「SKYE(スカイ)」のライブを観に行ってきました。
前回の続きです。
2人目のゲストだった尾崎亜美氏が、ロケット切り離し・降下のマネをして、クルクル回りながら退場していき、しばらくして、背の高い、スラッとしたパンツルックスタイルで、髪をアップにした、ハイヒールの女性が、さりげなく、ひょこっと現れました。
ユーミンでした。
今年(2022年)7月までやっていた「深海の街」ツアーは4回観に行きましたが、その時のステージ衣装とは打って変わって、とてもカジュアルな衣装にもかかわらず、エレガンスさが感じられて、かえってユーミンのスタイルの良さ・センスの良さが際立っていました。
「三段ロケットの飛び道具として登場しました。」
と、ユーミンが冗談交じりに行って、会場の笑いを誘い、さっそく50年前のデビュー曲である「返事はいらない」を歌いました。
ユーミンは、1972年7月5日、かまやつひろしプロデュースの元、この「返事はいらない」でデビューし、今年(2022年)は記念すべきデビュー50周年なんですね。
曲が終わった後、ユーミンは「スーパー中学生」だった頃の思い出話を、ギターの鈴木茂氏と楽しく話しました。
どうやらSKYEのメンバーの中で、初めて会ったのは鈴木茂氏のようですが、当時最新鋭だったスタジオで一緒にレコーディングした思い出話をしていました。
当時24ch録音が可能だった日本初のスタジオ「アルファレコード・スタジオ」のことでしょうか。
2曲目は、荒井由実時代の代表曲で、初のシングル第1位に輝いた「あの日に帰りたい」をアストラッド・ジルベルトのような洒落たボサノヴァ調の演奏で、歌いました。
とても良いアレンジで、この曲にピッタリでしたが、ユーミンのボーカルがちょっと不安定で、松任谷正隆氏がちょっと心配そうに見守りながら、キーボードを演奏していたのが印象的でした。
その後、またSKYEのメンバーとの出会いの話となりました。
最初は、先ほどお話したとおり、「はっぴいえんど」の前身だった「エイプリル・フール」時代の鈴木茂氏との出会いだったそうです。
林立夫氏・細野晴臣氏ともその頃すでに会っていて、「返事はいらない」のレコーディング時に、小原礼氏がギター・高橋幸宏氏がドラムでした。
すると、小原礼氏がすかさず、「その後、茂と立夫は『キャラメルママ』に行って、オレと『余っていた』ドラムの幸宏はトノバン(加藤和彦氏)に誘われて『サディスティック・ミカ・バンド』に行ったんだよな・・・」と懐かしそうに言っていました。
最後に出会ったのが、ユーミンの最初のアルバム「ひこうき雲」のレコーディングの時の松任谷正隆氏だったそうです。
すると、ユーミンが「残り物には福がある」と言い出し、松任谷正隆氏が「オレが福でいいの?」と答えて、会場の笑いを誘っていました。
その後、ユーミンと松任谷正隆氏との夫婦ならではの思い出話となりました。
1970年代に一緒に行った香港の話になり、1977年にリリースした松任谷正隆氏の唯一のアルバム「夜の旅人」の中の、ユーミンが提供した曲「Hong Kong Night Sight」の話になりました。
ユーミンはセンチメンタルな感じで、「もうあの頃の自分たちには戻れない」とつぶやいたのですが、松任谷正隆氏はそれには触れず、「そういえば、あの頃、よく『スージー・ウォンの世界』(1960年公開の香港を舞台としたイギリスの恋愛映画)をよく観ていたよね。」と懐かしそうに言いました。
正隆氏としては、その映画からユーミンがインスピレーションを得てこの曲を作ったことを言いたかったのでしょうが、ユーミンは別の意味にとらえていたようで、「なんか話が通じていないようで」と少し怪訝そうな顔をして、言いました。
そのやり取りを見て、小原礼氏がすかさず「夫婦の会話ってのは面白いよね・・・ああ、さっきのオレたちもそうだったか。」とおどけて言ったのが、功を奏して和んだ雰囲気になり、ユーミンも正隆氏の真意を理解したようで、それ以上は何も言いませんでした。
そして、その「Hong Kong Night Sight」の曲が始まり、ユーミンだけが歌うのかと思ったのですが、なんと!正隆氏もキーボードを演奏しながら、歌うではありませんか!
ユーミンと正隆氏のデュエットなんて、初めて見たし、聴きました!
正隆氏の歌う姿を見るのも、滅多に無いのに、とても貴重なものを見せてもらいました。
しかも、二人の声がきちんとハモっているのが、素晴らしい!!
夢のような2人のデュエットは、あっという間に終わり、正隆氏がポツリと「二度とやらないような曲だろうな・・・」とつぶやいたのを覚えています。
そして、ユーミンはさりげなく、ステージから去っていきました。
(次回に続く)