肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

東日本大震災から10年

先日2021年3月11日で、あの東日本大震災からちょうど10年が経ちました。

ネットのニュースやテレビでは、さかんに記事が上がっていたり、特集が組まれ、フェイスブックなどSNSでも「あの時の私」と銘打った投稿が多く上がっていると聞かれます。

 

かく言う僕も、この節目の時期になにか投稿しなければ!と、焦って書こうとしましたが、筆が進まず、2日も経ってしまいました。

 

僕は特別大きな被害を受けたわけではありませんが、あの時期は僕自身の身の上も結構いろんな事があった時期でした。

その当時勤めていた会社で、僕は飲食チェーン店の店舗開発という仕事に従事していました。飲食店舗となる物件を探して見つけ、地主や家主と交渉して契約して、店作りを行う仕事です。

結構な激務でしたが、30代後半でやり甲斐を感じていた仕事でしたので、昼夜を惜しまず、休日もほとんど返上で仕事に打ち込んでいました。

そのようなところへ、2008年の秋、リーマンショックが訪れ、僕の会社も多大な影響を受けて、リストラが進行し、社内の雰囲気も緊張した感じになり、締め付けが厳しくなってきました。

それまで激務だったところへ、このような非常時の重圧も加わり、結構ストレスが溜まっていたのでしょう。

 

翌年2009年の4月ころに身体の異変を感じ、病院の検査を受けたところ、かなりたちの悪い末期ガンと判明しました。

仕事に打ち込めないほど、腰や肛門のあたりの痛みが襲い、その年の6月から僕は約7ヶ月間、ガンとの闘病生活を続けました。

僕には知らされていませんでしたが、妻には「余命2ヶ月」と告げられていたようで、とても助からない状態で、7回ほどの抗ガン剤治療を受け、手術も受けて、1ヶ月ほど無菌室で過ごしたことも有りました。

 

このあたりのことは、語ると非常に長くなるので、また別の機会にお話しようと思います。

なにはともあれ、九死に一生を得て、僕は翌年2010年の年明けに退院することが出来ました。

それから約1年間、休職して療養生活を続け、その年の12月中旬ころから復職することが出来ました。

 

この東日本大震災は、復職してまだ3ヶ月しか経っていなかったころで、リハビリを兼ねて、社内にて事務職の仕事に従事していました。

運命の2011年3月11日午後2時46分、突然大きな揺れが起こって、だんだん激しくなり、座っていられなくなりました。

デスクの下に潜り込みましたが、なかなか揺れが収まらず、激しくなるばかりでした。

僕の会社は西新宿の高層ビルの上層階にあったので、おそらく地上より揺れが激しかったのではないかと思います。

大きな船に乗って、台風の波風に襲われたようで、「どんぶらこ、どんぶらこ」と大きく左右上下に揺さぶられて、正直生きた心地がしませんでした。

窓の外をふと見ると、他の全ての高層ビルが大きく左右に揺れているのが見えて、本当に恐ろしかったです。

書類が格納されていたロッカー風収納のスライド式ドアは左右に大きく移動して、ほとんど全部壊れてしまい、中の書類やファイルが飛び出してきました。

 

揺れが収まっても、しばらくは社内はパニック状態が続き、仕事どころではなかったことを覚えています。

PCや携帯のニュースを見てみると、震源は東北沖で、ものすごい津波が街や車や人を飲み込んでいる映像や画像を目にし、戦慄を極めた恐ろしい気持ちになりました。

夕方ころになり、窓から東京湾側の方で、火災が広範囲に発生して燃え盛る炎が確認できました。後から、これは千葉県沿岸部のコンビナート火災とわかったのですが、社員全員でこの光景を眺め、「この世の終わり」を彷彿とさせるような気分になりました。

 

夜になっても鉄道は動かず、社内にいるしかない状態で、夕食もままならない中、当時の会社のはからいで、ビルの最上階にある「北海道」という日本料理店で夕食を食べることが出来ました。

当時の会社のはからいには感謝していますが、同僚と顔を突き合わせて夕食を食べても、皆神妙にほとんど喋らずに黙々と食べていたことを覚えています。

 

超非常時のため、電話やメールがつながらなかったのですが、やっと郊外の自宅にいた妻にメールを送ることが出来て、とりあえず自宅での大きな被害はなかったと確認できて、ホッとしました。

午後10時過ぎころでしょうか。

やっと僕の使っている通勤路線が復旧し、帰ることが出来ました。

駅まで妻が迎えに来てくれ、お互いの無事を確認して、とりあえずホッとしました。

 

あれから10年、本当に昨日のことのように思い出します。

ガンとの長い闘病生活から、復職後すぐの震災まで、僕の当時の一連の大変な人生の状況がオーバーラップされ、それがなかなか筆が進まない原因だったのでしょう。

人間、きちんと向き合うことがストレスとなることは、なかなか思い出したくないものです。

 

 

地震については、先月2月にも福島沖を震源とした大きな地震が首都圏に発生し、太平洋を挟んだ対岸のニュージーランドでは巨大地震が群発しています。

日本に住んでいる以上、災害に遭うことは避けられないと思います。

今一度、災害に備え、家内を点検し、防災グッズを整備しようと考えている今日このごろです。