前回の続きです。
初めての深作眼科の検査と診察に行ってきましたが、担当の副院長の中原先生にきっぱり断られ、落胆して家路につきました。
また、ツラい日常が始まり、また飛蚊症に悩まされる日々が続きました。
よく、「病気を受け入れることから、治療が始まる」「病気を受け入れないと、病気はなかなか治らない」「病気のことばかり考えているうちは良くならない。忘れたころに治り始める」などと言われていますが、実際病気になってみると、なかなかこれらのことは出来ることではありません。
常に、実際の感覚として、苦痛に苛まれているのに、「受け入れて、忘れる」ということは、なかなか出来ません。
論理として、言っていることはわかりますが、実際に病気になって、苦痛に苛まれる経験をしてみないと、本当のところはわからないと思います。
深作眼科を受診する前に、実は僕は心臓の疾患がありまして、「心房細動」という不整脈の一種の病気で、1週間ほど入院して手術しました。
こちらの方は、無事退院して、経過観察ということになりました。
しかし、会社の方は直属の上司が変わり、こいつがまた底意地の悪いヤツで、こんな大変な状況の僕のことをネチネチといじめ、社長や会社のコンサルタントの奴らまでが、冷たく接してくるようになりました。
今コロナで落ち目になっている「S光マーケティングフーズ」という飲食の会社ですが、僕はこの会社への恨みを一生忘れないでしょう。
年が明けて、2017年となりましたが、会社から僕への冷遇はますますひどくなるばかりで、このままではメンタルがやられてしまう恐れがありました。
「一度、この会社をきっちり辞めて、ゆっくり落ち着いてから、もう一度深作眼科へ行って、中原先生になんとかお願いしてみよう。」
策に窮して、切羽詰まってしまった僕は、にっちもさっちもいかない状況で、このように考えるほか、ありませんでした。
早速妻にも相談し、僕の大変な状況を察したのか、すぐに承諾してくれ、1月20日に退職願を提出しました。
黒い糸くずやゴミのようなもので視界がいっぱいとなり、メンタルも追い詰められた状況で、仕事に集中することはできません。
プライベートの遊びや趣味に打ち込むこともできず、日常生活も困難な状況です。
「今の会社をきちんと辞めて、まとまった時間を作り、飛蚊症をしっかり治してから、その後再就職するなり、身の振り方をきちんと考えよう。」
切羽詰まって、にっちもさっちもいかなくなった当時の僕としては、それが唯一の考えられる方策でした。
退職願を出した後は、なぜか心持ち気分が少し軽くなり、あっという間に1ヶ月が経って、2月20日に退職しました。
あまりにうれしくて、帰りに銀座のデパートに寄って、お祝いのケーキを買って帰りました。
翌日は早速市役所に行って、退職後の様々な処理を済ませました。
そして、最も大切なこと、深作眼科へ電話し、受診の予約を取ることを実行に移すため、電話をかけました。
また、目が見えづらくなったなどとごまかして、その翌日の朝一番の8時半に予約を取ることに成功しました。
「今度こそ、中原先生にお願いして、『治療をします』と言ってもらおう・・・」
翌日は、かなり朝早く起きて、今回は僕一人で横浜の深作眼科に向かいました。
例の専用バスに乗って、深作眼科の建物の前に立つと、ブルっと武者震いをしました。
そして、受付を済ませ、またかなりの時間を待たされ、中原先生の診察室の前で待っていました。
(絶対!治療してもらうんだ・・・)
その一心でした。
「○○さん!」
名前を聞いた瞬間、僕の身体がブルっと震えました。
(これで断られたら、後がない!)
その武者震いだったのでしょう。
診察室の中に入ると、中原先生が前回のカルテを見ていました。
そして、僕の顔を見るなり、顕微鏡の前の台に顔を乗せるように促し、前回と同じように、眼の中を上下左右に執拗に注意深く観察しました。
観察し終わると、またカルテの方に向き直り、乾いた声で、こう言いました。
「あれから、どうですか?」
「相変わらず、飛蚊症の症状はヒドイ状況です。」
「・・・」
僕の方を向いて、中原先生は話を続けました。
「飛蚊症はね。実は過去に2人の方を手術したことがあるんですよ。」
意外な言葉が返ってきました。
「でもね、当人たちが満足するような結果にならなくてね。結局、完全に治すことはできなかったんですよ。」
「でも、今の状況がヒド過ぎるので、完全じゃなくても、少しでも良くなれば、構いません。」
僕は、なんとか食い下がりました。
中原先生は、僕の顔をじっと見つめ、こう続けました。
「でもね、○○さん、眼の中の硝子体(しょうしたい)と呼ばれるところの、濁りを取る手術になるんだけど、硝子体の中をいじくりまわすことになるので、リスクも大きく、失敗したら、何度も出来る手術じゃないんですよ・・・」
かと言って、今のままで放置されても、このままで生きていくことは出来ないリスクの方も大きいので、「いえいえ、構いません。ぜひ、お願いしたいと思います。」と、再度食い下がりました。
中原先生は、また僕の顔をじっと見つめ、なにか吹っ切れたような顔つきになり、また言葉を続けました。
「○○さん、やっぱりやめましょう。申し訳ないけど、あまりにもリスクが大きすぎる。緑内障や網膜剥離なんかと違って、失明するなど重大なリスクがあるわけじゃなく、そのままでも日常生活は送れますからね・・・そうしませんか・・・」
(それはないぜよ!)
僕は、(これで引いたら、生きていけないぜよ!)と、なんとか返す言葉を探しましたが、あまりの緊張状態で、言葉がみつかりませんでした。
「○○さん、そういうことで、とりあえず様子を見てみましょうよ。」
(なんの様子をみるんだよ!)
失意のもと、診察室を出ていかざるを得ませんでした。
これで、断られるのは2回目となりました。
「せっかく、会社を辞めて、また来たのに・・・」
今度は独りで、とぼとぼと、何とも言えない失意のもと、家路につくのでした。
(次回に続く)
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