肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

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八王子・絹の道資料館と大塚山公園(旧道了堂跡)その1

僕の住んでいるエリアは、昔「絹の道」と言われる街道があったそうで、蚕の養殖による輸出用の生糸の生産が盛んで、幕末に横浜が開港すると、多数の運搬に使われた、当時の「幹線道路」だったそうで、大変賑わったそうです。

 

今では見る影もありませんが、その当時の写真や資料を展示している「絹の道資料館」があり、当時の面影を今に残す「絹の道」も少しの区間だけ残っている場所があります。

 

僕と妻は、このエリアに引っ越して12年(2020年8月現在)になりますが、一度も行ったことがありませんでした。

 

いや、正確に言うと、それよりはるか19年くらい前に一度行ったのですが、途中で引き返してしまいました。

 

なぜかというと、この「絹の道」を進んでいくと、「道了堂」と呼ばれるお寺の支所の跡地があり、そこで1963年にとても残酷な殺人事件が起こったこと、1973年にもこの周辺で死体遺棄事件があり、とてもおどろおどろしい場所であり、稲川淳二さんの怪談でも有名な「首無し地蔵」が祀られているからです。

 

なので、近所であるにも関わらず、避けていたのですが、基本的には歴史的な史跡であり、そのような事件に惑わされて、避けることは無いのではないかと思い始め、やっと訪れてみようと決心しました。

 

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「絹の道資料館」の正門 元々は隆盛を極めた生糸商人の八木下要右衛門の屋敷跡だった。

のどかな八王子市内の山の中の住宅地の一角にある「絹の道資料館」は、幕末の頃、この地域で生糸商人として、輸出用の生糸を横浜の商人と取引して、たいそう隆盛を極めた八木下要右衛門(やぎしたよううえもん)という人の屋敷だったそうです。

 

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生糸の製造に使われた機械や、当時の商人の屋敷の模型などが展示されている。

 

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当時の製造方法で作られた実際の蚕繭(かいこまゆ)

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蚕の繭で作られた、実際の生糸 蚕繭の糸は大変細くて、かなりの技術力が必要だったそうです。

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それほど広くはないが、興味深い、歴史を感じさせる展示物がたくさんあります。

いわゆる「八王子市鑓水(やりみず)」と呼ばれている地域ですが、幕末の頃は生糸製造で隆盛を極めたようで、大変賑わっていたそうです。

 

鉄道が登場するまでは、八王子から、この「鑓水」を通り、現在の町田街道付近を抜けて、町田を通り、横浜までつながっていた、重要な街道だったそうです。

 

しかし、明治時代になり、明治政府が国策として、一部の大企業のみに生糸産業の製造や取引の特権を与えたことにより、この地域の生糸産業は次第に廃れていき、多くの大商人たちが没落していったそうです。

 

それに伴って「絹の道」も廃れていきましたが、現在は「国道16号線」として、通る場所はある程度変わりましたが、八王子と横浜を結ぶこの地域の重要な幹線道路として、活躍しています。

 

ただ、当時の面影を残す「絹の道」は、この近くの約1.5kmのみ残されています。

ものすごい猛暑(2020年8月15日)でしたが、意を決して、「絹の道」を進み、旧道了堂跡地まで行ってみることにしました。

 

「絹の道資料館」の公式ホームページはこちらです。

https://www.city.hachioji.tokyo.jp/kankobunka/003/005/p015671.html