先日2023年9月2日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊の横浜関内ホールで行われたライブを観に行ってきました。
海援隊のライブは今年4月1日にも日本橋三井ホールで行われたライブを観に行っていたのですが、あまりにもトークが面白く、曲も意外と良かったので、妻が大ファンとなってしまい、僕も良かったので、再度観に行くことになりました。
前回ライブのレポートは以下をご覧ください。
今回のライブも、前回のライブとほぼ同じ内容で、トークも同じことを話すのではないかと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。
新しいトークもふんだんに盛り込まれていて、再び爆笑してしまいました。
会場に着き、中に入るとロビーがあり、そこでCDやグッズが販売されていました。
武田鉄矢氏は、本を出版したようで、7月に発売されたばかりの新刊「向かい風に進む力を借りなさい」が山積みになっていました。
しかも、全てがサイン入りということで、すぐに購入しました。
CDも前回には陳列されていなかったものがありました。
藤子不二雄氏との親交が深かったので、ドラえもんの映画の主題歌はすべて海援隊が担当していたそうで、そのサントラ盤があったので、すぐに購入しました。
今回は、前回には無かったトークを順次ご紹介していきたいと思います。
①コンサートツアーの成功と新境地の開拓
ここ数年の海援隊のコンサートツアーは、なかなか盛況のようで、武田鉄矢氏も同じことをずっと繰り返してやっていけばいいのではないかと思っていたそうですが、最近スタッフから言われたそうです。
「武田さん!そろそろ新しい曲をやらないとマズいんじゃないかと思いますよ」
そう言われて、武田鉄矢氏もちょっとマンネリ化してやばいのかなあ、と思い始め、すぐには出来ないけど、老骨に鞭打って、新曲を順次作成していこうと考えているそうです。
まだ、完成版ではないのですが、今回2曲ばかり演奏されました。
一つは、どんな人にも覚えていないクラスメイトがポツリポツリと何人かいるものだ、という内容を表したちょっとコミカルな小品。
もう一曲は、「皆さんに元気に生きる元気を与える曲を作ってみました」と言って、会場全体で合唱された「明日天気になれ」という、アコースティックで清々しい感じの曲でした。
②1979年3月発売「JODAN JODAN」のエピソード
2曲目に、武田鉄矢氏いわく「海援隊史上最大の(唯一の)大ヒット曲」である「贈る言葉」がしめやかに演奏され、前回も話された「贈る言葉」創作時の武田鉄矢氏の大失恋のエピソードが話されました。
「贈る言葉」は1979年11月に発売され、年明けと同時に「3年B組金八先生」の主題歌として徐々にチャートを駆け上り、大ヒットした曲で、「暮れなずむ街の・・・」で始まるこの曲は実に抒情的で、清々しい青春ソングといった曲です。
ところが、同じ1979年3月に発売された「JODAN JODAN」という曲は、全く正反対の曲で、なんというかコミカルかつ厭世的で、あくまでも僕の感想ですが、「ちょっとダサめ」なポップスという感じなのです。
武田鉄矢氏も言っていました。
「あんな曲の後に、よく『贈る言葉』みたいな曲を書けたもんだよな・・・」
当時、西城秀樹氏の「ヤングマン」という曲が大ヒットしていて、身振り手振りで「Y・M・C・A」と叫んでアルファベットの型を取って振付をするのが流行っていたのですが、武田鉄矢氏はそれを見て、こう思ったそうです。
「こんなヤツなんかに負けるもんか!!と一念発起して、この曲を作ったのです」
(西城秀樹氏のことを「こんなヤツなんかに負けるもんか!!」なんて思っていたんですね・・・)
そして、3曲目として、「JODAN JODAN」を歌い始め、一所懸命に身振り手振りで「J・O・D・A・N!! J・O・D・A・N!!」と叫びながら、アルファベットの型を取って振付をしながら、歌っていました。
しかし、会場の観客たちは、やっぱり恥ずかしいのか、あっけに取られていたのか、ほとんど一緒に振付をしている人がいなくて、ちょっと武田鉄矢氏が気の毒でした。
③藤子不二雄氏とのエピソード
武田鉄矢氏は60歳の頃、心臓の大動脈弁の大病を患って1ヶ月ほど入院していたようで、その時のエピソードや、同じ病室で仲良くなった86歳のおばあさんとのエピソードを話しました。(前回と同じ内容でした)
その後、藤子不二雄氏との思い出話に移りました。
藤子不二雄氏は、海援隊をとても気に入っていたようで、ドラえもんの映画の主題歌や挿入歌を全て任せていたそうです。
そして、武田鉄矢氏は娘たちを連れて、よく藤子不二雄氏の自宅へ訪問していたそうです。
ある日、娘が言ったそうです。
「なんで、ドラえもんはいないの?」
すると、すかさず藤子不二雄氏はこう答えました。
「ドラえもんはね。のび太たちと一緒にテレビ局に行って、撮影しているんだよ。だから、来週あたりの放送で観れると思うよ」
しかし、娘もさるもの、更にこう尋ねます。
「それじゃあ、忍者ハットリくんはいないの?」
すると、藤子不二雄氏はまた平然とこう答えます。
「忍者ハットリくんはね。忍者だから昼間は出てこないんだよ」
さすが、子どもを相手にしている職業をやっているだけあって、受け答えはよどみない!
前回のライブで話されなかったエピソードは、まだまだ続きます。
とても全部を一度にご紹介しきれないので、続きは次回のブログで!