前回のブログです。
午前8時半ちょっと前に、深作眼科専用のバスで、深作眼科の建物前に到着しました。
ダークグレーの6階建てのとてもスタイリッシュな自社ビルでした。
エントランスから入ると、右横に絵画のアトリエのような部屋があり、どうやら深作先生が描いた絵を展示しているようでした。
プロ並みの素晴らしい筆致の絵がかなりの数展示されていて、美術館さながらの雰囲気でした。
階段で上がっていくと、受付は2階にありました。
受付に行くと、朝一番で来たというのに、かなりの数の患者で混雑していました。
患者の方は、皆重い目の病気を患っているような方ばかりでした。
やや年配の方が多かったですが、若い方も結構いました。
受付を済ませると、検査を待つことになるのですが、かなりの時間待たされました。
2時間くらいだったかと思います。
やっと呼ばれ、機械で眼圧を測り、またしばらく待たされ、今度は視力測定を行い、そしてまたしばらく待たされました。
まあ、優秀な眼科医の医院ですから、全国から数多くの重症の患者さんが来ているようで、深作眼科がいかに評価されているかがわかりました。
待っている間に、ふと受付の前に、大きなケースがあって、とてもたくさんのトロフィーや賞状などが展示されているのに気が付きました。
深作先生は、アメリカでかなり評価が高いようで、本にも書いてありましたが、米国白内障屈折矯正手術学会(ASCRS)最高賞を受賞した時のトロフィーなどが20個以上、所狭しと並んでいました。
深作先生だけでなく、副院長の中原先生やその他の先生の受賞された賞状や景品も展示されていました。
これだけの医療技術力ですから、かなり混雑するのも理解できます。
今度は奥の部屋に呼ばれました。
初診なので、徹底的に精密な検査を受けるのだそうです。
他の眼科医院や、大学病院にさえ少ない、最新式の機械とのことで、それらの機械で、眼を様々な角度から撮影されました。
眼を正面から撮影するのはもちろん、精密な断面図も撮影するのだそうです。
その後、さらに奥の部屋へ通され、視野検査を受けました。
一通りの検査を終え、今度は診察ということで、先生方の診察室の前で、座って待つことになりました。
診察室は全部で4部屋あり、受付に近い順から、深作先生、鈴木先生、中原先生、ウェイウェイ先生の順となっていました。
その日は、深作先生は不在だったようで、副院長の中原先生の診察室の前で待つことになりました。
ここでもかなり待たされました。
しばらくすると、看護師がやってきて、黄色い目薬を差されました。
瞳孔を開くための目薬だそうです。
しばらくして、近くの細かい字が読めなくなり、スマホや本の文字は一切読めなくなりました。
それにしても、ここにやってきた目的は、8ヶ月もの長い間、僕を苦しめ続けてきた飛蚊症を治してもらうことです。
ホームページには、「飛蚊症の治療はしません」などと書いてありましたが、この僕の窮状を訴え、何とか治療していただきたい・・・
その一心で、待っていました。
「○○さん!」
長い待ち時間の末、やっと呼ばれ、診察室の中に入ることになりました。
中は意外にそれほど広くはなく、椅子に座ると、僕の前には中原先生が座っていました。
40代前半くらいと思われる、背は高く、ガッチリした精巧な方で、髪は七三で、若い方はご存知ないかもしれませんが、俳優の原田大二郎に何となく似ている方でした。
「どうしましたか?目が見えずらくなったとか?」
その声は、親しみやすい高いトーンのよく通る声で、これも若い方はご存知ないと思われますが、元プロ野球選手でタレントの板東英二のような感じでした。
「実は、僕飛蚊症でして、かなりヒドイ症状なんです・・・」
「えっ!飛蚊症?」
飛蚊症と聞いた途端、中原先生は一気に顔が曇り始めました。
そして、顕微鏡で、僕の両眼を上下左右に、細かく観察しました。
顕微鏡から目を離し、先生は言いました。
「あなたの眼自体は健康で、特に問題はないようです。飛蚊症ということですが、具体的にどんな感じなのでしょうか?」
「ええ、常に黒いゴミや糸くずのようなたくさんのものが視界を覆い、仕事に集中できず、プライベートも楽しむことができず、本当にツラい状況です。」
僕はありとあらゆる表現方法を使って、この8ヶ月間、いかに飛蚊症に苦しめられてきたかを、訴えました。
僕の話が終わると、先生は少し沈黙しました。
そして、申し訳なさそうな感じで、
「実はね。飛蚊症の手術というのは、とてもリスクが高いものなんですよ。手術したからと言って、満足のいく結果になるとは限らないし、視力を大きく落とす恐れもあるのですよ。」
と言いました。
「悪いことは言わない。何とか我慢できませんか?」
「眼のためにも、もう少し、様子を見た方がいいですよ。」
我慢できないから、ここまで来たんじゃないか!と、心の中で叫びましたが、矢継ぎ早に断りの言葉を並べられ、僕はなすすべもありませんでした。
診察室を出て、また会計でかなりの時間を待たされ、その時に妻にも報告しました。
妻もどう言ったらいいのかわからず、二人で沈黙し、やっと会計を済ませたのは、午後5時を回っていたと思います。
すでに日が落ちた、真っ暗な冬空の中、二人でトボトボと歩いて、家路に向かいました。
(次回に続く)
※YouTubeもやっておりますので、ぜひ下記のリンクからご覧になってください。