肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

休職中の生活 その3

休職後2回目の精神科受診が終わりました。

その後の生活について、簡単にお話したいと思います。

 

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2回目の精神科受診では、主治医のK先生は僕のこの1ヶ月くらいの生活状況を聞いて、毎日しっかり日記を書いたり散歩をしたりして、ルーティンを着実にこなしているので、そんなに心配ないだろうと思ったらしく、ちょっと安心している感じでした。

僕自身も特別にメンタルや身体の調子を崩すことも無く(まあ日々波があり、ちょこちょこ調子を崩すことはありますが)、まあ特に大きな波乱は無く過ごしている状況でした。

 

ただ、2回目の精神科受診以降の約1ヶ月間、誕生日を迎えたり、QUEEN+ADAM LAMBERT東京ドームライブに行ったりと、楽しいことは結構あったのですが、体調を崩したり、メンタルの不調が発生しがちな約1ヶ月間でした。

「楽しいこともストレスになる」と、精神科医で作家の樺沢紫苑氏も言っていましたが、やっぱり楽しいことは楽しいこととして、エネルギーは相応に消耗するので、QUEEN+ADAM LAMBERT東京ドームライブの後すぐに単純ヘルペス帯状疱疹のようなもの)を患ってしまいました。

15年ほど前に末期ガンを患ってから、免疫力の低下とともに頻発するようになり、左側のお尻の真ん中に必ずできるようになりました。

だんだん頻度は減ってきましたが、いろいろと疲れてくると、出てきます。

今回やっぱり出てきてしまい、これは膨らんでくると、患部が痛痒い状況が続き、何かに集中することも困難になり、結構ツラいものです。

約1週間ほど苦しめられました。

 

それが治ってきたと思ったら、今度は突然ひどい腰痛と、下腹部の痛みに襲われるようになりました。

2月末に坂本龍一トリビュート展と辻仁成氏の絵画展に行ってきましたが、その時があいにく症状のピークの時期に当たってしまい、かなり苦しい思いをしながら、両方の展示会に参加しました。

ただ、これは毎日日記を書いたり、英語などの勉強をしたりする時の姿勢が悪かったのが蓄積して痛みが出現したようで、きちんと姿勢を正すようにしたら、すぐに治ってしまいました。

 

あと、メンタル的には、夕方の黄昏時になると、メンタルが急に落ちて、ものすごく憂鬱な気分になるという症状が出現しました。

この症状は適応障害を患う前から多少はあったのですが、2月になってから症状が激しくなってきました。

まあ、こんな感じで、この2月中旬から3月初旬までの約1ヶ月間は体調的にもメンタル的にもあまり良い状態とは言えず、不調な時期が続いていました。

 

そんな感じで過ごしているうちに、3月初旬のある日、人事部長からメールで連絡がありました。

休職してもうすぐ2ヶ月が経ちますが、現在の状況はどんな感じかということと、診断書に書かれていた休職の期限が3月16日だったので、もしまだ調子が悪くて復職できる状況でなければ、再度休職を継続する手続きが必要なので、診断書を送ってほしいとのことでした。

「ちょうど数日後の3月9日に主治医の診察があるので、その結果をもってまた連絡します」と、返信しました。

休職開始後、まったく会社側とのやり取りが無かったので、

「僕のその後の処遇はどうなるのだろうか?」

「復職しても、自分のポジションはまだあるのだろうか?」

などど、実はかなり不安で心配していました。

今回連絡があって、正直ちょっと安心しました。

 

次回は、3月9日の休職後3回目の精神科受診のことについて、お話したいと思います。

ゆるく生きれば楽になる~60歳からのテキトー生活 和田秀樹 その6

クソ真面目で完璧主義な僕にとって、ピッタリの本に出会いました。

前回からだいぶ期間が空いてしまいましたが、5つ目のポイントをご紹介いたします。

前回の続きです。

 

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5⃣ 仕事ができる人がうまくやる方法

和田氏がとても面白いことを紹介していたので、お話します。

知り合いの元官僚で、出世コースにいた人の話だそうです。

 

まずは、上司から仕事を振られた場合、その上司が出世の見込みがあるかどうかを見極め、出世しそうだと判断すれば、その上司が振ってきた仕事を一所懸命やり、出世しそうにない上司から振られた仕事についてはうまい口実を作って出来るだけやらないのだそうです。

「そんなこと出来るのかよ!」

と思われるでしょうが、それが出来るのだそうです。

出世する見込みのある上司から頼まれた仕事を一所懸命こなしていけば、その上司から「さすがだね!」と認められ、その上司からどんどん仕事が振られていき、いずれは引き立てられて、その上司と一緒に出世コースに乗ることが出来ます。

一方、出世する見込みがない上司から頼まれた仕事を一所懸命やったとしても、自分は出世コースに乗れるわけでもなく、報われることも無いので、無駄な労力と時間を費やすだけとなります。

なので、いったん放っておき、催促されたら、「申し訳ございません。私の能力が足りなくて、とても私の手には負えません」と謝っておけばよいとのことです。

そうすると、「しょうがないやつだな・・・」と言われて、その上司からは評価は下がるかもしれませんが、別の人にその仕事が回されて、自分はその仕事をしなくても済むわけです。

 

同じように、なるべく自分の得意な仕事だけに一所懸命取り組み、苦手な仕事は放っておくことだと言っています。

そうすると、こういう仕事をこの人に任せてもダメだと思われ、苦手な仕事は回ってこなくなり、一所懸命取り組んできた得意な仕事だけが回ってきて、それだけをやればよいことになります。

得意な仕事ですから、当然結果も良く、評価も高くなります。

 

和田氏はこの本全体を通して言っていますが、すべてのことを完璧にこなせる必要は無いと言っています。

特に中高年になってきたら、苦手な仕事を今更得意にしようと頑張ったとしてもなかなかうまくいかず、せいぜい並程度にしか上達しないと言っています。

それであれば、得意なことをさらに伸ばす方が効率が良く、さらに評価を高めることが出来る。

「そんなズルいこと、できるもんか!」

と思うような誠実で要領の悪い人たちは、大して出世しそうもない上司の元で振られた仕事に一所懸命になったり、苦手な仕事と毎晩遅くまで格闘したりした挙句、身体を壊したり、メンタル疾患になってしまうわけです。

 

 

とはいえ、なかなかそのようにうまくやることは難しいこともあるかと思いますが、次の和田氏の言葉が心に響きました。

「仕事にしても何にしても、すべてに100%の力を注いでいては潰れてしまいます。自分を苦しめることもなく、効率よくいい結果を出すことが出来るのは、うまい具合に手を抜けるゆるい人なのです」

 

次回は最もこの本の中で重要で、僕も最もご紹介したかったことをお伝えし、最後のまとめとしていきたいと思います。

 

 

 

休職中の2回目の精神科受診

今年(2024年)1月11日から休職生活に入り、約1ヶ月が経ち、精神科受診の時期となりました。

その時のお話をしたいと思います。

前回からの続きです。

 

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休職生活の始まった1月11日からの約1ヶ月間は、時期的にも本当に寒く、日も短く、気分的にうつになりがちで、積極的にどこかに行こうとか動いたりすることが本当に億劫でした。

ほぼ毎日家の中にいて、外に出るのは日課にしている散歩や買い物くらいでした。

しかし、そう言いながらも、日記などを読み返してみると、なんだかんだ言って、外出は定期的にしていました。

ただ、うつ病寸前の適応障害という状態なので、人の多い場所はとてもツラく、休日の混んでいるスーパーや、混んでいる電車などは気分的に本当にイヤで、心の中はかなり強い拒否反応を示していました。

でも、特別メンタルの調子を崩すことはありませんでした。

外出する時以外は、淡々と自分のやるべきことややりたいことをやっていました。

 

そのような中、2月10日に休職後2回目の精神科の診察を受けました。

約1ヶ月ぶりです。

この約1ヶ月の生活の状況を率直にK先生に話しました。

「この約1ヶ月間ですが、自分で決めたルーティンをきちんと淡々とやっていく毎日です」

「やっていることと言えば、起きてすぐに前日の日記を書いて、今の心の状況をつぶさに観察していろいろと考えたりします。それが終わると、オンラインで英語とフランス語の勉強、その後約30分から1時間くらいの散歩、あと妻の家事の手伝いを少々・・・」

すると、K先生はすかさずこう言いました。

「それはとても素晴らしいことだと思います。それだけこなせるのであれば問題無いです」

「今の状態でルーティンをきちんとこなせるのであれば、復職してからもきちんとやっていけると思います」

 

そして、僕はまた続けました。

「休職して最初の1週間くらいはかなり睡眠を取っていて、遅くまで寝ていました。以降、就寝時間・起床時間は休職前に比べて約1時間ほど後ろ倒しになっています」

K先生は答えました。

「ある程度後ろ倒しになっていくのは仕方ないと思います。睡眠に不安があるのであれば、一番弱い副作用の少ない睡眠薬を処方します」

 

ほぼ一番弱い種類の睡眠剤だそうで、副作用はほとんど無いのだそうです。

 

そして、僕はまた続けて別のことを話しました。

「あと、焦燥感というか、焦りがあって、何事もきちんとやらないと気が済まない傾向があります。自分自身で決めた一日のノルマが達成できないととても気分が悪くなります」

「そのような感じなので、緊張感をもって、きちんとやろうと思い過ぎていたせいか、突然息切れがして疲れてしまい、ダウンしてしまうことが最近何度かありました」

K先生は答えました。

「焦燥感や焦りが出てくるのは、ある意味仕方が無いことだと思います。真面目な性格から来るものだと思いますが、あまり自分自身をノルマでガチガチに縛りすぎるのは良くありません。もっと緩めた方が良いと思います」

「焦燥感や焦りが出てきたら、リーゼを飲んでください」

 

こうして、次回の診察はまた約1ヶ月後の3月9日となり、次回は次の診断書のことについて話し合いましょう、とのことでした。

前回書いてもらった診断書では、「・・・2024年3月16日までの休職期間を要する」と書いてもらったので、それ以降の診断書をどうするかということです。

K先生は、僕がすっかり良くなっているものと思っているようでした。

しかし、僕としてはこのまま3月16日以降に復職して本当に大丈夫なのだろうか、とうっすらと不安感に包まれていました。

 

(次回に続く)

 

 

 

休職中の生活 その2

休職後初めての精神科を受診しました。

その後の生活について、ざっとお話したいと思います。

 

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1月13日の精神科の受診が終わり、僕は本格的に休職生活に入りました。

主治医からも産業医からも、

「しばらく仕事から心身を解放して、『グダグダ・ダラダラ』してください」

「時間割を考えず、好きな事をやり、『~しなければならない』『~すべきである』という考えから自分を解放させてあげてください」

と言われていたので、特にこの期間何をするか、何をしなければならないか、など特に考えず、過ごそうと思いました。

 

僕はただでさえクソ真面目で完璧主義な性格なので、最低限の自分で決めたこと以外は特に何も考えず、心の赴くままダラダラしていようと思いました。

とりあえず、音楽が好きなので、片っ端から聴いてライナーノーツを読み込み、読書に傾倒しました。

精神科医で作家の樺沢紫苑氏の新刊の出版記念講演会の3時間以上にわたる動画を観て、勉強したりしました。

それ以外では、妻とランチを食べた後、ドラえもんのどこドラゲームやブロックスなどのボードゲームに熱中して楽しみました。

 

ずっと家に籠りっきりは良くないため、毎日散歩をしていましたが、2度ほど高尾山に行って登山(本格的な登山ではなく、ケーブルカーやリフトに乗って途上にある神社やお寺に参拝しました)をしたりしました。

適応障害のメンタル疾患中で、人の多い都心に出かけるのは、かなり気が進まないのですが(会社も都心にあるので)、元YMOで昨年亡くなった高橋幸宏氏のライブ映像を観に、109シネマズプレミアム新宿まで出かけたり、妻の病院に付き添うため電車に乗って都心の病院まで出かけました。

やはり久しぶりに人の多い都心に出かけて、混んでいる電車に乗るのは結構緊張して、かなり消耗しました。

「やっぱり、ダメだ・・・なるべく都心には行かないようにしよう・・・」

そう心に誓いました。

 

休職中のこの時期なのに、面倒くさいこともありました。

車検と車の保険の更新です。

一応、複数の会社で見積もりを取って検討しようと思いましたが、断念しました。

メンタルが弱っているこの時期に、こういう面倒くさい作業をするのは悪影響だし、前回車検をお願いしたお店や今入っている保険会社で特に支障は無かったので、同じところでお願いしました。

毎年医療費が多くかかるので、確定申告をしているのですが、これも面倒くさいので、3月15日のギリギリまで様子を見ることにしました。

 

まあ、1月から2月の時期は一年で最も寒く、まだまだ日も短くてすぐに暗くなってしまうので、気持ち的にもうつになりやすく、なるべく冬眠しているように静かに過ごすようにしていました。

 

次回は休職中2回目の精神科の診察について、お話したいと思います。

 

休職後初めての精神科受診

今年1月11日より休職生活に入りました。

前回からの続きです。

 

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休職生活に入って間もない1月13日に休職後初めての精神科受診がありました。

今年に入ってからも初めてで、前回の診察から約1ヶ月位以上ぶりとなり、互いに新年の挨拶を交わして、前回からの経緯を説明しました。

K先生は静かに傾聴し、やがて僕の話が終わると、静かに話し始めました。

「会社の産業医がおっしゃった通り、やはりしばらく休むことは必要だと思います」

そして、念を押すようにこう告げられました。

「ただ、これだけは注意していただきたいと思います」

「『昼夜逆転』の生活だけは絶対に避けてください。夜はきちんと眠ることが回復を進める重要な手段となります」

「それ以外は特に何をしても構いません。ご自身の負担にならない形でゆっくり過ごしてください」

若い頃でしたら、おそらく調子に乗ってテレビや映画などを観たり、ゲームをやったりして昼夜逆転になっていたでしょうが、この歳になり、健康上いろいろと痛い目に遭ってきたので、昼夜逆転にならない自信はありましたし、実際年末年始休暇の時から寝る時間と起きる時間は遅くなってしまったにせよ、昼夜逆転にはなっていませんでした。

 

そして、K先生はこう続けました。

「処方した薬に関してはどうですか?」

「不安時の時のために処方していただいたリーゼについては、家にいる時はほとんど飲んでいません。出勤時だけですね」

「そうですか、それであれば、これ以上の処方が必要無いですね」

「ただ、今後どのような状況になるかわからないので、一応少しは処方をお願いしたいと思います」

「わかりました。それでは10日分だけ処方しておきましょう」

 

「あと、気になることはありますか?」

「ええ、家にいる時は特に問題ないのですが、外出する時に人ごみに遭遇するとかなりイライラすることが多いです」

「それであれば、今処方している漢方薬の抑肝散はイライラにはけっこう有効なので、これまで通り30日分処方しましょう」

そして、先生はこう続けました。

「とにかく、ゆっくり静養されて、ご自分でリフレッシュできたと感じたタイミングで復職することで良いと思います」

「受診のタイミングもご自分の意思で構いません」

 

イライラした時には飲むとよく効く漢方薬の「抑肝散(よくかんさん)」
主治医のK先生からも産業医からもよく効くと太鼓判を押されました。

 

こうして次回の診察は約1ヶ月後の2月10日となりました。

K先生は、僕の状況についてはあまり心配はしていないように感じました。

僕自身、それほど調子が悪いとは感じていませんでした。

ただ、またあの会社での大変な仕事に戻った時にどうなるかはわかりません。

ひとまず、K先生の言う通り、しばらくマイペースにゆっくり静養した方が良さそうです。

 

(次回に続く)

 

休職中の生活 その1

最後の出勤で引継ぎが終わり、翌日から休職生活に入りました。

前回までの続きです。

 

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引継ぎをした翌日の1月11日から正式に休職生活に入りましたが、二日続けて出勤して結構一所懸命引継ぎ業務をしたせいか、かなり消耗して疲れていたようで、その晩はかなり深く眠り、昼の12時半頃まで10時間以上眠りました。

まあ、年末から年末年始休暇や三連休などがあり、「休暇慣れ」はしていましたが、「休職」という形でしばらく休暇を取るのはかなり久しぶりでした。

 

実は僕は40歳の頃に末期ガンを患って、7ヶ月くらい入院生活を送ったことがあり、その後療養のため、1年近く休職したことがあります。

その後、48歳の時にも目の治療の手術のため、会社を退職せざるを得ず(ブラックな会社だったので)、10ヶ月近く無職の時期がありました。

今回このような長期間の休職期間を過ごすのは、かなり久しぶりなので、意外とどう過ごしたらよいか、戸惑ってはいました。

 

ただ、産業医や主治医からはこう言われました。

「しばらく仕事から心身を解放して、『グダグダ・ダラダラ』してください」

「時間割を考えず、好きな事をやり、『~しなければならない』『~すべきである』という考えから自分を解放させてあげてください」

なので、特にこの期間何をするか、何をしなければならないか、など特に考えず、過ごそうと思いました。

 

とはいえ、クソ真面目で完璧主義な性格の僕なので、最低限これだけはやろうということはあり、続けていました。

まず起きたら、亡くなった義母の写真に挨拶し、2箇所に祀ってあるそれぞれの神棚に祈りの言葉を捧げること。

そして、自分自身が目標としていること・やりたいこと・将来なりたい姿などをまとめたシートに目を通すこと。(精神科医で作家の樺沢紫苑氏推奨)

これも精神科医で作家の樺沢紫苑氏が常々推奨している「三行ポジティブ日記」。

その日あった良かったことを簡単に三行だけまとめて書く日記です。

本当は寝る前に書くのが良いのですが、僕の場合は朝起きてすぐ書いています。

それが終わると、スマホに入っている「Duolingo(デュオリンゴ)」というアプリで英語とフランス語を勉強すること。

それが終わると、シャワーを浴びて顔を洗うなどして身支度を整えて、散歩に出ます。

帰ってきたら、こうしてはてなブログにブログを書いてアップする(これはなかなか毎日出来ていませんが・・)

まあ、こうやってある程度やることを決めておくと、ソファに寝転んでゴロゴロするよりは、意外と精神は安定するようです。

 

その後は、読書したり、音楽を聴いたり、好きな事を気ままにやって、昼食を妻と食べた後、ボードゲームをして楽しんでいます。

夕方は買い物に出かけることもありますが、たいていWii Fit Plus(2008年頃から2010年代前半まで流行っていた任天堂のフィットネスシステムです。まだ使ってます)でヨガや筋トレ・室内ランニングなどをして、レッグマジックをやったりして運動しています。

そして、妻が作った夕食を食べながら、好きな映画やYouTubeなどを観て、お風呂に入って寝るという生活をしています。

 

まあ、クソ真面目で完璧主義な性格なので、なかなかダラダラとすることが出来ないのですが、ある程度のことはルーティンのように決めてやると、それに没頭することも出来て、達成感もあり、込み上げてくる不安感も抑えることが出来るので、自分としてはこんな感じの過ごし方でもいいのではないかなあ、と感じています。

 

休職生活に入ったのが1月11日ですが、その後間もない13日に精神科の診察がありましたので、次回はそのことについてお話したいと思います。

 

 

 

 

 

休職決定後の仕事始めと引継ぎ

昨年末の人事部長と直属上司との面談で休職が決定してからの状況をお話したいと思います。

前回は年が明けての状況をお話しました。

 

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前回からの続きです。

 

今年の仕事始めは1月5日(金)でした。

あっという間に年末年始休暇が終わり、僕は自宅でリモートワークで仕事をしました。

とりあえず部内の共有チャットに、年始の挨拶をしましたが、特に反応はありませんでした。

まあ、直属上司のA部長とI課長はまだ年末年始休暇中でしたが。

休職するので、主な仕事は引継ぎに関することで、とりあえず会社のウェブ上のプラットフォームの業務報告のフォーマットに引継ぎ事項をまとめました。

全店舗の契約事項など重要事項をまとめてある共有リストは、最新の情報に更新しました。

まだ1月5日なので休暇中の取引先も多いのですが、主な取引先にはメールで年始の挨拶と共に僕の休職の件を伝えました。

この年末年始とこの日1月5日は、幸い特にトラブルは起こらず、静かな一日となりました。

O主任はリモートで出勤していたので、何度かやり取りをするくらいで、その日の業務は終了しました。

 

その後3連休となり、明けて1月9日(火)に初出勤しました。

この日が休職前の最後の出勤日となります。

ちょうど月一の全社朝礼があり、僕はいつもリモートで参加していたので、リアルで朝礼に参加するのは奇しくもコロナ明け後初めてとなりました。

社長の朝礼の訓示を聞きながら、「今年最初の社長の年始の訓示を聞いて、すぐに休職するなんて因果なもんだな」と考えていました。

適応障害で休職する」ということが決定して、初めての出勤であり、顔合わせだったので、僕は結構緊張しましたが、出勤してみると案外普段と変わらない感じでした。

 

週一恒例の今年初めての部内会議に参加し、A部長の方から僕がしばらく休職することを発表しました。

でもI課長もO主任も特に動揺することは無く、焦点は僕の業務の引継ぎに関する事でした。

部内会議が終わり、別の場所で引継ぎに関するミーティングを行いました。

あらかじめ業務報告に引継ぎ事項をまとめていましたので、これを元に誰が何を引き継ぐかを話し合って決定し、それほど面倒なことは無く、1時間半程度で終了しました。

しかし、実際の業務の内容や注意点など細かいことをI課長とO主任に引き継いで教えなければならないので、これについては結構時間がかかり、本当は1月9日中に終わらせて、翌日10日から休職する予定だったのですが、10日も出勤する羽目になりました。

 

10日は午後半休にして午後2時までの出勤としたのですが、結局時間内には終わらず、午後4時までかかってしまい、僕は午後4時過ぎに退勤しました。

引継ぎを二日間行いましたが、特に何か気負ったり特別なコミュニケーションなどをすることはなく、淡々と事務的に行いました。

I課長もO主任も特に「R課長(僕)、大変ですね」「元気になって帰ってきてくださいね」など情感のこもった言葉を投げかけてくることは無く、実に淡々としていたのが印象的でした。

ただ、I課長は外出時に、「それじゃあ、Rさん(僕)、お大事に」とひとこと言って会社を出ていきました。

僕が退勤する時、O主任は「ゆっくり休んでください」とひとこと言うのみでした。

退勤時に、役員や部長クラスのデスクが集うスペースまで行って、翌日から休職することについての挨拶を軽くしましたが、軽く会釈されるのみでした。

でも、こんな感じで良かったと思います。

あまり情感のこもった大げさなコミュニケーションは僕にとっても何となく気恥ずかしい感じで負担に感じる部分もあるし、彼らもメンタルに問題を抱えた社員に何と言っていいのか難しいと思います。

ただ、A部長が外出時に、「ありがとうございました!」と僕の顔を見ながら言って、去って行ったのは正直嬉しかったです。

A部長は結構クールというか、淡々としていて、今まで数多くの部署内の社員が辞めて行っても、何も声をかけることもなく、コミュニケーションも取ることはありませんでした。相手が辞めるとわかると全く興味を示さなくなるタイプのようでした。

僕は会社を辞めるわけではありませんが、しばらく会社からいなくなる人間なのに、僕の顔を見ながら挨拶してくれたのは、正直救われた気がしました。

 

会社を出て、僕はなんとなく解放感を覚えました。

駅前のタワーレコードに行って、好きなアーティストのCDやレコードなどを見て回り、自分へのこれまで頑張ってきたご褒美として、発売したばかりのビリー・ジョエルのライブ盤のCDとビル・エヴァンスのライブ盤のCDを購入しました。

そして、駅の改札口近くの成城石井で普段は発泡酒なのに、アサヒスーパードライを買って、店の前で一人祝杯?を上げ、想いに耽りました。

 

そして、帰宅するために電車に乗り、僕の休職生活は幕を開けたのでした。