肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

村上春樹 / 回転木馬のデッド・ヒート

村上春樹氏の「回転木馬のデッド・ヒート」を読みました。

この本は、1985年10月に刊行された短編集で、雑誌に連載されていたものをまとめた本です。

短編集ですが、かなり不思議な雰囲気を持つ話が多い印象でした。

前書きの「はじめに」で、村上春樹氏が書いていた通り、これらはすべて他人から聞いた話で、ほぼ事実に基づいて書いたという、珍しい形態の短編集です。

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村上春樹回転木馬のデッド・ヒート」表紙 「人生というメリーゴーランド そこでデッド・ヒートを繰りひろげる、あなたに似た人」本の内容を端的に説明しています。 

村上春樹氏は、他人の話を聞くのが好きとのことで、自身には他人の話の中に面白みを見出す才能があると 言っていました。

特殊な人の特殊な話ではなく、平凡な人の平凡な話のほうが面白いそうです。

ただ、このような能力が具体的に何かの役に立つということはなく、小説を書くにおいても特別役に立ったということはなかったそうです。

なんだか、意外です。

ただ、自分の中に「おり」のようなものがたまっていくだけ、という表現をしていました。

また、「自己表現」というものが、精神の解放に寄与する、ということは迷信である、ときっぱり言い切っています。

「書くこと自体には、効用も救いもない。」

最近のアウトプットブームで、書いたり話したりする「アウトプット」によって、自分の記憶に残り、自己成長につながる、と盛んに言われており、精神科医で作家の樺沢紫苑先生も強く推奨しています。

また、書くこと・話すことなど、表現することによって、自分自身の鬱屈したストレスなどのマイナスな感情が発散されることも、脳科学的に実証されているそうです。

僕自身も、どちらかと言うと、他人の話を聞く聞き役に徹するほうであり、文章を書くことは好きなほうです。

しかし、村上春樹氏はこういうことをきっぱり否定するんだ、と半ばちょっとショックでした。

村上春樹氏いわく、他人の話を聞けば聞くほど、「無力感」にとらわれるということです。

無力感の本質は、「我々はどこにも行けない」ということであり、それが「おり」となって、たまっていくだけとのことです。

まあ、1980年代前半の発言なので、その後の村上春樹氏がどのように考えているかはわかりません。

この時から40年近く経っており、脳科学もそれなりに進歩してきているので、今となっては村上春樹氏も、異なった見解を言うのではないか、と私自身は見ています。

 

ところで、肝心の内容ですが、全部で9話の話が収められています。

どれも甲乙つけがたい、かなりミステリアスで面白い話ばかりですが、僕自身が印象に残った話をいくつか簡単にご紹介したいと思います。

 

1⃣「レーダーホーゼン

レーダーホーゼン」とは、ドイツの短パンみたいなものだそうです。

主人公は、村上春樹氏の妻の友人の母親です。

妻の友人が20代のころ、母親が初めて海外のドイツへ旅行に行ったそうです。

母親は旅立つ前に、父親から「レーダーホーゼン」をお土産に買ってほしいと頼まれたそうです。

そのころ、父親と母親はそこそこ仲が良かったそうで、母親はすぐに快諾したそうです。

ただ、若いころは父親は女癖が悪く、そのせいでしょっちゅう母親と喧嘩が絶えなかったそうでした。

母親はドイツに到着し、旅行を心ゆくまで楽しみ、レーダーホーゼンのお店に行き、大体の父親の寸法は把握していたので、購入しようとしたところ、店員から本人でなければ売ることはできないと断られてしまいます。

そこで、道行く人を眺め、父親にそっくりな体型のドイツ人を見つけます。その人を説得して、レーダーホーゼンのお店まで連れて行き、ピッタリのレーダーホーゼンを見つけ、店員と楽しそうに話しながら試着しているドイツ人を見ながら、彼女の心の中で何かが崩れ落ち、変わっていく・・・

そして、母親はそのまま、二度と父親と娘(妻の友人)の元へ帰ってくることはなかった。

そのような話です。

僕は、正直この母親の考えていることがよくわからなかったのですが、僕の妻は膝を叩いて「とてもよくわかる!」と豪語していました。

男女の脳の作りの違いの問題でしょうか。

皆様ご自身で読んで判断していただきたいと思います。

 

2⃣「タクシーに乗った男」

村上春樹氏が雑誌の取材のため、インタビューしたときの話です。

主人公は、40歳過ぎの画商を営む女性です。

画家を目指して、ニューヨークで暮らしていましたが、自分の才能をあきらめ、画商を営んでいた時の話です。

ある時、知り合いのドイツ人画家の紹介で、売れないチェコ人の若い男の画家と出会います。

あまり才能のない画家で、特に目を引くような絵はなかったのですが、1枚だけ妙に気になる絵を見つけました。

それは、タクシーの後部座席に座った若い男の絵でした。

フォーマルな服に身を包んだハンサムな男で、顔を横に向けて、窓の外を見ているアングルです。

この絵自体の技量はそれほどではなく、気に入ってもいないのに、120ドルも出して、買ってしまいました。

そして、主人公は自宅の壁に飾って、毎日毎日眺めて暮らす。

しかし、その後、いろいろとあって、何もかも捨て去りたくなり、ニューヨークでの思い出の品と共に焼き捨ててしまう。

ところが、後年、主人公がギリシャアテネを旅行して、タクシーに乗っていた時に、この絵の「タクシーに乗った男」と瓜二つの男が乗り込んできて、しばらく同じ時を過ごしました。

そして、男は途中で降りるときに、「よいご旅行を」と言って、別れるという話です。

最後に主人公が言った教訓「人は何かを消し去ることはできない。消え去るのを待つしかない」なかなか含蓄のある心に残る言葉でした。

 

3⃣野球場

主人公は、村上春樹氏に自分が書いた小説の原稿を郵送で送ったサラリーマンの青年です。

主人公は、大学のクラブで一緒だったある女の子に夢中になり、彼女が住む野球場の近くのアパートの近くに住むことにしました。河原を挟んですぐのボロアパートです。

カメラの望遠レンズを手に入れ、彼女の部屋をのぞくことに夢中になります。

そのうち、夢中になりすぎて、他のことに興味がなくなり、ろくに学校にも行かず、身なりは汚く、部屋も汚く散らかり放題になります。

その時の主人公の言葉が印象に残りました。

のぞき見をしていると、心が「分裂的な傾向になる」

「体から見ても、行為から見ても、断片的に見ている限り、人間存在というものは決して魅力的なものではない」

そうしているうちに、夏休みになり、彼女は実家に帰ってしまい、部屋はがらーんとしたまま、のぞき見をする意味がなくなる。

主人公はだんだん彼女に興味を失っていき、落第寸前だったため、勉強に没頭し、徐々に元の自分に戻っていく。

そして、9月になり学校へ行くと、彼女にばったり会ってしまう。

主人公は慌てふためき、彼女との話もぎこちなく、大汗を掻いてしまい、食事の誘いも断り、なんとか別れることができた。

最後に、その時の汗のねばねばとした感触と嫌な匂い・・・二度と経験したくないと、感慨にふけるのでした。

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裏表紙:「小説でもノン・フィクションでもない」「マテリアルはあくまでも事実であり、ヴィークル(いれもの)はあくまでも小説である」よくこの本を表している言葉です。

【まとめ】

全9話すべて読み終わって、感じたことは、「すべてオチらしいオチがなく」「夢」のような不思議な話が多いということです。

すべて実話に基づいて、書かれているからでしょうか。

納得できる合理性がまるでなく、映画やテレビドラマのような「予定調和」というものがない。

しかし、「現実」というものは、こういうものなのではないか、僕はそう感じました。 

 

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STING / Duets

先日2021年3月19日、スティングがこれまでの膨大なキャリアの中で、素晴らしいアーティストとデュエットした曲を収めた「Duets(デュエッツ)」というアルバムが発売されました。

スティングは前回2019年に自身のソロ曲及び所属していたポリス時代の曲をセルフカバーした「My Songs」というアルバムを発売して、大ヒットしました。

近づく70代に向けて、熟成された「今」の自分の魂を、過去の曲に込めたようで、とても素晴らしいアルバムでした。

今回のアルバムは、自身と縁のあった素晴らしいアーティストとコンビを組んで発表した曲をコレクトしたアルバムということで、また違った味わいが感じられました。

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全18曲、すべて他のアーティストとデュエットした曲です。初回限定盤にはインタビュー映像やミュージックビデオが収められているDVDが付いています。

この中で、僕が気に入った曲を簡単にご紹介したいと思います。

 

1⃣ 「It's Probably Me」  with Eric Clapton

1987年スティングのソロ2作目の「Nothing Like The Sun」に収められていた曲で、ダニー・クローヴァーとメル・ギブソン主演の「リーサルウェポン3」のために書いた曲とのことです。エリック・クラプトンのギターリフが印象的な曲ですが、元々クラプトンが書いていたインストゥルメンタル・バージョンが先にあって、これをスティングが仕上げたとのことでした。

クラプトンは、何度かスティングのソングライティング能力を高く評価する発言をしていたとのことで、「Nothing Like The Sun」のアルバム制作にギタリストとして参加し、翌年の東京ドームでの自身の25周年記念のライブにスティングを飛び入り参加させた経緯があったそうです。

この二人がこれほど仲が良かったとは知りませんでした。

とてもハードボイルドで、落ち着いた雰囲気の曲で、夕暮れの都会のバーが似合いそうな曲です。

 

2⃣「Desert Rose」 with Cheb Mami

1999年発表のアルバム「Brand New Day」に収めれていた、とてもエスニックで、特徴のある曲です。

このころ、スティングはパリに住んでいたそうで、アルゼンチンの「ライ・ミュージック」に強く惹かれていたそうです。

このアルバムは世界を回りながら、作っていったアルバムで、パリで出会ったアルゼンチンのアーティスト「シェブ・マニ」を招いてコラボしたそうです。

とても力強さと、異空間にいるような錯覚を思わせる曲で、僕は大好きです。

 

3⃣「My Funny Valentine」 with Herbie Hancock

言わずと知れた偉大なジャズ・アーティストであるハンビー・ハンコックですが、2005年ころはスタンダード曲を中心に数多くのアーティストとコラボした曲を集めたアルバムを制作していました。

スティングもハンコックから声をかけられ、「はい!」と即答したそうです。

曲はとても美しいジャズのスタンダード曲で、スティングの声質にピッタリの曲です。

何回聴いても、飽きません。

スコッチ・ウィスキーのダブル・ロックを、深夜のバーでグラスを傾けながら、聴いてみたい曲です。

今はコロナで無理ですが・・・

 

4⃣「Fragile」 with Julio Iglesias

1995年の映画「レオン」のエンディング曲だった、この美しい曲「Fragile」は、1987年発表の「Nothing Like The Sun」に収められていた曲です。

ラテン音楽と欧米音楽の橋渡しの役を務めたフリオ・イグレシアスが、1994年のアルバム「クレイジー~心の炎」でこの曲を取り上げ、スティングをギタリストに招いて演奏されたスペシャルなテイクです。

フリオ・イグレシアスといえば、僕がまだ中学生だった1980年代前半に、日本でも爆発的にヒットしたラテン・アーティストでしたが、当時はいわゆる金持ちのおばさま方が夢中になっていた印象が強く、その甘いボイスとラテン・ムード音楽的な作品は、どうもあまり好きになれませんでした。

でも、こうして時を超えて聴いてみると、何とも言えない素晴らしい声で、この曲のすばらしさを引き立てています。

 

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DVDのインタビュー映像は、とても見ごたえがあります。購入するのであれば、初回限定盤が断然オススメです!

今年は60代最後の年だそうですが、まだまだ僕たちを楽しませてくれる作品を発表してくれそうです。

このアルバムは、スティングと他のアーティストとのコラボで、スティングの違った面を存分に感じられる作品です。

ぜひ、一度聴いてみてください。

 

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長谷寺の十一面観世音菩薩造立1300年特別参拝・御足参り

昨日(2021年3月27日(土))、また鎌倉に行ってまいりました。

突き抜けるように澄み渡った快晴で、ポカポカ温かい陽気だったこともあり、綺麗な桜が満開になっている所も多く、道路はものすごく混んでいました。

僕の住んでいる東京都下エリアから鎌倉までは、だいたい1時間半もあれば、車で着いてしまうのですが、昨日はどの道を使っても渋滞にはまってしまい、実に3時間もかかってしまいました。

着いた時にはヘトヘトで、混んでいたことに腹を立てて、怒りとネガティブパワー満開でしたが、悪いことがあれば、良いこともあり、長谷寺についたら、「十一面観世音菩薩造立1300年特別参拝・御足参り」という「イベント?」が開催されていました。

「1300年」ということですから、おそらく100年に一度くらいしか行われていないのでしょう。

とても良いタイミングで、このイベント?を知ることができて、本当に良かったです。

 受付に行くと、「御一人1000円いただきます」と言われ、お金を払うと、白い袋を渡されました。中を見てみると、手ぬぐいと木板の御守りが入っていました。

 

 そして、これを持って、僕と妻は、お賽銭を入れてお祈りしている列とは別の場所に並び、柵の扉が開くと、中を通され、観世音菩薩の足のすぐそばまで行くことができました。

住職の方がいて、先ほどの手ぬぐいを菩薩の足の甲の上に敷き、ひざまずいてその上に手を置き、お祈りをするように言われました。

言われたとおり、ひざまずき、手を置きながら上を眺めると、巨大な菩薩の御姿が下から一望でき、かなりの迫力でした。

お祈りを始めると、住職の方がお経を唱えてくれて、とても神聖な気持ちになりました。

「たかが、菩薩の足に触れて、お祈りするのに、1000円かよ・・」と思われる方もいると思いますが、なかなか出来ない体験で、何よりとても清らかな気持ちになり、記念の手ぬぐいと御守りもいただけるので、これは体験されたほうが良いと思います。

 

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「HASE KANNON 1300 since 721 御足参り」と書かれた手ぬぐいを渡されました。

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1300年記念の御足参り記念の木板の御守りです。薄い木板ですが、この機会にしかいただけないので、特別にご利益がありそうです。

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1300年記念の御品は3種類ありましたが、写真の御守りがピンときたので、購入しました。先ほどの木板お守りと共に、常に持ち歩こうと思います。

 

菩薩の安置されている御本堂を出ると、綺麗な桜が満開でした。

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桜の枝から、綺麗な音を奏でる「風鈴?」のようなものがぶら下がっており、風に揺れると、何とも言えない雅やかで、流麗な音を奏で、とても癒されました。動画も撮りましたが、お聞かせできないのが残念です。

長谷寺のホームページを確認したところ、いつまでとは載っていませんでしたが、桜で満開の今の時期の鎌倉と長谷寺はとても良いと思いますので、ご興味のある方は一度春の桜の季節の鎌倉・長谷寺に行ってみたらいかがでしょうか。

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桑田佳祐 静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo

先日2021年3月7日午後7時より、桑田佳祐の「静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~」が、「ぴあ」などの大手メディアのプラットフォームにて放映されました。

桑田さんは、昨年サザンオールスターズとして、2回配信ライブを行っていますが、今回も見逃し配信にて一週間の期間見放題というサービスの良さでした。

すでに終わってしまいましたが、今回は横浜アリーナで行われたサザンオールスターズのライブと違って、ジャズの殿堂「Live in Blue Note Tokyo」でのライブということで、だいぶ普段とは違ったシックな雰囲気だったと思います。

 

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桑田佳祐 静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo」のオープニング画面 映像・画像の撮影禁止なので、この程度しか掲載できません。

 

今回は桑田さんのソロライブという位置づけなので、演奏曲はすべて桑田さんのソロの曲で、演奏メンバーにはサザンのメンバーは一人も入ってはいませんでした。

ギターの斎藤誠氏や、サックス・フルートの山本拓夫氏、コーラスのTIGERさんなどは、サザンの配信ライブにも出演していましたが、ドラムの河村"カースケ"智康氏をはじめ、すべて桑田さんお気に入りのプレーヤーで固めていました。

ただ、これまでのサザンの2回の配信ライブと違うことは、当の桑田さんがとてもイキイキしていたことです。

終始笑顔で、ノリノリで、心からライブを楽しんでいるようでした。

 

オープニングは、意外にも、あのティン・パン・アレーの「ソバカスのある少女」で始まりました。

カバー曲で始まるのは、とても意外でしたが、この曲は桑田さんのレギュラーラジオ番組「桑田佳祐やさしい夜遊び」2021年1月2日放送の「生歌コーナー」でとても楽しそうに歌っていました。

「あぁ、そうだったのか・・・」

この時の桑田さんもとても楽しそうに、イキイキと歌っていました。

ラジオでも言っていましたが、サザンはデビュー直前に一度オーディションテストを受けたことがあったらしく、その時の審査員がティン・パン・アレー鈴木茂氏だったとのことです。

あまり持ち歌がなかったのか、あろうことか、鈴木茂氏の前で、あの「女呼んでブギ」を歌ったそうです。「女呼んで、揉んで抱いて、イイ気持ち」のあの歌です。

しかし、鈴木茂氏は「なかないいじゃん!」と言ってくれて、「サビに入るところに一度フィルを入れた方がいいと思うよ」と助言までしてくれたそうです。

そのような良い思い出のおかげか、桑田さんはとても感慨深そうに、歌って演奏していたように見受けられました。

 

以下、長くなるので、詳細割愛しますが、全22曲、約2時間10分ほど、アンコールは3曲もやってくれました。

全体的に、昔の曲より、この15年以内の「桑田さんのお仕事 07/08 ~魅惑のAVマリアージュ~(2008年発売)、「MUSIC MAN(2011年発売)」、「がらくた(2017年発売)」からの曲が多かったと思います。

個人的には、2010年に桑田さんが食道ガンの検査結果を聞くまでの、非常に切迫した超不安な時期に作って収録したという、とてもダークでマニアックな「グッバイ・ワルツ」、その後に続く、桑田さんが敬愛するビートルズのことを歌った「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」、1986年のKUWATA BANDの大ヒット曲「スキップ・ビート」がなかなか良かったです。

あと、忘れちゃいけないのが、アンコールの1曲目で歌ってくれた「ヨシ子さん」、先に「原曲?」と思われるリズムが同じのドクター・ジョンの「Iko Iko」を演奏した後の「ヨシ子さん」はとてもファンキーで素晴らしかったです。

アンコール最後の、今の時期をピッタリと映し出す、すべての人への応援ソング「明日晴れるかな」には、少しウルっと来ました。

 

本当にとても良かったです。

サザンのメンバーには申し訳ございませんが、また桑田さんソロの第2弾配信ライブを期待しています。

 

 

東日本大震災から10年

先日2021年3月11日で、あの東日本大震災からちょうど10年が経ちました。

ネットのニュースやテレビでは、さかんに記事が上がっていたり、特集が組まれ、フェイスブックなどSNSでも「あの時の私」と銘打った投稿が多く上がっていると聞かれます。

 

かく言う僕も、この節目の時期になにか投稿しなければ!と、焦って書こうとしましたが、筆が進まず、2日も経ってしまいました。

 

僕は特別大きな被害を受けたわけではありませんが、あの時期は僕自身の身の上も結構いろんな事があった時期でした。

その当時勤めていた会社で、僕は飲食チェーン店の店舗開発という仕事に従事していました。飲食店舗となる物件を探して見つけ、地主や家主と交渉して契約して、店作りを行う仕事です。

結構な激務でしたが、30代後半でやり甲斐を感じていた仕事でしたので、昼夜を惜しまず、休日もほとんど返上で仕事に打ち込んでいました。

そのようなところへ、2008年の秋、リーマンショックが訪れ、僕の会社も多大な影響を受けて、リストラが進行し、社内の雰囲気も緊張した感じになり、締め付けが厳しくなってきました。

それまで激務だったところへ、このような非常時の重圧も加わり、結構ストレスが溜まっていたのでしょう。

 

翌年2009年の4月ころに身体の異変を感じ、病院の検査を受けたところ、かなりたちの悪い末期ガンと判明しました。

仕事に打ち込めないほど、腰や肛門のあたりの痛みが襲い、その年の6月から僕は約7ヶ月間、ガンとの闘病生活を続けました。

僕には知らされていませんでしたが、妻には「余命2ヶ月」と告げられていたようで、とても助からない状態で、7回ほどの抗ガン剤治療を受け、手術も受けて、1ヶ月ほど無菌室で過ごしたことも有りました。

 

このあたりのことは、語ると非常に長くなるので、また別の機会にお話しようと思います。

なにはともあれ、九死に一生を得て、僕は翌年2010年の年明けに退院することが出来ました。

それから約1年間、休職して療養生活を続け、その年の12月中旬ころから復職することが出来ました。

 

この東日本大震災は、復職してまだ3ヶ月しか経っていなかったころで、リハビリを兼ねて、社内にて事務職の仕事に従事していました。

運命の2011年3月11日午後2時46分、突然大きな揺れが起こって、だんだん激しくなり、座っていられなくなりました。

デスクの下に潜り込みましたが、なかなか揺れが収まらず、激しくなるばかりでした。

僕の会社は西新宿の高層ビルの上層階にあったので、おそらく地上より揺れが激しかったのではないかと思います。

大きな船に乗って、台風の波風に襲われたようで、「どんぶらこ、どんぶらこ」と大きく左右上下に揺さぶられて、正直生きた心地がしませんでした。

窓の外をふと見ると、他の全ての高層ビルが大きく左右に揺れているのが見えて、本当に恐ろしかったです。

書類が格納されていたロッカー風収納のスライド式ドアは左右に大きく移動して、ほとんど全部壊れてしまい、中の書類やファイルが飛び出してきました。

 

揺れが収まっても、しばらくは社内はパニック状態が続き、仕事どころではなかったことを覚えています。

PCや携帯のニュースを見てみると、震源は東北沖で、ものすごい津波が街や車や人を飲み込んでいる映像や画像を目にし、戦慄を極めた恐ろしい気持ちになりました。

夕方ころになり、窓から東京湾側の方で、火災が広範囲に発生して燃え盛る炎が確認できました。後から、これは千葉県沿岸部のコンビナート火災とわかったのですが、社員全員でこの光景を眺め、「この世の終わり」を彷彿とさせるような気分になりました。

 

夜になっても鉄道は動かず、社内にいるしかない状態で、夕食もままならない中、当時の会社のはからいで、ビルの最上階にある「北海道」という日本料理店で夕食を食べることが出来ました。

当時の会社のはからいには感謝していますが、同僚と顔を突き合わせて夕食を食べても、皆神妙にほとんど喋らずに黙々と食べていたことを覚えています。

 

超非常時のため、電話やメールがつながらなかったのですが、やっと郊外の自宅にいた妻にメールを送ることが出来て、とりあえず自宅での大きな被害はなかったと確認できて、ホッとしました。

午後10時過ぎころでしょうか。

やっと僕の使っている通勤路線が復旧し、帰ることが出来ました。

駅まで妻が迎えに来てくれ、お互いの無事を確認して、とりあえずホッとしました。

 

あれから10年、本当に昨日のことのように思い出します。

ガンとの長い闘病生活から、復職後すぐの震災まで、僕の当時の一連の大変な人生の状況がオーバーラップされ、それがなかなか筆が進まない原因だったのでしょう。

人間、きちんと向き合うことがストレスとなることは、なかなか思い出したくないものです。

 

 

地震については、先月2月にも福島沖を震源とした大きな地震が首都圏に発生し、太平洋を挟んだ対岸のニュージーランドでは巨大地震が群発しています。

日本に住んでいる以上、災害に遭うことは避けられないと思います。

今一度、災害に備え、家内を点検し、防災グッズを整備しようと考えている今日このごろです。

 

 

ニュージーランド大地震と東日本大震災の関連性

本日(2021年3月5日)日本時間で午前4時28分に、ニュージーランド沖のケルマデック諸島でM8.1の巨大地震が発生したそうです。

気象庁の発表によると、この地震による日本への津波の心配はないとしています。

 

でも、僕はすぐに10年前のちょうど同じくらいの時期(2011年2月22日)に発生した同じニュージーランドでの「カンタベリー地震(通称:クライストチャーチ地震)」の悪夢を思い出しました。

185人が死亡し、300人以上が負傷したと言われ、日本人留学生も28人が命を落とした大惨事となりました。

 

しかし、そのわずか17日後の2011年3月11日に、東北沖を震源とするM9.0の、あの東日本大震災が発生しました。

すでに、ネット上では関連性が騒がれていますが、あまり気にしていない人の方が多いかと思います。

 

ただ、最近、ニュージーランド付近では、規模の大きい地震が相次いで起こっているそうです。

前日の3月4日午後10時30分頃にはニュージーランド北東沖を震源とするM7.3の地震が発生したそうです。

今回の巨大地震の直前である5日午前2時41分頃には、同じケルマディック諸島を震源とするM7.4の地震が発生していたそうです。

この連続した大地震の群発は、並大抵のことではないと思います。

日本でも、2月13日に福島沖を震源とする震度6強の大地震が発生したばかりでした。

 

僕はそれほど直感が優れている方でもなく、どちらかというと鈍い方かもしれませんが、それでも何か「虫が騒ぐ」というか、イヤーな予感がします。

用心するに越したことはないので、一度我が家の状況を調べ、防災グッズを見直し、必要なものは買っておいて、備蓄しておこうと思います。

皆様もくれぐれもご用心を!

国産ジーンズのホープ「Graph Zero(グラフゼロ)」

先日の土曜日に、たまたま買い物で、大丸東京店に行って、エレベーターを昇っていたところ、7階の正面にジーンズショップの催事が目に付きました。

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大丸東京店7階の催事場「Graph Zero」という国産ジーンズショップが入っていました。

妻が先に引き込まれるように、入っていき、僕も引っ張られるように入っていくと、そこは珍しいデザインや縫製のデニムウェアの山でした。

僕は若い頃から、デニムが大好きで、今でもリーバイスエドウインジージャンやジーンズを履いたりしていますが、この「Graph Zero(グラフゼロ)」というブランドは初めて目にしました。

若い店員さんに聞いてみると、「ジーンズの聖地」と呼ばれる岡山県の倉敷のブランドだそうで、もともと家業が生地屋だった代表の方が継いだ時に、大好きだったジーンズのブランドを2004年に立ち上げ、一つ一つ手作りで製作するオリジナリティー溢れるデニムウェアを作り続け、今日に至るとのことでした。

 

最近は、コロナの影響もあって、ファッションにお金を使う人が激減し、アパレルメーカーがどんどん衰退して、倒産するところも出てきており、街を歩く人のファッションを観察すると、正直言って、安っぽいカジュアルな服を着ている人が老若男女問わず、増えてきているような気がしていました。

ユニクロやGU、しまむらなどの安価で機能性が優れたファッションが台頭し、面白い服がどんどん無くなってきているなあと感じていました。

 

しかし、このブランドは久しぶりに衝撃を受けました。

まず、デザインが個性的でオリジナリティー溢れているのですが、一つ一つ手作りとあって、縫製が非常に丈夫で優れており、今ではほとんど見られなくなった「ヘリンボーン織り」とのことです。

また、元生地屋ということもあって、ジーンズとしてはとても厚みのある丈夫な16オンス(普通は14オンス)で、パリパリに硬い生地でした。

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僕が買ったジージャンです。一目で気に入りました。リーバイスのファーストを模したデザインですが、ストライプ柄に織り込んであり、とても斬新でスマートに見えます。

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妻が買ったジージャンです。こちらはリーバイスのセカンドを模したデザインです。こちらもなかなか素晴らしいです。

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妻が買ったフレアースカート このようなデザインのスカートは最近ホントに見なくなりました。ファッションに詳しい妻曰く、フレアースカートの製作はとても難しく、高度な技術を要するそうです。

 ジージャンは24,000円と、決して安くはありませんが、それだけの価値はあると思われる斬新でシャープなデザインと、しっかりした縫製です。

若い店員さんたちは皆このブランドのジージャンを着用し、ジーンズを履いていて、とても商品に自信があり、誇らしげのある感じでした。

自分たちでこれらの服を作っているようで、職人でもあり、お客さんにコーディネートなどを提案するファッション・コンサルタントのようでもあります。

 

僕たちはとても気に入り、僕はジージャンだけでなく、このデザイン・縫製のジーンズもぜひ手に入れたくなってしまいました。

妻も同じフレアースカートの色違いが気にかかっていたようです。

ということで、一週間後にまた来てしまいました。

2回目で購入した商品は以下のとおりです。

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色合いも形も様々なタイプがありましたが、僕はやはりストライプ柄の典型的なストレートタイプのジーンズを購入しました。

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価格は19,000円(税別)です。

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妻が購入した色違いのフレアースカートです。ちょっと色が薄めの青色で、これからの春夏の季節に最適です。

3月2日まで大丸東京店の催事場で営業していましたが、すでに終わってしまい、また東京方面に来る予定は今のところ無いとのことでした。

ご興味のある方は、ぜひオンラインショップでお楽しみください。

↓ リンクはこちらです。

www.graphzero.com