先日2023年4月1日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊のライブを初めて観に行ってきました。
今回はライブの第2部のもようをお伝えします。
武田鉄矢氏のお母さんのことを歌った、海援隊最初の大ヒット曲「母に捧げるバラード」の演奏が終わり、再び武田鉄矢氏の面白くも長いトークが始まりました。
今度は、武田鉄矢氏が高校生だった頃の個性的で面白い友達のエピソードとなりました。
いろいろな友達の素っ頓狂(すっとんきょう)というか、爆笑モノの話がたくさん飛び出しました。
例えば、英語の試験で、「This is a pen.を疑問文にしなさい」という問いに対し、「This is a pen か?」と書いたホンダくんという友達。
「私は今東京に住んでいます。という文章を過去形にしなさい」という英語の問題に対し、「拙者、昔、江戸におった」と書いた友達。
四文字熟語の問題で、「〇肉〇食」の穴埋めで、正解は「弱肉強食」のところ、「焼肉定食」と書いたイトウくんというハンドボール部のキーパーだった友達。
「間違ってはいないのだから、せめて△をくれ」とねばったそうです。
そのイトウくんは、日本史の問題で、「板垣退助が自由民権運動の演説中に日本刀で切り付けられた際に、発した言葉は何か?」という問題で、正解は「板垣死すとも自由は死せず」ですが、腹を刺された瞬間の言葉として、「ウグッ!」と書いたそうです。
これらだけでも爆笑モノでしたが、次の話はさらに会場を爆笑させました。
日本史の授業で、先生が熱意あふれる調子で、戦国時代の話をしていました。
試験に出るところを一所懸命エキサイトして話をしているにもかかわらず、一番前の席の佐藤君という友達は突っ伏して寝ていたそうです。
それを見た先生は、怒り心頭に発し、叩き起こして、立たせ、「おい、お前に聞こう!答えられぬはずは無かろう!本能寺焼いたのは誰だ?おい!本能寺焼いたのは誰だ?答えてみろ!」と佐藤君に詰め寄りました。
ボーっとして立ち上がり、「ウグッ!」と何か言いかけたのにもかかわらず、「本能寺を焼いたのは誰なんだ?!」と叫んだ先生に対して、佐藤君が叫び返した言葉。
「オ・オレじゃあ、ありません!!」
彼は次の日から学校に来なくなってしまいました。
先生は責任を感じたのか、心配になり、数日後、佐藤君の家に電話をしたのでした。
すると、お母さんが出たので、先生は言いました。
「先日、日本史の授業の時にですね。『本能寺を焼いたのは誰か?』と聞いたところ、『オレじゃあ、ありません!』と答えたんですけど、オタクのお子さん、何か勉強に集中できないことがあったのですかね?」
お母さんは泣き出し、その後言った言葉。
「先生、いくらくらい弁償したらいいのでしょうか?」
その後、授業の時に先生が言った言葉。
「いいか、覚えとけよ!佐藤んちはお母さんもバカたい!」
会場が大爆笑の中、観客の一人の若い女性に、「おじょうさん、こんな話したけど、面白い?」と聞いた後、「それでは、学校一のガリ勉・秀才の林トオル君の話をしてあげよう。」と言って、再び旧友の話になりました。
学校一の秀才の林君は、全校で5位以下に落ちたことがなく、名うての秀才であり、「林君、映画観に行こうよ」と誘っても、「勉強たい!」、「ビートルズが来るから観に行こうよ」と誘っても、「勉強たい!」と言い返す、勉強命の生徒でした。
その後、やっぱり福岡でも有数の進学校に行ったのだそうです。
それから50年ほどの歳月が流れ、福岡の商店街を歩いていると、スーパーの前で野菜のたたき売りをしている汚れたエプロン姿の林君と偶然出くわしたのだそうです。
「ああ、あれほど頭の良かった林君も、何か人生につまづいて、パートで野菜のたたき売りなんかしているんだ・・・」ととても不憫になり、気づかれないよう、その前を通り過ぎようとしたとき、ふとこの言葉を耳にしました。
林君は武田鉄矢氏には気づかず、無我夢中でこう叫んでいました。
「勉強しますよ!勉強しますよ!」
「昔は、モノの値段を安くすることを『勉強しますよ』と言っていたのです。」
「全部説明すると、面白くもなんともないですよね!」
そんな面白いトークを続けた後、大ヒット曲「思えば遠くへ来たもんだ」の演奏が始まるのでした。
(次回に続く)