3月25日の東京都の小池都知事の週末の不要不急の外出自粛要請に始まり、神奈川県や埼玉県・千葉県・山梨県など隣接する県も歩調を合わせて、完全な外出自粛ムード真っ只中となっております。
私は家でテレビやDVDなど観て過ごし、食事も家で作ったものを食べ、食料やティッシュ・トイレットペーパーなど生活必需品もあるので、特に不足もなく、困っていることもありません。
しかし、このような非常事態の最中であるにもかかわらず、外出している人たちはいるようです。
私は350世帯以上の大きなマンションに住んでいますが、駐車している車の3分の1は出かけています。
しかし、今日は東京都でコロナ感染者が過去最多の60名発見されるというニュースが発表されました。
外出している人たちの見解は、主に以下のようなものでしょう。
①コロナウィルスの危険を国やマスコミが煽っているだけで、実際は大したことは無い。現に自分はピンピンしているし、周りにも感染している人はいない。
②コロナウィルスの情報はもう飽きた。家にずっといるのも退屈だ。自分はなんとも無いし、これからも大丈夫だろう。
③コロナウィルスの感染でひどい状況なのは、遠い欧米諸国だけで、日本はそんなに感染者や死亡者も多くなく、大丈夫だ。
概ね以上のようなものだと思います。
僕も30代までは、以上のような考えの持ち主でした。
「日常というものはそう簡単に変わるものではないし、これからもこの平穏な日常がずっと続いていくのだろう。」
しかし、40代に入ってから、その考えは180度変わりました。
末期ガンを患って苦しみ、会社をリストラされたり、心臓病を患ったり、眼の病気を患ったり、様々な突然の災難に遭遇しました。
幸い全ての災難をかろうじて切り抜けましたが、一つだけ悟ったのは、平穏な日常というのは永久に続いていくものではなく、いとも簡単に崩れ、変わっていくものだと。
30代までの僕も、それなりに大変なことはあったし、ツライことも経験してきましたが、人生を左右するような決定的な災難を経験することはありませんでした。
だから思うのです。
「人は、自分が実際に痛い目に遭わないと、危険を理解することは出来ない」のだと。
実際に経験していないのだから、想像することが出来ないのも無理はない。
また、人は自分が知りたくないことや聞きたくないことを、あえて蓋をして無かったことにしてしまう習性があります。
「マスコミが流す情報はほとんどがネガティブな情報で、いたずらに人々を不安に陥れるだけだから、見ない方がいい」
最近このような見解を見ることが多く、僕もこの見解に賛成の立場を取ってきましたが、一事が万事、この姿勢を取ることはどうなんだろう、と思うようになりました。
ネガティブな情報に蓋をしてしまうのではなく、危険を知らせる情報は、それはそれとして、受け入れる必要があるのでないか、そしてそれに振り回されるのではなく、パニックにならずに冷静に判断して、その時に最も適したことを淡々と行う、それが重要なことではないかと思うのです。
自分が経験したことがないことに対する「想像力」
これがいかに大切なものであるか、ひしひしと感じる今日この頃です。