肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

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村上春樹presents山下洋輔トリオ再乱入ライブ(早稲田大学)20220712 その1

早稲田大学大隈記念講堂で行われた、「村上春樹presents山下洋輔トリオ再乱入ライブ」を観に行きました。

 

村上春樹presents山下洋輔トリオ再乱入ライブが開催された、早稲田大学大隈記念講堂の正面入口前にて

面白いタイトルですが、山下洋輔トリオは、今から53年ほど前の1969年、早稲田大学4号館にグランドピアノを持ち込んで、「乱入」する形で、伝説のフリージャズのライブを行いました。

当時は、学生運動の最中であり、早稲田大学も例外ではなく、バリケード封鎖され、「革マル派」「中核派」「民青」など、様々な派閥が存在し、早稲田大学の校舎をそれぞれ占拠していました。

 

当時、東京12チャンネル(現テレビ東京)に在籍していた田原総一朗氏が、このような状況下、若き山下洋輔トリオを使って、過激な企画を考えようとして、山下洋輔氏に「どうすることが望みか?」と尋ねたところ、「ピアノを弾きながら死ねたらいい」と答えたことに触発されて、「面白い、それでは俺が殺してやる」と応じて、早稲田大学にいきなりグランドピアノを運び込んで、過激なフリージャズの演奏を繰り広げるという企画を思いつき、実行に移したのだそうです。

 

しかし、先ほどもお話したとおり、激しい学生運動が繰り広げられている学内にて、このような演奏を行うことは危険極まりないことです。

学生運動を行っている学生たちは、皆気が荒く、いきり立っており、暴力も辞さない状況でしたから、まさに命がけの企画でした。

選んだ場所は、民青が占拠している4号館ですが、民青の連中が新宿で集会をやっている隙を衝いて、20人くらいでグランドピアノを運び込んで、演奏を始めてしまったそうです。

山下洋輔トリオのフリージャズの演奏は、とても迫力があり、これまで聴いたことのないような特異な音楽でした。

「小節」や「音階」「リズム」など、およそ音楽のあらゆる決まりを全て排除した、まさに「フリー」=「自由」な演奏でした。

 

1969年当時、山下洋輔トリオの「乱入ライブ」が行われた現在の早稲田大学4号館です。現在は、「村上春樹ライブラリー」に生まれ変わっています。

そのような演奏ですから、みるみるうちに、校内にいた学生運動を行っていた学生たちが集まり、大学の教授などの教職員たちも集まってきました。

そして、自分たちが占拠している4号館で勝手に演奏を始められたことに気づいた民青の学生たちも徐々に戻ってきました。

場は、プツンと切れてしまいそうな緊迫感に包まれ、一触即発の状況かと思われました。

山下洋輔トリオは、学生たちに襲われて、ボコボコにされ、大学側が警察に通報して、警官隊が乗り込んで、学生たちと大乱闘を繰りひろげ、学内は修羅場と化す、そのような展開となると誰もが予想し、田原総一朗氏はその状況をカメラに収めようとしました。

 

ところが、どうでしょう。

学生たちは、演奏を止めさせようと乗り込むどころか、静かに立ち尽くして、その山下洋輔トリオの迫力ある素晴らしい特異な演奏を静かに聴いていたのでした。

当時、お互いに対立していた「革マル派」「中核派」「民青」などの学生たちが、争うことなく、静かに並んで、山下洋輔トリオの演奏に聴き入っていたのだそうです。

教職員たちも、通報することなく、一緒に聴き入っていました。

 

田原総一朗氏は、「ガクッ!」と拍子抜けしてしまったそうですが、この伝説のライブはテレビで放映され、映像ソフトとしても発売され、素晴らしくも凄みのある伝説として語り継がれてきたのでした。

 

そのような伝説のライブがまた、「再乱入ライブ」として、この令和の時代に再現されることになったのでした。

(次回に続く)