村上春樹氏の「回転木馬のデッド・ヒート」を読みました。
この本は、1985年10月に刊行された短編集で、雑誌に連載されていたものをまとめた本です。
短編集ですが、かなり不思議な雰囲気を持つ話が多い印象でした。
前書きの「はじめに」で、村上春樹氏が書いていた通り、これらはすべて他人から聞いた話で、ほぼ事実に基づいて書いたという、珍しい形態の短編集です。
村上春樹氏は、他人の話を聞くのが好きとのことで、自身には他人の話の中に面白みを見出す才能があると 言っていました。
特殊な人の特殊な話ではなく、平凡な人の平凡な話のほうが面白いそうです。
ただ、このような能力が具体的に何かの役に立つということはなく、小説を書くにおいても特別役に立ったということはなかったそうです。
なんだか、意外です。
ただ、自分の中に「おり」のようなものがたまっていくだけ、という表現をしていました。
また、「自己表現」というものが、精神の解放に寄与する、ということは迷信である、ときっぱり言い切っています。
「書くこと自体には、効用も救いもない。」
最近のアウトプットブームで、書いたり話したりする「アウトプット」によって、自分の記憶に残り、自己成長につながる、と盛んに言われており、精神科医で作家の樺沢紫苑先生も強く推奨しています。
また、書くこと・話すことなど、表現することによって、自分自身の鬱屈したストレスなどのマイナスな感情が発散されることも、脳科学的に実証されているそうです。
僕自身も、どちらかと言うと、他人の話を聞く聞き役に徹するほうであり、文章を書くことは好きなほうです。
しかし、村上春樹氏はこういうことをきっぱり否定するんだ、と半ばちょっとショックでした。
村上春樹氏いわく、他人の話を聞けば聞くほど、「無力感」にとらわれるということです。
無力感の本質は、「我々はどこにも行けない」ということであり、それが「おり」となって、たまっていくだけとのことです。
まあ、1980年代前半の発言なので、その後の村上春樹氏がどのように考えているかはわかりません。
この時から40年近く経っており、脳科学もそれなりに進歩してきているので、今となっては村上春樹氏も、異なった見解を言うのではないか、と私自身は見ています。
ところで、肝心の内容ですが、全部で9話の話が収められています。
どれも甲乙つけがたい、かなりミステリアスで面白い話ばかりですが、僕自身が印象に残った話をいくつか簡単にご紹介したいと思います。
1⃣「レーダーホーゼン」
「レーダーホーゼン」とは、ドイツの短パンみたいなものだそうです。
主人公は、村上春樹氏の妻の友人の母親です。
妻の友人が20代のころ、母親が初めて海外のドイツへ旅行に行ったそうです。
母親は旅立つ前に、父親から「レーダーホーゼン」をお土産に買ってほしいと頼まれたそうです。
そのころ、父親と母親はそこそこ仲が良かったそうで、母親はすぐに快諾したそうです。
ただ、若いころは父親は女癖が悪く、そのせいでしょっちゅう母親と喧嘩が絶えなかったそうでした。
母親はドイツに到着し、旅行を心ゆくまで楽しみ、レーダーホーゼンのお店に行き、大体の父親の寸法は把握していたので、購入しようとしたところ、店員から本人でなければ売ることはできないと断られてしまいます。
そこで、道行く人を眺め、父親にそっくりな体型のドイツ人を見つけます。その人を説得して、レーダーホーゼンのお店まで連れて行き、ピッタリのレーダーホーゼンを見つけ、店員と楽しそうに話しながら試着しているドイツ人を見ながら、彼女の心の中で何かが崩れ落ち、変わっていく・・・
そして、母親はそのまま、二度と父親と娘(妻の友人)の元へ帰ってくることはなかった。
そのような話です。
僕は、正直この母親の考えていることがよくわからなかったのですが、僕の妻は膝を叩いて「とてもよくわかる!」と豪語していました。
男女の脳の作りの違いの問題でしょうか。
皆様ご自身で読んで判断していただきたいと思います。
2⃣「タクシーに乗った男」
村上春樹氏が雑誌の取材のため、インタビューしたときの話です。
主人公は、40歳過ぎの画商を営む女性です。
画家を目指して、ニューヨークで暮らしていましたが、自分の才能をあきらめ、画商を営んでいた時の話です。
ある時、知り合いのドイツ人画家の紹介で、売れないチェコ人の若い男の画家と出会います。
あまり才能のない画家で、特に目を引くような絵はなかったのですが、1枚だけ妙に気になる絵を見つけました。
それは、タクシーの後部座席に座った若い男の絵でした。
フォーマルな服に身を包んだハンサムな男で、顔を横に向けて、窓の外を見ているアングルです。
この絵自体の技量はそれほどではなく、気に入ってもいないのに、120ドルも出して、買ってしまいました。
そして、主人公は自宅の壁に飾って、毎日毎日眺めて暮らす。
しかし、その後、いろいろとあって、何もかも捨て去りたくなり、ニューヨークでの思い出の品と共に焼き捨ててしまう。
ところが、後年、主人公がギリシャのアテネを旅行して、タクシーに乗っていた時に、この絵の「タクシーに乗った男」と瓜二つの男が乗り込んできて、しばらく同じ時を過ごしました。
そして、男は途中で降りるときに、「よいご旅行を」と言って、別れるという話です。
最後に主人公が言った教訓「人は何かを消し去ることはできない。消え去るのを待つしかない」なかなか含蓄のある心に残る言葉でした。
3⃣野球場
主人公は、村上春樹氏に自分が書いた小説の原稿を郵送で送ったサラリーマンの青年です。
主人公は、大学のクラブで一緒だったある女の子に夢中になり、彼女が住む野球場の近くのアパートの近くに住むことにしました。河原を挟んですぐのボロアパートです。
カメラの望遠レンズを手に入れ、彼女の部屋をのぞくことに夢中になります。
そのうち、夢中になりすぎて、他のことに興味がなくなり、ろくに学校にも行かず、身なりは汚く、部屋も汚く散らかり放題になります。
その時の主人公の言葉が印象に残りました。
のぞき見をしていると、心が「分裂的な傾向になる」
「体から見ても、行為から見ても、断片的に見ている限り、人間存在というものは決して魅力的なものではない」
そうしているうちに、夏休みになり、彼女は実家に帰ってしまい、部屋はがらーんとしたまま、のぞき見をする意味がなくなる。
主人公はだんだん彼女に興味を失っていき、落第寸前だったため、勉強に没頭し、徐々に元の自分に戻っていく。
そして、9月になり学校へ行くと、彼女にばったり会ってしまう。
主人公は慌てふためき、彼女との話もぎこちなく、大汗を掻いてしまい、食事の誘いも断り、なんとか別れることができた。
最後に、その時の汗のねばねばとした感触と嫌な匂い・・・二度と経験したくないと、感慨にふけるのでした。
【まとめ】
全9話すべて読み終わって、感じたことは、「すべてオチらしいオチがなく」「夢」のような不思議な話が多いということです。
すべて実話に基づいて、書かれているからでしょうか。
納得できる合理性がまるでなく、映画やテレビドラマのような「予定調和」というものがない。
しかし、「現実」というものは、こういうものなのではないか、僕はそう感じました。
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