先日2024年4月14日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊の立川市市民会館 たましんRISURUホールで行われたライブを観に行ってきました。
昨年2023年4月の日本橋三井ホール、9月の関内ホールに続いて、3回目の参加となりました。
日本橋三井ホール・関内ホールのライブともども、あまりにも武田鉄矢氏のトークが面白く、海援隊の曲も気に入ってしまい、妻も機会があればまた行きたいと常々言っていました。
そこへ、ちょうど自宅周辺エリアから近い場所でのライブがあることがわかり、すぐに申し込んで参加することとなりました。
今回もほぼ武田鉄矢氏のトークが中心で、正直トークの内容はいつもとそれほど変わらないのですが、やっぱり本人の口から直接聞くと、思わず爆笑してしまいました。
他の方々も何度も参加している方だと思いますが、きっと同じ話でも何度も笑ってしまうのだと思います。
会場全体で爆笑していました。
開演時間は午後2時半からですが、ほぼ時間ピッタリに3人がステージに入ってきました。
3人とも70代ですが、元気いっぱいという感じでした。
「やあやあ、みなさんわざわざここまでお越しいただいてありがとうございます。お元気ですか?」
の武田鉄矢氏の呼びかけに対して、最前列に座っていた若そうな眼鏡をかけた男性が元気な声で、
「今日は僕の誕生日です!」
と答えたので、
「そうなんだ!ところで何歳になったのですか?」
「43歳です!」
とその男性は答え、そんな感じで会場の観客たちと何気ないやり取りをして、1曲目の「そんぐふぉあゆう」の演奏が始まりました。
2曲目は海援隊の1980年の最大のヒット曲にして、かの超有名な人気学園ドラマ「3年B組金八先生」の主題歌である「贈る言葉」の演奏が始まりました。
今回は始まりのギターのイントロがいつもと違う感じでしたが、この曲は何度聴いても遠い過去である自分の小学生時代を思い出して、ジーンときてしまいます。
曲が終わった後は、毎回話しているこの曲が出来た成り立ちの話となりました。
以前のブログでもお話しましたが、この曲はとてもさわやかなメロディでジーンと来る歌詞ではありますが、実は全然そんなことは無い、若き日の武田鉄矢氏の大失恋の話が元になったとのことでした。
福岡の女性はいい時はとても可愛いのですが、いったん関係性が悪くなると、とてもキツイ性格になり、かなりキツイ言葉を浴びせかけてくるのだそうです。
ある居酒屋で突然別れ話を持ちかけられて、突然の話に武田鉄矢氏がすすり泣いてしまうと、ひと言
「女々(めめ)しか!」
と言ったとのことです。
そして、席を立って出て行こうとする彼女の腕をグッと握って引き留めようとしたら、更にひと言
「大きい声出すわよ!」
と言われて、さすがに自分が犯罪者扱いされたように感じて拍子抜けし、即座にあきらめたのだそうです。
ただ、ここで自分が偉かったのは、決して彼女を追いかけなかったことだったそうです。
ここで追いかけるかどうかで、人間性や情景が全く変わってしまい、「ストーカー」となるかどうかの分かれ目になるので、そうならなかった自分が本当に偉かったと強調していました。(これは毎回強い口調で話しています)
まあ、この話も以前のブログで何回もお話しておりますので、今回は新たに聞いたお話をご紹介したいと思います。
1⃣ 「幸せ」とは?
武田鉄矢氏は娘さんが2人いる4人家族だそうです。
まだ娘さんが小さかった頃、4人で夕ご飯を食べていたのですが、娘さんはとてもお腹が減っていたのか、あっという間に食べ終わってしまったのだそうです。
まだ食べている武田鉄矢氏をなにやらうらめしそうに見ていたので、「どうだ、これ食うか?」とおかずのコロッケかなんかをあげたのだそうです。
すると、にんまりと満面の笑みを浮かべて、とてもうれしそうに食べたのだそうです。
その娘さんの姿を見て、武田鉄矢氏はとても幸せな気持ちになったのだそうです。
「人間て不思議なものですよね・・自分が完全に満たされた状態より、相手が幸せで、自分が少し幸せでない、こういう状況の方がとても幸せを感じるのですよね・・・」
「ホント、人生というか、幸せというのは、実に哲学的だなあ、と感じた瞬間でしたね」
これはなかなか含蓄のある話で、けっこう共感しました。
確かに自分が欲しいものをすべて手に入れ、食べたいものをお腹いっぱいに食べた、大満足の状態より、なにか自分のものをある程度犠牲にして相手に与えて、相手が喜ぶ姿を見る方が、なぜか幸せを感じることが多いような気がします。
この辺は、精神科医で作家の樺沢紫苑先生も言っていましたが、脳内物質が関係しているのでしょう。
自分自身が満足することはドーパミンの作用で長続きはしませんが、相手が喜ぶ姿を見るのはオキシトシンの作用なので、なかなか逓減することはありません。
なかなか考えさせられました。
2⃣ 家族との絆とは? 商売とは?
武田鉄矢氏は5人きょうだいの末っ子ですが、お姉さんが3人いたそうです。
その三女であるお姉さんは、神戸でぼったくり?のスナック(武田鉄矢氏がそのように言っていました)を経営していました。
ところが1995年の阪神淡路大震災で、店は潰れてしまったそうです。
意気消沈して命からがら故郷の博多に帰ってきたお姉さんは
「もう神戸はコリゴリや!これからは博多で生きていく!」
と半べそを搔きながら言ったそうです。
ところが、それを聞いた武田鉄矢氏のお母さんは厳しい口調で
「何を言うとんねん!今すぐ神戸に戻れ!」
と厳しく叱ったとのことです。
(母ちゃんこそ、何を言うとんねん、どういうことや?)と思っていると、
お母さんはこう言ったのだそうです。
「小商売やって生きてきたんだったら、店を閉めるとは何事や!」
「小商売やっている商売人だったら、店なんか閉めずに、何が何でも看板掲げて店を開けてろ!」
しかし、震災で建物は傾いており、看板を掲げるどころではありません。
「看板が無いんやったら、提灯でもぶら下げてろ!」
こう言って、娘を神戸に追い返してしまったそうです。
まあ、これを聞いて、なんかスゴイお母さんだなあと、ちょっと引いてしまいました。
普通だったら、震災でツラい目に遭った娘を慰め、しばらく故郷の博多で一緒に暮らすことを提案し、援助するのが家族であり、親子ではないかと思うのですが、まあいろいろな人がいるもんですね。
このお母さんも、働かないでギャンブル狂いのどうしようもない亭主を支えながら、小さなタバコ屋を経営して、5人の子供たちを育て上げた商売人であり、苦労人ですから、こんな言葉が出るのでしょうかね。
長くなってしまったので、続きは次回のブログで!