前回の続きです。
1⃣「SPACY」のレコーディング
アルバム「SPACY」のセッションチームが決まり、山下達郎氏はニューヨークで録音した前作「CIRCUS TOWN」のアレンジャーのチャーリー・カレロが作ってきた緻密な譜面に感銘を受け、譜面を書いたそうですが、せっかく書いた譜面なのに、誰も言うことを聞いてくれなかったそうです。
でも、結果は予想をはるかに上回り、これが一流のスタジオ・ミュージシャンを使う意味なんだ、と大いに実感したそうです。
中でも、「LOVE SPACE」の最初のピアノの部分は、本番で佐藤博氏が突然弾いたものだそうで、予想もしていなかったものが即興で出来ることが、音楽の世界ではよくあることなのだそうです。
「一瞬がものを創る」「いかに出てきた音に即応するか」
音楽というのは、「武士の間合い」にも通づるものなんですね。
当時のこの「SPACY」の売り上げは、1万4千枚くらいだったそうですが、そのような中で、こういった「創造」が生まれていたのですね。
2⃣日比谷野音 スプリング・カーニバル
達郎氏は、シュガーベイブ解散後は、自前のバンドを持っていなかったので、ライヴをやる機会は減少していました。
そのような中で、日比谷野音のスプリング・カーニバルの話が舞い込み、メンバーを集めることに苦心します。
シュガーベイブ時代からの付き合いであるピアノの坂本龍一以外は、箸にも棒にも引っかからず、意を決して、ドラムのポンタ氏、ベースの高水健司氏に加わってもらうように交渉したそうです。
当時の彼らは売れっ子でギャラが高く、1ステージのライヴで当時のお金で6万~8万円を取っていたそうです。当時のサラリーマンの初任給が4万5千円ですから、現在価値に換算すると、25万~30万円でしょうか。結構破格です。
仕方なく、本番のみ40分ということで、交渉はまとまったそうです。
でも、たった30分で4曲も仕上がり、やっぱり一流プレーヤーは違う、こういう人たちを使わないとダメだと、痛感したのだそうです。
3⃣ライヴ活動
その後のライヴやレコーディングのラインナップは徐々に固まっていきました。
ドラム:ポンタ氏、ベース:岡沢氏、ギター:松木氏、ピアノ・キーボード:坂本氏、サックス:土岐氏。
吉田美奈子氏が同じレコード会社ということもあって、学園祭でジョイント共演をして、ギャラを稼いだり、達郎氏がプロデュースした1977年の吉田美奈子氏のアルバム「TWILIGHT ZONE」は、ほぼ同じメンバーでレコーディングしたそうです。
当時は、ライヴハウスだったら、ミュージシャンは一人2万円払えば来てくれたそうで、達郎氏自身をノーギャラにして、みんなに2万円ずつ払って、なんとかペイできたそうで、達郎氏のお金よりも音楽に対する情熱の深さを思い知らされます。
4⃣初のライヴアルバム「IT'S A POPPIN' TIME」
そうこうしているうちに、六本木ピットイン・新宿ロフトでのライヴも盛況となり、レコード会社から、ライヴ・アルバムのリリースの話が持ち上がります。
階上にソニー・スタジオがあって、すぐに録音できる六本木ピットインを録音会場として抑え、トントン拍子に収録は決まりました。
アルバム1枚目の3曲目の「ピンク・シャドウ」は、達郎氏いわく、メンバー間の緊張感あふれるインタープレイが旺盛で、演奏の「タイム感」がジャスト、とのことで、このことからも「やっぱりうまいやつじゃないと絶対にダメ」と再び痛感したのだそうです。
まあ、先ほどご紹介した5名に加え、吉田美奈子氏も参加し、本当に一流どころですよね。
ただ、達郎氏は、収録中「楽しい」といった感覚は全くなかったそうです。
こんな一流ミュージシャンに囲まれて、六本木ピットインという一流のライヴ会場で、初のライヴアルバムを収録できるのは、とても恵まれたことではないかと思いましたが、当時の達郎氏は、しばらくライヴから遠ざかっていた影響で自身の声が出ていないと感じていたようで、ヴォーカル・クオリティには満足しておらず、「必死」だったそうです。
他人から客観的に見た感じと、実際の本人の感情というのは違うのだなあと、思いました。
5⃣村上”ポンタ”秀一氏の素顔
ポンタ氏というのは、ヴォーカルをいかにサポートするかを繊細に考えてくれるドラマーだったそうです。
この「IT'S A POPPIN' TIME」でも、シンバルが鳴らないようにカスタマイズしていたそうで、達郎氏は後でそのことを知ったそうで、とても感銘したそうです。
テクニカルな面ばかりが評価されていましたが、実はたいへん歌を大事にしていた方で、常にヴォーカルを侵害しない演奏を心掛けていたのだそうです。
達郎氏は、ポンタ氏はバラードの表現力は抜群で、「MONDAY BLUE」(1978年リリースの「GO AHEAD!」収録)がベストな演奏だと言っています。
しかし、そんなポンタ氏にも苦手な曲調はあったらしく、跳ねるリズムが苦手だったそうです。
70年代は「キックが弱い」と達郎氏いわく、不当な批判を受けていたそうです。
でも、演奏の「タイム感」は抜群で、「PAPER DOLL」(「IT'S A POPPIN' TIME」「GO AHEAD!」収録)は、「今聴いてもしびれる」と言ってました。
ただ、これも「武士の間合い」で、一流プレーヤーばかりでも、一人だけうまくてもダメなのだそうです。
音楽というのは、奥が深いですね・・・
次回に続きます。