辻仁成氏が、2024年7月31日(水)に東京・有楽町の「ヒューリックホール東京」で行った二日目のライブに参加しました。
辻仁成氏は、今回の日本公演を「引退公演」と銘打っており、日本での公式な音楽活動は今回のツアーをもって完了し、今後は行わないとしていました。
その決意に至った経緯については、いろいろとあったらしいが、辻仁成氏に大変失礼で冷淡な知り合いからの「いやがらせ」もあったらしいし、以前のツアーが台風やコロナで中止になり、そのたびに辻仁成氏がかかった費用を全額負担してきたらしく、これ以上遠く離れた日本での活動を続けていくことは非常に困難であると悟って決意した背景もあったらしいです。
とても残念であるが、辻仁成は現在住んでいるフランスでは伝統あるオランピア劇場でのライブを大成功させ、イギリスでのライブも好評を博したので、今後はそちらでの活動で大いに活躍されることを祈るばかりであります。
当日のライブは時間通りに始まり、メンバーに少し遅れて辻仁成氏が現れました。
キャスケットを頭にかぶり、自分で袖を切って補修したという山本耀司のグレンチェック柄のジャケットに、黒のパンツルックに、黒のブーツというシックな感じで統一した辻仁成氏らしい粋なファッションでした。
最初の3曲は、正統派ロックともいうべきストレートなロックの曲で、おそらくエコーズ時代の曲だったのでしょう。
3曲が終わって、辻仁成氏のMCとなり、「こんばんは!」と元気に挨拶をしました。
「今日は、『辻仁成引退コンサート』にようこそいらっしゃいました!これを機にメンバーそれぞれが新たな道を進んでいくので、みんな応援してくださいね!」と、バンドのメンバーを見回しながら、ユーモラスに語ったのですが、誰一人「引退」という悲壮感は感じさせず、辻仁成氏もそれを楽しんでいるように見受けられました。
その後、歌われたのは、「故郷」。東日本大震災後に日本のことを心配して急遽作った曲だそうです。
続いて、辻仁成氏の代表曲とも言える「空」「ガラスの天井」と2曲立て続けに演奏されました。
アレンジはすべてピアノ・キーボードを担当していて、昨年もライブ・メンバーだったDr.kyOn(ドクター・キョン)氏ですが、とても小粋な素敵なアレンジで、思わずかなりノッテしまいました。
その後、「新曲を歌います。と言っても7年前の2017年に出した曲だけどね」と自嘲気味に言った後、「孤独をラッタッタ」を歌い、その後またMCとなりました。
現在、辻仁成氏が拠点として在住しているフランス・パリでオリンピックが行われており、Dr.kyOn氏とともにしばしその話題で盛り上がった後、フランスの代表的な歌手であるエディット・ピアフの名曲「La Vie En Rose(ラ・ヴィ・アン・ローズ)」を心を込めて歌い上げ、客席も手拍子で賑やかな雰囲気となりました。ステージ上は、照明でフランス国旗を思わせるトリコロールカラーに染められていました。
そして、辻仁成氏は前日初日に突然飛び入り参加して大いに盛り上がった加藤登紀子氏のことを話しました。
「突然客席がざわついて、見ると客席を下りてくる人物がいて、これってテロの多いフランスでは典型的なテロリストの行動なんですよ!」
辻仁成氏は本当にビビっていたようで、内心「ヤベエ!」と思ったらしいのですが、すぐに加藤登紀子氏と気づいたらしく、「予定外なんですが、僕の『サボテンの心』という曲をカバーしていただいている加藤登紀子さんです!」と紹介したそうです。
そして、二人でデュエットして、客席も大合唱となり、大いに盛り上がったのだそうです。
そんな話の後、エコーズ時代の曲が6曲ほど続き、途中のMCでは、「僕は実は月から来た人間で、早く帰らなければならないんです」などというお茶目でわけのわからないギャグをかまし、メンバー紹介となりました。
真ん中の辻仁成氏の向かって左側がDr.kyOn氏(ピアノ・キーボード)、その後ろが太田惠資氏(ヴァイオリン)、辻仁成氏の真後ろが竹内理恵氏(サックス)、辻仁成氏の右側に山下あすか氏(ドラムス・パーカッション)、ユン・ファソン氏(トランペット・フルート)でしたが、皆スゴ腕のプレーヤーたちで、聴いていてとても安心感がありました。
特に、バンドマスターでもあるDr.kyOn氏は、ノリノリの状態で、ピアノ・キーボードだけでなく、アコーディオンまで弾いて、抜群の手腕を発揮しました。
昨年のライブでは、打ち合わせ不足と練習不足で、ミスった場面もあっただけに、今年は本当に良かったと思います。
その後、一昨年リリースした最新アルバム「Japanese Soul Man」からの代表曲「ALONE」「冬の虹」「City Lights」そしてラップ調のボーカルがなかなか粋な「どの方角から誰が来るのか分からないから全部開いてる」を歌った後、辻仁成氏とメンバーたちは手を振って、ステージを去って行きました。
壮絶なアンコール・コールが続き、明かりがついて、辻仁成氏とメンバーたちがステージに戻ってきました。
そして、辻仁成氏は引退記念の「全体写真」と称して、自分自身と客席がきちんと映るように、スマホを構えて、自撮りで撮影しました。
おちゃらけている雰囲気でしたが、これで最後という名残惜しい気持ちで撮ったのでしょう。
その後、また長いMCとなり、辻仁成氏に弟がいたとは知らなかったのですが、日本での様々な細かい手配関係はすべて弟が取り仕切っていたのだそうです。弟はなぜか東京に来ることは無いのですが、いろいろと手配してくれて、とても助かっていることを話していました。
また、弟は車を持っていなかったが、最近初めて新型のプリウスを購入したことを話していました。
そして、おちゃらけて、自分は先ほども言ったように月の星人だから、もう少しで帰らなければならない、などと言い、客席に向けて両手を広げてエネルギーを送るような仕草をしていましたが、ライブがことのほかうまくいったことのうれしさの表れだったのでしょう。
アンコールの1曲目は、前日加藤登紀子氏とデュエットした「サボテンの心」を歌いました。
そして、今後のことについて話しました。
「これで日本での公式な公演は今回のツアーで最後になりますが・・・」
「そうですね・・10年後にまた会いましょう!あ!そしたらオレは70代になっているんだよな!大丈夫かな・・」
(これで完全に終わりじゃないだ!10年後でもいいから会えればいいな!)
僕を含めた客席のファンの人たちはそう思ったのでしょう。
客席からは壮絶な大歓声と拍手が沸き起こりました。
しかし、辻仁成氏は少し考え、またこう言い出しました。
「・・やっぱりこうしましょう!」
「30年後に会おう!!」
(30年後?!30年後と言ったら辻仁成氏は90代中頃、オレだって85歳、この会場にいるほとんどの人たちはもう高齢で会いに来れないんじゃないだろうか?)
きっと会場のファンの人たちは皆同じようにこう思ったことでしょう。
少し会場のテンションが下がったように感じました。
そして、最後に辻仁成氏最大のヒット曲と言われる「ZOO」が演奏され、引退ライブ二日目は幕を下ろしたのでした。
まあ、最後の言葉はよけいだったと思いますが、辻仁成氏はとても楽しそうで、声もよく出ており、メンバーたちの演奏は素晴らしいものでした。
ツアーは、この後、8月5日(月)ヒューリックホール東京、8月7日(水)大阪フェスティバルホールまで行われます。
日本での公式な公演はこれで終わりますが、多才な辻仁成氏ですので、音楽に小説に絵画に料理と、いかんなく才能を発揮し続けるでしょう。
今後の活躍をお祈りいたします。