前回の続きです。
昼過ぎの12時半ころに中原先生の診察を終え、エレベーターに乗り、手術室のある6階へ上っていきました。
待合室がありましたが、それほど広くはなく、僕のほかに20人くらいの患者さんが所狭しと座って、静かに待っていました。
ほとんどが中高年の方だったと思います。
テレビが付いていて、バラエティ番組が流れていましたが、緊張していたせいか、観ている余裕もなく、ただただ、「どんな感じで手術をするのだろう」そればっかりを考えていました。
待合室の奥には、また出入り口の引き戸があり、その奥にどうやら処置室があるようでした。
順番に呼ばれて、待合室の奥にある洗面所で丁寧に目の周りを中心に顔を洗うように言われ、その後、処置室に入っていく段取りのようでした。
一人また一人と呼ばれて、顔を洗い、処置室の中に入っていきました。
どんどん時間は過ぎていきますが、僕の名前は一向に呼ばれません。
そうしているうちに、夕方になってしまい、僕の不安感はますます強まるばかりでした。
それまでに手術というものは経験したことはあり、慣れていないことは無いのですが、眼の手術というのは初めてであり、しかも「眼」ですから、恐ろしいことこの上ない。
しかも全身麻酔ではなく、眼の部分だけの局部麻酔ですから、手術中意識はずっとあるとのことです。
全身麻酔なら、眠っているうちに終わってしまうので良いのですが、局部麻酔だと、ずっと意識はあることになります。
その間、眼を動かしたり、まばたきをしたくなったら、どうするのだろう?
そんなことを考えているうちに、どんどん不安感は強まっていき、心臓の鼓動は急激に早くなり、脂汗がにじみ出てきました。
そのうちに、早くから入っていった患者さんで、手術が終わった方が次々と出てきました。
皆、眼帯をして、車椅子に乗って、看護師さんが押して、エレベーターの方へ向かっていきました。
ぐったりとしていて、ぼーっとしている感じでした。
「ああ、この患者さんたちは、さっさと手術が終わって、うらやましいなあ」
そんな思いを抱きながら、辛抱強く、順番を待っていました。
午後7時を過ぎ、残った患者さんは僕を含めて、とうとう3人となってしまいました。
僕以外の2人は、やはり中高年の方で、緑内障や網膜剝離などの結構な重症者のようでした。
そんな中に、僕も混じっていて、「マジかよ・・・」という思いで、不安いっぱいで待っていました。
午後8時近くになり、僕以外の最後の1人が中に入っていき、僕一人がポツンと残されました。妻も付き添っていてくれましたが、お互いに沈黙したままでした。
心細さが頂点に達しようとしたとき、「○○さん!」という声が聞こえ、やっと呼ばれました。
妻に頑張るよう、励まされ、僕は緊張のあまり、無心になって顔を洗い、青ざめた顔で、ふらっと処置室に入っていきました。
中では、すでに手術を終えた患者さんたちが、麻酔をかけられて眠っているのか、ぐったりした表情で、並んで座っていました。
僕は血圧を測って、採血され、点滴を施されて、待つことになりました。
僕の血管はかなり細く、しかも腕の奥の方にあるため、採血や点滴の際は、看護師さんがかなり苦労することになり、何度も刺されたりして、とても痛くて嫌な思いをするのですが、ここの看護師さんはとても上手いようで、一発で針が入り、スムーズにいきました。
この点滴は、手術への恐怖感を和らげるための精神安定剤のようなものが入っているとのことでした。
さらに奥の方に手術室があるようで、そこで中原先生が別の患者さんの手術をしているようでした。
死刑執行を待つ囚人のような気分でしたが、パニックにならないよう、ひたすら無心に、わけもなく念仏を唱えていました。
そこへ、中原先生が出てきて、いつものようににこやかな表情で、「やあ、○○さん」と声をかけてくれ、そばのベッドに横たわるよう、促されました。
局部麻酔をするとのことですが、腕などに注射するのではなく、眼の下部に注射をするとのことでした。
「球後麻酔(きゅうごますい)」というらしいです。
下のまぶたに注射針を突き刺すらしいのですが、中原先生に、「すぐに終わりますから全く心配ないですよ。でも絶対に眼やまぶたを動かさないでくださいね」と言われました。
恐怖のあまり、「マジかよ!」と思いながら、必死に目を開けていました。
ほどなく、下のまぶたを注射針が突き刺して、右眼の下部に針が入る感触がありましたが、これがまた本当に痛い!
口を閉じたまま、必死に歯を食いしばっている間、約5秒くらいでしょうか。
とても長く感じられ、針を抜いた後、「それでは、またしばらく待っていてくださいね」と先生に言われました。
すると、なんと表現したら良いのでしょうか。
ほどなく右眼の視界が万華鏡のようになり、オレンジの断面のように視界が約6等分され、しばらくして電源が切れるみたいにブラックアウトして、全く見えなくなりました。
しかし、点滴の精神安定剤や、この球後麻酔が効いてきたのでしょうか。
それまでのような不安感はほとんど感じられず、程よくお酒を飲んで気分が良くなった感じに近くなりました。
しばらくして、看護師さんに車椅子に乗せられ、点滴棒とともに、手術室に運ばれました。
そして、中原先生が僕の右眼に照明を当て、顕微鏡で細かく見ていました。
「○○さん、大丈夫ですよ。楽にしていてください。それでは始めますね。」
僕の眼の状態は、大きなモニターに映し出され、それを見ながら先生は手術をしているようでしたが、僕の右眼は完全にブラックアウトして、何も見えず、何の感覚もありませんでした。
先生が何か言いながら、看護師とやり取りをしているのが聞こえましたが、何も見えず、何の感覚も無いので、手術をされているという感覚がありません。
見える方の左眼は、手術室の天井を見つめているだけでした。
それでも、先生がところどころで話しかけてくれました。
「○○さん、硝子体の中、かなり濁りが多いですね。」
「○○さんの硝子体と網膜は、とても癒着が強くて、剥がすのが大変ですね。」
話しかけられても、僕としては「はあ、そうですか・・」としか答えられませんでしたが、先生がこんな感じで状況を話してくれるので、何か手ごたえは感じられました。
こんな感じで、約40分ほどでしょうか。
「○○さん、手術が終わりましたよ。」
手術が終わったようで、先生はまた報告してくれました。
「濁りはほぼ全部取れましたからね。まあ、硝子体と網膜の癒着が強くて大変でしたよ。○○さんの体質なんですかね。」
眼の上にガーゼを敷いて、眼帯をして、包帯をグルグル巻きにして、固定されました。
手術は成功したようで、麻酔の影響でボーっとした感じでしたが、安堵感に包まれながら、処置室で、15分ほどそのまま安静にしていました。
その後、処置室から出て、待合室で待っていた妻に車椅子を押してもらい、エレベーターに乗って、その晩に宿泊する部屋に行きました。
入ってみたら、いっぱしの高級ホテルのスイートルームのような豪華で広々とした部屋でした。
個室しか取れなかったので、とても高かったのですが(確か一泊8万円だったと思います)、眼の手術でこれだけ頑張ったのですから、これくらいの贅沢は良しとしました。
もう午後10時をかなり回っていて、お昼12時ころ以来、何も食べていなかったので、とてもお腹がすいていました。
ほどなくして、夕食が運ばれたのですが、1階のあのオシャレな豪華なレストランで作ったメニューらしく、フランス料理のコースメニューのようでした。
ミネストローネスープと、玄米ご飯、あと野沢菜のような漬物と、野菜の炒め物だったと思います。
量はとても上品で、正直足りない感じだったのですが、一流レストランのシェフの作る料理のようで、とても美味しかったです。
そして、寝る前に目薬をさすために、包帯を外し、眼帯も外し、ガーゼを取りました。
本当に今まで僕を悩ませていた、あの黒い糸くずやゴミのようなものはもう無くなっているのか・・・
無くなっていなかったら、どうしよう・・・
そんな不安を遮って、右眼を開けてみました。
それまで、視界を覆っていた、あの黒い糸くずやゴミのようなものは、すっかり無くなっていました!
約13ヶ月ぶりに「飛蚊」の無い世界が、右眼だけですが、戻ってきたのでした。
(次回に続く)
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