肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

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山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その4

前回の続きです。

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1⃣「DANCER」

山下達郎氏いわく、ポンタ氏は「手数の多さ」とは裏腹に、「歌伴ドラマー」であり、歌をきちんと聴いて、決してヴォーカルを邪魔しない、大切にするドラマーだったそうです。

それだけに、ポンタ氏が「『DANCER』が好きだ」「特に詞がいい」と言ってくれた時は、とてもうれしかったそうです。

この曲は、「ポンタだったら、どう叩くだろう」と思いながら、書いた曲だったから、余計にうれしかったのでしょうね。

ああいう、16ビートを叩ける人は、当時他にはいなかったそうです。

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「DANCER」が収録されている、1977年発表のアルバム「SPACY」

2⃣日本の住宅環境と、作曲の関係

達郎氏いわく、日本のこの狭っ苦しいゴミゴミした住宅環境の中では、バンド演奏ができる環境は厳しかったそうです。

だから、作曲するときは、家で弾き語りでやっていたそうです。

しかし、それだと、いわゆる「グルーヴ感」は出てこないのだそうです。

「グルーヴ感」というのは、ドラムとベースの試行錯誤が必要なのだそうです。

だから、日本の「歌もの」はそこが弱いのだそうです。

イントロがいくらカッコ良くても、歌が出てきた途端に、「ガクッと」テンションが下がってしまう。

これはわかる気がします。

洋楽を聴いていると、最初から最後までカッコ良くて、ノレるのに、日本のポップスやロックの場合、「あ!カッコいい出だしだな!」と思い、期待してノッテいると、ヴォーカルが出てきた途端に、「アレ?」と思うことがよくありました。

達郎氏は、この「弾き語りによる呪縛」から逃れたくて、グルーヴに即したメロディを作るために、後年はマシンでリズムを作るようになったのだそうです。

 

3⃣山下達郎氏のヴォーカルに対する考え方

ところが、ポンタ氏と出会うことによって、「独特の雰囲気」が醸し出されてきました。「グルーヴ感」です。

山下達郎氏のプロデュースによる吉田美奈子氏の1977年のアルバム「TWILIGHT ZONE」は、ほとんど弾き語りで作曲していたそうですが、ポンタ氏がドラムを叩いている「恋は流星」だけは例外で、ポンタ氏の叩くドラムのグルーヴ感がベースとなって成り立っているのでした。

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山下達郎氏・吉田美奈子氏共同プロデュースの、吉田美奈子氏1977年発表のアルバム「TWILIGHT ZONE」 収録曲の「恋は流星」は、ポンタ氏がドラムを叩いていて、今でも人気が高い曲です。 

達郎氏は、日本のロックの発達の歴史も、「歌ものの弱さ」の原因となっていると言っています。

ロックで最初に日本に入って受け入れられたのが、「ベンチャーズ」で、その影響か、たいていギターがうまい人がリード・ギターでスターだったそうです。

その後、リズム・ギター→ベース→ドラムと続いて、キーボード・ピアノは別次元の扱いであり、何もできない人がヴォーカルという図式だったそうです。

だから、グループ・サウンズ時代までは、日本はヴォーカルが非常に弱かったのだそうです。

そのような中で、達郎氏は「歌(ヴォーカル)の立ち位置の革新」というチャレンジを続けていて、それは今でも続いているとのことです。

現在でも続けている「一人アカペラ」などは、そのようなチャレンジの一環なのでしょう。

このインタビューで、「「はっぴいえんど」の中で、僕は大瀧さんの歌しか聴かなかった」と、過激な発言をしていますが、大瀧詠一氏だけが「ヴォーカル・オリエンテッド」だったからだそうです。

続けて、「はっぴいえんどって解散後キャラメル・ママにつながっていったことからわかるように、インストゥルメンタルに重きを置いていた。そこに対する抵抗感がものすごくあったんです。」と、また過激な発言をしていますが、細野晴臣氏とも交流があって、現在でも関係性が続いているのに、意外な発言ではありますが、今だから言える「本音」なのでしょうか。

(次回に続く)