立派な開き戸の会議室があり、その中に通されました。
20人くらいは会食が出来るような細長いけど奥に広い会議室で、座って待つよう促されました。
なかなかこういう広い空間での面接は緊張させられます。
まあ、でもあくまでも練習のつもりの面接だと自分をなだめすかしていたところ、ノックがして、面接官が入ってきました。
同年代と思われる愛想の良さそうな支配人と思われる男性一人、30代くらいの女性が2人で、うち一人はいかにも管理職という雰囲気の女性でした。
いきなり3対1の面接となり、ちょっと面食らってしまった僕なのでした。
前回からの続きです。
質問されたことは、典型的な内容でした。
いわゆる「自己PR」と「志望動機」です。
真ん中に座った30代の管理職と思われる女性(以下Aさん)が、「まず、Rさん(僕)の自己紹介・自己PRをお願いします」と言い出しました。
いくら練習のつもりだと言っても、このような面接を受けるのは、実に約8年ぶりであり、いきなり3人の面接官を前にして、流暢にしゃべれるものではありません。
しかも僕はあがり症のコミュニケーション下手な性格で、話下手という「三重苦」を抱えています。
正直何を話したのか、よく覚えていないのですが、前職の仕事で一所懸命トラブル処理の仕事に取り組んでいたこと、あまりコミュニケーションが得意ではない性格であることなどを話した記憶があります。
後者の「あまりコミュニケーションが得意ではない性格であること」について話した時、Aさんの顔色が変わったような気がしました。
もしかしたら、今回募集している職務に差し障りがあるのであろうか・・・
ゴルフ場にゴルフをしに来るお客さんの対応をする仕事で、やっぱりそれなりのコミュニケーション能力が必要な仕事なのだろうか、まあ言ってしまったことは仕方のないことなのですが、ちょっとポイントを下げてしまったような気がしました。
志望動機も、ハチャメチャだったような気がします。
ゴルフは全くやったことが無く、年齢も年齢なので、無理な力仕事は難しい可能性はあるが、家が近いので、何か緊急事態があれば、すぐに対応できるとかなんとか、わけのわからないことを言った覚えがあります。
(それじゃあ、あなたは家が近いという理由だけで応募したのか)
そう思われても仕方ありません。
話は、前職やその前の会社を退職した理由の話に移りました。
前職を退職した理由は、適応障害・うつ病なのですが、それを言うとマズいと思い、重病を抱える家族の介護のため、退職したと話しました。(家族が重病を抱えていることは本当です)
ただ、それだけだと、「うちに来ても同じような問題ですぐに退職してしまうのか」と思われてしまうので、今は家族の容体はとても良くなり、問題無いことを念を押して話しました。
これはとりあえずそれ以上突っ込まれることは無く、パスしたと思われたのですが、前前職の退職と前職の就職の間が約10ヶ月空いていて、なぜそのような長い空白期間があるのかという質問になりました。
これは明確な理由があるので、しっかりと話すことが出来ました。
以前のブログでシリーズ化してお話したとおり、僕は重度の目の飛蚊症にかかってしまい、非常に仕事に支障をきたしてしまったので、一度しっかり退職して、治したかったこと、そのために3回も手術をしたことなどを話しました。
「目の飛蚊症の手術」という、あまり例を見ない話をしたせいか、妙に関心を持たれ、納得され、この件もパスしたように見受けられました。
そして、ずっと黙って見ていた、同年代と思われ、おそらく支配人と思われる男性(以下Bさん)が口を開き、お互いの大学の話となりました。
Bさんは、メガネをかけており、オロナミンCの看板で有名な大村崑に似た顔立ちと雰囲気で、とても親しみやすい感じの人でした。
お互いの出身大学の話となり、僕は明治大学、Bさんは中央大学ということで、同じ御茶ノ水の校舎だったことで、話が弾み、いい感じの雰囲気になりました。
「お互いお茶の水界隈をウロウロしていたから、どこかで会っていたかもしれませんねえ!」
と、Bさんは笑顔で僕に話してきました。
終盤のまとめの段階となり、ずっと質問していたAさんから、ぼそっとこう言われました。
「Rさんとしては、やはり家からとても近いというのが大きな志望動機なのですね」
それを言われ、図星だったので、ドキッとしましたが、抗弁することも出来ず、黙ってうなづき、約45分にわたる面接は終了しました。
「やっぱり、先方にもオレがあまり入社する気が無いことはバレたよなあ」
そんな思いを抱きながら、建物を後にし、帰宅しました。
そして、翌日早々に、メールで「不採用」の通知が来たのでした。