肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第1章 その1

稀代の音楽家坂本龍一氏が2023年3月28日に亡くなって、早いもので1年以上が経ちます。

これまでに坂本龍一氏に関する書籍や雑誌類、音楽や映像ソフトなど様々なアイテムが出されてきましたが、本書は昨年6月に出版された書籍です。

2009年に、自身が生まれてから57歳までの活動の軌跡を記した自伝「音楽は自由にする」の続編ともいうべきもので、2009年以降、亡くなる直前までの活動の軌跡を記した自伝であり、坂本龍一氏が口述した内容を、親友である鈴木正文氏が記載してまとめたもので、まさに坂本龍一氏の「遺書」とも呼べる内容です。

全8章から成り立っており、最後には「著者に代わってのあとがき」というタイトルで、鈴木正文氏が晩年の坂本龍一氏に寄り添った、とても長く素晴らしい文章を綴っています。

感銘を受けた箇所が多かったため、ほぼ1章ずつ僕なりの感想を簡単にお話したいと思います。

今回は、第1章「ガンと生きる」の中で、感銘を受けた箇所をいくつか抜粋してお話します。

 

 

1⃣ ぼくはあと何回、満月を見るだろう

本書のタイトルである「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」という言葉は、1990年に公開された「シェルタリング・スカイ」(監督:ベルナルド・ベルトルッチ・1987年公開の「ラストエンペラー」と同じ監督)に出てきたセリフなのだそうです。

しかも、映画の最後に原作者であるポール・ボウルズが登場して語ったセリフなのだそうです。

とても長いセリフの一節で、全体は以下の通りです。

「人は自分の死を予知できずー/人生を尽きぬ泉だと思う/だがすべて物事は数回起こるか起こらないか/自分の人生を左右したと思えるほどー/大切な子供の頃の思い出もー/あと何回心に浮かべるか/4~5回思い出すのがせいぜいだ/あと何回満月をながめるのか/せいぜい20回/だが人は無限の機会があると思う」

・・・なかなか含蓄のある言葉で考えさせられます。

坂本龍一氏も、当時まだ38歳であり、この言葉を耳にしても、あまり自分のこととしてピーンとは来なかったそうです。

しかし、晩年ガンを患ってからは、急にその言葉が現実味を帯びてきて、死についても自然と考えざるを得なくなったそうです。

僕自身も15年ほど前に末期ガンを患った経験があり、この本のタイトルを目にした時、他人事とは思えない真実味を感じました。

 

2⃣ 最悪な精神状態の中での演奏

坂本龍一氏は2014年に発症した中咽頭ガンは寛解したのですが、2020年6月にニューヨークの病院で「直腸ガン」と診断されてしまいます。

更に同年12月の日本の病院での検査で、直腸ガンが肝臓やリンパにまで転移していることを告げられました。

そして、その時の主治医からこう告げられたそうです。

「何もしなければ余命は半年ですね」

その他様々な絶望的とも思える断定的な診断を下され、ショックで落ち込んでしまったとのことです。

僕の場合は、主治医から妻と一緒に診察室に呼ばれ、簡単な説明の後、僕だけ病室に戻るように言われ、妻だけが残り、坂本龍一氏と同じような絶望的とも思える診断内容を告げられたそうです。

坂本龍一氏より更に深刻な内容で、このままでは「余命2ヶ月」だと言われたとのことでした。

僕は当時直接言われたわけではありませんが、病室に戻ってきた悲壮な顔をした妻の顔を見て、おおよその察しがつきました。

しかし、坂本龍一氏はこのような絶望的な診断内容を直接言われたわけですから、本当に強く落ち込んだであろうと、深く同情いたします。

しかも、翌日はオンラインのピアノ・コンサートを控えていたわけですから、想像を絶するツラさだったと思います。

最悪な精神状態の上に、映像を使うためにかなりツラい演奏環境だったらしく、その撮影監督もかなり厳しい人だったそうです。

そのピアノ・コンサートはのちに音源化されてリリースされた「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020」ですが、僕もオンラインで観ていました。

素晴らしいバーチャルな映像を施したコンサートで、真剣にピアノを演奏する坂本龍一氏の姿はとても末期ガンとは思えない感じでしたが、実際はこのような悲壮極まりない状況だったのですね。

3年以上経って、坂本龍一氏も亡くなってしまった現在ではありますが、本当に心から「お疲れ様!」と言ってあげたい気持ちになりました。

 

3⃣ 病院食の不味さ

坂本龍一氏も指摘していましたが、病院食というものは、どこの病院も本当に不味いです。

僕は今まで末期ガン・心房細動・飛蚊症を患って、様々な病院に入院し、病院食を食べ続けてきましたが、美味しい病院食を食べたことはほとんどありませんでした。

飛蚊症手術で入院した横浜の深作眼科だけは別でした。この病院の病院食は高級料理店並みの美味しさでした!)

健康管理などいろいろとあるのかもしれませんが、極端に塩分を控えているのか味が薄すぎてほとんど味がしません。

そして、どんな料理でも冷えてしまっています。カレーやシチューなど出ることがありますが、冷えてしまって興覚めと言った感じです。

そして、どうしたらこんな料理を思いつくのだろうかと言わざるを得ない、わけのわからないメニュー・・・

坂本龍一氏も本書で「どうやったら、こんなに不味い料理が作れるのかと思うくらい」と吐き出していました。

家族にわがままを言って、ウナギやカツ丼を差し入れてもらっていたそうですが、僕も病院側に内緒でおにぎりや惣菜・アイスクリームなどを家族に差し入れてもらっていました。

病院食のくせに、これで栄養が足りるのか心配で、妻は毎日カリウムなどがふんだんに入っているトマトジュースも差し入れてくれました。

 

長くなってしまいましたので、続きは次回のブログで!