「松任谷正隆の素」を読んでの書評の前半をご紹介しました。
前回の続きとなります。
2⃣ 学校に行けない
松任谷正隆氏は、小学生時代、自宅から学校まで、電車と都電を乗り継いで通学していたそうです。
自宅のある高井戸から、超満員の井の頭線に乗って、渋谷まで行き、そこから都電に乗り継いで行くのです。
学校に行くのは本当にイヤだったらしく、その上、むせかえるような暑さと超満員の電車に揺られ、渋谷まで行くのが限界で、駅長室に飛び込んで休ませてもらい、自宅と学校に電話してもらい、自宅に戻って休むということを頻繁に繰り返していたそうです。
正隆氏は「軽いパニック症状だったのかもしれない」と言っていましたが、僕も似たような状況だったので、非常によくわかります。(今でもそうですが・・・)
正隆氏は、集団行動は苦手だったらしく、満員電車や人混みが大嫌いだったそうで、基本的にサラリーマンには向かないタイプだったのでしょう。
その代わり、音楽家としては大成功しました。
「〜がダメだから、自分はダメな人間だ」というわけではなく、人それぞれ向き不向きがあるだけなのだろうと思います。
親からも理解してもらえず、病気とは一触即発状態だったらしく、自分だけの「神様」にお祈りし、独り言のように会話をしていたそうですが、結構追い詰められていたのでしょうか。
子供の頃からモノに興味を持っていたのは、このような自分の「闇」に怯えていたからこそで、楽しいことを見つけるために、モノに逃げていたと言っていましたが、氏のモノへのこだわりの原点がこのようなことだったとは、とても意外な気がします。
精神科医で作家の樺沢紫苑先生も言っていましたが、「ストレスフリー」の原点とはこういうことなのでしょう。
3⃣ 憧れのモノとの再会
松任谷正隆氏は、いろいろなモノに興味を持っていましたが、とりわけカメラには並々ならぬ情熱があったそうです。
中学生時代、毎日途中の自由が丘駅で下車して、カメラ屋の店頭に展示している憧れのペンタックスのカメラを眺めていたそうですが、我慢出来ず、出来心で祖父の金を盗んで購入してしまいます。
結局家族にバレてしまい、大いに怒られて、取り上げられてしまいました。
時が流れて、40歳を過ぎた頃に、地方の質屋で偶然、そのカメラを見つけました。持っていたカメラと同一機種ではなく、その上位機種です。
しかし、持ち帰って触ってみた正隆氏は、感激するどころか、複雑な気持ちになってしまったそうです。
「こんなものをロマンティックに感じていたのか…」
おそらく、かなりの年月が経ってしまったので、現代のカメラと比べて「チャチ」だと感じてしまったのでしょう。
これは僕にもよーくわかります。
僕はオーディオが大好きで、たまにビックロ新宿店などの大型電機店に行くと、昔相当憧れていたオーディオコンポと再会したりします。
ラックスマンのプリメインアンプや、ヤマハの3WAYスピーカー、ナカミチの「ドラゴン」と呼ばれた高級カセットデッキ、デンオンの分厚いボディのアナログレコードプレーヤーなど…
でも、懐かしいとは思うものの、「今度こそ手に入れたい」と思わない自分がそこにはいたのでした。
iPhoneとBluetoothスピーカーで、日頃手軽に良い音を楽しんでいる今の自分の心には、すでに響かなくなっていたのでした。
「ならば、あんな熱病に侵されたような気持ちだけでも心の中の画像として保存しておこう、と思った」と正隆氏は最後に言っていましたが、僕も同感であり、時間が経つと「モノへの思い」というものも変わっていくのだなあ、と少し寂しい気持ちになりました。
また長くなってしまったので、続きはまた次回にお話します。
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