先日2023年4月1日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊のライブを初めて観に行ってきました。
前回の続きです。
「あんたが大将」の演奏が終わり、再び武田鉄矢氏の面白いトークが始まりました。
武田鉄矢氏は、還暦を迎えたころ、心臓の大動脈弁の異常という症状で、1ヶ月ほど大学病院に入院したことがあったそうです。
初めての大病による入院ということもあり、とても不安だったそうですが、入院してみると、その広いフロアの患者全員が同じ「大動脈弁の異常」の病気だったそうで、とても安心し、自分だけじゃないだと、心強かったそうです。
しかし、まあ入院していると、様々な変わった光景に出くわすことがあるそうです。
ある朝、検尿して検査室に向かう痛風患者の群れを見ることがありました。
痛風患者たちは、足が痛いため、皆同じ歩き方をしていたそうです。
検尿の紙コップを右手に持って高く掲げ、片足を突き出して前に進み、もう一方の足がそれについてくる、まるで、その光景はマイケル・ジャクソンの「スリラー」を思わせる光景でした。
そして、反対方向から、今度は医者の先生たちが同じようにコーヒーが入った紙コップを右手に持って高く掲げて歩き、紙コップと紙コップが交差する姿に、病院の日常の姿を感じたのだそうです。
そんな中、入院しているうちに、同病仲間というか友達が出来たそうです。
86歳になるおばあちゃんで、とても気丈で、かつユーモアのある方だったそうです。
そのおばあちゃんとのやり取りがなかなか面白い。
鉄矢氏「おばあちゃん、人間は何で年を取るのでしょうかね・・・?」
おばあちゃん「そりゃあ、あんた、若いうちに死ななかったからだよ!」
鉄矢氏「おばあちゃん、4回も手術したのに、いつも肝が据わっていて、もう怖いものなんて無いんでしょう?」
「そんなことねえよ!ドキドキしているよ!だって86歳になったの初めてだもの」
そして、武田鉄矢氏がいよいよ退院する時、おばあちゃんはエレベーターホールまでわざわざ車椅子に乗って見送ってくれたのだそうです。
そして、「手出しな!」と言って、退院祝いとして、武田鉄矢氏の手のひらになにやら小さな物を乗せてくれました。
それは一粒のアーモンドチョコでした。
「昨日孫が来てな。『ばあちゃん、あげる』って言って、くれたもんだよ」
「種入ってるから、ちゃんと出すんだよ!」(会場大爆笑)
そして、おばあちゃんは武田鉄矢氏の顔をまじまじと見つめ、こう言いました。
「一期一会だ!あんた有名人だから、書いてほしいものがある」と言って、色紙を取り出しました。
鉄矢氏「ええ、いいですとも!『ハナさん、がんばれ!』とでも書きましょうか?」
おばあちゃん「いや、サインの横にぜひ書いてほしい言葉があるんだ」
鉄矢氏「何ですか?」
おばあちゃん「僕は死にません!」(会場大爆笑)
(1991年放映のドラマ「101回目のプロポーズ」で、武田鉄矢氏扮する主人公が、ヒロインの浅野温子氏扮するマドンナに向かって叫んだ有名なセリフ)
こんな面白いエピソードを話した後、武田鉄矢氏は真面目な顔になり、こう言いました。
「病気もまた人生の1ページですよ」
「病気になったら、しっかり病人になりましょう。むやみに健康な人をうらやましがるのはやめましょう。病気は病気で面白いものですよ」
この言葉に僕も大きく同意します。
僕も様々な大病を患って、数多く入院を経験しましたが、これはこれで本当に貴重な経験でした。
ずっと健康なままの人にはわからない世界が本当に数多くあります。
「健康の有難み」を本当に実感できるのは、大きな病気を経験した人にしか出来ないでしょう。
そんな話の後、歌ってくれたのは、後期高齢者のための歌「ダメージの歌」でした。
これは現在発売しているCDには入っていないようですが、なかなか面白く、うならせる歌詞で、ぜひCD化してほしいものです。
曲の演奏の後、再びトークに戻り、藤子不二雄氏の話になりました。
武田鉄矢氏は本当に交友関係が広いのか、当時「ドラえもん」などで活躍していた藤子不二雄氏にもとても可愛がられていたそうです。
当時、「ドラえもん」が初めて映画化されることとなり、藤子不二雄氏に呼び出され、主題歌はぜひ海援隊にお願いしたいと、直々に依頼されたそうです。
以降、ドラえもんの映画の主題歌は、全て海援隊が作詞作曲演奏して、担当することになったそうです。
その初めての映画の主題歌「少年期」を演奏しました。
なかなか心に染み入る、癒される曲で、中牟田氏と千葉氏のギターに合わせ、珍しく武田鉄矢氏が鉄琴のような楽器を演奏して、「ピーン・ポーン・パーン・・・」と心地よい音を奏でさせ、なかなか良かったです。
武田鉄矢氏は、どこに行っても、このような軽妙で面白いトークを繰り広げるのですが、ある夏の日、苗場スキー場のゲレンデで演奏の合間に、また爆笑トークを繰り広げていました。
会場はいつものように大爆笑ですが、一人だけ30代をちょっと過ぎたと思われる真面目そうな青年が突然こう叫んだのだそうです。
「武田さん、面白い話もいいんですが、真面目な話も少しはしてください!」
武田鉄矢氏は、この青年の言葉に、相当ショックを受けたようで、ずっと引きずっていたのだそうです。
武田鉄矢氏は1980年放映のドラマ「3年B組金八先生」で一世を風靡し、以降どうしても「金八先生」のイメージが強く残ってしまっています。
特に今の若い人は、ネットフリックスやBlu-rayソフトなどで、「3年B組金八先生」を観る人が多いらしく、この傾向が強いのだそうです。
そこで、武田鉄矢氏が考えたのが、尊敬する宮沢賢治氏の作品を朗読することでした。
宮沢賢治氏も金八先生と同じように、岩手県で教師をやっていて、勤務の後は生徒の稲作指導もやっていたそうです。
その時の模様を宮沢賢治氏が記した「稲作挿話」を、武田鉄矢氏が情感たっぷり込めて、朗読し始めました。
そして、朗読が終わり、第1部が終了となり、15分ほどの休憩時間となりました。
第2部は、次回のブログでお話します。