村上春樹氏の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読みましたので、僕なりの感じたこと・気付きを述べさせて頂きます。
この本は、約10年前に出版された本ですが、主に2005~2006年に書かれ、編集されたもののようです。
村上氏が、ハワイやアメリカのケンブリッジ、北海道など、世界の様々な場所で、フルマラソンやトライアスロンの大会に参加して、その時の心境や身体の状況をドキュメント風に綴ったものです。
村上氏は、1978年4月1日、神宮球場でヤクルトvs広島戦を観ながら、小説家になろうと決心し、デビューしましたが、それまでにきちんとした運動をしたことがなく、体力があまり無かったために、短編のようなものしか書くことが出来ず、長編を書くためには基礎体力が必要と考え、マラソンを始めたのがきっかけだそうです。以後、現在に至るまでに、フルマラソンは20数回以上、トライアスロンにも数多く参加しているとのことです。
村上氏の人生の最優先事項は、「小説を書く」ことであり、「走る」ことは、小説を書くための「訓練」と位置づけているようですが、僕の印象としては、この本では、「走る」ことを通して、氏の人生哲学を訴えているような、そんな感じがしました。読む人によって、感じたこと・注目することは異なると思いますが、私なりの感じたこと・気付きを述べさせて頂きます。
気付き①
「走る」こととは違いますが、村上氏の典型的な日常生活のスケジュールを記している場面がありました。村上氏は、毎日朝の五時前に起きて、夜の十時前には寝てしまうそうです。そして、村上氏にとって、一番うまく活動できる時間帯である早朝の数時間に、エネルギーを集中して大事な仕事を終えてしまうのだそうです。その後、運動したり、雑用をこなしたり、あまり集中力を必要としない仕事を片付け、日が暮れたらのんびりして、本を読んだり、音楽を聴いたりして、仕事はしないそうです。
これを読んで、僕は敬愛する樺沢紫苑先生がいつも話している、「朝のゴールデンタイム」を活用して、集中力を駆使し、効率的に仕事を行う、仕事術・時間術を思い出しました。「朝のゴールデンタイム」とは、起床後の2~3時間の最も脳が冴え渡る時間のことです。村上氏はまさにこれを実践しているのでした。
僕を含めた日本のサラリーマンにとって、「朝のゴールデンタイム」は通勤時間になってしまっています。それも地獄の満員電車で、身動きが取れない状態です。会社に着いても、まずやることは、あまり集中力を必要としないメールチェックであり、朝のミーティングなどであることがほとんどです。本当に集中力が必要である、資料作成などを行う時には、「朝のゴールデンタイム」は既に終わっています。
村上氏は、おおよそこのパターンで約20年間過してきたそうですが、仕事はとても効率良くはかどったと言っています。僕のようなサラリーマンにはちょっと真似するのは難しいかもしれませんが、見習うべき点はあると思います。
気付き②
その後、村上氏はこのように続けています。
「ただし、こういう生活をしていると、(中略)人付き合いは間違いなく悪くなっていく。腹を立てる人も出てくる。(中略)片端から断ることになるからだ。ただ僕は思うのだが、本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう」
この言葉は、僕の頭を打ちのめしました。そうです。人生の時間が有限である以上、全てのことをやることは出来ないのです。それ故、自分の本当に大事な価値観・それに従った優先順位で物事を進める必要があるのです。
他人の価値観・優先順位ではなく、自分の価値観・優先順位です。日本人はとかく人の目を気にし、僕の周りでも他人の決めた価値観・優先順位で生きている人が非常に多いのですが、本当はそんなことをしている暇は無いのです。「みんなにいい顔はできない」と村上氏は締めくくっていますが、まさにその通りです。
気付き③
村上氏は、「小説家にとってもっとも重要な資質とは何か?」という問いに、まずは才能だが、その次に必要な資質は、集中力と持続力だと言っています。
「自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力」、そして、「日々の集中を、半年も一年も二年も継続して維持できる力」
これらが無ければ、大事なことは何も達成できない、と言っています。これらは、何も小説を書くことだけに当てはまることではなく、全ての仕事に当てはるような気がします。
これらは、才能と違って、トレーニングによって後天的に獲得して、資質を向上することが出来る。そのトレーニングを続けることによって、元々才能にそれほど恵まれていない人たちでも、才能の「代用品」として、集中力と持続力を有効に利用し、場合によっては、自分では気が付かなかった「才能」を開花することが出来る。これを読んで、僕はとても励まされる思いでした。そして、村上氏自身、そのようなことを可能にしたのが、「走る」ことで、道路を毎朝走ることから学んだのだそうです。
まとめ
村上氏は、この本の終盤において、ランナーのレースになぞらえて、自身の人生観を如実に語り、このようにまとめています。
「~たとえそれが実際、底に小さな穴のあいた古鍋に水を注いでいるようなむなしい所業に過ぎなかったとしても、少なくとも努力をしたという事実は残る。効能があろうがなかろうが、かっこよかろうがみっともなかろうが、結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ」
「個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまでも副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした。耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な-どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な-教訓を学び取っていくことである」
このことは、いわゆるランナーにとっての話だけにとどまらず、全ての人の人生に言えることでしょう。
僕自身のこれまでの人生を振り返っても、本当に価値のあるものごとは、確かに簡単には得ることは出来ず、決してスマートにかっこよく得られることはありませんでした。
僕はほとんど営業職でしたが、お客さんや取引先から怒られ、大汗をかいて、ぶざまな姿を晒しながら、教訓を学んだり、くだらない失敗をして、上司に怒られ、そこから改善していこうと、日々愚直に繰り返してきたことから、学んだことは多かったと思います。そして、成績や見た目や周りの人の評価よりも、自分自身が納得の行くまで自らの力を全力で出し切ったか、そこから何らかの学びを得ることが出来たか。
この本は、とても読みやすい内容でありながら、内容はとても骨太で、単なるマラソンやトライアスロン紀行記ではない、学びの多い素晴らしい本でした。