肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

海援隊50周年ハイブリッドコンサート日本橋三井ホール20230401 その7

先日2023年4月1日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊のライブを初めて観に行ってきました。

今回もライブの第2部の終盤のもようをお伝えします。

 

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再び「幸福の黄色いハンカチ」のロケのエピソードが始まりました。

武田鉄矢氏は言いました。

自分の名前が全国区になったのは、確かに「3年B組金八先生」だと。

しかし、その原点となったのは、やっぱり「幸福の黄色いハンカチ」だったのだそうです。

3年B組金八先生」の最終回で、一人一人生徒を呼び出して、その生徒の想い出を語るという有名なシーンがありますが、あれは「幸福の黄色いハンカチ」ひいては山田洋次監督から教えられた様々な教えがヒントだったのだそうです。

 

そして、忘れ難きは、日本を代表する高倉健氏だったそうです。

この映画は順撮りで、最後に高倉健氏扮する島勇作が、元妻が住む夕張の家に帰っていくというシーンで終わり、撮影が終了するという段取りでした。

山田洋次監督としては、スッキリと晴れた快晴の青空のもと、元妻の家の鯉のぼりの竿にたくさんの黄色いハンカチが風にはためくシーンで終わりたいと考えていました。

しかし、なかなか監督が狙うスッキリと晴れ渡る日が訪れず、有珠山の噴火などもあり、何日も何日も待たされたそうです。

高倉健氏は、演技の気持ちが切れないようにするため、監督から中止というアナウンスが無い限り、とても寒い中、元妻の家に帰る前に立っている場所に、ずっと立ちっぱなしだったそうです。

一方、武田鉄矢氏と桃井かおり氏はカメラの切り替えで映るため、外の現場にいなくても良いということで、近くの温かい部屋でずっと待っていたのですが、毎日毎日黄色いハンカチを見ていたため、感動も何もなくなってしまったのだそうです。

 

そして、数日後、午後になって、急に監督の狙っていた澄み渡る青空と、風にはためく黄色いハンカチが実現し、本番の撮影をすることとなりました。

しかし、何度も黄色いハンカチを見過ぎていたため、武田鉄矢氏は涙を流さなくてはいけないシーンのところ、涙が全く出ず、とても困ってしまったのだそうです。

ところが、山田洋次監督はそういうところは優しい人で、それを察して、

「無理して泣かなくてもいいよ。涙が自由自在に出ることが俳優の条件みたいに自慢する人がいるが、あれは嘘だ。ちょこっと涙が光ればいいんだ。」

と言ってくれたそうです。

一方、桃井かおり氏はさすがにプロで、しっかりと涙を流してキレイに合わせていました。

 

山田洋次監督と高倉健氏は、武田鉄矢氏にとっての「人生の師」のような存在であることが、よく伝わったトークでした。

 

そんな中、高倉健氏が歩き出して、振り返り、ゆっくりと手を差し伸べて、こう言いました。

「これでお前たちともお別れだな・・東京へ帰っても身体に気を付けてしっかりと暮らすんだぞ」

この言葉を聞き、握手をして、さすがに武田鉄矢氏はボロボロと涙を流したのだそうです。

高倉健氏という人は、そんなことをしてくれる、とてもやさしい俳優だったのだそうです。

「私くし今日あるは、この人たちのおかげです。山田洋次監督と高倉健さん」

「そして、ライバルになってくれた桃井かおりとの日々は、わが青春の宝でございます。」

「『幸福の黄色いハンカチ』のロケが全て終わった後、台本の裏に感想を書きました。『山の子が初めて海を見たような出逢いがありました』山田洋次監督と高倉健、まるで海のような人たちでありました」

「あの出来事があったころからこそ、(3年B組金八先生の)15歳の共演者たちに、思いっきり気持ちの良い想い出を残してやろう、と思い、あの有名な生徒一人ずつを呼び出して、一人ずつに想い出を語ってあげるシーンが生まれました」

「僕の役者人生は、あの『幸福の黄色いハンカチ』から始まりました。そして、会場の若い人たちに『頑張ってください』という気持ちを込めて、最後の歌のこの歌を送ります」

そして、最後の曲となった「新しい人へ」の演奏が始まりました。

 

演奏が終わり、武田鉄矢氏は盛大な声援を背に受けながら、メンバーと共にステージを去っていきました。

 

武田鉄矢氏にとって、「幸福の黄色いハンカチ」が、長い役者人生の原点だったのですね!

 

しばらくして3人そろって、ステージに現れ、感極まった感じで、武田鉄矢氏のスピーチが始まりました。

最近、メンバー3人でいろいろと話し合ったのだそうです。

もう年齢も年齢であり、ここから先は運に任せていこうと。

そして、いつまでも新しい曲を作って挑戦し続ける姿勢は持っていようと。

老いていくことを否定するのではなく、肯定し、「奥の細道」ならぬ「フォークの細道」を極めていきたいとのことでした。

そして、こう言いました。

「今がいちばん3人の仲が良いです」

「若い元気な時は揉めるものなんですけど、物に掴まって歩くようになると、他人の手の有難さがわかるようになるものです」

「きっとこの50年間でいちばん3人の仲が良い時期になったと思っています。50年間メンバーを変えずにやってきたのは、自分たちの他にはアルフィーくらいしかいないんじゃないか、と思っています。」

「キャリアではビートルズに勝ったと思っています。ヒット曲と音楽性では負けますけど。」

「自分たちのキャリアが他の同級生(シンガー)たちとかなり違うことはわかっています。そのことは私がお芝居をやっていこうと決心した時から始まっています。」

「人の心を演じる役者をやりながら、歌も歌っていく。周りにはそういう人が一人もいない。でも、それがオレたちらしい、生きがいのように感じて生きてきました。」

 

そのような思いを歌にした「誰もいないからそこを歩く」をアンコールの最後の曲として、歌い始めました。

夜汽車の走る効果音に合わせた、自分たちの生き方を誇りに思うという内容の歌詞で、50年間紆余曲折を経て、生き残ってきた海援隊のメンバーたちの生き様を表していました。

演奏が終わり、3人深々とお辞儀をして、挨拶をして、ちぎれんばかりに手を振りながら、ステージを後にしたのでした。

 

武田鉄矢氏の長いトークが多く、しかも内容が濃くて、とても面白いため、7回にわたる長い連載となってしまいました。

ツアーはこれからも続いていくようで、僕と妻はこんどは9月2日の関内ホールで行われるライブにも観に行くことになりました。

僕は決して海援隊のファンではなかったのですが、このライブを観に行って、武田鉄矢氏ひいては海援隊の大ファンになってしまいました。

皆様もご興味がありましたら、ぜひ観に行ってみてはいかがでしょうか。

 

 

海援隊50周年ハイブリッドコンサート日本橋三井ホール20230401 その6

先日2023年4月1日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊のライブを初めて観に行ってきました。

今回はライブの第2部の終盤のもようをお伝えします。

 

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大ヒット曲「思えば遠くへ来たもんだ」の演奏の演奏が終わり、武田鉄矢氏は「この曲を作った時は、『故郷を出てきて3年目』と歌っていたのですが、今はもう『故郷を出てきて50年目』になったんですね・・・」としみじみと語っていました。

 

そして、再び「幸福の黄色いハンカチ」のロケの話になりました。

武田鉄矢氏は、山田洋次監督と高倉健氏には、本当に感謝しているようで、人間としてとても尊敬しているようでした。

「あんたが大将」を卑屈になってふてくされて歌っていた中、山田洋次監督が映画の準主役に抜擢してくれて、何とか芸能界での立ち位置を持つことが出来て、今日まで生きていくことが出来たとしみじみと語っていました。

 

また、山田洋次監督の人間としての品格の良さに関するエピソードも語っていました。

北海道の様々な場所でロケを行うと、地元の人たちが差し入れをしてくれるのだそうです。すると、山田洋次監督は必ず深々と頭を下げて「ありがとうございます」と感謝の意を示すのだそうです。

 

武田鉄矢氏が「3年B組金八先生」のロケで多忙を極めていたころ、山田洋次監督と会う機会があったそうです。

「君は今とても忙しいんだろう?」との山田洋次監督の言葉に、「はい」と返すと、こう言ったそうです。

「でもね・・人間はさあ、忙しい時にどれだけ勉強するかで値打ちが決まっちゃうんじゃないかな‥」

と答えたのだそうです。

今でも武田鉄矢氏の座右の銘にしているのだそうです。

 

そして、仲の良い夫婦が年を取って、懸命に田畑を耕している姿を歌にした「エデンを遠く離れて」の演奏が始まりました。

 

武田鉄矢氏にとって、山田洋次監督は芸能界のスターダムに押し上げてくれた恩人だったのでしょう。

 

曲が終わり、若い男女が愛し合う姿も良いけれど、年を取った夫婦がよろめきながら肩を寄せ合って歩く姿の良さを、古希をとっくに過ぎた武田鉄矢氏がまたしみじみと語っていました。

 

翻って、武田鉄矢氏自身の妻ともこうやって仲良くやっていきたいのですが、「なかなかうまくいきません!」と言い放つ武田鉄矢氏に会場一同大爆笑となりました。

「激しい闘いのような日々が続いております。男女ってえのはそういうもんですな!」

と、本当に現実味を帯びた感じで話す姿に、また笑ってしまいました。

 

年を取ったせいか、よく物忘れをすることが多く、電気のスイッチを頻繁に消し忘れることが多くなり、この間も奥さんから「またコタツのスイッチ入れっぱなしよ」と暗ーい声で叱られたことを嘆いていました。

 

そこで、奥さんの気を引こうと、演劇風に「オレはダメかもしれない、ものすごい勢いで記憶力が落ちている、オマエの力が必要なんだ、オレには」と深刻な表情で言ったところ、奥さんはそれには意に介さず、「あんた若い時から忘れてるわよ」と簡単に言われ、ガックリしてしまったそうです。

 

このような笑いを取った後、再び「幸福の黄色いハンカチ」のロケのエピソードが始まるのでした。

海援隊50周年ハイブリッドコンサート日本橋三井ホール20230401 その5

先日2023年4月1日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊のライブを初めて観に行ってきました。

今回はライブの第2部のもようをお伝えします。

 

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武田鉄矢氏のお母さんのことを歌った、海援隊最初の大ヒット曲「母に捧げるバラード」の演奏が終わり、再び武田鉄矢氏の面白くも長いトークが始まりました。

 

今度は、武田鉄矢氏が高校生だった頃の個性的で面白い友達のエピソードとなりました。

いろいろな友達の素っ頓狂(すっとんきょう)というか、爆笑モノの話がたくさん飛び出しました。

例えば、英語の試験で、「This is a pen.を疑問文にしなさい」という問いに対し、「This is a pen か?」と書いたホンダくんという友達。

「私は今東京に住んでいます。という文章を過去形にしなさい」という英語の問題に対し、「拙者、昔、江戸におった」と書いた友達。

四文字熟語の問題で、「〇肉〇食」の穴埋めで、正解は「弱肉強食」のところ、「焼肉定食」と書いたイトウくんというハンドボール部のキーパーだった友達。

「間違ってはいないのだから、せめて△をくれ」とねばったそうです。

そのイトウくんは、日本史の問題で、「板垣退助自由民権運動の演説中に日本刀で切り付けられた際に、発した言葉は何か?」という問題で、正解は「板垣死すとも自由は死せず」ですが、腹を刺された瞬間の言葉として、「ウグッ!」と書いたそうです。

 

コンサートも大詰め、第2部のハイライトともいうべきところで、長くも面白い武田鉄矢氏の爆笑トークが始まるのでした。

 

これらだけでも爆笑モノでしたが、次の話はさらに会場を爆笑させました。

日本史の授業で、先生が熱意あふれる調子で、戦国時代の話をしていました。

試験に出るところを一所懸命エキサイトして話をしているにもかかわらず、一番前の席の佐藤君という友達は突っ伏して寝ていたそうです。

それを見た先生は、怒り心頭に発し、叩き起こして、立たせ、「おい、お前に聞こう!答えられぬはずは無かろう!本能寺焼いたのは誰だ?おい!本能寺焼いたのは誰だ?答えてみろ!」と佐藤君に詰め寄りました。

ボーっとして立ち上がり、「ウグッ!」と何か言いかけたのにもかかわらず、「本能寺を焼いたのは誰なんだ?!」と叫んだ先生に対して、佐藤君が叫び返した言葉。

「オ・オレじゃあ、ありません!!」

彼は次の日から学校に来なくなってしまいました。

先生は責任を感じたのか、心配になり、数日後、佐藤君の家に電話をしたのでした。

すると、お母さんが出たので、先生は言いました。

「先日、日本史の授業の時にですね。『本能寺を焼いたのは誰か?』と聞いたところ、『オレじゃあ、ありません!』と答えたんですけど、オタクのお子さん、何か勉強に集中できないことがあったのですかね?」

お母さんは泣き出し、その後言った言葉。

「先生、いくらくらい弁償したらいいのでしょうか?」

その後、授業の時に先生が言った言葉。

「いいか、覚えとけよ!佐藤んちはお母さんもバカたい!」

 

会場が大爆笑の中、観客の一人の若い女性に、「おじょうさん、こんな話したけど、面白い?」と聞いた後、「それでは、学校一のガリ勉・秀才の林トオル君の話をしてあげよう。」と言って、再び旧友の話になりました。

学校一の秀才の林君は、全校で5位以下に落ちたことがなく、名うての秀才であり、「林君、映画観に行こうよ」と誘っても、「勉強たい!」、「ビートルズが来るから観に行こうよ」と誘っても、「勉強たい!」と言い返す、勉強命の生徒でした。

その後、やっぱり福岡でも有数の進学校に行ったのだそうです。

それから50年ほどの歳月が流れ、福岡の商店街を歩いていると、スーパーの前で野菜のたたき売りをしている汚れたエプロン姿の林君と偶然出くわしたのだそうです。

「ああ、あれほど頭の良かった林君も、何か人生につまづいて、パートで野菜のたたき売りなんかしているんだ・・・」ととても不憫になり、気づかれないよう、その前を通り過ぎようとしたとき、ふとこの言葉を耳にしました。

林君は武田鉄矢氏には気づかず、無我夢中でこう叫んでいました。

「勉強しますよ!勉強しますよ!」

 

「昔は、モノの値段を安くすることを『勉強しますよ』と言っていたのです。」

「全部説明すると、面白くもなんともないですよね!」

と、自虐ギャグをかます武田鉄矢氏でした。

 

そんな面白いトークを続けた後、大ヒット曲「思えば遠くへ来たもんだ」の演奏が始まるのでした。

 

(次回に続く)

 

 

50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey 20230513 その4

ユーミンの「50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey」を観に行きました。

今回は後半のアンコールのもようをお伝えします。

 

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ライブ本編が終わって、ユーミンとメンバーたちがステージを去った後、観客席よりいつものように激しいアンコールの拍手が巻き起こり、しばらくして、ユーミンたちがステージに戻ってきました。

 

そして、ユーミンがにこやかな笑顔で深くお辞儀をして、1981年の大ヒット曲「守ってあげたい」の演奏が始まりました。

中学生の頃に大ヒットしたこの曲は、角川映画ねらわれた学園」の主題歌で、おそらくこの曲がユーミンとの出会いとなったと思います。

当時とは、ユーミンのボーカルのキーは違いますが、きちんと安定したボーカルで歌い上げ、1981年当時の想い出がかすかによみがえってきました。

 

続いて、始まったのは、荒井由実時代の永遠の名曲「やさしさに包まれたなら」。

「守ってあげたい」をきっかけに、荒井由実時代のアルバムを聴き始めたのですが、この「やさしさに包まれたなら」を初めて聴いた時は、雷のようなスゴイ衝撃を受けました。

 

その後、先ほども現れた、ステージ上方の、大きな半透明の円柱状のカーテンの部分に、桜の花びらが無数に映し出され、春爛漫の雰囲気のもと、ピアノの武部聡志氏が「心のまま」の伴奏をワンフレーズ弾いたかと思うと、1994年のおなじみの大ヒット曲「春よ来い」が演奏されました。

観客の右手に付けられたライトが一斉に桜色に光り出し、会場の雰囲気が一体となった感じがしました。

 

ぴあアリーナMMは、変わったレイアウトになっていて、会場を出ると、すぐに建物外側に出てしまいます。
ロビー内でグッズが販売されず、建物外側の地上の奥の方の関係者通用口や機材等搬入口をふさいだ形で、ガレージセールのような形態で販売されていました。非常にわかりにくい場所なので、注意が必要です。

 

その後、ドラムの小田原豊氏、ピアノの武部聡志氏から順番に、ユーミンによるメンバー紹介が始まりました。

毎回ユーミンは、メンバーのフルネームと担当楽器を言うのですが、よくもまあ間違えずに全員の名前を覚えられるものです。

若い頃から睡眠時間はかなり少なかったそうで、脳には悪影響があったはずですが、このあたりはよくわからず、ユーミンは「超人」なのではないか?といつも思っています。

そして、メンバー全員とステージの前方に出てきて、肩を組み、みんなで深々とお辞儀をして、大きく手を振り、ステージを後にしました。

 

ステージが明るくなり、ライブ終了のアナウンスが流れ、ああ、これで終わったなあと思って、帰ろうとしました。

すると、なんとアリーナ客席の入口から、またユーミン武部聡志氏が現れるではないですか!

この時点で、ユーミンが再登場したとは知らずに帰ってしまった観客が結構いました。

 

今回のツアーグッズ一覧です。
前回も売っていた「桃里庵の桃ピューレ」がありましたが、
大人気なようで、すぐに売り切れてしまいました。
残念・・・T_T

 

再びステージに上がり、ユーミンは感激して涙ぐんでいたようで、深々とお辞儀をして、荒井由実時代の名曲「瞳を閉じて」を、武部聡志氏のピアノの伴奏で歌い上げました。

そして、武部聡志氏と共に深々とお辞儀をして、大きく手を振り、またアリーナ客席の出入口から退場して行きました。

 

ツアーパンフレットは、ユーミンのデビュー当時から現在までのライブ・ヒストリーが、写真をふんだんに取り入れながら、詳細に書かれていました。
表紙や装丁がとても立派で素材が良く、しっかり作られており、これで3,500円はコストパフォーマンスは高いと思います。

 

「50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey」の初日ライブに参加しましたが、とても素晴らしいライブだったと思います。

やはり、今回のライブの印象としては、ロシア人ダンサーを使った激しくも素晴らしかった「シャングリラ」、そして、前回の「深海の街」ツアーの続編というような雰囲気でした。

 

そして、昨年2022年に発売したデビュー50周年記念のベスト盤「ユーミン万歳!」からのベストセレクション的な選曲かと思っていたのですが、予想に反して、「ユーミン万歳!」に入っていない曲が大半で、あまりメジャーでなく、あまりライブで聞いたことがない曲が多かったのが、意外でした。

でも、とても選曲のセンスは良かったと思います。

さすがは、松任谷正隆氏の、素晴らしいプロデュースだと感じました。

 

そして、何よりも、今回の演出は、ユーミンなりの現政権や世界情勢に対する懸念を表明したメッセージのようなものを感じました。

ライブ本編の最後のユーミンのMCを最後にお送りします。

「集団心理は海のようです。コントロール不能だと感じます。それでも未来は良くなると願っています。人間の知性を信じています。」

 

ツアーTシャツ(3,500円)は、素材と縫製が良く、インディゴブルーのカラーの色合いがとても良く、オススメです。
右は不織布バッグ(300円)で、グッズを持ち帰る時に利用すると便利だと思います。

 

 

50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey 20230513 その3

ユーミンの「50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey」を観に行きました。

今回は後半の最後の方のもようをお伝えします。

 

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再びある新米の乗組員が書いたという設定の日記帳を見ながら、朗読が始まりました。

朗読が終わると、1983年リリース「REINCARNATION」収録のアップテンポのノリノリのナンバー「星空の誘惑」が始まりました。

この曲は中学生の時に初めて聴きましたが、当時のいかにも80年代のユーミンという感じで、キラキラしてワクワクするメロディとアレンジが冴え渡り、大好きでした。

曲の途中で、またあの大きな龍が現れ、今度は龍の頭の上にはギタリストの遠山氏(たぶん)が乗っていました。

今度も、龍は激しく波打ちながら泳いでいるようで、口から火を噴いており、それがさらにステージを盛り上げていました。

 

続いて、ライブではおなじみの名曲「埠頭を渡る風」、そして船の側面から火が噴き上がり、照明がステージを怪しく赤く染め、たくさんのダンサーがステージに登場し、1993年の大ヒット曲「真夏の夜の夢」の演奏が始まりました。

ステージでユーミンが歌う中、その周りをダンサーたちがバク転をしたりして激しいダンスを繰り広げ、とてもエキサイティングでした。

よくまあ、あの狭いステージの上で、互いにぶつかることなく、うまくやっているなあ、と感心しました。

自分の周りをダンサーたちが激しく踊り続け、宙を飛び交い、ユーミンはよく平常心で歌えるなあ、と感心しました。

 

ユーミンのCD・DVD・Blu-rayなど1枚購入すると、先着で「ユーミンオリジナルデータブック(2023年版)もしくは「ユーミン万歳・オリジナル手提げ袋」がもらえるとのことでした。僕はユーミンの作品は全て持っていて、迷っているうちに、買いそびれてしまいました・・・

 

このエキサイティングな曲が終わると、一転して、波の静かな音が奏でられ、先ほどまで激しく踊っていたダンサーたちやプレーヤーたちが、船の乗組員に扮して、目的地が近づいていることを喜び合っている演技をしていました。

そして、このセットにふさわしい名曲「航海日誌」の演奏が始まりました。

とても、このステージの筋書きにも合っていて、素晴らしい演出だと思います。

 

曲が終わり、ユーミンがつぶやくように話し始めました。

「集団心理は海のようです。コントロール不能だと感じます。それでも未来は良くなると願っています。人間の知性を信じています。」

とても印象的なMCでした。

日本の現政権と現状に対するユーミンなりの懸念を表明していたように感じられました。

そして、会場に手を振り、メンバーと共にステージを去っていったのでした。

 

この続きは次回のブログで!

 

 

50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey 20230513 その2

ユーミンの「50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey」を観に行きました。

今回は後半のもようをお伝えします。

 

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「あの日に帰りたい」が終わり、再びある新米の乗組員が書いたという設定の日記帳を見ながら、朗読を始めました。

 

朗読が終わると、聴いたことがない曲が演奏されました。

70年代あたりのユーミンのバラードの雰囲気で、「航海日誌」にも通ずる、とても印象的な曲でした。

後から調べて、1979年リリースの「悲しいほどお天気」収録の「さまよいの果て波は寄せる」という曲だということがわかりました。

 

オープニング曲で良く演奏されていた「セイレーン」、この新緑の季節にピッタリな「Blue Planet」と続き、1995年リリース「KATHMANDU」収録の「Delphine」が演奏されました。

僕が参加したライブでは演奏されたことが無い、珍しい曲ですが、とても気だるいアンニュイな感じが心地良い曲でした。

船の甲板を模したユーミンの歌うステージから、グリーンの光線が四方八方に広がっていき、それが雲のような感じを醸し出し、ステージのユーミンの元へ直ぐにでも歩いて行けそうな錯覚を持ちました。

大きな風船状のイルカのフィギュアが2頭、客席の上を、上下に揺れながら漂っていき、曲の気だるいアンニュイさとの相乗効果で、とても幻想的な雰囲気を醸し出していました。

 

今回のセットもなかなか豪華で凝っています。

 

そして、雰囲気は一転、「LOVE WARS」「Now Is On」とストレートなロック調の激しいナンバーが続きます。

ギタリストの遠山氏とサックス奏者の小林氏がステージの前面に出てきて、激しく演奏し、ジミ・ヘンドリックスのような背中でギターを弾くようなパフォーマンスを見せてくれました。

「Now Is On」では、後半のラップの部分で、コーラスの今井氏が出てきて、流暢なラップのボーカルを繰り広げてくれました。

ユーミンと掛け合う中で、早口なのであまり聞き取れなかったのですが、最近の政府の戦争に対するスタンスを皮肉った言葉が所々あったように感じました。

先ほども現れた、ステージ上方の、大きな半透明の円柱状のカーテンの部分に、無数の戦闘機が爆弾を落とすアニメーションなどが映し出され、「あー、これはユーミンなりのメッセージなのかな?」と感じました。

 

そして、再びある新米の乗組員が書いたという設定の日記帳を見ながら、朗読が始まりました。

 

この続きは、また次回のブログで!

 

50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey 20230513 その1

ユーミンの「50th Anniversary 松任谷由実コンサートツアー The Journey」を観に行きました。

ツアー初日を観に行くのは初めてで、ワクワクしていました。

 

会場に入り、席に座ると、目の前には、大きな海賊船のセットがドンと控えていました。

「The Journey」にふさわしいセットだと感じました。

 

開始時刻の18時半となり、照明が落とされ、定刻通りライブは始まりました。

ツアーが始まったばかりで、これから観に行く人にはネタバレとなってしまうので、ご注意ください。

 

会場に入ると、大きな海賊船のセットがドカッと控えていました。
これを見て、これからどんなステージが繰り広げられるのだろう、とワクワクしました。
スタンド2階席でしたが、ユーミンやメンバーの姿がよく見えました。

 

ユーミンとメンバーたちが会場の四方から入場し、海賊船に乗り込んで、甲板を模したステージの所定の位置に着きました。

ユーミンとメンバーたちは、それぞれ海賊の衣装をまとっていて、ユーミンはキャプテンの帽子と衣装を着ていました。

メンバーたちは、リアルさを醸し出すため、薄汚れた雰囲気のメークを顔に施していました。

セットと衣装を鑑みると、前回の「深海の街」ツアーの続編というような雰囲気でした。(「深海の街」ツアーは、セットは「潜水艦」でしたね)

 

そして、始まったのは、1983年リリース「REINCARNATION」収録のさわやかなナンバー「心のまま」。

その後、不穏なイントロが流れ、始まったのはライブではおなじみ「WANDERERS」。

船の側面や甲板から、激しく火が吹き出す中、ダンサーたちが「シャングリラ」のように上から吊り下げられたロープを使いながら激しく踊り、いきなり度肝を抜かれました。

火が激しく吹き出した時は、火の高温が直接肌に感じられました。

 

そして、激しいロック調の「リフレインが叫んでる」の後、ユーミンのMCとなりました。

今回のライブは、「新米の乗組員」の立場で、ステージを組み立てたとのことでした。

「私はいつまでも新米の乗組員のような心持でやっていきたいと思っています」

そして、片隅に置いてあった、ある新米の乗組員が書いたという設定の日記帳を見ながら、朗読を始めました。

これはこの後、数曲を歌った後に1回というタームで、2回行われました。

 

横浜みなとみらいの「ぴあアリーナMM」というコンサート会場は、ロビー内でグッズが販売されず、建物外側の地上の奥の方の関係者通用口や機材等搬入口をふさいだ形で、ガレージセールのような形態で販売されていました。非常にわかりにくい場所なので、注意が必要です。

 

朗読の後、ライブのオープニングとして、よく歌われているさわやかな曲調の「ただわけもなく」を歌い上げ、次の「満月のフォーチュン」では、またメンバーの激しいダンスと、火が舞い上がる激しいパフォーマンスが繰り広げられます。

度肝を抜いたのは、大きな龍が現れ、龍の頭の上にユーミンが乗っていたことです。

そして、龍は激しく波打ちながら泳いでいるようで、口から火を噴いていました。

 

その後、ユーミンやメンバーたちがいつの間にか消え失せて、一転して静かになりました。

そして、ステージ上方から、大きな半透明の円柱状のカーテンが降りてきて、いつのまにかその中央に、ユーミンが寝そべったような体勢で、現れました。

そして、アンニュイなイントロと共に、あまりライブでは歌われたことの無い、1983年リリース「VOYAGER」収録の「TYPHOON」の演奏が始まりました。

台風の目の中に入ったような、ゆっくりとした静かな雰囲気の演奏に合わせて、ユーミンが気だるいアンニュイな感じで歌うのが、とても癒された感じで良かったです。

その後、寝そべったユーミンが起きだして、再び同じセットと衣装で、「青いエアメール」を緩やかに歌い上げました。

そして、これもあまりライブでは歌われない「紅雀」、そして往年の名曲「あの日に帰りたい」を緩やかなボサノヴァ調の雰囲気で歌い、会場は先ほどとは打って変わって、穏やかなアコースティックな雰囲気となりました。

 

その後、再びある新米の乗組員が書いたという設定の日記帳を見ながら、朗読を始めました。

 

長くなりますので、後半は次回のブログでご報告します。

 

今回のライブの印象ですが、ロシア人ダンサーを使った激しくも素晴らしかった「シャングリラ」、そして、前回の「深海の街」ツアーの続編というような雰囲気でした。

 

そして、昨年2022年に発売したデビュー50周年記念のベスト盤「ユーミン万歳!」からのベストセレクション的な選曲かと思っていたのですが、予想に反して、「ユーミン万歳!」に入っていない曲が大半で、あまりメジャーでなく、あまりライブで聞いたことがない曲が多かったのが、意外でした。

でも、とても選曲のセンスは良かったと思います。

さすがは、松任谷正隆氏の、素晴らしいプロデュースだと感じました。

 

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