肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

諏訪・高島城

前回の続きです。

諏訪大社の上社本宮と前宮に行ってきました。

とりあえず、前回の前宮のブログはこちらです。

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上社本宮・前宮と訪れ、時刻は午後3時を回っており、諏訪湖の遊覧船に乗る予定でしたが、間に合わなかったので、急遽高島城に行くことにしました。

高島城は、1590年に豊臣秀吉の家臣の日根野高吉が設計し、築いたと言われています。元々ここには漁業を営む村があったそうですが、村ごと移転させて築城したそうです。なかなかダイナミックですね。

完成当時は、城は湖水と湿地帯に囲まれ、あたかも諏訪湖に城が浮かんで見えたことから、「諏訪の浮城」と呼ばれていたそうです。

今では、高島城の周りは住宅や道路が張り巡らされており、諏訪湖からも距離があり、そのような面影は全くありません。

でも、当時の高島城を見てみたいですね。きっと幻想的な風景だったことでしょう。

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1970年に復興された高島城 その前でおどけてみせる妻

 復興された高島城は、3層構造となっており、エントランスの1階は、企画展示コーナー・資料コーナーとなっております。

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高島城一階は、企画展示コーナーで、様々な興味深い資料が展示されています。

諏訪の古来からの歴史の説明や、それにまつわる資料が展示されています。

 

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「梶の葉紋」

「梶の葉紋」梶は布や紙の原料となり、神事にも使われた神聖な植物とされていたようです。古くから諏訪大社の神紋に定められ、諏訪明神そのものを表すものとされてきました。

初めは決まった形はなかったようで、様々なパターンがあったようで、上社と下社でも根の数が違っており、上社神紋は根が四本、下社神紋は根が五本となっております。高島藩主の諏訪家も、諏訪明神の末裔としてこの紋を使っていますが、上社の四本梶を使い、それをさらに丸で囲んでおります。

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一階の企画展示コーナー とても興味深い展示物が盛り沢山です。突き当りに掲示されているのは、御枕屏風(おまくらびょうぶ)で、1664年に高島藩三代藩主の諏訪忠晴が画工に命じて作らせた地図のようなもので、これを傍らに置いて仕事を行ったので、このように名付けられたそうです。江戸時代初期の村落の場所や高島城、城下町などの姿をうかがい知ることができる貴重な資料であり、美術的にも優れているとのことです。

2階は、高島城の歴史を表す様々な資料が展示されている「資料室」となっています。写真撮影禁止なので、お見せすることは出来ませんが、主に代々の藩主が使っていた調度品や武具類、藩主が実際に描いたといわれる絵画や、詠んで書き記したといわれる俳諧などの文芸作品が展示されていて、これもまた興味深いです。

見ていて気づいたのは、諏訪家の方々というのは、実に文芸に秀でた方が多かったのだなあ、ということです。なかなか実際の芸術家顔負けの素晴らしい作品ばかりです。まあ、藩主の方の中には、政治を顧みず、文芸に没頭してしまった方もいらしたようですが・・・

3階は、展望コーナーとなっており、四方八方の雄大な景色が一望できて、とても素晴らしかったです。

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高島城から、諏訪湖方面を望む。高島城築城の約420年前当時は、諏訪湖の湖水はすぐ目の前まで来ていて、囲まれていたそうです。今ではその面影はなく、歳月の流れを感じます。

ほどなく、閉館の時間となったので、城を出て、高島公園を散策しました。

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「冠木門」本丸の表門にあたるとのことで、現在は楼門が復興されています。右側の大木は「ミヤマキハダ」という木で、江戸時代に薬用として植えられていた木の名残とのことで、樹齢なんと120年で天然記念物に指定されています。

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かつてこの庭園内には本丸御殿の建物が立ち並び、この池のあたりには能舞台があったそうです。江戸時代後期の文政時代に新築され、現在では高島藩主諏訪家の菩提寺であった温泉寺の本堂として、移築されました。

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川渡門跡 本丸の諏訪湖側にあった門ですが、現在は三之丸にあった御殿の裏門がこの場所に移されたとのことです。

高島公園を出て、日が落ち始めてきたので、ホテルにチェックインすることにしました。

「紅や(べにや)」と呼ばれる、諏訪湖畔に立つ、老舗のホテルを予約していました。

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ホテル「紅や」 なかなかスタイリッシュで良いホテルでした。

9月で、僕たちは東京都民だったので、GoToトラベルの対象外でしたが、それでもリーズナブルに泊まることが出来ました。

まあ、食事なしの素泊まりブラン・タウンビー(諏訪湖を見渡せるレイクビューではないということです)・一泊二日・二人ですが、ヤフーの割引特典を駆使して、税込み13,200円でした。食事付きでレイクビューだと、20,000円近くいってしまうと思いますが、GoToトラベルを使えば、結構安く泊まれるかもしれません。

温泉は最上階にあり、夜景を眺めながらの入浴はなかなか至福のひとときでした。

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和室8畳の部屋で、バス・トイレ一緒でしたが、洗面所は2箇所あり、キレイな部屋で結構快適でした。

 

諏訪大社~上社前宮 其の二

前回の続きです。↓

 

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本殿のすぐ横にある「水眼(すいが)」と呼ばれる名水の清流の音に癒やされながら、先に進んでいき、「前宮二之御柱」をしばし眺めていると、 「水眼(すいが)」を挟んで向こう側に「前宮三之御柱」が見えました。

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「前宮二之御柱」の向こう側に、「水眼」を挟んで、「前宮三之御柱」が見えます。このコントラストがなかなか素晴らしいです。

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「水眼」と「前宮三之御柱」 中央の青い光が神がかった雰囲気を醸し出しています。

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本殿を挟んで、反対側に行ってみると、「前宮一之御柱」がそびえ立っていました。

本宮と違って、御柱は近いところをわかりやすい位置に立っています。

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もう少し先に進んでみると、「前宮四之御柱」がすぐに見つかりました。

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本殿の裏側には、樹齢千年はあると言われている大木がいくつかそびえ立っていました。

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こちらもなかなか立派です。

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鳥居の方まで戻ってきました。4つの御社の中で最も古い由緒ある御社であったことが伺われました。

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中世までは祭政の中心であり、統括していた諏訪明神の現人神と言われていた「大祝(おおほうり)」の居館と神殿があった場所で、「こうどの」と言われていて、前宮にとって重要な建物が存在していました。この一体は「神原(こうばら)」と言われていたそうですが、戦国時代に同族間争いで荒廃してしまいました。それでもなんとか清地にかえして、一応大祝の居館として、近世まで続き、祭儀は引き続きここで行われていたそうです。諏訪大社の上社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡とのことです。

上社の本宮・前宮と堪能し、この後、幕末まで政治の中心だった諏訪氏の居城「高島城」へ向かいます。

続きは次回ということで。







 

諏訪大社~上社前宮 其の一

かなり見ごたえのあった諏訪大社の上社本宮を出て、ちょうどお昼すぎになったので、昼食をいただくことにしました。

上社本宮のブログはこちらです。

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事前に調べていたのは、地元諏訪市の観光センターが勧めていた、「そば蔵」という地元で有名な蕎麦の老舗の渡辺製麺が経営しているお店。

「諏訪インター店」という、諏訪インター近くの国道沿いのお店に行くことにしました。

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水車が風情を醸し出していて、昔のそば店を思い起こさせる素敵な建物でした。

 

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「海老ハイカラ定食」以前人気のあったメニューの復刻だそうで、かき揚げに小海老を乗せた天丼と、温かいお蕎麦のセットです。海老が生のようにプリプリしていて、蕎麦もコシが強くしなやかで、さすが本場信州そばと言う感じでした。妻もご満悦でした。お値段は900円(税込)

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とても美味しかったので、このお店の乾麺を購入し、オマケで揚げ蕎麦をいただきました。サッパリしていて歯ごたえよく、焼酎とよく合いました。

そば蔵のホームページはこちらです。↓

www.watanabeseimen.co.jp

 

お店を出て、上社前宮へ向かいました。

このお店から車で約5分ほどでしょうか。

上社本宮からも近いのですが、住所は茅野市となります。

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上社前宮の最初の入口の大鳥居 上社本宮と同じもののようで、かなり立派です。

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上社前宮の案内図 このお宮は他と違って、鳥居をくぐるといったん公道に出て、登っていくと、本殿があります。

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大鳥居をくぐって、前へ登り進んでいくと、第二の鳥居があり、左側に「十間廊(じっけんろう)」、右側に「内御霊殿(うちみたまでん)」があります。」

上社前宮は、御祭神が最初に居を構えたと伝えられる、諏訪信仰発祥の地と伝えられ、諏訪大社の四つの社の中でも最古のものです。

山の高台に立ち、豊富な水の流れがあって、のどかな場所であり、他の三つの社とは趣が違う感じです。

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右側の「内御霊殿(うちみたまでん)」は、現在改装中です。諏訪明神の祖霊が宿るといわれる御神宝が安置されていて、この扉を開いて、弥栄の鈴・真澄の鏡を取り出し、神事を行ったそうです。この社殿は昭和7年に改装されたそうですが、元々は天正13年(戦国時代)に造影された、上社では最古の建造物であったそうです。

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左側の「十間廊(じっけんろう)」は、中世までは諏訪祭政の政治が行われていた場所で、すべての貢物はここに並べられた、諏訪の中心だった場所です。

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毎年4月15日の「酉の祭」には、75の鹿の頭が供えられ(かなりスゴい光景・・・)、中に必ず耳の裂けた鹿が入っていることから、諏訪の七不思議の一つだったそうです。ここに主な有力者が集まり、舞を観ながら宴が行われていた華やかな場所だったとのことですが、「兵どもが夢の跡」といった感じですね・・・

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鳥居をくぐり、公道を進んでいくと、山里ののどかな風景が続きます。

水車越しに見える建物は、「阿弥陀堂跡」です。

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公道を登っていき、突き当りに、木々に覆われた「本殿」が現れました。

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上社本宮と違って、参拝客がほとんど来ないため、静かで厳かな雰囲気を醸し出しています。こういう場所の方が、神聖な感じがしますね。

上社前宮や、先ほどの華やかな上社本宮より古くからあったお宮で、その奥の方に墳墓と伝えられています。
古来から立ち入ることが禁じられ、それを侵すと神罰が下るといわれて、畏れられてきました。

この本殿は、昭和7年伊勢神宮の建て替えた後の古い建材が下賜されて造営されたとのことで、とても価値ある由緒ある建物だといえます。

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本殿の左側には「水眼(すいが)」と呼ばれる名水の清流があります。科学的な調査もされて、とても水質が良いことがわかり、昔から御神水として大切にされてきたそうです。中世においては、上社前宮で重要な神事をつとめるまえに心身を清めるのに使われたそうです。清らかな水のせせらぎと流れる音が、とても心地良かったです。遠くに見えるのは、「前宮二之御柱」です。

また、長くなってしまったので、続きは次回ということで。

諏訪大社~上社本宮 其の二

諏訪大社の上社本宮へ行ってきました。

前回の続きです。

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宝物殿を堪能した後、門の外側へ出ましたが、見るものがまだまだたくさんありました。

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天流水舎(てんりゅうすいしゃ)」 どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根の上の穴から降り落ちると言われている諏訪の七不思議らしいです。背景が工事中で、ちょっと風情が無いですが・・・ 国の重要文化財に指定されています。

 

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「五間廊(ごけんろう)」 1773年(安永2年)の建造で、国の重要文化財指定ですが、現在改装中です。

 

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「神楽殿(かぐらでん)」 1827年(文政10年)建立で、祈願者の神樂が演奏されていた御殿だそうです。

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楽殿の大太鼓は、胴の部分は樽と合わせて木造で、神龍が描かれております。皮は牛の一枚皮で、牛では日本一だそうです。元旦の朝のみに打たれるそうです。とても立派です。もちろん国の重要文化財指定です。

 

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「勅使殿(ちょくしでん)」 1690年(元禄3年)の創建で、幕末の安政年間に大修理が施されたそうです。「勅使」はつまり中央の天皇からの使者で、ここで重要な神事が行われていました。国の重要文化財指定です。

 

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奥はまだまだあります。遠くに見えるのは「神馬舎(しんめしゃ)」

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「神馬舎(しんめしゃ)」 駒形屋とも言うみたいで、諏訪大神の神馬の屋形とのことで、銅製の神馬と木製の神馬が安置されています。明治27年の大暴風雨で近くの大木が倒れて神馬舎の建物は崩壊してしまったそうですが、この神馬は10メートルほど前方に飛ばされただけで、微塵も被害を受けなかったという何とも神がかったお話です。当時は日清戦争の時で、諏訪大明神がこの神馬に乗って戦場に向かわれたと畏れられたとの逸話が残されています。国の重要文化財指定です。

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格子の隙間から、神馬を撮ってみました。逸話とは裏腹に、とてもキュートな表情をしています。

 

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こちらにも「本宮二之御柱」があり、その隣には樹齢千年の大木が元気に立っていました。千年もの間、この土地の歴史を見てきたのだと思うと、もう「ご苦労さま」というほかありません。

 

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「出早社(いずはやのやしろ)」 諏訪大神の御子神といわれ、地元の人達からはお諏訪様の門番神として、崇められています。また古くから「イボ石神」としても敬われており、写真手前の小石を捧げて、イボの全快を祈るのだそうです。僕も頭にイボがよく出来るので、しっかり祈ってきました。

 

ということで、かなり見ごたえのあった上社本宮でした。

この後、地元の老舗の蕎麦屋で、名物の信州そばを食べて、上社前宮に向かいます。

続きはまた次回ということで。

諏訪大社~上社本宮 其の一

9月下旬に遅い夏休みを利用して、諏訪大社に行ってきました。

今年はコロナの影響もあり、海外旅行は出来ず、国内旅行にしても、遠くまで長期滞在する気分でもありませんでした。(僕らは東京都民なので、9月当時はGoToキャンペーンのサポートを受けられませんでした。10月からスタートとなりましたが・・)

 

この時節柄、とても不安な世の中なので、やはり深層心理としては、神社に参拝巡りをしたいなあという想いがあり、夫婦で意見が一致したので、自宅から車で中央道一本・約3時間ほどで行け、日本最古の神社の一つである由緒ある諏訪大社へ行くことにしました。

 

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諏訪大社の上社本宮の鳥居の前 さすがにとても立派な鳥居でした。

諏訪大社には諏訪湖の周辺に4つの境内地を持つ神社で、信濃國一之宮です。

全国には「諏訪神社」と呼ばれている神社が無数にあると思いますが、この諏訪大社が「総本社」なのだそうで、日本最古の神社の一つと言われています。

 

諏訪大社は「上社」と「下社」と別れており、「上社」は本宮と前宮の二社、「下社」は秋宮と春宮の二社です。

 

場所も、諏訪湖を挟んで、南東側の諏訪市内に「上社本宮」、茅野市内に「上社前宮」があり、北西側の下諏訪町内に、「下社秋宮」「下社春宮」があって、両者睨み合っているような配置となっております。

 

歴史的な背景も、両者で異なっており、上社は、平安時代の頃から諏訪明神の子孫と言われている諏訪氏が大祝(オオホウリと呼ばれ、神職の長のような人)となって収め、同時に領主となって諏訪の土地を代々収め、江戸時代には高島藩の藩主となって、幕末まで諏訪を収めています。

 

下社は、別の流れを汲む金刺氏(かなざしし)が大祝となって、実権を持ち、上社と下社は度々対立していたそうです。

戦国時代に、金刺氏は争いに敗れて追放され、以降は武居氏が代々大祝となっていたようですが、領主が諏訪氏ですから、実権は諏訪氏にあったのでしょう。

 

この4社の中で、「上社本宮」がいちばん建造物などが多く、かなりの見応えがありました。

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上社本宮の境内図 結構広く、建造物がかなり多くて、見応えあり過ぎ!でした。

鳥居をくぐると、正面に大きな「御柱(おんばしら)」と呼ばれている樹齢200年ほどのもみの木が祀られて立っています。

この本宮の四隅に四本立てられており、上社前宮・下社秋宮・下社春宮にも同様に立てられているそうです。

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「本宮一之御柱」同様に神社の四隅に立てられていました。神社の後方の2つの御柱は遥か彼方の方に立っていました。

この御柱は何に使われたのかというと、7年目ごとに行われる「御柱祭(おんばしらさい)」の時に、山から切り出され、そのまま大勢の人たちの人力のみで街道を20kmほど曳かれて、各神社の四隅に立てられました。

全国的にも有名で壮大なお祭りだそうで、映像で観ましたが、地元の大勢の人達がこの柱に乗って、諏訪の町中を練り歩くのだそうです。

ものすごい熱気と興奮で、この町の人達の一大イベントとなっているそうです。

 

参拝路を進み、門をくぐると、すぐに正面にあるのは、「勅願殿(ちょくがんでん)」。いわゆる祈祷をする建物で、国の重要文化財に指定されています。

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勅願殿 元禄三年(1690年)建立。拝殿がいわゆる「公事」の祈祷が行われたのに対して、ここでは「個人私事」の祈祷が行われた。歴代のいろいろな人達の「念」が詰まっているのだろう。

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勅願殿の向かって右側には、遥か彼方に「本宮四之柱」が見えます。

勅願殿を右側に、前へ進むと、参拝所があり、その奥に、左右に別れた拝殿が見えます。

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「左右片拝殿」本殿を持たない代表的な「諏訪造り」の様式で、左端に見える茅葺の建物は上社本宮で最も重要な社殿と言われている「東御宝殿・西御宝殿」、右端に見えるのは、「脇片拝殿」で、いずれも重要文化財に指定されている。

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この上社本宮では、実に多くの建物が、重要文化財に指定されている。

 

この後、宝物殿に入り、たくさんの歴史的に重要な展示物を見て回りました。

レプリカなどではなく、徳川家光の直筆の朱印状も展示されていて、驚きでした。

もちろん縦書きですが、全て左の方に曲がっており、字も決してきれいとは言えないクセ字で、昔の偉大な徳川幕府の将軍だからといって、現代人と変わらないんだなあと、微笑ましく思いました。

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「宝物殿」の入口 とても興味深いものばかりで、お見せできないのが残念です。

かなり長くなりましたので、続きは次回ということで。

DOUBLE FANTASY -John & Yoko 東京展スタートとジョン・レノンの誕生日

先日2020年10月9日は、ビートルズの元メンバー、ジョン・レノンの80回目の誕生日にして、没後40年の、記念すべき日でした。

ヨーコ・オノとショーン・レノンポール・マッカートニーリンゴ・スターが続々とツイッターでお祝いの言葉と想い出の写真を投稿していました。

同日、生誕80周年のメモリアルとして、新たなベスト・アルバムが発売されました。

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ジョン・レノンのファンの方は、「またかよ!」と思ったかもしれませんが、ヨーコ・オノがエグゼクティブ・プロデューサー、ショーン・レノンがプロデューサーとなって、二人が選曲したとのことで、なかなか興味深いと思っています。

ミキシングとエンジニアリングを担当したのはグラミー賞を複数回受賞していて、デヴィッド・ボウイの晩年の数作をも手掛けたポール・ヒックスだそうで、これもまた興味深いです。

どの程度音が変わっているのか、良くなっているのか、確かめてみたいと思います。

デラックス・エディションは10月14日発売なので、こちらを購入して堪能したら、またレポートします。

 

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2003年に刊行された「LENNON Legend」ジョン直筆のイラストや手書きの歌詞のレプリカ、未発表のインタビューやライブ演奏の入ったCDも収納されていて、とても貴重!現在では残念ながら廃刊です。

 

そして、同日、開催されたのが、「DOUBLE FANTASY -John & Yoko」の東京展です。ソニーミュージック六本木ミュージアムにて、2020年10月9日(金)より2021年1月11日(月・祝)まで開催されます。

2018年5月から2019年11月までジョンの故郷であるイギリス・リバプール博物館で開催され、今度はヨーコの故郷である東京にて開催されることになりました。

 

ジョン・レノンのファンの方であれば、覚えていると思いますが、2000年から2010年までさいたま新都心に「ジョン・レノンミュージアム」があり、素晴らしい展示品がたくさんありました。

これらと同じだろうと思っていたのですが、ホームページで紹介されている展示品を見てみると、意外と見たことがなかったものもあったりして、再度行ってみる価値はあると思います。

doublefantasy.co.jp

何より楽しみなのは、ジョンとヨーコの特別インタビューの7インチアナログ盤の限定発売です。

二人がお忍びで1971年1月に来日した時の、帝国ホテルでのインタビューで、当時発売されたジョンの「ジョンの魂」とヨーコの「ヨーコの心」の購入者特典として、数量限定で生産されていました。

これはすでに会場限定で発売されていますが、チケット購入者は公式サイトでも購入できるそうです。

 

もう一つが、1971年9月にNYのセント・レジス・ホテルにて収録されたインタビューで、これも当時発売されたジョンの「イマジン」とヨーコの「フライ」の購入者特典として、数量限定で生産されていました。

これは11月度の会場限定販売とのことです。

 

さらに、レアなアイテムとしては、ヨーコ・オノの日本限定で発売された「女性上位万歳」の7インチアナログ盤です。

ヨーコの曲なので、好き嫌いはあるかと思いますが、非常にレアですし、一聴の価値はあるかと思います。

こちらは、11月25日より会場限定販売です。

 

この週末は台風のせいで断念しましたが、来場したら、またレポートしますので、よろしくお願いいたします!

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有名な写真家のボブ・グルーエンがジョンのニューヨーク時代を撮影したアメリカ版の写真集 日本版の写真集もありますが、残念ながら現在はどちらも廃刊です。

 

 

 

 

 

エディ・ヴァン・ヘイレン追悼

先日2020年10月6日に、ヴァン・ヘイレンの伝説のギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンが、長いガンとの闘病生活の末、亡くなりました。

私も10年前にガンとの闘病生活を送った経験があるので、その大変さはよくわかります。

亡くなってしまいましたが、とりあえず「解放」されたので、「大変お疲れ様でした」と言ってあげたい気持ちです。

ご冥福をお祈りいたします。

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ヴァン・ヘイレン初期のデイヴ・リー・ロスがヴォーカルだった頃の第1期のアルバム6枚。右下の「1984」で全米ナンバーワン・大ベストセラーとなり、大ブレイクを果たす。

エディ・ヴァン・ヘイレンといえば、僕ら50代以上の世代のギター小僧にとっては、憧れのギタリストであり、ちょっと他のギタリストとは格が違うような印象を受けました。

 

もちろん、ジミ・ヘンドリックスエリック・クラプトンジェフ・ベックなど、素晴らしいギタリストはたくさんいますが、80年代のヘヴィ・メタルハード・ロックが好きで、この時代に多感な青春時代を過ごした男子にとっては、何か特別な存在だったような気がします。

 

僕はギター小僧ではありませんでしたが(不器用だったので、全くダメでした)、それでも、「Jump」や「Panama」「Why Can This Be Love」などで見せる超絶なギター・フレーズには、とても心躍るものがありました。

 

マイケル・ジャクソンの「Beat It」の間奏で突如鳴り出すギター・リフに、「こんな演奏はどんなギタリストがやっているんだろう?」と思って、音楽雑誌を見てみたら、エディ・ヴァン・ヘイレンと書いてあって、どんなスゴい人なんだろう?と、丸刈り頭の中学生だった僕は、いろいろと空想したものでした。

 

でも、実際のエディ・ヴァン・ヘイレンは、その当時よくあった、おどろおどろしく、気難しいヘヴィメタ・ギタリストといった感じではなく、とてもにこやかでフランクな印象を受け、スゴく楽しそうにギターを弾く姿がとても印象的でした。

 

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エディ・ヴァン・ヘイレンさん、本当にありがとう!お疲れ様でした!

2013年の東京ドームでのライヴが最後となってしまいましたが、このライヴを観ることができて、本当に良かったです。

この時は、エディ・ヴァン・ヘイレンが指を怪我してしまい、確か半年くらい延期となったのですが、ライヴでは元気な姿で、素晴らしいプレイを披露して、健在でした。

デイヴと組んだ、面白いコントフィルムも見せてくれて、結構笑ったのを覚えています。

 

しばらく、ヴァン・ヘイレンの音楽を聴きながら、想いを馳せたいと思います。

エディ・ヴァン・ヘイレン、ありがとう!

天国に行っても、向こうの世界で素晴らしいギター・プレイを披露してください!