先日2023年9月2日、俳優の武田鉄矢氏率いる海援隊の横浜関内ホールで行われたライブを観に行ってきました。
前回の続きです。
ギターの中牟田氏の自身の母親のことを歌った「自画像」の後、今度は武田鉄矢氏が自身の母親のことを歌った「母に捧げるバラード」が演奏されました。
「同じ母親の歌でも、何でこんなにも違うんだろうなあ?・・・」
武田鉄矢氏がそうつぶやいた後、また長いMCが始まりました。
あの吉幾三氏の話になり、最近テレビで共演したそうです。
「彼は自分によく似ていてそっくりだと思ったんですよ。昭和の貧しさを一身に背負って醸し出している人間で、何か見ていてツラくなってくるんだけど、妙に共感できるんですよ」
「でもね、外見は全然似ていないですよ!彼は意外と背が高くて、手も足も長く、スラッとしていてカッコいいんですよ」
「父親は農家をやりながら、浪曲か何かをやっていて、本当にお金がない家だったらしい。8人兄弟の末っ子で、家には家畜がいっぱいいたそうです」
ここで、吉幾三氏の子供時代のエピソードとなりました。
家畜の中で、「コッコちゃん」というニワトリがいたそうで、吉幾三氏にとてもなついていて、いつも通学の途中までついてくるような間柄だったそうです。
ところがある日、突然いなくなってしまいました。
そこで、とても心配になり、夕食を食べた後、父親に恐る恐る訊いてみました。
「父ちゃん、ニワトリのコッコちゃん、どこ行ったか知っているかい?」
すると、すかさず父親はこう答えました。
「えっ?お前さっき夕飯の時、食べただろう!」
それを聞いて、何も言えなくなり、とてもショックだったそうです。要は、このコッコちゃんを食べざるを得なかったほど、貧しかったということなのでしょう。
「僕は、いちど、この吉幾三と一緒に仕事をしようと考えているんです」
「でも、まだ彼には言わないでおいてくださいね」
「まあ・・・何というか・・・彼に会って話をするのは、あまり何というか・・・気持ちのいいものではない・・・」
とても似ているがゆえに、吉幾三氏に対しては、相反する矛盾した感情があるように見受けられました。
その後、母親の死に際の最期の言葉の話になりました。
武田鉄矢氏の母親は、死に際に「あーーよく働いた!」と言ったのが最期だったそうです。
確かに、稼ぎが悪く、ろくに家に金も入れなかった父親の尻ぬぐいのため、寝る間も惜しんで働きながら、5人の子供を育ててきたのだそうです。
ここで、武田鉄矢は遠くを見つめるような感じで、こう続けました。
「昭和の時代は、どこの家でも、お金のことで、よく夫婦喧嘩をしていたものでした」
「僕の両親もそんな感じでした。父親は家にはろくに金を入れず、母親はこれからどうやって生きてけばいいのかと、いつも泣き叫んでいました」
「そういう姿を見て、とても悲しくなり、一人家を出て公園などを散歩したりしていました」
「ふと街灯を見ると、涙で二重に見えて、それがなかなか良かった。悲しくなると、神様はものを二重に見えるようにしてくれる。それによって気持ちを和ませてくれるんだなあ、とそう感じました」
僕の家も似たようなものだったので、これらの言葉はとても共感しました。
なぜかここで南こうせつ氏の母親の話になりました。
南こうせつ氏はお坊さんの息子だったそうで、そのため母親の葬儀には是が非でも出席しなければなりませんでした。
そこで聞いた母親の最期のセリフは、
「本当は、お父さんのことは好きじゃなかった・・・」
だったそうです。
これにはズッコケたそうで、きょうだい全員で「母さん、もう死ぬんだからいいじゃないか」とわけのわからない慰め方をしたそうです。
そして、吉幾三氏の母親の話になりました。
吉幾三氏の母親の死に際の最期の言葉は、
「パンツ履く暇が無かった」
でした。
とても貧しかったのに、父親は子作りばかりに励んで(8人の子供)、そのくせ子供の面倒は一切見なかったそうです。
その後、「思えば遠くへ来たもんだ」をしみじみとした感じで演奏し、また長いMCが始まりました。
「人生というのは、ずっと人気者だとロクなものにならないと思うんです」
「浮き沈みがあってこそ、本当の人間というものが出来上がるのだと思うんです」
「吉幾三というのは、僕と人間の『柄』が同じなんだと感じています」
「染物なんかもそうですが、綺麗に染め上げたものを、一度泥水なんかに浸けるんだそうです。すると、本当に綺麗になるんだそうです」
「人間もそうなんじゃないかあ・・・一度泥水に浸からないと、本当の人間にはならないと思うんです」
とても含蓄のある言葉で、すごく共感しました。
ただ、今回購入した新刊にも書いてありましたが、実はある有名な音楽家Y氏のことを言っているのではないかと感じてしまいました。
(妻も言っていました)
長くなりましたので、続きは次回のブログで!