肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

村上春樹「東京奇譚集」

かなり前になりますが、2005年に刊行された、村上春樹氏の「東京奇譚集」を読み返してみました。

短編のエッセイ集ですが、村上春樹氏が過去に体験した「不思議な出来事」または他人から聞いた不思議な話を、まとめた一冊です。

村上春樹氏は、実際にそういう種類の不思議な出来事をしばしば体験していたようで、直接語っておきたかったそうですが、座談の場にこういった話を持ち出しても、あまり手ごたえは芳しくなく、雑誌のエッセイにも書いてみたらしいのですが、誰にも信じてもらえなかったそうです。

小説家=フィクション(作り話)の著者というイメージが強いのが原因と氏は分析していますが、やはりそうなのでしょうね。

よって、一冊の本にまとめて世に問うたのがこの本ですが、なかなか読み応えのある村上ワールド満載の内容です。

先日ご紹介した「回転木馬のデッド・ヒート」にも通ずる内容ですが、こちらの方が非日常的で、僕としては面白いと思いました。

 

僕が読んだ中で、印象的だった部分をかいつまんでご紹介したいと思います。

詳しくストーリーを話してしまうと、これから読む人の興味を削いでしまうので、ごくごく簡単にご説明させていただきます。

 

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村上春樹氏「東京奇譚集」の文庫版表紙 2007年刊行 初版本は2005年に刊行された。

1⃣偶然の旅人

この話は、40代に差しかかった独身のゲイが主人公です。

ショッピングセンターのある書店で、隣り合わせで座っていた同年代くらいの女性と偶然読んでいた本が同じであることから、意気投合し、関係性が深まっていく話です。

その中の二人のやり取りで、印象深い言葉があったので、ご紹介したいと思います。

 

①「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ」

長い目で見れば、それが良い結果を生んだと思う。

最後の二人のシーンで、ゲイの主人公が相手の女性に語りかける言葉ですが、なかなか心に刺さりました。

僕ら現代人は、どうしても形のある物質的なものを求めてしまう傾向がありますが、本当に大切なものは、形のない、目に見えないものにある、ということでしょうか。

僕の拙い半生を振り返ってみても、確かにそうだったかも、と思い返すことがあります。

「形のない、目に見えないもの」

それは、生きていくための「知恵」だったり、「知識」だったり、「技能」だったり、または、人と人との「愛情」や「精神性」だったりします。

音楽などの「芸術」もそうかもしれません。

形ある「物質」や「モノ」は、やがて時間とともに、朽ち果てていきますが、「形のない、目に見えないもの」は、いつまでも残っていきますものね。

 

②「偶然の一致というのは、実はとてもありふれた現象で、しょっちゅう日常的に起こっている。その大半は、僕らの目に留まることなく、そのまま見過ごされている。まるで、真っ昼間に打ち上げられた花火のように。かすかに音はするんだけど、空を見上げても、何も見えない。」

「しかし、強く求める気持ちがあれば、僕らの視界の中に、ひとつのメッセージとして浮かび上がる。」

これも、ゲイの主人公が相手の女性に語りかける言葉ですが、「スピリチュアル」にも通ずることですね。

いわゆる「不思議な出来事」というのは、実は日常的に頻繁に起こっているのかもしれません。

ただ、僕らのアンテナに引っかからないだけであって、音はするけど、目に見えない真昼の花火のようなものだと。

さすが村上春樹氏、上手い表現をするものだと思いました。

「幽霊」なんかも、実はそこらへんにウロウロしているのかもしれませんね。

稲川淳二氏も「目に見えない真昼の月」と、同じような表現で話していました。

 

2⃣ハナレイ・ベイ

19歳のサーファーの息子を、ハワイのハナレイ・ベイでサメに襲われて失くしてしまう、女性の話です。

その女性は元々優秀なピアニストで、譜面を読んだり、オリジナルの作曲をすることは苦手なのですが、次のように言っていたことが印象に残りました。

「ピアノを弾くこと自体が好き」

「鍵盤の上に十本の指を置くだけで、気持ちが広々とする。それは才能のあるなしに関係ない。役に立つ立たないとかの問題でもない」

僕たちは、とかく物事を「役に立つ立たない」の尺度で判断してしまいがちですが、本当に好きなもの・ことというのは、こういうものなのかもしれません。

僕も子供のころから、「将来に役立つものや役立つことをやらなければならない」という、親や教師や社会の要請のもと、そのための勉強を頑張ってきましたが、今振り返ると、全部とは言いませんが、それらは大方、無味乾燥な味気ないもので、心に残るものは少なかったように思います。

それよりも、心から「好き」「楽しい」と思える、一見無駄なものやことの方が、心を潤わせてくれ、生きる糧になったような気がします。

堀江貴文氏も著書「すべての教育は「洗脳」である」で言っていました。親や教師からは好きなことに夢中になって没頭することをいつでも必ず阻止されてきたけれど、それこそが人間にとって最も大切なことである、と。

そこに、「役に立つ立たない」や「有益・無駄」などは関係ない、と。

 

3⃣日々移動する腎臓のかたちをした石

ある小説家と、特殊な経歴・職業を持つ女性との恋の話です。

小説家がタクシーに乗っていた時、この女性がインタビューを受けているラジオ放送を聴いていた時のシーンで、彼女が話していることが心に残りました。

「高いところにいることが私の天職です。それ以外の職業が頭に浮かびません。職業というのは本来愛の行為であるべきです。便宜的な結婚みたいなものじゃなく。」

どうしても仕事とプライベートを分けて考えてしまいがちですが、仕事に費やす時間というものは、人生の結構な部分を占めてしまうわけで、本当は仕事(職業)というものは、自分の好きな、愛すべきことであった方がいいわけです。

でも、たいていの人は自分が本当にやりたいことがわからず、社会人になると「便宜的な結婚」のような形で、就職してしまうわけです。

その後の転職も、結局は同じような「便宜的な結婚」のような形で、やってしまう人が多いでしょう。

前述の「ハナレイ・ベイ」での話と重なる部分がありますが、僕はこの年になって、ようやく文章を書くことが本当に好きなことだとわかってきました。

早く「便宜的な結婚」のようなサラリーマン生活に終わりを告げて、「愛の行為」を職業にしたいと、日々精進している次第です。

 

4⃣品川猿

自分の名前を忘れることが多くなった女性が、カウンセラーに相談しているうちに、ある猿が自分の名札を盗んだことが原因だとわかる、簡単に言うと、そのような物語ですが、僕はこの本の中で、この物語が一番面白かったです。

その猿は、その人の名前を盗むことによって、その人のあらゆることを把握してしまうわけですが、その女性の生い立ちについても把握してしまい、猿が告白する場面がとても印象に残りました。

その女性は、ごくごく平凡な人生を送ってきた人物で、現在も平凡な結婚生活を送っており、ものすごい幸福感を持っているわけではないが、取り立てて人生に不満を持っているわけではない、本人自身も言っていたが、「面白みがない」「ドラマチックな要素が何もない」人生を送ってきました。

そして、「嫉妬」という感情を持ったことがなく、それを理解することができずにいました。

しかし、猿の告白によって、その原因が明らかにされました。

その女性は結局は生まれてから一度も、母や姉など家族に愛されていなかったのでした。そのことは本人にもうすうすわかっていたのですが、意図的にその事実から目を逸らせて、心の奥の小さな暗闇に押し込んで蓋をしてしまった。

つらいことは考えないように、嫌なことは見ないようにして生きてきた。

そのようにして、負の感情を押し殺して生きてきた。

防御的な姿勢で生きてきたために、誰にも本心を明かすことがなく、誰かを真剣に無条件で心から愛することが出来なくなってしまった。

なかなか含蓄のある、興味深い物語でした。

結局、自分の感情を押し殺して、蓋をして、偽りの人生を生きてしまうと、何も面白みのない、無味乾燥な人生を送ることになる、村上春樹氏はそう言いたかったのでしょうか。

 

かなり長くなってしまいましたが、全5話、なかなか面白い物語ばかりです。

ぜひ、ご覧になって、村上ワールドを存分に味わってはいかがでしょうか。

 

 

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その6

前回の続きです。

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1⃣新宿ロフト坂本龍一泥酔事件

生前の村上ポンタ秀一氏の「武勇伝」は、書籍「自暴自伝」に詳細に書かれているようですが、その中で、「新宿ロフト坂本龍一泥酔事件」というものがあったそうです。

なかなか興味深く、インタビュアーが山下達郎氏に、事の真相を尋ねていました。

 

当時70年代は、新宿ロフトでセッションが終わると、毎回最後に打ち上げを行い、店中の焼酎・ウィスキー・日本酒などを飲み尽くしていたようです。

店内に、シンボルの潜水艦のオブジェがあったらしく、ふと見ると、いつもポンタ氏の両足が「犬神家の一族」の殺人シーンのように、逆さに突っ立っていたそうです。

仕方なく、達郎氏が泥酔したポンタ氏を抱えて、ハイエースの車の中に叩き込んで、送ってあげたとのことです。

 

達郎氏は、あっさり「盛り」と言っていましたが、真相はどうなのでしょうか。

達郎氏も実は酒癖があまり良くないことは、自身のラジオ「山下達郎楽天カードサンデー・ソングブック」(TOKYOFM)でご自分で言っていたし、桑田佳祐氏も「桑田佳祐やさしい夜遊び」(TOKYOFM)で、達郎氏は酒を飲むと、下ネタが止まらなくなり、「ヤマシタタツマキ」になる、などと言っていました。

真相は、本人の坂本龍一氏に聞いてみるしかありませんが、坂本龍一氏は現在病気療養中なので、なかなか難しいですね。

 

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村上ポンタ秀一氏の波乱に満ちた半生が赤裸々に吐露された書籍「自暴自伝」

 

2⃣村上ポンタ秀一氏のベストドラム

村上ポンタ秀一氏のベストなドラムについては、達郎氏は開口一番、吉田美奈子氏の「恋は流星」(1977年リリースの「TWILIGHT ZONE」収録)だと言っていました。この曲のドラムは、「ダブルドラムス」だそうで、とても素晴らしいと言っていました。

私はドラムには詳しくありませんが、調べてみると、バスドラムが2個セッティングされたドラムセットのことだそうで、略して「ツー・バス」と呼ばれていたそうです。

主に、ハードロックやヘヴィメタルで使用されることが多いそうですが、起源はジャズドラマーのルイ・べルソンだということです。

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「恋は流星」が収録されている、1977年リリースの吉田美奈子氏のアルバム「TWILIGHT ZONE」

 

達郎氏の曲の中では、達郎氏の評価が高いポンタ氏のドラムプレイが光る「DANCER」と言いたいところだが、「MONDAY BLUE」(1978年リリースの「GO AHEAD!」収録)を挙げていました。

あの緊張感は、あの4人でなければ出せなかったとのことで、一人でもずれていたら、ダメだったそうです。

後でブースで聴き返した後、全員で「はあーっ」とため息をついたそうです。

まさに「武士の間合い」そのものですね。

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「MONDAY BLUE」収録の、1978年リリースの山下達郎氏のアルバム「GO AHEAD!」 個人的にはこのアルバムが一番好きです。

 

文春オンラインの「山下達郎ロングインタビュー」は以上で終わりです。

原文をご覧になりたい方は、下記のリンクからどうぞ。

bunshun.jp

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その5

前回の続きです。

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1⃣細野晴臣氏のベース

前回、「『はっぴいえんど』の中で、僕は大瀧さんの歌しか聴かなかった」と、過激な発言をしていたことをご紹介しましたが、その後、しっかり細野晴臣氏のこともフォローしていました。

「細野さんのことは、日本一のベーシストだと今でも思っている」

ただ、このことは、ラジオや他の記事などに、事あるごとに発言していますので、特別に気を遣った発言ではなく、達郎氏の本心だと思います。

そもそも達郎氏は、他人に媚びへつらったりする性格ではありません。

良いものは良い、悪いものは悪い、と、歯に衣を着せぬ発言をする、潔い方です。

細野氏も、歌をしっかり聴いている人だそうです。

「歌をしっかり聴いている」というのは、達郎氏の大きな評価ポイントですね。

また、ポンタ氏も言っていたようですが、「CANDY(アルバム「SPACY」収録)」での指捌きの繊細さは絶妙だということです。

ただ、譜面は間違いやすい、と言っていました。

「LOVE SPACE(アルバム「SPACY」収録)」では3回間違えたそうです。

こういうことを正直に言うところが、いかにも達郎氏らしいです。

ただ、それでも細野氏が、「2度と同じ弾き方はしない」「優れたタイム感を持っている」点は、かなり評価しているとのことです。

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細野晴臣氏もベースで参加した、1977年のアルバム「SPACY」

2⃣ドラムとベースの関係性

達郎氏いわく、ドラムとベースというのは、ピッチャーとキャッチャーに例えられるとのことです。

ドラムというのは、自分なりに感じた「曲想」や、「音楽的な情景の変化」を表現する役割があり、ベースというのは、リズムの根幹を担う役割があるそうです。

ドラムが投げる球を、ベースが受け止める。

新たなリズム・セクション(バンド・メンバー)として、ドラムの青山純氏、ベースの伊藤広規氏が現れましたが、一見のほほーんと見える伊藤広規氏の方が、精神的には青山純氏を引っ張っていたそうです。

実際のライヴや、配信ライヴ等で、伊藤広規氏を見たことがありますが、ぷっくりした体型で、穏やかな顔をしていて、ぽわーんとした雰囲気がある人ですが、人は見かけによらないのですね。達郎氏もよく人を観察しています。

ドラムのポンタ氏もとても寂しがりやということで、一人っ子だということです。

達郎氏も、坂本龍一氏も一人っ子だということで、だから気が合うのだと言っていました。

言われてみれば、そんな感じがします。

達郎氏も、妻の竹内まりや氏(確か長女)とのやり取りを見ていると、包容力のある竹内まりや氏の手のひらの中で、気持ちよく過ごしている感じが見受けられます。

(次回に続く)

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その4

前回の続きです。

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1⃣「DANCER」

山下達郎氏いわく、ポンタ氏は「手数の多さ」とは裏腹に、「歌伴ドラマー」であり、歌をきちんと聴いて、決してヴォーカルを邪魔しない、大切にするドラマーだったそうです。

それだけに、ポンタ氏が「『DANCER』が好きだ」「特に詞がいい」と言ってくれた時は、とてもうれしかったそうです。

この曲は、「ポンタだったら、どう叩くだろう」と思いながら、書いた曲だったから、余計にうれしかったのでしょうね。

ああいう、16ビートを叩ける人は、当時他にはいなかったそうです。

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「DANCER」が収録されている、1977年発表のアルバム「SPACY」

2⃣日本の住宅環境と、作曲の関係

達郎氏いわく、日本のこの狭っ苦しいゴミゴミした住宅環境の中では、バンド演奏ができる環境は厳しかったそうです。

だから、作曲するときは、家で弾き語りでやっていたそうです。

しかし、それだと、いわゆる「グルーヴ感」は出てこないのだそうです。

「グルーヴ感」というのは、ドラムとベースの試行錯誤が必要なのだそうです。

だから、日本の「歌もの」はそこが弱いのだそうです。

イントロがいくらカッコ良くても、歌が出てきた途端に、「ガクッと」テンションが下がってしまう。

これはわかる気がします。

洋楽を聴いていると、最初から最後までカッコ良くて、ノレるのに、日本のポップスやロックの場合、「あ!カッコいい出だしだな!」と思い、期待してノッテいると、ヴォーカルが出てきた途端に、「アレ?」と思うことがよくありました。

達郎氏は、この「弾き語りによる呪縛」から逃れたくて、グルーヴに即したメロディを作るために、後年はマシンでリズムを作るようになったのだそうです。

 

3⃣山下達郎氏のヴォーカルに対する考え方

ところが、ポンタ氏と出会うことによって、「独特の雰囲気」が醸し出されてきました。「グルーヴ感」です。

山下達郎氏のプロデュースによる吉田美奈子氏の1977年のアルバム「TWILIGHT ZONE」は、ほとんど弾き語りで作曲していたそうですが、ポンタ氏がドラムを叩いている「恋は流星」だけは例外で、ポンタ氏の叩くドラムのグルーヴ感がベースとなって成り立っているのでした。

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山下達郎氏・吉田美奈子氏共同プロデュースの、吉田美奈子氏1977年発表のアルバム「TWILIGHT ZONE」 収録曲の「恋は流星」は、ポンタ氏がドラムを叩いていて、今でも人気が高い曲です。 

達郎氏は、日本のロックの発達の歴史も、「歌ものの弱さ」の原因となっていると言っています。

ロックで最初に日本に入って受け入れられたのが、「ベンチャーズ」で、その影響か、たいていギターがうまい人がリード・ギターでスターだったそうです。

その後、リズム・ギター→ベース→ドラムと続いて、キーボード・ピアノは別次元の扱いであり、何もできない人がヴォーカルという図式だったそうです。

だから、グループ・サウンズ時代までは、日本はヴォーカルが非常に弱かったのだそうです。

そのような中で、達郎氏は「歌(ヴォーカル)の立ち位置の革新」というチャレンジを続けていて、それは今でも続いているとのことです。

現在でも続けている「一人アカペラ」などは、そのようなチャレンジの一環なのでしょう。

このインタビューで、「「はっぴいえんど」の中で、僕は大瀧さんの歌しか聴かなかった」と、過激な発言をしていますが、大瀧詠一氏だけが「ヴォーカル・オリエンテッド」だったからだそうです。

続けて、「はっぴいえんどって解散後キャラメル・ママにつながっていったことからわかるように、インストゥルメンタルに重きを置いていた。そこに対する抵抗感がものすごくあったんです。」と、また過激な発言をしていますが、細野晴臣氏とも交流があって、現在でも関係性が続いているのに、意外な発言ではありますが、今だから言える「本音」なのでしょうか。

(次回に続く)

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その3

前回の続きです。

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1978年に入ると、メンバーそれぞれの人生に転機が訪れ、「時代の節目」に差し掛かることになります。

坂本龍一氏はこの年の後半には、「YMO」となり、細野晴臣氏・高橋幸宏氏と組んで、世界中をツアーで回ることになります。

村上ポンタ秀一氏も、ジャンルを超えて、活躍の場が増えることになります。

そのような中で、1978年12月26日の渋谷公会堂でのライヴがこのメンバーでも最後のライヴとなりました。

山下達郎氏も、このタイミングで、新たなパートナーとなる、ドラムの青山純氏、ベースの伊藤広規氏と出会い、自分だけのリズム・セクション(いわゆるバンド・メンバー)を構築できることになります。

 

ただ、ポンタ氏たちと離れた理由は、こう言っていました。

まず、ギャラが高い。前回でもお話ししたとおり、本当に高いと思います。

そして第2に、なんだかんだ言っても結局同じバンドのメンバーというわけではなく、関係性は単なる「スタジオ・ミュージシャン」であり、達郎氏でなくても指名すれば誰でも使えるわけです。

他のアーティストとのセッションで、同じメンバーで収録されたら、結局マネをされて、他のアーティストとの差別化が出来なくなるということです。

この点は、文春オンラインだけでなく、2021年4月18日の「山下達郎楽天カードサンデー・ソングブック」(TOKYOFM)の中でも、詳しくきちんと強調して述べていました。

よっぽど、言いたかったのでしょう。

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村上ポンタ秀一氏、坂本龍一氏など、一流スタジオ・ミュージシャンたちと作り上げた、1977年リリースのアルバム「SPACY」

また、いわゆる「ミュージシャン」は、とても気難しいということです。

ご機嫌を取ることはもちろんですが、ご機嫌を取っているだけでもダメ。

彼ら一流プレーヤーを、どうやってその気にさせて、本気を出させるか。

「きりきり舞い」させなくてはならないのだそうです。

曲作りに関しても、「技術的には難しいけど、作品的には簡単に聴こえる音楽」を作らなくてはならない。

その「塩梅」が本当に難しいのだそうです。

(次回に続く)

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その2

前回の続きです。

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1⃣「SPACY」のレコーディング

アルバム「SPACY」のセッションチームが決まり、山下達郎氏はニューヨークで録音した前作「CIRCUS TOWN」のアレンジャーのチャーリー・カレロが作ってきた緻密な譜面に感銘を受け、譜面を書いたそうですが、せっかく書いた譜面なのに、誰も言うことを聞いてくれなかったそうです。

でも、結果は予想をはるかに上回り、これが一流のスタジオ・ミュージシャンを使う意味なんだ、と大いに実感したそうです。

中でも、「LOVE SPACE」の最初のピアノの部分は、本番で佐藤博氏が突然弾いたものだそうで、予想もしていなかったものが即興で出来ることが、音楽の世界ではよくあることなのだそうです。

「一瞬がものを創る」「いかに出てきた音に即応するか」

音楽というのは、「武士の間合い」にも通づるものなんですね。

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1977年発表の山下達郎氏のセカンドアルバム「SPACY」

当時のこの「SPACY」の売り上げは、1万4千枚くらいだったそうですが、そのような中で、こういった「創造」が生まれていたのですね。

 

2⃣日比谷野音 スプリング・カーニバル

達郎氏は、シュガーベイブ解散後は、自前のバンドを持っていなかったので、ライヴをやる機会は減少していました。

そのような中で、日比谷野音のスプリング・カーニバルの話が舞い込み、メンバーを集めることに苦心します。

シュガーベイブ時代からの付き合いであるピアノの坂本龍一以外は、箸にも棒にも引っかからず、意を決して、ドラムのポンタ氏、ベースの高水健司氏に加わってもらうように交渉したそうです。

当時の彼らは売れっ子でギャラが高く、1ステージのライヴで当時のお金で6万~8万円を取っていたそうです。当時のサラリーマンの初任給が4万5千円ですから、現在価値に換算すると、25万~30万円でしょうか。結構破格です。

仕方なく、本番のみ40分ということで、交渉はまとまったそうです。

でも、たった30分で4曲も仕上がり、やっぱり一流プレーヤーは違う、こういう人たちを使わないとダメだと、痛感したのだそうです。

 

3⃣ライヴ活動

その後のライヴやレコーディングのラインナップは徐々に固まっていきました。

ドラム:ポンタ氏、ベース:岡沢氏、ギター:松木氏、ピアノ・キーボード:坂本氏、サックス:土岐氏

吉田美奈子氏が同じレコード会社ということもあって、学園祭でジョイント共演をして、ギャラを稼いだり、達郎氏がプロデュースした1977年の吉田美奈子氏のアルバム「TWILIGHT ZONE」は、ほぼ同じメンバーでレコーディングしたそうです。

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1977年発表の吉田美奈子氏のアルバム「TWILIGHT ZONE」 山下達郎氏・吉田美奈子氏の共同プロデュースです。

当時は、ライヴハウスだったら、ミュージシャンは一人2万円払えば来てくれたそうで、達郎氏自身をノーギャラにして、みんなに2万円ずつ払って、なんとかペイできたそうで、達郎氏のお金よりも音楽に対する情熱の深さを思い知らされます。

 

4⃣初のライヴアルバム「IT'S A POPPIN' TIME」

そうこうしているうちに、六本木ピットイン・新宿ロフトでのライヴも盛況となり、レコード会社から、ライヴ・アルバムのリリースの話が持ち上がります。

階上にソニー・スタジオがあって、すぐに録音できる六本木ピットインを録音会場として抑え、トントン拍子に収録は決まりました。

アルバム1枚目の3曲目の「ピンク・シャドウ」は、達郎氏いわく、メンバー間の緊張感あふれるインタープレイが旺盛で、演奏の「タイム感」がジャスト、とのことで、このことからも「やっぱりうまいやつじゃないと絶対にダメ」と再び痛感したのだそうです。

まあ、先ほどご紹介した5名に加え、吉田美奈子氏も参加し、本当に一流どころですよね。

ただ、達郎氏は、収録中「楽しい」といった感覚は全くなかったそうです。

こんな一流ミュージシャンに囲まれて、六本木ピットインという一流のライヴ会場で、初のライヴアルバムを収録できるのは、とても恵まれたことではないかと思いましたが、当時の達郎氏は、しばらくライヴから遠ざかっていた影響で自身の声が出ていないと感じていたようで、ヴォーカル・クオリティには満足しておらず、「必死」だったそうです。

他人から客観的に見た感じと、実際の本人の感情というのは違うのだなあと、思いました。

 

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初のライヴアルバム「IT'S A POPPIN' TIME」1978年リリース 演奏メンバーはポンタ氏、坂本龍一氏をはじめ、一流どころばかりです。

5⃣村上”ポンタ”秀一氏の素顔

ポンタ氏というのは、ヴォーカルをいかにサポートするかを繊細に考えてくれるドラマーだったそうです。

この「IT'S A POPPIN' TIME」でも、シンバルが鳴らないようにカスタマイズしていたそうで、達郎氏は後でそのことを知ったそうで、とても感銘したそうです。

テクニカルな面ばかりが評価されていましたが、実はたいへん歌を大事にしていた方で、常にヴォーカルを侵害しない演奏を心掛けていたのだそうです。

達郎氏は、ポンタ氏はバラードの表現力は抜群で、「MONDAY BLUE」(1978年リリースの「GO AHEAD!」収録)がベストな演奏だと言っています。

しかし、そんなポンタ氏にも苦手な曲調はあったらしく、跳ねるリズムが苦手だったそうです。

70年代は「キックが弱い」と達郎氏いわく、不当な批判を受けていたそうです。

でも、演奏の「タイム感」は抜群で、「PAPER DOLL」(「IT'S A POPPIN' TIME」「GO AHEAD!」収録)は、「今聴いてもしびれる」と言ってました。

ただ、これも「武士の間合い」で、一流プレーヤーばかりでも、一人だけうまくてもダメなのだそうです。

音楽というのは、奥が深いですね・・・

 

次回に続きます。

山下達郎ロングインタビュー「村上”ポンタ”秀一」その1

2021年3月9日、日本を代表するドラマーの村上”ポンタ”秀一が70歳で亡くなりました。

ポンタ氏は、山下達郎氏の1977年のアルバム「SPACY」や1978年のライブアルバム「IT'S A POPPIN' TIME」にドラマーとして参加し、70年代の音楽シーンを山下達郎氏をはじめ、様々な気鋭のミュージシャンを支えてきた「戦友」だったそうです。

 

2021年4月11日(日)、山下達郎氏のレギュラーラジオ番組「山下達郎楽天カードサンデー・ソングブック」(TOKYO FM)では、「極私的 村上“ポンタ”秀一 追悼」特集が放送されました。

山下達郎氏は、放送中に、文春オンラインに掲載された自身のロングインタビューについて触れ、「このラジオではポンタのゆかりの音楽を流すだけで精いっぱいで、いろいろな当時の話については、文春オンラインの僕のインタビューをぜひ読んでほしい」と言っていました。

そこで、ネットに掲載されている文春オンラインの山下達郎氏のロングインタビューを読みましたが、これがなかなか興味深かった。

確かに長いインタビューですが、3パートに分かれており、さらに5つのセクションに分割されているので、とても読みやすかったです。

今回は、その中の最初のパートの部分を簡単にご紹介したいと思います。

 

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文春オンラインの「山下達郎ロングインタビュー」トップ画面

1⃣ドラマーと言ったら、ポンタ

村上”ポンタ”秀一氏は、1970年代は売れっ子スタジオミュージシャンだったそうです。

 ドラマーと言ったら、ポンタで、1日に6~7か所のスタジオをタクシーで回っていた、スタジオミュージシャンの「スター」でした。

1回当たりの録音が3時間2曲セットで、それを朝の9時から夜11時まで繰り返していたそうです。

 

ポンタ氏と知り合った当時の達郎氏はまだシュガーベイブをやっていた時期で、まだまだ下積みの駆け出しの頃でした。

当時の東京のスタジオミュージシャンは、どこかエキセントリックで排他的だったそうです。

いわゆる「アッパーミドル(中上流所得層)」で、慶応や明治学院などの私立付属高出身の人種が多かったらしく、そのような人種にしか、いい楽器は買えなかったそうです。

日本のロックの基盤を作ったといわれる「はっぴいえんど」から「キャラメル・ママ」・「ティン・パン・アレー」への流れを作った細野晴臣氏・松本隆氏・大瀧詠一氏・鈴木茂氏も、「お坊ちゃま」然りとした独自の排他性を持っていたそうです。

その頃、サラリーマンの初任給が45,000円の時代に、ギブソンレスポールは32万円、一番安いテレキャスターが17万円、ドラムのランディックなどは50~60万円もしていたのですから、ミュージシャンになるのは本当に大変だったのですね。

達郎氏は、まだ売れる前だったので当然金はなく、ギターはモーリス・アリア、ドラムはパールの一番安いやつを使うのが精一杯だったとのことです。

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言わずと知れた1970年代の名盤、シュガーベイブの「SONGS」

こちらは40周年記念盤で、当時の貴重なライブの未発表音源、2015年版のリミックス版も収録されています。

 

2⃣アルバム「SPACY」への参加

しかし、そのような、まだ駆け出しの頃の達郎氏に対して、ポンタ氏は差別することは一切なかったそうです。

素晴らしいテクニシャンだけど、受容度が高く、本当にやさしい人で、体調を崩してからも、死ぬまで後輩の面倒を見ていたそうです。

その頃は、吉田美奈子氏・大貫妙子氏、村松邦男氏とともに、コーラス隊を組んでいた達郎氏で、端から見れば単なる「コーラスボーイ」だった達郎氏が「ライブでドラムを叩いてほしい」とお願いした時も、快く応じてくれて、裏表が一切ない人物だったそうです。

その後、1976年の吉田美奈子氏の名盤「FLAPPER」に「永遠に」という曲を提供し、この曲のドラムをポンタ氏が演奏することによって、密なコミュニケーションが始まり、1977年の達郎氏のセカンドアルバム「SPACY」への参加につながったとのことでした。

アルバム「SPACY」のセッションチームは、達郎氏いわく「ドリームチーム」だったそうで、ベース:細野晴臣氏、ドラム:ポンタ氏、キーボード:佐藤博氏、ギター:松木恒秀氏という錚々たるメンバーでした。

細野さんは、この頃よく椅子の上にあぐらをかいて座ってベースを弾いていて、それを見た松木氏がポンタ氏に向かって「お前生意気だぞ!って言ってこい」と命じたというエピソードは、なかなか面白かったです。

 

長くなりましたので、パート2は次回ということで。

なお、2021年4月18日(日)、14:00~14:55に放送される、山下達郎氏のレギュラーラジオ番組「山下達郎楽天カードサンデー・ソングブック」(TOKYO FM)では、「極私的 村上“ポンタ”秀一 追悼」特集の第2弾が放送される予定ですので、ぜひ聴いてみてください。

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1977年発表の山下達郎氏のセカンドアルバム「SPACY」