前回の続きです。
会社を退職してすぐに深作眼科に診察に行ったものの、飛蚊症の治療はものの見事に断られ、断られるのは今回2回目となりました。
さすがに2回も断られると、精神的にかなりキツく、今後どうしたものか、という思いが、頭の中をぐるぐると迷走する日々が続きました。
会社を辞めたので、時間的な余裕はたっぷりありますが、先が見えない大きな不安の中での時間的な余裕は、自分をさらに追い詰めることになり、あまり良くありません。
何かとネガティブな余計なことを考えてしまうのです。
そこで、それらを払拭するために、好きな音楽を聴いて、それに関する本を読んだり、敬愛する精神科医で作家の樺沢紫苑先生の著作を読んだり、YouTube動画を観たり、ジムにも通って定期的にトレーニングをしたりして、一所懸命前向きに気を紛らわせていました。
しかし、当たり前ですが、飛蚊症の苦しみは一向に改善されることはなく、何をしていても相変わらず目の前には、黒い糸くずやゴミのようなものが視界いっぱいにゆらゆらと蔓延しており、僕は暗澹たる思いに満ちていました。
樺沢紫苑先生も言っていましたが、どんなにツラいことでも「期限」が決まっていると、人間はなんとか頑張れるのだそうです。
会社のプロジェクトで、毎日終電まで残業でも、3ヶ月後の決裁会議までの辛抱だとわかっていると、必死になんとか頑張れるものです。
ところが、「この苦しみがいつまで続くのかわからない」「いつ終わるのかわからない」となると、話は違ってきます。
精神的に追い詰められ、メンタル疾患になる確率が飛躍的に高まるのだそうです。
その境目となるのは、「3ヶ月」なのだそうです。
先が見えなくても、ガムシャラに頑張って1ヶ月は我慢できる、それが2ヶ月になると、かなり疲弊してくる、そして3ヶ月を過ぎると、とうとうメンタル疾患を発病してダウンしてしまうのだそうです。
そのような中で、僕は飛蚊症が発病して11ヶ月が経とうとしており、そういう意味では「驚異的」な精神力だったと思います。
でも、それもかなりギリギリの限界に達していました。
「このままだと、自分はもうダメになる。かなり難しいかもしれないが、『三度目の正直』ということで、もう一度深作眼科に行ってみよう。」
「ただ、今までと同じでは、また断られてしまうのがオチなので、今度は妻を連れて行こう。」
そう思い始めました。
妻は僕と同じ飲食店の店舗開発をやっていた経験があり、とても交渉が得意なタイプです。
僕はかなり朴訥な話し方ですが、妻は弁が立つというか、相手を圧倒する迫力があり、営業成績は抜群でした。
その妻も、診察室に入れて、僕と一緒に頼み込んでもらおう。
そうしよう!と思い、妻と相談し、再び3度目の予約を入れることにしました。
また、再び目が見えにくくなったなどとごまかして、前回受診日から約1ヶ月後の3月24日の朝一番8時半に予約を入れました。
例の深作眼科専用バスに乗って、建物の前に降り立ち、受付を済ませ、いつものように、かなりの時間を待たされ、一通りの検査を終えて、中原先生の診察室の前で、妻と二人待っていました。
「もう3回目だから、これで断られたら、本当に後がない・・・」
はやる気持ちと、プレッシャーに押しつぶされそうになり、なんとか気持ちを落ち着けるのに精一杯でした。
「○○さん!」
呼ばれて、ビクッと武者震いをして、頭が真っ白になりながら、診察室に入っていきました。
いつものように中原先生が横を向いて、カルテを見ていました。
そして、こちらを向き、妻の顔を見た瞬間、ビクッと驚きの表情を浮かべました。
顕微鏡の前に座った僕の眼をいつものようにのぞきこみ、いつにも増して、注意深く上下左右に、何度も執拗に観察しました。
「ああ、これはすごい!すごい濁りだ!」
「すぐに手術しないとダメだな!」
前回2回の診察とは大違いの態度です。
たぶん、家族まで入ってきて、本腰で頼み込んできたのに驚いたのでしょう。
眼の観察が終わると、中原先生は僕たちの方に向き直り、僕たち二人の顔をまじまじと見つめ、素直な表情になって、言いました。
「○○さん、僕は過去に2人の飛蚊症の手術をしたことは言ったと思うんですけど、○○さんの手術も実はすぐにでも出来るんですよ。」
「ただ、飛蚊症の手術というのは、この日本では出来ないことになっているんでね。○○さんも色々と調べてお分かりの通り、飛蚊症のことを書いた記事や資料などはあると思うんですけど、飛蚊症の手術が出来る医師というのは、この日本ではほぼいないんですよ。」
そして、先生は力強い表情になって、こう続けました。
「でも、僕は出来る。出来るんですよ。」
「日本でなぜ飛蚊症の手術が出来る医師がいないのか、それは日本の眼科技術が欧米に比べて、非常に遅れているからなのですよ。アメリカでは飛蚊症の手術は当たり前のように行われています。」
「だけど、日本では技術が遅れているから、出来ないことになってしまっている。前回飛蚊症の手術をして成功した時、僕は何故か、言われのないバッシングをこの業界の中で受けた。いわゆる「上の組織」からも圧力を受けた。」
そして、中原先生はとてもくやしそうな表情を浮かべて、話を続けました。
「そうしているうちに、僕もイヤになってしまってね。飛蚊症の手術をするのをやめてしまったんです。深作眼科のホームページにも『飛蚊症の手術はやりません』と明記することにしたんだ。」
「本当は飛蚊症で困っている患者さんたちを助けてあげなくちゃいけないのに、本末転倒だよね。」
上を向いて、自嘲気味に笑った後、中原先生は僕の目を真剣に見つめて、こう言いました。
「○○さんの前にも、飛蚊症の治療をしてほしいという患者さんはいたけれど、僕はすべて断ってきた。今回の○○さんについてもこのまま断って終わらせようと考えていた。」
「でも、○○さんは今回含め3回も来て、懇願してきた。今回は奥さんまで連れてきた。僕はその熱意に圧倒され、心を打たれたんだ。」
「だから、○○さんにお願いしたいんだ!医者の立場でいくら僕が頑張っても、周りから妨害されて、動けなくなる。でも、患者さんの立場で○○さんがこの実態を発信してくれたら、状況は変わると思うんだよ!」
そこへ、妻が泣きながら、口を開きました。
「先生!私たちも協力します。だから、ぜひ手術をお願いします!夫は飛蚊症に苦しめられて、本当にツラくて、家の中を真っ暗にして生活しているのです。黒い糸くずやゴミのようなものが目の前を現れるのがイヤで、家の中を暗くしないと、頭がおかしくなってしまうのです。」
「先生!どうか、こんな夫を助けてあげてください!」
中原先生は、妻の顔を見て、心を打たれたようで、しばし、上の方をじっと直視して、考え込んでいるようでした。
そして、笑顔を浮かべて、こう言いました。
「わかりました。奥さん。私も最善の力を尽くして、手術しますよ。」
そして、僕たちは口を揃えて言いました。
「ありがとうございます!」
思いもかけず、なかなか外の世界からはわからない、眼科の世界の独特な事情を知らされたと同時に、僕の人生が大きく前進した瞬間でした。
(次回に続く)
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