肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第1章 その2

坂本龍一氏の死後、昨年6月に出版された「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読破したので、僕なりに感銘を受けた箇所を少しずつご紹介していきます。

今回は第1章「ガンと生きる」の中からの2回目となります。

 

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4⃣ 友達という存在

坂本龍一氏は余命宣告を受けて入院していた日々は、とにかく気が滅入っていたそうです。

そんな時、ふと「友達」という存在について深く考えたのだそうです。

不思議なことに、ジャンルを問わず、いろいろな人たちと、音楽や音楽以外の分野でコラボしていた坂本龍一氏は、「自分には友達がいない」というのが口癖だったそうです。

そして、この機会に「友達」の定義づけをしてみたのだそうです。

その結果、自分が本当に困った瞬間に、真っ先に連絡できる人が友達だろうという結論に達したのだそうです。

今回「死」というものに直面して、相談したいと思える人を数えてみたところ、アメリカやヨーロッパ・もちろん日本にも数人いたそうで、とても安心し、自分が幸せだと感じることが出来たそうです。

そこで、「友達とは思想信条や趣味が違っていたって全然問題ない」「ただただ、頼りになる人」と言ったことが心に残りました。

 

僕も末期ガンになり、一応「死」に直面した人間の一人なので、これらの言葉はよくわかります。

ただ、僕の場合は悲しいことに、それが皮肉な結果となってしまったことでした。

それまで、「この人は親友だ」「この人は信用できる」と深く思っていた人に限って、全く頼りにならず、頼りにならないどころか、見舞いに来ることも連絡をしてくることもなく、それほど深く付き合っていたわけではなく、深く信用していたわけでもない人に限って、とても頼りになり、見舞いに来てくれたり、連絡をくれたりしてくれたことでした。

それは、「友達」「親族」を問わず、当てはまりました。

親族にしても、妻の親族は頻繁に見舞いに来てくれたり、いろいろ面倒を見てくれたりして、とても頼りになりましたが、僕の方の親族は妹以外は全く頼りにならず、見舞いにすら来てくれませんでした。(母は僕の妻が迎えに行ってようやく来てくれたようなさまでした・・・)

 

坂本龍一氏の話に戻りますが、中でもいちばん頼りになったのが、ドイツ人アーティストのカールステン・ニコライ氏だったそうです。

「アルヴァ・ノト」という名義でミュージシャンとして活動し、坂本龍一氏とは2002年リリースの「Vrioon」以来、数枚のアルバムやサウンドトラックを一緒に手掛けた関係でした。

一見すると、強面(こわもて)な顔つきで、作る音楽も思いっきりアヴァンギャルドなスタイルなのですが、性格は「おとっつぁん」と呼びたくなるような親しみやすい性格で、人は見かけやスタイルではわからないものだと思ったそうです。

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同時期に脳腫瘍を患い、闘病していた高橋幸宏氏には、励ましの手紙と一緒に素敵な花を病室に贈り、高橋幸宏氏の療養していた軽井沢の家にまで見舞いに行ったエピソードを聞きましたが(残念ながら直前に入院してしまい、会えなかったそうです)、高橋幸宏氏のことも「友達」と思っていたのでしょうね。

 

同じ時期に、脳腫瘍を患い、軽井沢の自宅で療養していた高橋幸宏

 

5⃣ こういう時に心を落ち着かせてくれる「音」「音楽」

入院して気が滅入っていた時期、坂本龍一氏はひたすら「音楽にもならない音」を聴いていたのだそうです。

特に「雨の音」が良かったのだそうです。実はこれまでの10年くらいよく雨音に耳を傾けていたのだそうです。

入院中も、窓の外の雨音に耳を傾けていて、降っていない時はYouTubeでひたすら雨の音を8時間も流し続ける動画を見つけて、一晩中聴いていたのだそうです。

 

また、普段まったく聴かないカントリーミュージックを聴いて、不意に涙が止まらくなってしまったのだそうです。

アメリカのカントリー歌手の「ロイ・クラーク」という人の「Yesterday,When I Was Young」という曲で、坂本龍一氏にとっては非常に縁遠いミュージシャンであり、こんなミュージシャンのこんな曲に心を動かされることに、自分でも非常に驚いていたそうです。

坂本龍一氏は普段音楽を聴いても、歌詞の内容はほとんど頭に入ってこない性格なのだそうですが、今回この曲の歌詞の内容に非常に感銘を受けてしまったとのことでした。

「病気でもしなければこんな曲を良いとは思わなかったかもしれないし、歌詞の内容に耳を傾けられるようになったのは年齢のせいもあるのかもしれません」

このように言っていましたが、こういう「死」に直面するような非常事態になった時、「友達」にしても「音楽」にしても、本当に自分を支えてくれる存在がわかるのかもしれませんね。

 

長くなりましたので、続きは次回のブログで!