「刑務所」
よく聞く言葉ですが、その実態を知る人は、実際の入所者以外、ほとんど知られていないのではないでしょうか。
かくいう僕も、今回ご紹介する本「刑務所しか居場所がない人たち」を読むまでは、全く理解していませんでした。
刑務所というのは、極悪な犯罪を犯した人たちが収容される恐ろしい場所で、魑魅魍魎たる者が跋扈し、刑務所の高い塀や、刑務官の方たちが、平和な社会側に飛び出さないように、守ってくれている、僕はそのように思っていましたし、大方の人たちはそのように考えているのではないでしょうか。
ところが、この本を読んで、刑務所に対する考え方は180度変わりました。
実際は行き場のない障がい者の人たちや高齢者を収容し、逆に彼らを守っている福祉施設のようになっている、と知って、とても驚きました。
これらの障がい者や高齢者は、出所しても、身元引受人となってくれる家族や親族もなく、住むところもなく、職も見つからず、本当に行き場がなく、仕方なくまた犯罪に手を染めて、刑務所に戻ってきてしまう人がほとんどなのだそうです。
この本の著者、山本譲司氏は、元々旧民主党の衆議院議員でした。ところが、2000年に秘書給与搾取事件を起こし、一審で実刑判決を受けて、約1年半服役しました。
その時の経験を元に書いた「獄窓記」が話題になり、様々な賞を受賞し、映画化されて放映されたこともありました。今回ご紹介するこの本も、この時の経験が元になっています。
刑務所の実態を知ってショックを受けた氏は、自分のことを大いに反省し、出所後は、これらの行き場のない障がい者や高齢者の人たちを助けるための仕事に従事します。
罪に問われた障がい者たちの問題を社会に提起し、NPO法人、更生保護法人など次々と支援団体を立ち上げました。
そして、現在でも高齢受刑者や障害のある受刑者の社会復帰支援に取り組むため、厚生労働省や法務省との橋渡し的な役割を担っています。
そこで、この本を読んで、僕なりに思ったことを簡単にご紹介したいと思います。

165ページにコンパクトにまとめられています。
でも、内容は濃厚です。
1⃣ 刑務所と福祉施設の逆転現象
この本を読んで、意外だったのは、刑務所は意外と極悪非道の厳しい所ではないということです。地獄にいる鬼のごとく、入所者をビシビシしごくというわけではなく、きちんと入所者の立場を考えてくれ、刑務官の方々は、決していろいろなことを無理強いすることはなく、個人の考えを尊重している面が多いそうです。
ところが、福祉施設の方が管理主義的な所が多いのだそうです。特にお金目当ての福祉施設に限って、効率的に管理しようとする傾向が強く、厳しいルールで入所者をがんじがらめにしようとする傾向が強いのだそうです。
よって、刑務所の出所者は、福祉施設に行くことを10人中9人は断るのだそうです。「福祉に行ったら無期懲役だ」こんな風に言う人が非常に多いのだそうです。
刑務所側が福祉施設のやり方を学ぶために研修に行くことが多いそうですが、山本譲司氏が言ったように、福祉施設側が刑務所に研修に行った方が良いのかもしれません。
2⃣ 犯罪者にお金をかけるのはもったいない
僕自身、犯罪を犯した受刑者には偏見を持っていました。刑務所に収容されるのにもお金はかかるけど、こんな人たちのために血税をたくさん使うのはどうなんだろう、と思うことさえありました。
しかし、山本譲司氏は、本書で言っています。
罪を犯した受刑者にとって、「生き直し」をスタートさせる刑務所こそ重要な所であり、出所して社会に戻る時に支援する更生保護にもっと予算をかければ、再犯を大幅に減らせる。
しかし、世間はマスメディアも含めて、先の僕の見解と同じように偏見を持っており、受刑者のための予算なんて増やすことは出来ないと考える人が大多数です。
そこで、山本譲二氏はこう言います。
「こうした感覚こそ、刑務所で使われる経費を引き上げる結果につながっているんだと思う」
僕たち国民にとって、最も必要なのは、これらの人たちが出所した後に、いかにきちんと更生できて、再犯を犯さず、安全な社会を維持できるかということだと思います。
「犯罪者にお金をかけるのはもったいない」と言えば言うほど、再犯は減らないし、刑務所にかかるお金だった増えていき、結局何も解決しないのだということなのです。
3⃣ 自己責任とは
「自己責任」という言葉が幅を利かせて、20年近くが経ちました。
初めのうちは、僕も「自分のやったことに対して、自分で責任を持つということはごく当たり前のことだよな」と考え、この言葉を支持していました。
しかし、今は違います。
この「自己責任」という言葉は、権力者が使う都合の良い言葉だと知ったからです。
結局、弱い立場の人たち、異質な人たちを切り捨てて、権力者たちが都合の良いように社会を操作しようとしているだけだったのです。
うつ病などの精神疾患にかかったのも「自己責任」、難病にかかったのも「自己責任」、障害になった人たちまで「自己責任」などという人たちもいます。
同じように、罪を犯した人たちの事情を無視して、「悪い人」と切り捨てる空気は、この延長線上にあると、山本譲司氏は言っています。
「(前略)罪を犯した人の多くは、人生のほとんどを被害者として生きてきている。身体や知能にハンディキャップがある、あるいは家庭が貧しくて、十分な教育や愛情を受けられずに育った人がとても多い。(中略)周囲の支援がとぼしくて孤立すると、犯罪に至るリスクは高まる。犯罪は犯罪者の「自己責任」で、本人だけが悪いみたいに思われているけれど、社会にも責任の一端があるんじゃないだろうか。」
そして、山本譲司氏はこう続けるのです。
「被害者の心情を想像して、加害者をバッシングするだけで、安心して暮らせる世の中になるのか?そう自問自答することから社会は変わっていく」
長くなりましたので、続きは次回のブログで!