前回の続きです。
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妙本寺の祖師堂でしばし癒やされた後、本堂の隣の寺務所に向かい、御朱印をいただきに行きました。
寺務所に入ると、とても感じの良い若い住職の方が対応してくれました。
「大學守」という、このお寺のイチオシと思われる御守があり、熱心に宣伝しているプレートが扉の窓に貼ってありました。
色は3種類あり、どれもとてもセンスの良いデザインで、僕はそのうちのこのお寺にピッタリのイメージの、自然の緑を思わせるデザインの御守を購入しました。
この「大學」とは何だろうと思って、購入した御守の説明文書を読んでみると、このお寺の「法華堂」を日蓮上人に献呈した、「比企大學三郎能本公」の名前から取ったものだそうです。
「比企大學三郎能本公」は、北条氏に謀られて、非業の最期を遂げた比企一族の当主・比企能員の末子だそうですが、いろいろな流れでなんとか難を逃れ、京都で儒学を学んで名を挙げて、当時の順徳天皇に仕えることになり、承久の乱で鎌倉幕府によって、天皇と共に佐渡に流されたのですが、赦されて鎌倉に戻り、儒学者として鎌倉幕府に登用されるという、驚くべき経歴の持ち主です。
鎌倉幕府の実権者である北条氏にとっては、敵方の大将の子供ですから、普通でしたら殺されてしまうのですが、なんとか生き延びて出世して、当の鎌倉幕府に登用までされ、元々の所領の比企ヶ谷の地(この妙本寺の土地です)を邸として与えられるのですから、驚くべき幸運と力の持ち主であったことが伺われます。
この妙本寺は、元々は比企氏一族の邸宅でしたが、命がけで法華経の教えを布教する日蓮上人の姿に能本公は心を打たれ、邸宅を日蓮上人に献じ、長興山妙本寺を開創しました。
武力によって滅ぼされた比企一族を、法華経の信仰と学問の力によって救った大學三郎能本公の「誓願力」を人々に分け与えるため、「大學守」に御魂入れしたとのことで、とてもありがたい御守です。
僕も、なんとかこの能本公のお力にあやかって、力強い幸運に乗って、人生周回遅れで50代になってしまった自分を飛躍させたいですね・・・
妙本寺を出て、材木座海岸方面への細い公道(大町通り)を3分ほど歩くと、常栄寺(ぼたもち寺)があります。
赤い門が、このお寺のシンボルですが、中に入るとすぐに本堂で、敷地はとても狭いです。
このお寺の由来は、鎌倉幕府により処刑される寸前の日蓮上人に、一人の老婆が胡麻入りのぼた餅を差し出したことにちなんでいます。
その後、江ノ島近くの滝ノ口という場所で、まさに処刑されようとする寸前に、江ノ島方面に光る物体が現れ、処刑執行人たちが恐れをなしたため、処刑は中止となりました。
そのため、老婆の差し出したぼた餅は、「首つなぎぼた餅」と語られているとのことです。
人生に行き詰まって、にっちもさっちも行かなくなって、首も回らなくなったときに、このお寺に行ってみると良いことがあるかもしれません。
そうこうしているうちに、午後4時を回ったので、鎌倉駅方面に戻って、一休みすることにしました。
行き先は、いつも行く若宮大路通り沿いの、甘味処の「山里」です。
この日はとても暑かったため、二人してかき氷を食べることにしました。
美味しいかき氷をごちそうになり、すっかり涼みました。
山里のホームページはこちらです。
その後、時間があったので、小町通りを歩きながら、買い物をし、鶴岡八幡宮へ向かいました。
鶴岡八幡宮の鳥居をくぐると、最近は源氏の池側の、旗上弁財天に行ってお参りすることが多く、裏側の政子石にもお祈りしました。
この季節の源平池は、蓮の葉っぱが激しく生い茂っています。
鶴岡八幡宮は、数え切れないほど訪れているのですが、なぜか御朱印をいただいたことがなかったので、初めてだったのですが、改めていただきました。
今回もこんな感じで、ゆるゆると鎌倉の寺社巡りをしました。
梅雨が開けて猛暑の日々が続きますが、メゲずにまた鎌倉を訪れたいと思っています。