渥美清は1996年にすでに亡くなっており、その他「おいちゃん」こと下條正巳、「おばちゃん」こと三崎千恵子、「タコ社長」こと太宰久雄、「御前様」こと笠智衆など主な出演者も概ね亡くなっており、もちろん寅さんの新しいシーンや映像は無いわけで、正直老婆心ながら大丈夫かなあと心配しましたが、全て観終わって、全く問題ないことを感じました。
それどころか、深く感動し、切なさを禁じ得ない、素晴らしい映画でした。
公開して間もないので、ネタバレに注意しつつ、僕なりの感想を述べたいと思います。
①素晴らしい映像構成
博(前田吟)とさくら(倍賞美津子)、息子の満男(吉岡秀隆)などは存命中なので、今回の物語は現在進行中なのですが、現在のシーンと過去の様々な回想シーンをところどころ対比させていく構成・映像手法はとても絶妙で素晴らしいと感じました。
まるで、現在でも寅さんが生きているかのように思わせる、素晴らしい構成でした。
とても悲しく、切ない想いがこみ上げて、涙が出てきました。
しかし、存命中の出演者も、最後の作品から20数年経っているわけで、皆それぞれ一様に年齢を重ねており、本当に長い歳月が経ったのだなあと、感慨深いものがありました。
②満男と泉の恋愛の過去と現在
今回の物語の内容は、満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)の二人が中心です。
お互いに、年齢を重ねて、異なった境遇の中でそれぞれ成長し、それぞれの家族がいます。
そのような中、小説家となった満男のサイン会に偶然泉が現れ、数十年ぶりの再会を果たします。
二人は遠い過去の青春時代の幼い恋愛を振り返りながら、現在の二人として恋愛をしていく様は、とても切なく心を打たれました。
僕も50歳を迎えており、満男と年齢も近く、サラリーマンを辞めて小説家になったという境遇も似ているので(僕はまだサラリーマン続行中で、小説家を目指している最中ですが)激しく共感しました。
人間には、それぞれ宿命というか運命というものがあって、自分の意志では避けることが出来ないものがあるのではないか、と深く考えさせられました。
③満男を見守る、寅さんの「幻影」
物語の中で、満男が困難に見舞われるシーンが度々ありますが、そのたびに満男が「こんな時オジサンがいてくれたらなあ」と嘆き、つぶやくシーンがあります。
すると、寅さんが生きていた当時のままの姿で、それも半透明の姿で現れ、満男の後ろで、満男を見守る姿勢のまま、また消えていきます。ある時はだんご屋の2階へ登る階段に立つ姿で、ある時はみんなが団欒をしていた部屋の中で・・・
その姿は本当に満男のことをいつでも見守っているのだなあと感じさせ、悲しく切ない気持ちにさせられました。
この物語の中では、おいちゃんとおばちゃんの写真が仏壇の前に置かれているシーンは登場しますが、寅さんがすでに亡くなって、もうこの世にいないことは、誰も口にしませんし、そのようなシーンは登場しません。
しかし、さくらや博、満男が、ふとした拍子に、「こんな時(これを見ると)、あの時のことを想い出すなあ」と口にして回想するシーンを観ると、暗に寅さんがすでに亡くなってしまったことを思わせて、とても切ない気持ちになります。
この映画は、単なる「名場面集」の映画ではなく、きちんとした現在進行系の内容の映画です。
過去の回想シーンと対比させていますが、物語の登場人物たちは今なおそれぞれの人生を懸命に生きています。
上の写真の雑誌や発売されたばかりのブルーレイもご覧になってから、映画を観てみるのも良いかもしれません。