前回の続きです。
1⃣「DANCER」
山下達郎氏いわく、ポンタ氏は「手数の多さ」とは裏腹に、「歌伴ドラマー」であり、歌をきちんと聴いて、決してヴォーカルを邪魔しない、大切にするドラマーだったそうです。
それだけに、ポンタ氏が「『DANCER』が好きだ」「特に詞がいい」と言ってくれた時は、とてもうれしかったそうです。
この曲は、「ポンタだったら、どう叩くだろう」と思いながら、書いた曲だったから、余計にうれしかったのでしょうね。
ああいう、16ビートを叩ける人は、当時他にはいなかったそうです。
2⃣日本の住宅環境と、作曲の関係
達郎氏いわく、日本のこの狭っ苦しいゴミゴミした住宅環境の中では、バンド演奏ができる環境は厳しかったそうです。
だから、作曲するときは、家で弾き語りでやっていたそうです。
しかし、それだと、いわゆる「グルーヴ感」は出てこないのだそうです。
「グルーヴ感」というのは、ドラムとベースの試行錯誤が必要なのだそうです。
だから、日本の「歌もの」はそこが弱いのだそうです。
イントロがいくらカッコ良くても、歌が出てきた途端に、「ガクッと」テンションが下がってしまう。
これはわかる気がします。
洋楽を聴いていると、最初から最後までカッコ良くて、ノレるのに、日本のポップスやロックの場合、「あ!カッコいい出だしだな!」と思い、期待してノッテいると、ヴォーカルが出てきた途端に、「アレ?」と思うことがよくありました。
達郎氏は、この「弾き語りによる呪縛」から逃れたくて、グルーヴに即したメロディを作るために、後年はマシンでリズムを作るようになったのだそうです。
3⃣山下達郎氏のヴォーカルに対する考え方
ところが、ポンタ氏と出会うことによって、「独特の雰囲気」が醸し出されてきました。「グルーヴ感」です。
山下達郎氏のプロデュースによる吉田美奈子氏の1977年のアルバム「TWILIGHT ZONE」は、ほとんど弾き語りで作曲していたそうですが、ポンタ氏がドラムを叩いている「恋は流星」だけは例外で、ポンタ氏の叩くドラムのグルーヴ感がベースとなって成り立っているのでした。
達郎氏は、日本のロックの発達の歴史も、「歌ものの弱さ」の原因となっていると言っています。
ロックで最初に日本に入って受け入れられたのが、「ベンチャーズ」で、その影響か、たいていギターがうまい人がリード・ギターでスターだったそうです。
その後、リズム・ギター→ベース→ドラムと続いて、キーボード・ピアノは別次元の扱いであり、何もできない人がヴォーカルという図式だったそうです。
だから、グループ・サウンズ時代までは、日本はヴォーカルが非常に弱かったのだそうです。
そのような中で、達郎氏は「歌(ヴォーカル)の立ち位置の革新」というチャレンジを続けていて、それは今でも続いているとのことです。
現在でも続けている「一人アカペラ」などは、そのようなチャレンジの一環なのでしょう。
このインタビューで、「「はっぴいえんど」の中で、僕は大瀧さんの歌しか聴かなかった」と、過激な発言をしていますが、大瀧詠一氏だけが「ヴォーカル・オリエンテッド」だったからだそうです。
続けて、「はっぴいえんどって解散後キャラメル・ママにつながっていったことからわかるように、インストゥルメンタルに重きを置いていた。そこに対する抵抗感がものすごくあったんです。」と、また過激な発言をしていますが、細野晴臣氏とも交流があって、現在でも関係性が続いているのに、意外な発言ではありますが、今だから言える「本音」なのでしょうか。
(次回に続く)