先日(2022年12月16日)劇場公開した「Dr.コトー診療所」の映画を観に行きました。
前回の続きとなります。
前回ブログでもご説明しましたが、
実は、僕は当時一応テレビで観ていましたが、それほど入れ込んでいたわけではなかったので、それほどこの作品に詳しかったわけではありません。
今回の映画もこの作品に当時入れ込んでいた妻の誘いで観に行きました。
なので、ファンの方からすると、見当違いで腹が立つ話もしてしまうかもしれません。
あくまでも、僕自身の個人的な見解なので、そのあたりはご理解のほどよろしくお願いいたします。
また、劇場公開したばかりなので、ネタバレになってしまうので、そのあたりもご注意の上、よろしくお願いいたします。
3.倒れてしまったコトーと彩佳
島を襲った未曽有の台風災害で、様々な傷病を負った島民たちが、コトーの診療所に押し寄せ、コトーと彩佳・那美・判斗の4人しかいない診療所は混乱を極めます。
押し寄せた島民たちが「早く診てくれ」と叫ぶ中、4人は身動きが取れない状態となり、白血病を患ったコトーと妊娠中の彩佳はとうとうその場に倒れてしまいました。
しかし、この緊急事態にも関わらず、そこに居合わせた島民たちは、まるで再生一時停止したビデオのように微動だにせず、何もできずに硬直したままになってしまいます。
僕は、このシーンにとても違和感を覚えました。
なぜ、自分たちを救ってくれる大切なコトーたちが倒れてしまったのに、誰も動き出そうとしなかったのか、介抱しようとしなかったのか。
僕はここに、先ほどの判斗の言葉「島民全員がコトー先生に頼り切ってしまった」という本質を見た気がします。
例えるならば、頼り切っていた親が倒れてしまうと、子供はただなすすべもなく、立ち尽くすだけとなり、親が入院しても、意外と見舞いにも行かなかったりする、それと似た状況を感じました。
4.「全員を助けることなんて無理だ!」
このような状況の中、一人の老人は心臓マッサージをずっと続けていないと死んでしまう状況となり、倒れてしまったコトーに代わり、判斗は懸命に心臓マッサージを続けますが、ちょっと緩めると、すぐに心拍数が下がってしまいます。
コトーと彩佳が倒れてしまった今、判斗はこの老人の心臓マッサージから手を離すことが出来ず、看護師の那美だけでは、この大勢の患者に対応することはとても無理でした。
なのに、誰も動こうとせず、硬直したままです。
そこで、判斗は懸命に心臓マッサージを続けながら、こう叫び続けました。
「全員を助けることなんて無理だ!」
コトーは今まで一人残らず助けることに全力を傾けてきました。
それはとても偉大で崇高な考えではありますが、やはり限界というものがあります。
このような非常事態では、助かる見込みのある患者を優先することが医療の原則だと思います。
申し訳ないと思いますが、老い先短い人生であり、治る見込みがほとんどない一人の老人だけに一所懸命になるより、手を施せば治る患者を優先することが何より重要であると思います。
それをせず、手を施せば治る患者に、何もできなかったために、そのような患者の病状が悪化して死んでしまうことの方がよっぽど問題なのではないでしょうか。
判斗の悲痛な叫びに、僕はそのような思いを感じました。
5.あきらめない
あいかわらず、みんな硬直したままであり、判斗は力尽きて老人の心臓マッサージをやめてしまいます。
やめた後、すぐに心拍数は下がっていき、ゼロになってしまいました。
そこへ、足を負傷して動くのも困難な原剛洋の父、原剛利が這いつくばりながらこう叫びます。
「オレはあきらめないぞ!」
それに呼応するかのように、息子の剛洋は動き出して、判斗に代わって老人の心臓マッサージを始めます。
すると、ゼロだった心拍数がみるみるうちに上がっていき、115くらいまで上がったところで、老人は生還します。
「あきらめなかったから、老人は生還できた」
とても感動的なシーンだと思いますが、またしても僕は違和感を覚えました。
ゼロになって、結構な時間が経っていたと思いますが、現実的にこのようなことが起こるのか?
心臓を患ったことがある僕としては、とても違和感を感じました。
「あきらめなければ、必ず成功する」
監督と脚本家はこのことを訴えたかったのかと思います。
あきらめなかったから、老人が生還した。
あきらめなかったから、倒れて瀕死の状態だったコトーが再び立ち上がって、今度は危険な状態の美登里の難しい心臓手術を、よろめきながら行い、無事成功させた。
しかし、僕はこの昭和の精神論のようなシーンに、とても違和感を感じ、受け入れることが出来ませんでした。
日本人は「あきらめない」ことが好きな国民だと思います。
映画から飛躍してしまいますが、だからこそ負けるとわかっている第二次世界大戦の悲劇を引き起こしてしまった。
「特攻」「玉砕」などの悲劇を生んでしまった。
「あきらめる」ことは決して悪いことだとは思いません。
「明らかに見る」が語源だと聞きましたが、現実社会ではこちらの方がうまくいくことが多いのではないでしょうか。
⑥まとめ
最後のシーンとなりますが、妊娠中で倒れてしまった彩佳が寝ている姿を、コトーが見守っています。
そして、微笑んでいたコトーが、ついに力尽きて、倒れてしまいます。
イスにもたれかかり、腕をぶらーんとさせて、まさに死を迎えたようなシーンでした。
その後、何もなかったような島の日常が映し出され、みんな何事もなかったように笑い合う姿が映し出されました。
そして、最後には生まれてきた子を抱き上げるコトーの姿が・・・
その後、剛洋が東京に戻り、無事大学に復学して、実験に熱中する姿が映し出されました。
ハッピーエンドのとても清々しいエンディングでした。
しかし、やはり出来過ぎた違和感がぬぐえず、これはフィクションだと痛感せざるを得ない思いでした。
ただ、パンフレットを読むと、出演したキャストが皆口々に「昔からだったけど、今回もとても大変な撮影現場だった」と言っていました。
昔からだったけど、監督には同じシーンを何十回と繰り返すように指示されたとのことです。
温厚な吉岡秀隆でさえ、「僕も人間ですから」と言っていました。
しかし、吉岡秀隆をはじめ、全てのキャストの演技力は皆抜群だったと思います。
そういう意味では、昔からのコトーファンにとっては、とても良い映画だったのではないでしょうか。