前回の続きです。↓
pilgrim1969.hatenablog.jp
本殿のすぐ横にある「水眼(すいが)」と呼ばれる名水の清流の音に癒やされながら、先に進んでいき、「前宮二之御柱」をしばし眺めていると、 「水眼(すいが)」を挟んで向こう側に「前宮三之御柱」が見えました。

「前宮二之御柱」の向こう側に、「水眼」を挟んで、「前宮三之御柱」が見えます。このコントラストがなかなか素晴らしいです。

「水眼」と「前宮三之御柱」 中央の青い光が神がかった雰囲気を醸し出しています。

本殿を挟んで、反対側に行ってみると、「前宮一之御柱」がそびえ立っていました。
本宮と違って、御柱は近いところをわかりやすい位置に立っています。

もう少し先に進んでみると、「前宮四之御柱」がすぐに見つかりました。

本殿の裏側には、樹齢千年はあると言われている大木がいくつかそびえ立っていました。

こちらもなかなか立派です。

鳥居の方まで戻ってきました。4つの御社の中で最も古い由緒ある御社であったことが伺われました。

中世までは祭政の中心であり、統括していた諏訪明神の現人神と言われていた「大祝(おおほうり)」の居館と神殿があった場所で、「こうどの」と言われていて、前宮にとって重要な建物が存在していました。この一体は「神原(こうばら)」と言われていたそうですが、戦国時代に同族間争いで荒廃してしまいました。それでもなんとか清地にかえして、一応大祝の居館として、近世まで続き、祭儀は引き続きここで行われていたそうです。諏訪大社の上社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡とのことです。
上社の本宮・前宮と堪能し、この後、幕末まで政治の中心だった諏訪氏の居城「高島城」へ向かいます。
続きは次回ということで。