肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

諏訪大社~下社春宮 其の一

諏訪大社の上社本宮・上社前宮・高島城、そして、2日目は下社秋宮を参拝し、遊覧船に乗って諏訪湖一周を楽しんだ後、残す所は下社春宮のみとなりました。

前回までの主なブログはこちらです。

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諏訪湖を出発して、この下社春宮に着いた頃は、午後4時近くになっていたかと思いますが、なんとか間に合いました。

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下社春宮の入口の御影石の鳥居 後ほどご紹介する「万治の石仏」と同じ作者だと言われています。

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下社春宮の境内ガイドです。下社秋宮と配置や構成は同じで、まず神楽殿が鎮座し、その後方に幣拝殿・左右片拝殿が堂々と主な建築物として鎮座し、その後方に左右に御宝殿がそれぞれ配置されています。下社秋宮と違うところは、左右の御宝殿の間に御神木として、杉の木がそびえ立ち、祀られていることです。下社秋宮は「一之御柱」を御神木として拝しています。

鳥居をくぐり、進んでいくと、まず見えてくるのが、神楽殿と「結びの杉」です。

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中央の建物が「神楽殿」右側の大きな杉が「結びの杉」と言われていて、先で二又に分かれているが、根本で一つになっていることから、「縁結びの杉」と言われています。恋愛に限らず、あらゆる「縁」に効果があると言われています。

 

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下社秋宮の神楽殿と同じように、立派な大注連縄が施してありますが、こちらは少しコンパクトな感じです。建物も下社秋宮より慎ましい感じです。右奥に見えるのは「一之御柱

 神楽殿は、創建は江戸時代前期の天和年間(1681~1684年)とかなり古いですが、しばしば改築されていたようで、この建物は昭和11年に改築されたものだそうです。

 

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「筒粥殿(つつがゆでん)」毎年1月14日夜から15日の早朝にかけて、神職が囲炉裏を囲み、一晩中葦筒を米と小豆の粥に入れて炊き込み、葦筒44本の内、43本は作物の吉凶を、そして残りの1本は世の中を占うとのことです。土間中央の囲炉裏は江戸時代初期のものということで、とても興味深かったのですが、この日は扉が閉じていて見られませんでした。

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「幣拝殿(へいはいでん)」(中央の二層の建物)と「二之御柱」(左側)  祭祀や拝礼を行うための建物で、下社秋宮の幣拝殿と同様、全体に見事な彫刻が施されています。中央の二重楼門づくりを幣拝殿、左右を片拝殿と呼ぶのだそうです。図面は下社秋宮と同じとのことで、下社秋宮の立川流と技術を競った地元の宮大工の柴宮長左衛門により、下社秋宮より1年早い安永九年(1780年)に建てられました。

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左右片拝殿(さゆうかたはいでん) 中央の二層の幣拝殿を挟むようにして、建てられています。下社秋宮に比べて、幅が短く、屋根は片切になっています。全体的に下社秋宮よりコンパクトなのですね。

下社秋宮よりコンパクトで、建物や祀られている神様が少ないと思いきや、下社春宮はこれで終わりではありませんでした。

西側に砥川(とがわ)という清流が流れており、この川の中に「浮島(うきしま)」という島があり、どんな洪水にも流されなかったという下社七不思議の一つと言われています。

続きは次回へ。