肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

ビートルズ「Get Back」を観て その2

前回に引き続き、今回のビートルズの「Get Back」を観た感想を、ラジオ番組「桑田佳祐やさしい夜遊び」での桑田佳祐氏の感想を元にお伝えしたいと思います。

↓ 前回のブログです。

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前回1月8日放送に引き続き、15日もビートルズ特集をやっていました。

ただ、今回は「Get Back」を観た感想というよりは、ビートルズ自体の桑田さんなりの知っているエピソードを話していたので、ちょっと観点がずれることをあらかじめお伝えしておきます。

 

1⃣ポール vs. ジョン

この「Get Back」を観る限り、どう見てもポールの方がとてもしっかりしていて、リーダーの風格があり、ジョンはヨーコをそばに置いて、どこかしら「心ここにあらず」のような雰囲気があります。

もともとビートルズはジョンが作ったバンドであり、リーダーであり、後から出逢ったポールの腕を見込んで、ビートルズに引き入れた経緯があります。

そして、バンド初期は、レノン=マッカートニーで曲を作っていましたが、リーダーシップを執っていたのは、あくまでもジョンでした。

桑田さんいわく、「Revolver(リボルバー)」の頃から、ポールとジョンの対決姿勢が出てきたのではないか、とのことです。

ポールは、「Eleanor Rigby(エリナー・リグビー)」や「Here, There And Everywhere(ヒア・ゼア・アンド・エブリウェア)」など、名曲を作るようになり、ジョンはそれに対抗して、エレクトリックでサイケデリックな曲で対抗することになります。ギターの逆回転を駆使した「I'm Only Sleeping(アイム・オンリースリーピング)」などは典型ですが、なかなか素晴らしい曲です。

 

2⃣「ロックの時代」とビートルズ

60年代末のこの頃は、「ロックの時代」に突入し、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンのクリーム、サンタナなど、卓越した素晴らしい技術を持ったアーティストが続々と出てきました。

そんな中で、実はギターをきちんと弾けるのは、ポールだけだと桑田さんは言っていました。

実は、ジョンもジョージもそれほどギターはうまくはなかったのだそうです。

ポールは、ギターもうまく、ベースもうまく、ドラムやピアノも出来る、オールマイティなアーティストです。

「Revolver(リボルバー)」の最初の曲である「Taxman(タックスマン)」のチョーキングを駆使したすごいリードギターのソロは、ジョージは弾けなかったそうで、見かねたポールが、「時間が無いから、俺がやるよ」と言って、ポールが弾いたそうです。

何でもできる天才ポールに対して、時代の波に乗り切れないジョンとジョージ、と桑田さんは言っていましたが、この見解は初めて聞きました。

やはり、その時代を知る桑田さんならではのプロの見解なんですね・・・

ちなみに、リンゴのドラムはとてもうまいと賞賛していました。

 

3⃣解釈が違うポールのギター奏法

ポールは、Em(イーマイナー)やAm(エーマイナー)などのギターのローコードの指の押さえ方が普通と違うのだそうです。

薬指が上で、中指が下になっていて、指の並びが違うとのことです。

ギタリストならではの桑田さんの見解ですね。

ポールには、メソッド(方法)は関係なく、楽器に対する解釈は違うと言っていました。

 

4⃣ビートルズサザンオールスターズのメンバー間パワーバランス

前回のブログでもお話しましたが、ライブをやるかやらないかということで、メンバーやスタッフで揉めていた時、それまでずっと黙っていたリンゴが突然ポツリと「俺やりたい」とひとことつぶやいたのがきっかけで、ルーフトップコンサートが実現したという話をしました。

ポールとジョンがリーダー覇権争いをし、最年少のジョージがそれに割って入り、最年長のリンゴはずっと黙っていて無口で厳かな感じであるのが、ビートルズですが、サザンオールスターズも実は似たようなメンバー間パワーバランスがあるのだそうです。

リンゴと同じような立ち位置のメンバーは、実は同じドラムの松田弘氏なのだそうです。

桑田さんがポールのように何かを提案し、関口氏は「俺はやりたくないんだよね・・」などと難色を示すと、松田弘氏が突然ポツリと「俺、やりたいのよお」などとつぶやくのだそうです。

すると、原由子さんが「その通りよね!ヒロシ君!」と同調して、サザンオールスターズが動くという構図なのだそうです。

 

以上、ちょっと「Get Back」からは外れた内容となってしまいました。

この「Get Back」は、アメリカではBlu-ray・DVD化されることが決定したそうです。

また、再度じっくりと観て、気が付いたことをご報告したいと思います。

 

YouTubeもやっておりますので、ぜひ下記のリンクからご覧になってください。

 

youtu.be

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下記のDisney+に入会すると、「Get Back」を観ることが出来ます。

www.disneyplus.com

 

桑田佳祐やさしい夜遊び」リンクサイトです。

www.tfm.co.jp

 

radiko(ラジコ)で、今回の特集の番組は、1月22日(土)まで聴けます。

radiko.jp

 

 

 

 

天赦日+一粒万倍日+甲子の日~今年最強の大吉日

本日、2022年1月11日は、天赦日+一粒万倍日+甲子の日ということで、今年最強の大吉日なのだそうです。

 

天赦日と一粒万倍日については、最近ポピュラーになってきているので、皆さんご存知かと思いますが、全ての良いことが「万倍化」する大吉日です。

 

「はじめ良ければ全て良し」の「甲子」もあるので、新しいことを始めるのに最適な日、特にそれを長く続けること(1000日間)をスタートするのにとても最適な日だとのことです。

 

僕も色々と考え、このブログを毎日続けようかとも考えたのですが、会社の仕事をしながら、毎日書くのは結構ハードルが高いかなあと躊躇し、考えあぐねています。

日記なら毎日書けそうなので、日記にしようかなあとも考えています。

 

皆さんもせっかくの大吉日ですので、これを機に何かを始めてみてはいかがでしょうか。

 

詳しいことは下記のYouTubeをどうぞ。

世界で唯一の神社に所属しない高等神職冠位・明階保持者の、藤本宏人さんという方が、毎日その日の暦の傾向を解説しています。

 

www.youtube.com

ビートルズ「Get Back」を観て

昨年2021年11月からDisney+で公開されたビートルズの「Get Back」。

この年末年始休暇を使って、やっと観ました。

三部構成に分かれていて、実に8時間以上の長編ですが、なかなか興味深いことばかりで、本当に面白かったです。

 

www.disneyplus.com

 

僕は、ビートルズのリアルタイム世代ではなく、この「Get Back Session」を編集して、1970年に公開された映画「Let It Be」が上映された時は、1歳でした。

その後、ビデオテープやDVDで発売されることは無く、海賊版のビデオテープで観ていました。

その時の印象は、真冬の寒々としたバカでかく暗い倉庫のようなところで、4人が緊張感バリバリの状態で、作った曲の演奏をしていて、時には喧嘩をしたりして、とても暗い印象を持っていました。

でも、今回の8時間以上の映像を観て、そんな単純なものではなく、いろいろなエピソードがあったのだなあと思いました。

はっきり言って、高校生あたりのアマチュアバンドの制作風景とさして変わらないのではないか、と思うようなハチャメチャ振りで、爆笑するような場面も結構ありました。

 

皆様ご存知のサザンオールスターズ桑田佳祐氏も実は類まれなるビートルズ・マニアであり、先日1月8日のラジオ放送「桑田佳祐やさしい夜遊び」(TOKYO FM)で、「Get Back」特集をやっていました。

今回は、その桑田佳祐氏がラジオで話した、映画の感想や見解で、印象に残ったことをいくつかご紹介したいと思います。

 

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①レコーディング・エンジニア「ジョン・エメリック」から見たビートルズ

まず、ビートルズのデビュー曲「Love Me Do」から、レコーディング・エンジニアとして担当していたジョン・エメリックから見た、「Get Back Session」当時のビートルズのメンバー像をご紹介したいと思います。

 

ジョン・レノン かぎっぱな(カギのように尖った鼻)で、一番落ち着きがなく、やたらデカい声で話している。

ジョージ・ハリスン 目の上にアオタン(たんこぶ)を作っていた。誰かのファンに殴られたらしい。

リンゴ・スター 小柄なドラマーで、オドオドしていて、やたら口数が少ない。

ポール・マッカートニー 一番冷静であり、ルックスも一番一般受けするタイプ。他の3人にさかんにハッパをかけ、3人も彼の言うことをよく聞いている。

彼が一番大人で、もっともらしいことを言っている。

思うに、リーダーはジョン・レノンということだが、どう見てもリーダーは冷静なポール・マッカートニーのように見える。

 

しかし、桑田さんはこれに関しては反論していました。

「そんな単純な問題ではないよ。いろんな個性が存在するわけだからね。」

同じグループを運営するリーダーとしての桑田さんならではの見解でしょうか。

 

②まとまりのないビートルズ

激寒の1月のロンドンの、いかにも寒々とした倉庫の中で、メンバーはレコーディング・セッションをしていたが、とてもやりにくく、メンバー間の関係はギクシャクし、全くテンションが上がらない状態でした。

そんな中、ポールだけは皆にハッパをかけながら、がんばっていました。

そして、ポールは作ってきた曲を持ってきますが、他の3人は作っていませんでした。

そんな中、ポールが私用でいないときに、ジョージがいきなりジョンとヨーコに向かって、「ソロやらない?」と言ったそうです。

「それぞれソロをやらないか?僕はもう10年分の曲のストックがいっぱいあるんだ。」

それに対してジョンは、「こんな状況の時に、そんなこと言うんじゃねえよ!」という表情だったそうですが、何とも生々しいシーンで、ふつうカットされるんじゃないか?と桑田さんは言っていました。

ジョンやジョージが亡くなってしまった今だからこそ、公開できたのでしょうか。

 

③おとなしいリンゴのたった一言の功績

プロデューサーのグリン・ジョーンズやマネージャーのマルは、しばしば「ショーはどうする?」とメンバーに問いかけました。

ポールの奥さんのリンダ・マッカートニーは、「私はファンだから、やっぱり観てみたい」と率直に言いました。

ジョンは、のらりくらりとかわして、あまり気が進まない表情です。

ポールもはっきりと明言せず、「それは僕が言うことでもないし・・・」と言葉を濁してしまう始末です。

ジョージははっきりと「僕はイヤだね!」と断りました。

その後、セッションの途中でヘソを曲げて「僕はビートルズをやめる!」と言って、飛び出してしまったことを考えると、それまであくまでもジョンやポールの弟分だったジョージの自我が芽生えたということでしょうか。

 

その後、ジョージはヘソを曲げて出て行ってしまい、ジョンも遅刻したり、来なかったりすることもあり、セッションはポールとリンゴのみでやることが多くなりました。

そんな中、プロデューサーやスタッフたちと話をする場面で、ポールが「仕方がないよ」と言って、ジョンやジョージの悪口を言うこともなく、涙ぐむシーンはとても印象的でした。

 

そんな状況で、3週間ほど経ったころ、再びライブはどうするか?という問題に直面します。

意見がまとまらず、膠着状態にあった中、ずっと黙っていたリンゴが突然ポツリと「俺やる」と言います。

すると、他の3人は突然のリンゴの一言に面食らってしまい、「オ?オッオー、やろうか、やろうぜ!」と誰ともなく言い出し、一気にかの有名な「ルーフトップコンサート」実現に動き出していきます。

桑田さんは、「リンゴは本当にスゴイ!ドラマーとしても天才だ!」と感心していました。

リンゴのこの一言が無ければ、ビートルズの事実上最後のライブである「ルーフトップコンサート」は実現していなかったでしょう。

 

④ヨーコへの差別

桑田さんも、この映画を全編観て、ヨーコが頻繁に出てくるので、正直「イラッ」とすることが多かったそうです。

しかし、冷静に考えてみると、これは編集した側の「悪意」なのではないか?と感じたそうです。

ポールの妻であるリンダや、ジョージの妻のパティが登場するシーンは、とても鮮やかで、爽快な感じです。

対するヨーコは、いつもジョンにまとわりついていて、ヨーコがセッションに参加するシーンでは、奇声を発するヨーコの声に、ポールの幼い娘が驚愕するシーンがあります。

また、突然壁に貼ってある和紙に、「春」などと筆で達筆な字を書くシーンがあります。

これらのヨーコの撮り方には、やっぱり編集側の「悪意」を感じると、力説していました。

 

⑤とても親しみやすいメンバーたち

桑田さんは、この映画を観て、本当に4人はすばらしい素敵な人たちだと言っていました。

途中、生々しい印税の話があるのですが、ジョンが「あいつ(アラン・クラインという悪名高い会計士)に任せると、印税率が上がるらしいぜ!」と他の3人に力説するシーンがありました。

桑田さんはこれを観て、とても親しみが湧いたそうです。

(同じミュージシャンとして、共感するのでしょうか?)

 

また、メンバーが食べる食べ物がとても粗末であることも言っていました。

僕も感じましたが、とても薄っぺらい茶色く焦げたトーストに、マーマレードを塗るだけで、とてもおいしそうに、満足げに食べていたのです。

それとなんの変哲もないカップに入れた紅茶と、スーパーで売ってそうな普通のビスケットでしょうか。

あのスーパースターで、お金も有り余るほど持っているビートルズが、こんな食事をしているとは!と正直驚いてしまいました。

 

他にもいろいろと、興味深いことを言っていましたが、長くなってしまったので、ここまでにしておきます。

ご興味がある方は、スマホアプリの「radiko(ラジコ)」で、1月8日付放送の「桑田佳祐やさしい夜遊び」を聴いてみることをオススメします。

1月15日土曜日まで、聴けると思います。

 

次回、1月15日も、ビートルズ「Get Back」特集第2弾をやるとのことで、またご紹介します。

 

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明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

旧年中は、私の拙い文章を読んでくださり、本当にありがとうございました。

 

仕事がかなり立て込んで、12月は一本しかブログをアップすることが出来ませんでした。

やっぱり精神的に追い詰められていると、文章というのは、書けないものですね。

 

今年はなんとか週2本はブログをアップすることが出来るよう、努力してきたいと思っています。

 

また、皆様のお役に立てるような情報をお届けできるよう、努めてまいります。

 

今後ともよろしくお願い申し上げます。

飛蚊症治療にかかる費用

僕は2017年4月から8月にかけて、飛蚊症の治療を行い、計3回の手術を受けました。

皆様方から、飛蚊症にかかった費用のご質問を多数いただくのですが、なにぶん数年前のことであり、記憶が不確かな部分もございますが、僕の記憶を出来うる限り、掘り起こして、お話したいと思います。

 

まず、かかる費用は主に以下の項目に大別されます。

①検査・薬代などの通院費用

②手術費用

③手術で入院時の差額ベッド代

④眼科患者用の眼鏡

⑤入院時の食事代、患者衣など

 

それでは、一つずつ説明したいと思います。

 

①検査・薬代などの通院費用

通院に関しては、2週間に1回、多い時は1週間に1回は行っていました。

通院するごとに、眼底検査・視力検査を行います。

手術前など必要に応じて、高性能な機械を使って、眼の断面や正面からの撮影を行います。

これは、僕が通院していた深作眼科でしか使っていない特殊な機械で、撮影した時の料金は特別高かった記憶があります。

また、手術を伴う場合の目薬はハンパない、おびただしい数の目薬を処方されます。

手術の期間中は、一日に4・5本の目薬を3時間おきに、眼に差していました。

1回当たりの通院費用は、平均3,000円前後、多い時は5,000円ほどだったと思います。

 

②手術費用

僕は保険適用となり、かつ高額療養費制度(後ほど説明します)を使っていたので、これらが適用されない「自由診療」の場合の費用額は、残念ながら、はっきりとはわかりません。

しかし、おそらく1回当たり数十万円にのぼると思われます。

僕は、飛蚊症でしたが、確か症名は「硝子体疾患」で、施術名は「網膜硝子体手術」でした。

手術は、右眼を1回、左眼を2回の計3回行ったので、自由診療であれば、もしかしたら100万円近い金額になっていたかもしれません。

 

③手術で入院時の差額ベッド代

1回目の右眼の手術の時は、大部屋や2人部屋が無かったため、個室に泊まらざるを得ませんでした。

1回の手術につき、2泊3日だったのですが、個室の場合、2泊3日で60,000円だったと記憶しています。

2回目・3回目の左眼の手術の時は、2人部屋で、2泊3日で42,000円だったと記憶しています。

もちろん、これらの費用は保険適用とはならず、実費となります。

 

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当時手術で泊まった個室です。なかなか広くて、キレイで快適な部屋でした。

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食事は、量は少なく、たくさん食べる方にはキツイかもしれません。でも、とてもヘルシーで、栄養をよく考えたメニュー内容でした。左下のミネストローネ風野菜スープはなかなか絶品でした。

 

④眼科患者用の眼鏡

以前のブログでもご紹介した、深作眼科特製の「防塵防御眼鏡」です。

深作眼科の深作先生は、パイロットを目指していたこともあり、パイロットがするような強力な「防塵防御」の性能を持つサングラスを、手術の期間からしばらくの間、日常生活で、患者にかけるよう、義務付けています。

色はイエローで、ちょっと柄が悪く見られる感じがあり、ちょっと気が引ける感じもありますが、きちんと目の周りにフィットし、眼がきちんと守られている感覚があります。

こちらは、ちょっと高価で、24,000円だったと記憶しています。

 

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深作眼科特製の防塵防御眼鏡 きちんと目が守られている感覚があります。

⑤入院時の食事代、患者衣など

1回の手術で、5,000円前後だったと記憶しています。

食事は、手術した夜の夕食、翌日の朝・昼・夕の3食、退院する日の朝食だったと思います。

先ほどご紹介した写真の通り、決して量は多くありませんが、栄養価をきちんと計算された、とてもヘルシーなメニューでした。

 

⑥高額療養費制度について

先ほどご紹介した、「高額療養費制度」ですが、癌などの重い病気などで、長期の入院をしたり、治療が長引く場合、医療費の自己負担額がかなり高額になる可能性があります。

そこで、家計の負担を軽減できるように、一定の金額(自己負担限度額)を超えた部分が払い戻しされる制度です。

これは、「健康保険限度額適用認定申請書」という書類を、お勤めの健康保険組合や市役所などの健康保険担当課で取り寄せ、所定の事項を記入して、必要書類と共に提出すると、「限度額適用認定証」が交付され、1ヶ月あたりの医療費が、限度額までの支払いで良いことになります。

とても助かる制度で、あらかじめ医療費が高額になるとわかっている場合は、事前に申請しておくことをオススメします。

ただし、自己負担限度額については、その方の各々の所得額の区分によって、変わってきます。

たいていの方は、1か月あたり93,000円となる場合が多いと思います。

僕の場合は、失業中だったので、1か月あたり44,400円でした。

詳しくは、以下のサイトをご覧ください。

www.kyoukaikenpo.or.jp

 

医療保険について

僕の場合、医療保険に入っていたので、保険会社に申請し、手術給付金や所定の通院費用がもらえました。

300,000円くらいだったと思います。

よって、その他いろいろな費用を合わせると、おそらく400,000円くらいは総額でかかっていたのではないかと思います。

 

⑧まとめ

今回ご説明した内容は、あくまでも僕のケースであり、2017年当時の話なので、現在の状況は変わっている可能性はあります。

患者さんによって、診断内容や手術内容は変わってくる可能性はありますし、保険適用になるかどうかも変わってくると思います。

また、飛蚊症を手術してくれる病院は、非常に少ないので、たまたま手術してくれる病院があったとしても、病院ごとに、症状に対する判断は異なり、かかる費用の明細は変わってくる可能性はあります。

ちなみに、僕が治療を受けた深作眼科は、基本的に飛蚊症の治療は行っていません。

僕の場合は、非常にレアなケースです。

僕が実際に手術していただいた、中原先生の中原眼科では、飛蚊症の治療は行っていますが、自由診療となっています。

詳しくは、中原眼科の中原先生に一度ご相談されることをオススメします。

中原眼科のサイトはこちらから

www.nakaharaganka.com

 

飛蚊症に苦しむ方々は、本当にツラいと思いますし、一刻も早く、この状況を打破したいと願っていることと思います。

僕の情報が皆様のお役に少しでも立つことが出来たら、幸いです。

 

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細野晴臣 映画「SAYONARA AMERICA」を観て

2021年11月12日から公開が始まった細野晴臣氏のドキュメンタリー映画「SAYONARA AMERICA」を先日観に行きました。

 

まだ、コロナ禍に巻き込まれる前の2019年5月~6月に、アメリカのニューヨークとロサンゼルスで行われたライブツアーのドキュメンタリー映画です。

まだコロナ禍の前ということもあって、マスクをしている人もなく、人々はごく普通に接触しあっていて、まるで遠い昔の世界のようです。

 

この映画を観て、僕なりに感じたことをお話したいと思います。

 

①細野さんの音楽を真摯に愛するアメリカ人ファンの人たち

いちばん印象に残ったのは、ライブが始まる前の長蛇の列のアメリカ人ファンたちに、インタビューをする場面です。

 

正直、1970年代後半から1980年代前半にかけて、イエローマジックオーケストラYMO)として、世界中の音楽シーンに影響を与え、その後の音楽シーンにも影響を与えた細野さん(以降このように呼びます)とはいえ、これほどまでに人が集まるとは思っていなかったのですが、ものすごい長蛇の列で、チケットは完売でした。

 

そして、この人たちにインタビューをするのですが、皆ものすごく細野さんの音楽が好きみたいで、そのコメントがとても核心をついているのです。

細野さんと同年代と思われる人から、かなり若い人まで、皆それぞれ熱く語っていました。

「好きなアルバムは「パシフィック」、文字通り100万回聴いたわ」

「彼の音楽は、「狂気」と「愛」が混在していて、とんでもなく幅広い音楽性で、聴いていて決して飽きることがないアーティストだ」

「細野への愛と偉大な良き時代のアメリカ音楽の愛のために来た」

 

僕は他人事ながら、とても感激してしまいました。

ライブももちろん大盛り上がりで、拍手大喝采で、これだけ海外の人たちから歓迎を受ける音楽家は、日本では細野さんと坂本龍一氏くらいのものではないでしょうか。

 

②多大な影響を受けた「アメリカン・オールド・ミュージック」

戦後直後の1947年に生まれた細野さんが、多大な影響を受けた、古き良きアメリカのオールド・ミュージックである「ブギウギ」を、本家であるアメリカの地で、アメリカ人たちを前にして、演奏するのは、本当に意義のあることだと思います。

 

そのアメリカ人たちが、逆に細野さんの演奏を聴いて、熱狂し、影響を受けていたのは、とても面白い現象ですね。

 

30代前半と思われる若い男性へのインタビューに対するコメントが印象に残りました。

「細野の「ブギウギ」を聴いて、初めて本当のアメリカの音楽の真髄を知ったよ」

「僕の人生の中で一番「アメリカ」を感じたよ」

 

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「SAYONARA AMERICA」のパンフレット コンパクトながら、なかなか読みごたえがあります。内容は濃いです。

 

③ナーヴァスになった細野さん

とはいえ、公演前の細野さんは、とてもひどくナーヴァスになっていたのだそうです。

細野さんは、2005年あたりから、自身のルーツのアメリカン・オールド・ミュージックをカバーするようになり、以降、この流れで活動してきました。

 

今回のアメリカ公演は、まさにその総決算となります。

それに加えて、本場アメリカの聴衆の前で、往年のアメリカ音楽を演奏するのです。

 

「こんなこと初めてのことだし、アメリカ人たちのリアクションが全く予想できない」

「果たして、これをやることに意義があるのか?」

 

細野さんは、その前年の2018年、イギリス・香港・台湾で、同じようにライブを行い、大成功させています。

そんな細野さんでも、このように自信を失くしているようなことを言うのです。

 

でも、それは全くの取り越し苦労に終わりました。

どのライブも大盛り上がりでした。

 

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大盛況だったライブの光景が、パンフレットでもうかがえます。

 

④細野さんの一番の発見

ライブが終わった後、細野さんは感慨深く、こう言っていたそうです。

「全く人が入らないと思っていたら、たくさん入ってくれていた。」

「会場前に並んでいるアメリカ人観客たちのインタビューを観て、正直ビックリした。みんなちゃんと聴いてくれているんだ!すごい!」

「核心を突くことを言うような人がいっぱいいて、ホントビックリした!いつから聴いてくれていたのかわからないが、これからはちゃんとやらなきゃ(笑)」

 

⑤「マスクの無かった世界」の思い出

それにしても、コロナが蔓延する前の2019年に、これまでの音楽人生の集大成として、アメリカ・ツアーを敢行できたのは、本当に良かったし、幸運なことだったと思います。

細野さんも言っていましたが、これが1年遅れていたら、もう永久に出来なかったかもしれません。

細野さんの日曜深夜のラジオ「DaisyHoliday!」で、細野さん・高田漣氏・伊賀航氏が口を揃えて言っていましたが、このツアーは、まるで10年以上大昔の出来事のようだと言っていました。

ミュージシャンにとっては、それだけコロナによって、世界や時代が大きく変わってしまったのでしょうか。

 

⑥まとめ

細野さんは、このツアーを利用して、はっぴいえんど時代に「さよならアメリカ、さよならニッポン」をレコーディングした、ロサンゼルスの「サンセット・サウンド・レコーダーズ」に行ったそうです。

細野さんが「マイ・ヒーロー」と呼んで、敬愛する、ヴァン・ダイク・パークスとの共作であり、今回の映画の主題歌として、新たにアレンジされてリリースされました。

そんなヴァン・ダイク・パークスが、ライブ会場の楽屋に遊びに来てくれて、細野さんの感激もひとしおだったことと思います。

 

最後に、細野さんのメッセージをご紹介して、締めくくろうと思います。

「戦後の波頭に立ってきた一人の人間が、アメリカでライブやって、アメリカの観客が喜んでくれた、ということをみんなに知ってほしい」

 

※映画の詳細は、下記のリンクからご覧ください。

gaga.ne.jp

 

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坂本龍一・山下達郎の奇跡のコラボ作品・発見!!(その2)

1975年に発表された、「坂本龍一」と「山下達郎」の、奇跡のコラボ作品を発見したことを前回お話しました。

 

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【1】実際に聴いてみた印象

肝心の実際に聴いてみた印象ですが、最初はちょっと変わった「童謡」のような感じで、「コレ、ナニ?」という、ちょっと驚きを隠せない印象でした。

 

おそらく当時小学生から中学生くらいの子供達で構成された、少年少女合唱団「みずうみ」が歌っているのですが、大人顔負けの、やけに上手い歌唱力で、とても個性的な歌詞を、個性的な歌声で歌うので、正直最初は「ビビり」ます。

 

作曲・編曲は、坂本龍一氏と山下達郎氏というだけあって、当時としてはとても斬新なシティポップスのエッセンスが散りばめられており、演奏はとても都会的で、洗練されており、今聴いても、全く古さを感じさせません。

 

特に、山下達郎氏が在籍していた「シュガーベイブ」のカラーがとても強く感じられました。

 

僕が特に気に入っているのは、CDの10曲目に収録されている「火の子供達」という曲で、山下達郎氏と大貫妙子氏(当時のシュガーベイブのメンバー)がコーラスで参加しています。

 

サビの部分で、バックで流れる2人の「ワァーッ」と歌うコーラスが、何とも言えない存在感(ほとんどシュガーベイブの曲のよう)を醸し出していて、素晴らしいです。

 

【2】制作過程

この作品に関しては、歌詞はすべて、企画した及川恒平(おいかわこうへい)氏が、アイヌ文化の伝承を目的として、作詞しました。

 

それを坂本龍一氏に渡して、曲を付けてもらって、演奏のアレンジをしてもらいました。

 

さらに、山下達郎氏が歌とコーラスのアレンジをしていく、という流れだったそうです。

 

このアルバムの中の2曲(10曲目「火の子供達」・11曲目「丹頂鶴」)に、山下達郎氏と大貫妙子氏がコーラスに参加していて、当時のシュガーベイブの雰囲気が味わえます。

 

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「海や山の神様たちーここでも今でもない話」のライナーノーツ とても興味深いエピソードが散りばめられています。

 

【3】山下達郎氏の制作への関わりについて

山下達郎氏によると、「少年少女合唱団」=「子供」が歌うということで、坂本龍一氏から、コーラスのスコアを書いてほしいという依頼があり、譜面を書いたのだそうです。

 

アルバムのクレジットには、「編曲:坂本龍一山下達郎」となっていますが、実際に山下達郎氏に確認したところ、山下達郎氏が実際に関わったのは、ヴォーカル・コーラス関係のみということでした。

 

しかし、僕はこれはちょっと怪しいのではないか、と思っています。

なぜなら、演奏のアレンジが、先ほどお話したように、「山下達郎」すなわち当時の「シュガーベイブ」の色合いがとても強く感じられたからです。

 

坂本龍一氏ももちろん当時のシティポップスには関わっていましたが、ちょっと色合いが違うのです。

 

【4】坂本龍一氏と山下達郎氏との制作上の「エピソード」

先ほどお話したように、山下達郎氏は坂本龍一氏からコーラスのスコアを書いてほしいと依頼され、譜面を書きました。

 

その時のエピソードがなかなか興味深く、面白かったです。

 

依頼された際に、坂本龍一氏から渡されたのは、デモテープと、歌詞が書かれた紙だけでした。

山下達郎氏によると、普通は曲の譜面やコード表を渡すのが常識なのだそうです。

なので、テープを聴きながら、譜面に落としていく「採譜」の作業の方が、コーラスを

考えて制作するよりも、はるかに時間を取られて、とても苦心したそうです。

 

2007年のCD再発売の取材時に、言っていたそうですが、その時の山下達郎氏の実際の表情や語り口を見てみたいものです(笑)

 

【5】当時の録音現場の「エピソード」

実際の収録に関しては、及川恒平氏坂本龍一氏・山下達郎氏と「少年少女合唱団みずうみ」の子供たちが、数日間集まって、歌の練習と、カラオケ録りを行ったそうです。

 

ヴォーカル&コーラスは、山下達郎氏が直接子供たちに、歌唱指導したそうです。

あの山下達郎氏が、どんな風に、子供たちを指導したのか、なかなか興味深いです。

 

子供たちからは、坂本龍一氏は、「ピアノのうまいお兄さん」、山下達郎氏は、「歌のうまいお兄さん」と呼ばれていたそうです。

なかなか慕われていたのではないでしょうか。

この子供たちも、おそらく今では50代後半から60代に差し掛かっているのではないかと思います。

あれから、それぞれに大活躍をして、日本を代表する音楽家となった今の2人を、どんな風に見ているのか、興味深いです。

 

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今では廃盤ですが、当時のLPレコードの装丁を再現しています。

 

【6】参加したミュージシャン

これが一番皆様にとって、興味深いことだと思います。

山下達郎氏への取材によると、当時坂本龍一氏が関わっていた「りりィ」というアーティストのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」のメンバーだそうですが、クレジットはありません。

 

そこで、山下達郎氏や伊藤銀次氏に実際の音を聴いてもらって、当時の記憶も頼りに、なんとか特定することが出来ました。

以下の通りです。

ドラム:平野肇

ベース:平野融

ギター:伊藤銀次

キーボード:坂本龍一

パーカッション:斎藤ノブ

 

ドラムとベースの平野兄弟は、当時すでに活躍していた荒井由実氏のバックバンド「ダディー・オー」(細野晴臣氏が名付け親)の元メンバーだそうで、斎藤ノブ氏は、細野晴臣氏率いる「ディン・パン・アレー」の活動にも参加し、荒井由実氏などのレコーディングやライブにも参加していたそうです。

 

その後の音楽界のことを考えると、ミュージシャンどうしのつながりの深さを感じさせられます。

 

【7】現在の関係者たちのこのアルバムへの見解

僕はぜひ、現在の坂本龍一氏や山下達郎氏が、このアルバムのことをどう思っているのか、本人たちの口から聞いてみたいと思っています。

 

そこで、山下達郎氏のラジオ番組「山下達郎楽天カード サンデー・ソングブック」(毎週日曜日の14時から放送)に、このアルバムのことを、約1か月前から何度かハガキで投稿してみました。

でも、残念ながら、未だにハガキは読まれておりません。

 

坂本龍一氏のラジオ番組「RADIO SAKAMOTO」(2か月おきの第一週の日曜日24時から放送)にも投稿してみようと思います。

 

読まれるまで、ハガキを出し続けて、読まれたら、また皆様に報告しようと思います。

 

YouTubeもやっておりますので、ぜひ下記のリンクからご覧になってください。

 

youtu.be

 

ご興味のある方は、下記からどうぞ!

 

tower.jp