先日(2022年12月16日)劇場公開した「Dr.コトー診療所」の映画を観に行きました。
「Dr.コトー診療所」と言えば、2003年・2004年・2006年にテレビシリーズ放映化され、驚異的な視聴率を上げた、国民的に人気の医療ヒューマンドラマです。
それが16年ぶりに映画となって、帰ってきました。
実は、僕は当時一応テレビで観ていましたが、それほど入れ込んでいたわけではなかったので、それほどこの作品に詳しかったわけではありません。
今回の映画もこの作品に当時入れ込んでいた妻の誘いで観に行きました。
なので、ファンの方からすると、見当違いで腹が立つ話もしてしまうかもしれません。
あくまでも、僕自身の個人的な見解なので、そのあたりはご理解のほどよろしくお願いいたします。
また、劇場公開したばかりなので、ネタバレになってしまうので、そのあたりもご注意の上、よろしくお願いいたします。
「Dr.コトー診療所」を好きな方は、最初からの経緯は全てご存知だと思いますので、余計な経緯の説明など省かせていただき、単純に僕の感想だけを述べさせていただきます。
1.コトーに憧れて医者を志していた原剛洋について
五島健助ことコトーに憧れて医者を目指し、東京の大学に通っていた原剛洋が、突然故郷の志木那島に帰ってきました。
しかし、志木那島に帰ってきた剛洋には、人に言えない隠された理由がありました。
結局、学業不振で周りのレベルについていけず、奨学金を打ち切られて大学を中退してしまったのです。
何も知らない島の人たちは、剛洋の帰郷を歓迎しますが、東京の警察が島にやってきて剛洋を探していることが次第にわかってしまい、剛洋がただ事ならぬ状況に巻き込まれていることが露呈してしまいます。
剛洋もそれに感づいて、身を隠し、結局コトーのいる診療所に出向いたのでした。
びっくりしたコトーに剛洋は、全てを打ち明け、泣きながらこう言います。
「医者になれなかった僕は、人を助けることなど出来なかったのです!」
しかし、コトーはいつものやさしい笑顔でこう言います。
「医者にならなければ人を助けることが出来ないと考えているのならば、それは医者にならなくて良かったのかもしれない。」
一見、禅問答のような不可解な言葉ですが、なかなか含蓄のある深い言葉だと思いました。
僕が思うに、コトーはこう言いたかったのだと思います。
「医者にならなくても人を助けることは出来る。でも、医者にならなければ人を助けることが出来ないと思ったまま、医者になったのだとしたら、ひょっとしたら、医者になった自分は全ての人を助けることが出来ると、傲慢な人間になっていたかもしれない。そういう意味では医者にならなくて良かったのかもしれない。」
この短い不可解な言葉には、僕が推測するに、以上のような意味が込められていたのかもしれないと思いました。
しかし、その後の場面で、結局コトーは剛洋に医者になってほしかったことをつぶやいており、それもまたコトーの人間らしさを表していて、良かったと思いました。
2.研修医・織田判斗の言葉
これ以降は、映画に対しての苦言となってしまうので、ファンの方にとっては不愉快と感じると思いますので、ご容赦ください。
コトーは白血病を患ってしまい、倒れてしまいます。
市役所の支所長である坂野孝から、コトーに代わって診療所の医者になってほしいと懇願されますが、研修医・織田判斗はドライに速やかに断ります。
そして、こう言い放ちました。
「コトー先生が倒れたのは、ひとえに『仕組み』の問題だと思います。」
「これまで19年間、コトー先生の善意と自己犠牲によって、この島の医療体制はかろうじて保たれてきたのです。そして、島民全員がコトー先生に頼り切ってしまったために、コトー先生はとうとう疲弊しきってしまって、病気になってしまったのです。病気とはそういうものです。」
一聴すると、なんて冷たいヤツなんだろう!と憤慨するかと思いますが、これは紛れもない真実を物語っていると思います。
コトーが元気なうちはいいのですが、やはりコトーも人間ですし、年も取れば病気にもなります。
コトーも生身の人間なので、いつかは何らかの形で医療に従事できなくなってしまう恐れがあります。
人間というものは、何も問題が起こらないうちは動こうとしない習性があるので、なかなか難しいのですが、やはりこういう危機管理は普段からしておくべきだったと思いました。
長くなりますので、今回はここまでにしておきます。
次回またこの続きをお話します。