肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

諏訪大社~上社本宮 其の一

9月下旬に遅い夏休みを利用して、諏訪大社に行ってきました。

今年はコロナの影響もあり、海外旅行は出来ず、国内旅行にしても、遠くまで長期滞在する気分でもありませんでした。(僕らは東京都民なので、9月当時はGoToキャンペーンのサポートを受けられませんでした。10月からスタートとなりましたが・・)

 

この時節柄、とても不安な世の中なので、やはり深層心理としては、神社に参拝巡りをしたいなあという想いがあり、夫婦で意見が一致したので、自宅から車で中央道一本・約3時間ほどで行け、日本最古の神社の一つである由緒ある諏訪大社へ行くことにしました。

 

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諏訪大社の上社本宮の鳥居の前 さすがにとても立派な鳥居でした。

諏訪大社には諏訪湖の周辺に4つの境内地を持つ神社で、信濃國一之宮です。

全国には「諏訪神社」と呼ばれている神社が無数にあると思いますが、この諏訪大社が「総本社」なのだそうで、日本最古の神社の一つと言われています。

 

諏訪大社は「上社」と「下社」と別れており、「上社」は本宮と前宮の二社、「下社」は秋宮と春宮の二社です。

 

場所も、諏訪湖を挟んで、南東側の諏訪市内に「上社本宮」、茅野市内に「上社前宮」があり、北西側の下諏訪町内に、「下社秋宮」「下社春宮」があって、両者睨み合っているような配置となっております。

 

歴史的な背景も、両者で異なっており、上社は、平安時代の頃から諏訪明神の子孫と言われている諏訪氏が大祝(オオホウリと呼ばれ、神職の長のような人)となって収め、同時に領主となって諏訪の土地を代々収め、江戸時代には高島藩の藩主となって、幕末まで諏訪を収めています。

 

下社は、別の流れを汲む金刺氏(かなざしし)が大祝となって、実権を持ち、上社と下社は度々対立していたそうです。

戦国時代に、金刺氏は争いに敗れて追放され、以降は武居氏が代々大祝となっていたようですが、領主が諏訪氏ですから、実権は諏訪氏にあったのでしょう。

 

この4社の中で、「上社本宮」がいちばん建造物などが多く、かなりの見応えがありました。

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上社本宮の境内図 結構広く、建造物がかなり多くて、見応えあり過ぎ!でした。

鳥居をくぐると、正面に大きな「御柱(おんばしら)」と呼ばれている樹齢200年ほどのもみの木が祀られて立っています。

この本宮の四隅に四本立てられており、上社前宮・下社秋宮・下社春宮にも同様に立てられているそうです。

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「本宮一之御柱」同様に神社の四隅に立てられていました。神社の後方の2つの御柱は遥か彼方の方に立っていました。

この御柱は何に使われたのかというと、7年目ごとに行われる「御柱祭(おんばしらさい)」の時に、山から切り出され、そのまま大勢の人たちの人力のみで街道を20kmほど曳かれて、各神社の四隅に立てられました。

全国的にも有名で壮大なお祭りだそうで、映像で観ましたが、地元の大勢の人達がこの柱に乗って、諏訪の町中を練り歩くのだそうです。

ものすごい熱気と興奮で、この町の人達の一大イベントとなっているそうです。

 

参拝路を進み、門をくぐると、すぐに正面にあるのは、「勅願殿(ちょくがんでん)」。いわゆる祈祷をする建物で、国の重要文化財に指定されています。

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勅願殿 元禄三年(1690年)建立。拝殿がいわゆる「公事」の祈祷が行われたのに対して、ここでは「個人私事」の祈祷が行われた。歴代のいろいろな人達の「念」が詰まっているのだろう。

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勅願殿の向かって右側には、遥か彼方に「本宮四之柱」が見えます。

勅願殿を右側に、前へ進むと、参拝所があり、その奥に、左右に別れた拝殿が見えます。

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「左右片拝殿」本殿を持たない代表的な「諏訪造り」の様式で、左端に見える茅葺の建物は上社本宮で最も重要な社殿と言われている「東御宝殿・西御宝殿」、右端に見えるのは、「脇片拝殿」で、いずれも重要文化財に指定されている。

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この上社本宮では、実に多くの建物が、重要文化財に指定されている。

 

この後、宝物殿に入り、たくさんの歴史的に重要な展示物を見て回りました。

レプリカなどではなく、徳川家光の直筆の朱印状も展示されていて、驚きでした。

もちろん縦書きですが、全て左の方に曲がっており、字も決してきれいとは言えないクセ字で、昔の偉大な徳川幕府の将軍だからといって、現代人と変わらないんだなあと、微笑ましく思いました。

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「宝物殿」の入口 とても興味深いものばかりで、お見せできないのが残念です。

かなり長くなりましたので、続きは次回ということで。