2014年4月に初版刊行され、すぐに購入したのですが、なぜか少し読んだ後、「積ん読」となってしまい、最近やっと読み終わったので、簡単に感想を述べたいと思います。
読んでみると、なぜ「積ん読」にしてしまったのか後悔するほど、奥の深い短編集でした。
「女のいない男たち」を共通のテーマにした6つの短編から成っているのですが、それぞれの短編の中に、村上春樹氏のこれまでに生きてきた人生哲学が散りばめられており、とても心に響くものがありました。
①他人の心を完全に理解することはできない
最初の短編「ドライブ・マイ・カー」で、思わず深く共感して膝を叩いた部分があったので、ご紹介いたします。
舞台俳優の家福という男は、最愛にして素晴らしい女優だった妻を病気で亡くします。しかし、生前に、ルックスや雰囲気が良く、いわゆるモテるタイプだが、人間として底が浅く、演技も二流の男と浮気していたことを知り、独り苦しみ続けます。なぜか、真実を知りたい反動からか、その男と飲み友達になって、しばしば会って話すようになります。その男と最後に会った夜、男が話した言葉が心に響きました。
「女の人が何を考えているのか、僕らにそっくりわかることなんてことはまずないんじゃないでしょうか。(省略)相手がたとえどんな女性であってもです。だからそれは家福さん固有の盲点であるとか、そういうんじゃないような気がします。もしそれが盲点だとしたら、僕らはみんな同じような盲点を抱えて生きているんです。」
そして、こうも付け加えました。
「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います。」
人間的に薄っぺらい、浮気相手の男の言葉ですが、これはかなり深く、人間の本質の的を鋭く射た言葉だと思いました。
僕もこれまで50年間生きてきて、他人の心を完全に理解することは不可能だということは、身にしみて感じてきました。
同じ人間であっても、あらゆる物事は「自分」というフィルターを通しての見方・考え方であり、他人が同じように考えているかどうかは実はわからないのです。
相手が自分とは違う女性なら、なおさらのことでしょう。
他人を理解するには、まず自分の心を深く知らなくてはならない、村上春樹氏はこう言いたかったのかもしれませんが、しかし、これが最も難しいことではないでしょうか。自分を客観視することほど難しいことはありませんからね。
②他人の不可解な行動は、実は「病気」
「ドライブ・マイ・カー」の最後のシーン、車の中での家福と運転手のみさきとの会話で、下記のようなやり取りがあります。
家福は、なぜ自分の妻が、正直だが人間としての奥行きに欠け、弱みを抱え、俳優としても二流だった、いわゆる「たいしたやつじゃない」タイプの男と関係を持ったのか、深い疑問として胸の内がスッキリしない気持ちに覆われています。
対して自分の妻は、意志が強く、底の深い女性で、時間をかけてゆっくり静かにものを考えることができる人だったと。
「なのに、なぜそんななんでもない男に心を惹かれ、抱かれなくてはならなかったのか、そのことが今でも棘のように心に刺さっている」
それに対して、みさきはとても簡潔に答えます。
「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」
「だから寝たんです」
この言葉に、僕は主人公の家福と同じように、「えっ?」と呆然としてしまいました。
「女の人にはそういうところがあるんです」
「そういうのって、病のようなものなんです。家福さん。考えてどうなるものでもありません。私の父が私たちを捨てていったのも、母親が私をとことん痛めつけたのも、みんな病がやったことです。頭で考えても仕方ありません。こちらでやりくりして、呑み込んで、ただやっていくしかないんです」
「病」かあ・・・
そう言われてしまっては、取り付く島もありませんが、確かに世の中、こういったことはままあります。
とても美しく、頭も良い、しっかり者の女性が、どう見ても人間のクズのようなどうしようもない男から離れられなかったり、どんなにひどい目に会っても麻薬やギャンブルや酒がやめられなかったり、とても大切にしている人やモノをどうしても傷つけてしまったり・・・
家福がそれを聞いて、少し安心したように、僕もなぜかわかりませんが、心が落ち着きました。
③「女」と「女のいない男たち」の定義
この短編集で、村上春樹氏は「女」と「女のいない男たち」について、自身の見解を散りばめています。
中でも、「独立器官」という話の中で、珍しく強い調子で断定的に以下のことを述べています。
「すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている」
「すべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく」
「それも大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ」
村上春樹氏のすべての著作を読んだわけではないが、このような見解を述べたのは、初めてではないかと思います。自身の経験に基づくものかどうかはわかりませんが。
また、「シェエラザード」の話の中では、「女」についてのポジティブな側面を述べています。
「女」とは、「親密な時間」を提供してくれる存在であり、現実の中に組み込まれていながら、それでいて現実を無効化してくれる特殊な時間を提供してくれる存在である。
少し難しい表現だが、わかるような気がします。
ある意味、これらをしてくれることによって、ドーパミンやオキシトシンなどの脳内幸福物質を分泌させてくれ、男が生きるための原動力を提供してくれる、ということでしょうか。
また、最後の話である「女のいない男たち」で、「女のいない男たち」の定義を詳細に述べています。
「女のいない男たち」になるのはとても簡単で、一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいことだ、と言っています。
しかし、ひとたび「女のいない男たち」になってしまうと、その孤独の色は赤ワインの染みのように、容易には落ちない存在となってしまいます。一生それと一緒にどうにかやり過ごし、共生していくしかない、としています。
「女のいない男たち」になる前と、なった後では、すべての周りの物事が一変してしまい、元には戻らない。
また、「女のいない男たち」になることによって、その「女」に関係していたすべての物事を失ってしまう。
すごく哲学的ですが、僕も記憶をたどってみると、なんとなくわかるような気がします。
もっとも、現在進行系で恋愛をしていたり、失恋の真っ最中だったり、失恋間近でないと、なかなか理解できないかもしれませんが。
かなり長くなってしまいました。3000文字を超えてしまいましたね。
村上春樹の作品は、やっぱり奥が深くて、短い文章でバシッと書評を書くのは難しかったようです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。