クソ真面目で完璧主義な僕にとって、ピッタリの本に出会いました。
前回の続きです。
この本の著者である和田秀樹氏は、前書きでも書いていますが、教育論にも携わったことがあり、自身の受験勉強の体験をもとに綴った「受験は要領」という本を40年近く前に出して、ベストセラーになりました。
この本はその当時大いにはびこっていた根性論とは一線を画し、徹底的に「要領」「効率性」にこだわり、「数学の問題が出来ないのなら、さっさと答えを見てそれを覚えた方が点になる」など過激な事を書いていたため、当時の教師や教育関係者から大ひんしゅくを買って、ボロクソに批判されたそうです。
ところが、そのような批判していた教育評論家などの人たちの本を10年ほど前からすっかり見なくなってしまったそうです。
それらの人たちは、まだ生きていてもおかしくない年齢なので、和田氏がふと考えたのは、彼らはうつ病のようになってしまったのではないかということでした。
同じ結果を出すのであれば、少しでも楽なやり方でやった方が心身が潰れなくていいというのが、40年近く精神科医をやってきた和田氏の結論だということです.
それは、自分に厳しく、苦しいやり方を選んでしまう人たち(僕もそうです)が、うつ病などで潰れていく様を見てきたからなのだそうです。
以下、この本を読んで、僕なりに響いたことを6つにまとめてお伝えしようと思います。
この本のすべての箇所に通ずる大前提は、「自分に厳しくするのはやめて、ゆるい自分になろう」ということです。
1⃣ 苦手なことを克服しない
和田氏は、自分の苦手なことを克服しようと頑張らず、それを認め、自分が得意な出来ることだけをやる、自分の好きなことだけをする、ことが重要だと言っています。
これは、僕の敬愛する精神科医で作家の樺沢紫苑氏も言っています。
日本の社会は現在までずっと「減点主義」の社会でした。
そして、特に僕たち50代以上の世代は、「すべてのことをまんべんなく出来なくてはならない」と教えられてきました。
国語・数学・理科・社会・体育・音楽・図画工作・・・すべての教科が合格点となることを求められました。
クラスメイトの中には、科学者のように理数系が突出してできる人、運動神経がとても良くてマラソンでもいつも1位を取ってしまう人、手先が器用で図画工作がメチャクチャ得意な人、さまざまな「天才的な人」がいましたが、その他の教科が合格点が取れないと、「それではダメだ!」とすぐに教師に否定され、苦手な科目の特訓を受けさせられました。
せっかく突出した素晴らしい成果を上げる科目があるのに、教師たちはそれには注目せず、苦手な科目ばかりあげつらって、その科目の合格点を取るよう、目を吊り上げて声を荒げて言われるのです。
それは科目の勉強だけにとどまらず、「みんなと仲良くしなければならない」「決まりは守らなければならない」など、日常生活の隅々までに及びました。
そして、ある一つのことが突出して才能があったとしても、他がダメであるような「デコボコした」人間はほとんど評価されず、むしろ変わり者のように思われるだけでした。
そういったことは、学校や家庭だけにとどまらず、社会人となって就職してからも続きました。
営業で成績を上げても、上司からよく思われていなければ出世も出来ないし、昇給も無い。
実績を上げても、人間関係が良くなければ、足を引っ張られる。
実に日本の社会は息苦しいと、50年少々生きてきて、感じています。
そこで、和田氏は社会人になってからについては、こう提言しています。
苦手な分野で悪戦苦闘している間に、得意分野であればどんどん成果を上げることが出来る。その方が本人も楽であり、ひいては組織(会社や役所・学校)にとってもプラスになるということです。
人生においては、圧倒的に得意な分野を伸ばした方が強い。
出来なかったことが出来るようになるのは大切ではあるが、苦手分野を克服することこそが成長の証ということではない。
苦手な分野を克服したところで、せいぜい並程度にしかなれない。
このことは、僕の心に響きました。
僕は子どもの頃から勉強は得意でしたが、運動神経がほぼゼロで、手先が不器用でした。
そして、性格的には引っ込み思案で消極的で、ほとんどしゃべらない子供でした。
勉強が得意でいい点数を取ってくるのに、親や教師からはそのことで褒められた記憶が無く、むしろ「体育が不得意」「不器用」「引っ込み思案で消極的」なところばかりを攻撃され、自信を失くさせられていました。
多くの友達からも、同じようなことでいじめられました。
「勉強だけ出来たってダメなんだよ!」
「学校の勉強で習うことなんて社会に出たら、ほとんど役に立たないんだよ!」
こうして、僕は自信を失くし、「周りに認められるためにはすべてのことが完璧に出来るようにならなければならない」と強く思うようになりました。
こうして思い起こすと、僕の現在まで続く「完璧主義」の性格的傾向は、実に幼少の頃から形成されてきたのでした。
でも、すべての人に言えることですが、すべてのことを完璧に出来るようになることなど不可能です。
よって、僕の少年時代は、「勉強ができる」という利点を持ちながらも、常に劣等感に苛まれ、自信を持つことが出来ず、ジメジメとした気持ちで過ごしていたのでした。
そして、それは社会に入ってからも続くのでした。
長くなり、息切れしてしまったので、この続きは次回のブログでお話します。