肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

飛蚊症にお悩みの方に朗報(その12)左眼の手術を終えて

前回は左眼の手術のお話をしました。

 

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今回は左眼の手術を終えてからのお話をしたいと思います。

左眼の手術を終え、病室に泊まって一夜明けた後、前日に手術を受けた患者さん約12人くらいが、食事室に集まり、テーブルを囲んで、朝食を取りました。

周りを見てみると、様々な年代の方で、網膜剥離緑内障など、結構重症な患者さんが多かったのを覚えています。

朝食メニューは、相変わらず上品な盛り付けの和食で、焼き海苔やきんぴらごぼうにご飯と味噌汁だったと思いますが、味は絶品でした。

 

そんな中、僕よりも少し年上の50代と思われる女性の患者さんが僕に声をかけて、どんな病気で入院したのか訊かれました。

飛蚊症で入院したことを伝えると、ちょっとビックリしたような表情になり、その方はこう言われました。

「今回は違うんだけど、私も実は以前重度の飛蚊症を患ったことがあって、手術したことがあるのよ。その時は深作眼科のことは知らなかったんだけど、いろいろと治療してくれるところを探し回ったら、御茶ノ水駅前のビルに入っている眼科を紹介されてね。行ってみたら、『うちでは基本的によっぽどの症状でない限り、飛蚊症の治療はいたしません。』と断られちゃったのよ。でもね、どうしてもやってほしい、本当に苦しんでいるからお願いです、と結構しつこくお願いしたら、『わかりました。やりましょう。』と快諾してくれたのよ。深作眼科でもやってくれたのね。どうでした?」

 

僕は、飛蚊症を患ってからの経緯、深作眼科・中原先生と出会ってから、手術までにこぎ着けた経緯、2か月前に右眼の手術を行って、すっかり僕を悩ませていた黒い糸くずやゴミのようなものは無くなり、快方に向かっていることを話しました。

「あら、それは良かったわね。深作眼科も技術力がすごいって聞いているから、大丈夫でしょうね。私は今度は網膜剝離になってしまって、なかなか大変な眼の病気なんだけど、この病院だったら安心だと薦められたの。」

後で調べたら、御茶ノ水駅前のビルに入っている眼科は、井上眼科だということがわかり、ここも飛蚊症をはじめ、いろいろな難しい眼の病気の手術が出来る名医だとのことがわかりました。

ただ、やはり中原先生が言ったとおり、飛蚊症に関しては、すぐに二つ返事で治療はしてくれないんだな、と、日本の眼科の実態を改めて実感しました。

 

昼食の後、午後1時近くでしょうか。

前日に手術を受けた患者さんたちは、全員病室からエレベーターで降りて、先生のいる診察室の前で待っていました。

ほどなく僕の名前が呼ばれ、診察室に入っていきました。

中原先生はいつものように僕の両眼を注意深く丁寧に顕微鏡で観察しながら、

「えぇ、綺麗に出来ていますよ。安静にしていれば、眼のぼやけも治っていくでしょう。」

と言ってくれました。

今回は、右眼の時よりも、痛みは残っており、時折ズキズキした痛みがありました。

目薬をさすときに、眼帯を外して、左眼を見てみると、真っ赤になっていて、かなり充血しているようでした。

翌日退院する前に、また診察をしてもらいました。

状況を先生に伝えると、前日と同じように、先生は両眼を顕微鏡で見ながら、

「まあ、気になることはあるかもしれませんが、最初はこんなものです。しばらく安静にしていれば、良くなっていきますよ。」

と、右眼の手術後の時と同じように言ってくれました。

二日後の金曜日にまた来るように言われ、診察室を後にして、帰宅しました。

 

一日置いて、また朝一で病院に到着し、いつものように検査の後、診察を受けました。

そして、中原先生はいつものように注意深く顕微鏡で両目を観察し、顕微鏡から目を離すと、安心したようにこう言いました。

「○○さん、左眼の方はだいぶ綺麗になってきていますよ。まあ、いろいろと心配なことはあるかと思いますが、順調に良くなっていくと思います。手術後の今の状況ではこんなものですよ。右眼より左眼の方が網膜と硝子体との癒着が強く、血管の炎症の痕が見受けられます。」

「以前、私が飛蚊症の手術をした方もそうでしたが、眼が炎症を起こしやすい体質なのかもしれません。例えば、網膜が腫れたり、風邪やウィルスによっても眼に影響を及ぼし、腫れを引き起こしたりします。」

「でも、大丈夫です。私が精いっぱい、やれることをやり尽くしましたので。」

「今日から肩から下の入浴はOKです。明後日日曜日くらいから洗髪と洗顔もOKです。髭剃りは今日からでもOKです。」

 

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中原先生の言葉に、僕はとても安心して、天にも昇る清々しい気持ちになりました。飛蚊症に苦しめられ始めて、実に1年4ヶ月が経っていました。

 

先生の言葉に安心しきった僕は、本当に清々しい気分でした。

ずっと苦しめられてきた飛蚊症から実に1年半ぶりに両眼ともに解放され、街の景色が違って見えました。

心理的な解放感もありますが、眼の中を覆っていた、あの黒い糸くずやゴミのようなものが一切無くなったことが、感覚としての解放感につながっていたのだと思います。

あまりに気分が良かったので、帰りに横浜そごうに寄って、好きな物を買ったりして、久しぶりにショッピングを楽しみました。

次の診察は一週間後であり、それまで僕は久しぶりの清々しい解放感に浸りながら、毎日を過ごしました。

手術後1週間後に、お酒は解禁なので、夜は楽しくビールなどを飲みながら、テレビを観たりしました。

 

診察から3日後の、7月17日月曜日、いつものように朝起きて、パソコンの電源を入れ、画面を見つめると、何やら黒いものが浮遊しているのがわかりました。

「何だろう?」

部屋のあちこちに視線を移し、眼球を動かしてみましたが、その黒い浮遊物は消えることなく、視線の動きに合わせて、フラフラと着いてくるようでした。

よーく見てみると、その黒い浮遊物は、ちょっと大きめの、見え方の体感としては2~3㎝くらいの輪(リング)状の形をしていました。

「まさか・・・飛蚊?」

僕はぞっとした気持ちになりました。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その11)左眼の手術

前回の続きです。

右眼の手術を終え、今回は左眼の手術のお話をします。

 

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右眼の手術を終えて、2ヶ月が経ち、ようやく右眼の調子も落ち着いてきました。

遠くの方がぼやけて見えたり、視界の上の方や横の方に、黒い影が見えたりしていたのですが、こういった状況もなくなってきて、もちろん僕をさんざん悩ませていた、黒い糸くずやゴミのようなものは全く無くなり、右眼はスッキリとした感じになりました。

 

そして、右眼の手術からちょうど2ヶ月後の7月10日に左眼の手術を受けることになりました。

前回と同じように、妻に付き添われて、朝8時半までに深作眼科の横浜院に行き、相変わらずの混雑の中を待っていました。

何回も通って、慣れていたので、検査に呼ばれるまでは、1階の「伽羅(がら)」という、深作眼科経営のレストランで、コーヒーを飲んだり、時には早いランチを食べたりして、待っていました。

ほとんどの患者さんたちは待合室で待っていたので、レストランは天井が高く、広々としていて快適なのに、それほど混んではいませんでした。

値段はそれほど安くはなく、それでいて、フランス料理のコースメニューのような上品な盛り付けと量でしたから、それも混雑しない理由だったのでしょう。

 

午前11時ころになって、やっと検査に呼ばれ、眼圧検査や視力検査など一通りの検査を終えると、前回と同じように、奥の検査室に呼ばれました。

アメリカから取り寄せた特殊な機械を使って、眼の状況を精密に確認し撮影しました。眼の精巧な断面図も撮影しました。

その後、また待合室でしばらく待った後、診察室の前で待つように呼ばれ、12時半ころに、中原先生の診察室から入るように呼ばれました。

中原先生は、いつものように僕の両眼を顕微鏡を使って、かなり細かく観察し、にこやかにこう言いました。

「○○さん、右眼はだいぶ良くなっていますね。出血の血液もすべて硝子体に吸収されたようだし、以前のような濁りも無くなりましたね。硝子体の手術をすると、白内障になりやすくなるのですが、水晶体も診たところ問題ないです。」

「今日はもう片方の左眼の手術ですね。前回と同じですから、気を楽にしていてくださいね。」

「それでは、また後で手術室でお会いしましょう!」

中原先生は手術の成功の手ごたえを充分感じているようで、僕も安心しました。

 

その後、エレベーターに乗って、手術室のある階まで行き、前回と同じように、あの狭い待合室で待っていました。

前回と同じように、たくさんの患者さんたちが、皆一様に黙ったまま、静かに待っていました。

すでに前回手術を経験したので、今回はほとんど不安感はありませんでした。

前回と同じように、7時間くらい待たされたのでしょうか。

診察前に、いつも瞳孔を開く目薬をさされるので、その目薬が効いている間は近くの文字は読めなくなります。

この目薬は8時間ほど効果が継続するので、その間はスマホを見たり、本などを読んだりすることが出来ず、それは結構ツラかったです。

なので、代わりに音楽やラジオをひたすら聴いていました。

 

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今回は左眼の手術 一度右眼の手術を経験したので、前回ほど不安や緊張はありませんでした。

 

前回と同じように、僕が最後となり、午後8時近くになって、ようやく呼ばれ、手術室の前の処置室に入っていきました。

処置室で、血圧を測って、採血され、点滴を施されて、また待つことになりました。

すると、しばらくして、中原先生が手術室から現れ、

「やあ、○○さん、お待たせしました。前回と同じですから、何も心配ないですよ。」

とにこやかに僕に言いました。

「また、球後麻酔(きゅうごますい)の注射しますからね。これは結構痛いから我慢してくださいね。」

「あと、絶対眼を動かしたり、まばたきなどしないでくださいね。」

これだけはかなり緊張しました。

下のまぶたを注射針が突き刺して、左眼の下部に針が刺さり、麻酔液が注入されるのですが、これが結構痛い!

刺されている間、かなりの長い時間に感じられましたが、無事終わりました。

すると、ほどなくして、左眼の視界が万華鏡のようになり、オレンジの断面のように視界が約6等分され、しばらくして電源が切れるみたいにブラックアウトして、全く見えなくなりました。

でも、同時に、ほろ酔い気分になり、なぜか精神的に安定してきて、手術前だというのに、不安感はあまりありませんでした。

 

しばらくして、看護師さんに車椅子に乗せられ、手術室に運ばれました。

そして、中原先生が僕の左眼に照明を当て、顕微鏡で細かく見ていました。

「○○さん、今回は左眼ですね。大丈夫ですよ。前回と同じように楽にしていてください。それでは始めますね。」

今回も僕の眼の状態は、大きなモニターに映し出され、それを見ながら先生は手術をしているようでしたが、僕の左眼は完全にブラックアウトして、何も見えず、何の感覚もありませんでした。

手術をしながら先生はいろいろと話しかけてきました。

「○○さんの硝子体と網膜はものすごく癒着が強いんですね!いやあ、これは体質なんですね。」

硝子体というのは眼球の大部分を占めるゼリー状の物質ですが、その中に飛蚊症の原因となる濁り物質があり、それを取り除くために、硝子体と奥の網膜を剥がしているようでした。

ただ、癒着が強くて、なかなか剝がすのに苦心しているようでした。

自分が手術をしてもらっていながら、とても繊細で精密さを要求される手術なんだなあと、改めて中原先生の技術力の高さに感心しました。

 

そして、約40分ほどして、手術は終わり、先生はこう言いました。

「いやあ、左眼の方が濁りは多かったですね。ちょっと今回の左眼の方が出血が多いと思いますが、しばらく安静にしていれば大丈夫ですからね。」

しばらく処置室で、約15分ほど休み、待合室に出て、妻に車椅子を押してもらい、宿泊する病室に連れて行ってもらいました。

今回は個室ではなく、もう少し安価な二人部屋でした。

病室で、遅い夕食を取り、寝る前の目薬をさすために、包帯や眼帯を取りました。

今回は、手術が難航したのか、前回の右眼の時よりも痛みが多く出ていて、ズキズキする感じがありました。

「どんな感じになっているだろう?」

期待と不安に包まれながら、左眼を開けてみると、

「あぁ!」

前回右眼同様、僕をさんざん悩ませていた、黒い糸くずやゴミのようなものはすっかり無くなっていました。

これで、めでたく両眼とも、黒い糸くずやゴミのようなものが無くなり、飛蚊症から解放された眼となったのです。

しかし、鏡を見ていると、眼は出血により真っ赤になっていて、ズキズキと痛みが多い感じでした。

でも、その晩も、痛みがありながらも、手術の疲れから、一瞬で眠りに落ちていったのでした。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その10)右眼の手術を終えて

前回の続きです。

右眼の飛蚊症の手術を終えた後のお話です。

 

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右眼の手術を終え、就寝前に目薬をさすため、眼帯を取った後、右眼を見開くと、なんとあれほど僕を悩ませていた黒い糸くずやゴミのようなものは、すっかり消えていました。

この爽快な感覚は、手術をした人にしかわからない感覚です。

でも、鏡を見ると、右眼の白眼の部分は真っ赤になっていて、じんじんとした痛みがあり、目薬を手早くさすと、すぐにガーゼを巻いて、眼帯を付けました。

その日は、手術をするまでの膨大な待機時間と、その心労と、手術中の極度の緊張感のため、メチャクチャ疲れていたようで、すぐに寝入って、ぐっすり眠りました。

右眼だけでも飛蚊症から解放されたこともあり、本当に久しぶりの安堵感に満ちた心地よい眠りでした。

 

翌日の昼過ぎに、点滴棒を付けながら、入院服姿で、診察室の前で待っていました。

前日手術を受けた患者さんたちも一緒でした。

名前を呼ばれ、中原先生に手術した後の眼を診てもらいました。

中原先生は、いつになく元気で爽快な表情で、

「○○さん!すっかり眼の中の濁りが取れましたね!手術した時の出血した血液がかなり残っていますが、しばらく経てば硝子体に吸収されて無くなりますので、心配ないですよ。」

と、手術の成功の手ごたえを感じているようでした。

僕も、中原先生への感謝の念が込み上げて、

「先生!本当にありがとうございます!今まで本当に地獄のような苦しみでしたが、やっと解放されました!ありがとうございます!」

と何度もお礼を言い続けました。

中原先生はにこやかな表情で、

「本当に良かったですね。僕も本当にやって良かったと思っていますよ。まだ左眼がありますので、しばらくは安静にしていてください。一週間は顔を洗わず、お風呂にも入らないでください。目薬はたくさん処方しますが、全て一日5回眼にさしてください。一週間後、また来てくださいね。」

と言って、僕を見送ってくれました。

 

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右眼だけでも手術した後と前では、天国と地獄の違いでした。黒い糸くずやゴミのようなものが無くなった後の爽快な感覚は、飛蚊症に苦しめられた人にしかわかりません。

 

手術した後の眼は、とてもデリケートなので、1ヶ月間は激しい運動は禁止とのことでした。

しばらく顔を洗えず、お風呂にも入れませんでしたが、無職でしたので、問題はなく、数日間ほとんど家にいて、安静にしていました。

目薬もきちんと言われたとおり、手術後の1週間は5つくらいの目薬を同時に一日5回、約3時間おきに眼にさしていました。

最初は真っ赤に充血していた眼は、次第に赤みが無くなっていき、半月もすると、ほとんど白くなり、元に戻っていきました。

退院するときに、深作眼科特性の、イエローのゴーグル風の、眼を保護する特殊なサングラスを購入するように言われ、普段はそれをかけて生活していました。

飛行機のパイロットがするようなゴーグルの雰囲気でしたが、色がイエローなので、ちょっと柄が悪く見えてしまい、恥ずかしい感じがしましたが、それもじきに慣れていきました。

 

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深作眼科特製の眼を守るゴーグルです。眼の手術をした後は、全ての患者さんはこれをかけて生活することになります。飛行機のパイロットみたいで、意外とカッコいいです。

 

肝心の目の見え方の変化ですが、黒い糸くずやゴミのようなものはすっかり消えたのですが、青空などを見ていると、透明な細かい小さな虫のようなものが蠢いている感じがしました。

そして、遠くがちょっとぼやけて見える感じになりました。

ただ、これも手術後の副作用で、3ヶ月もすれば、だんだん改善されるとのことで、確かに気にはならなくなっていきました。

何よりも、飛蚊症に苦しめられていた時期に比べたら、本当に天と地の差であり、それらの副作用のようなものは全く気にはなりませんでした。

 

左眼の手術は7月10日とのことで、6月下旬に右眼と同じように、手術前の精密検査を行い、7月10日の手術への準備として、また飲み薬とたくさんの手術前用の目薬を毎日さして、その日に備えました。

そして、左眼の手術当日を迎えるのでした。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その9)右眼の手術【後編】

前回の続きです。

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昼過ぎの12時半ころに中原先生の診察を終え、エレベーターに乗り、手術室のある6階へ上っていきました。

待合室がありましたが、それほど広くはなく、僕のほかに20人くらいの患者さんが所狭しと座って、静かに待っていました。

ほとんどが中高年の方だったと思います。

テレビが付いていて、バラエティ番組が流れていましたが、緊張していたせいか、観ている余裕もなく、ただただ、「どんな感じで手術をするのだろう」そればっかりを考えていました。

待合室の奥には、また出入り口の引き戸があり、その奥にどうやら処置室があるようでした。

順番に呼ばれて、待合室の奥にある洗面所で丁寧に目の周りを中心に顔を洗うように言われ、その後、処置室に入っていく段取りのようでした。

一人また一人と呼ばれて、顔を洗い、処置室の中に入っていきました。

どんどん時間は過ぎていきますが、僕の名前は一向に呼ばれません。

そうしているうちに、夕方になってしまい、僕の不安感はますます強まるばかりでした。

 

それまでに手術というものは経験したことはあり、慣れていないことは無いのですが、眼の手術というのは初めてであり、しかも「眼」ですから、恐ろしいことこの上ない。

しかも全身麻酔ではなく、眼の部分だけの局部麻酔ですから、手術中意識はずっとあるとのことです。

全身麻酔なら、眠っているうちに終わってしまうので良いのですが、局部麻酔だと、ずっと意識はあることになります。

その間、眼を動かしたり、まばたきをしたくなったら、どうするのだろう?

そんなことを考えているうちに、どんどん不安感は強まっていき、心臓の鼓動は急激に早くなり、脂汗がにじみ出てきました。

 

そのうちに、早くから入っていった患者さんで、手術が終わった方が次々と出てきました。

皆、眼帯をして、車椅子に乗って、看護師さんが押して、エレベーターの方へ向かっていきました。

ぐったりとしていて、ぼーっとしている感じでした。

「ああ、この患者さんたちは、さっさと手術が終わって、うらやましいなあ」

そんな思いを抱きながら、辛抱強く、順番を待っていました。

 

午後7時を過ぎ、残った患者さんは僕を含めて、とうとう3人となってしまいました。

僕以外の2人は、やはり中高年の方で、緑内障や網膜剝離などの結構な重症者のようでした。

そんな中に、僕も混じっていて、「マジかよ・・・」という思いで、不安いっぱいで待っていました。

 

午後8時近くになり、僕以外の最後の1人が中に入っていき、僕一人がポツンと残されました。妻も付き添っていてくれましたが、お互いに沈黙したままでした。

心細さが頂点に達しようとしたとき、「○○さん!」という声が聞こえ、やっと呼ばれました。

妻に頑張るよう、励まされ、僕は緊張のあまり、無心になって顔を洗い、青ざめた顔で、ふらっと処置室に入っていきました。

中では、すでに手術を終えた患者さんたちが、麻酔をかけられて眠っているのか、ぐったりした表情で、並んで座っていました。

 

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いよいよ待ちに待った飛蚊症の右眼の手術です。でも、眼の手術というのは初めてなので、大きな不安に包まれていました。

 

僕は血圧を測って、採血され、点滴を施されて、待つことになりました。

僕の血管はかなり細く、しかも腕の奥の方にあるため、採血や点滴の際は、看護師さんがかなり苦労することになり、何度も刺されたりして、とても痛くて嫌な思いをするのですが、ここの看護師さんはとても上手いようで、一発で針が入り、スムーズにいきました。

この点滴は、手術への恐怖感を和らげるための精神安定剤のようなものが入っているとのことでした。

さらに奥の方に手術室があるようで、そこで中原先生が別の患者さんの手術をしているようでした。

死刑執行を待つ囚人のような気分でしたが、パニックにならないよう、ひたすら無心に、わけもなく念仏を唱えていました。

 

そこへ、中原先生が出てきて、いつものようににこやかな表情で、「やあ、○○さん」と声をかけてくれ、そばのベッドに横たわるよう、促されました。

局部麻酔をするとのことですが、腕などに注射するのではなく、眼の下部に注射をするとのことでした。

「球後麻酔(きゅうごますい)」というらしいです。

下のまぶたに注射針を突き刺すらしいのですが、中原先生に、「すぐに終わりますから全く心配ないですよ。でも絶対に眼やまぶたを動かさないでくださいね」と言われました。

恐怖のあまり、「マジかよ!」と思いながら、必死に目を開けていました。

ほどなく、下のまぶたを注射針が突き刺して、右眼の下部に針が入る感触がありましたが、これがまた本当に痛い!

口を閉じたまま、必死に歯を食いしばっている間、約5秒くらいでしょうか。

とても長く感じられ、針を抜いた後、「それでは、またしばらく待っていてくださいね」と先生に言われました。

すると、なんと表現したら良いのでしょうか。

ほどなく右眼の視界が万華鏡のようになり、オレンジの断面のように視界が約6等分され、しばらくして電源が切れるみたいにブラックアウトして、全く見えなくなりました。

しかし、点滴の精神安定剤や、この球後麻酔が効いてきたのでしょうか。

それまでのような不安感はほとんど感じられず、程よくお酒を飲んで気分が良くなった感じに近くなりました。

 

しばらくして、看護師さんに車椅子に乗せられ、点滴棒とともに、手術室に運ばれました。

そして、中原先生が僕の右眼に照明を当て、顕微鏡で細かく見ていました。

「○○さん、大丈夫ですよ。楽にしていてください。それでは始めますね。」

僕の眼の状態は、大きなモニターに映し出され、それを見ながら先生は手術をしているようでしたが、僕の右眼は完全にブラックアウトして、何も見えず、何の感覚もありませんでした。

先生が何か言いながら、看護師とやり取りをしているのが聞こえましたが、何も見えず、何の感覚も無いので、手術をされているという感覚がありません。

見える方の左眼は、手術室の天井を見つめているだけでした。

それでも、先生がところどころで話しかけてくれました。

「○○さん、硝子体の中、かなり濁りが多いですね。」

「○○さんの硝子体と網膜は、とても癒着が強くて、剥がすのが大変ですね。」

話しかけられても、僕としては「はあ、そうですか・・」としか答えられませんでしたが、先生がこんな感じで状況を話してくれるので、何か手ごたえは感じられました。

 

こんな感じで、約40分ほどでしょうか。

「○○さん、手術が終わりましたよ。」

手術が終わったようで、先生はまた報告してくれました。

「濁りはほぼ全部取れましたからね。まあ、硝子体と網膜の癒着が強くて大変でしたよ。○○さんの体質なんですかね。」

眼の上にガーゼを敷いて、眼帯をして、包帯をグルグル巻きにして、固定されました。

手術は成功したようで、麻酔の影響でボーっとした感じでしたが、安堵感に包まれながら、処置室で、15分ほどそのまま安静にしていました。

 

その後、処置室から出て、待合室で待っていた妻に車椅子を押してもらい、エレベーターに乗って、その晩に宿泊する部屋に行きました。

入ってみたら、いっぱしの高級ホテルのスイートルームのような豪華で広々とした部屋でした。

個室しか取れなかったので、とても高かったのですが(確か一泊8万円だったと思います)、眼の手術でこれだけ頑張ったのですから、これくらいの贅沢は良しとしました。

 

もう午後10時をかなり回っていて、お昼12時ころ以来、何も食べていなかったので、とてもお腹がすいていました。

ほどなくして、夕食が運ばれたのですが、1階のあのオシャレな豪華なレストランで作ったメニューらしく、フランス料理のコースメニューのようでした。

ミネストローネスープと、玄米ご飯、あと野沢菜のような漬物と、野菜の炒め物だったと思います。

量はとても上品で、正直足りない感じだったのですが、一流レストランのシェフの作る料理のようで、とても美味しかったです。

 

そして、寝る前に目薬をさすために、包帯を外し、眼帯も外し、ガーゼを取りました。

本当に今まで僕を悩ませていた、あの黒い糸くずやゴミのようなものはもう無くなっているのか・・・

無くなっていなかったら、どうしよう・・・

そんな不安を遮って、右眼を開けてみました。

それまで、視界を覆っていた、あの黒い糸くずやゴミのようなものは、すっかり無くなっていました!

約13ヶ月ぶりに「飛蚊」の無い世界が、右眼だけですが、戻ってきたのでした。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その8)右眼の手術【前編】

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

前回のブログで、中原先生から意外な真相を聞かされて、驚くと同時に、晴れて手術をしてもらえる約束をすることが出来たことをお話しました。

「やりましょう!」

という先生の言葉をいただき、待合室で再び待つことになり、やがて受付から呼ばれて、手術の日程を聞かされました。

1ヶ月ちょっと後の、5月10日に右眼の手術、その後様子を見て、7月10日に左眼の手術をするということになりました。

 

その前の4月24日に検査と診察に行く必要があるとのことで、再び手術前の精密な検査を行うことになりました。

奥の方の検査室に入り、両眼の正面からの撮影、断面からの撮影を行いました。

後で先生に聞きましたが、これらの機械は日本ではなく、アメリカから取り寄せたもので、最新式の機械だそうです。

そして、中原先生の診察を受け、手術までのスケジュールの説明を受けました。

手術の1週間前あたりから、目薬を毎日さして、飲み薬を毎日飲み始め、3日前あたりから手術前用の目薬を1日5回さすように言われました。

そして、手術当日は朝一番の8時半に来るように言われました。

「お互いに頑張りましょう!」中原先生はニコッと笑い、元気付けてくれました。

 

手術をしてもらうのはとてもうれしいことでしたが、やはり眼の手術というのは初めての経験であり、場所がとにかく「眼」なので、どのように手術するのだろうか?痛くはないのだろうか?眼を動かしたりしたらどうしよう?などと、次々と不安なことが頭に浮かんできました。

手術の日が近づくごとに、だんだんと緊張感が増してきて、本当は手術してもらうことが出来て、大いに喜ぶべきことなのに、だんだんと怖くなって、逃げ出したい気持ちになってきました。

「これで、長らく僕を悩ませてきた飛蚊症とオサラバできるんだ!良かったじゃないか!」

憂鬱になってきた自分自身を、僕は何度もこう言い聞かせて、奮い立たせていました。

 

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初めての眼の手術に臨みます。最初は右眼からです。

 

そうしているうちに、とうとう手術当日の朝がやってきました。

妻に付き添われ、緊張しながら電車に乗り、深作眼科にやってきました。

その日は深作眼科では手術する曜日と決まっている水曜日で、僕と同じように手術する患者さんが大勢来ているようで、かなりの混雑でした。

朝一番の8時半に来たものの、ずっと待ち続けることになり、診察の番になったら、呼んでもらうことにして、僕たちは1階の「レストラン伽羅(がら)」で食事をして待つことにしました。

このレストランは深作眼科が経営している、とてもオシャレで雰囲気の良いレストランです。

天井が高く、落ち着いた雰囲気で、深作先生が描いた素晴らしい絵画がところどころに飾ってあります。

基本的には洋食ですが、サンドイッチ・おにぎり・パスタ・カレーなど様々なメニューを揃えており、その盛り付け方は、フランス料理のコースメニューを思わせるノーブルな雰囲気です。

 

レストランで食事をしながら、待ち続け、結局手術前の診察を受けることが出来たのは、お昼の12時過ぎを回っていました。

緊張した面持ちで、診察室に入った僕を、中原先生は改めて眼を顕微鏡で見た後、励ましてくれました。

「○○さん、大丈夫ですよ。お年を召した方も大勢白内障なんかで手術を受けてますけど、みんな何も問題ないですよ。普通にしてもらえれば、全然大丈夫ですから。」

「あのお・・・手術中に目を動かしたりしたら、マズいですよね。まばたきも出来ないし、どうしたらよろしいでしょうか・・・」

「大丈夫ですよ!ちゃんと麻酔しますから、心配無いですって!」

「それじゃあ、後ほどお会いしましょう!」

中原先生は、憂鬱そうな表情の僕を、さらっとこう言って、見送ってくれました。

 

そして、診察室を出て、エレベーターに乗り、手術室のある6階へ上っていきました。

 

 (次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その7)

前回の続きです。

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会社を退職してすぐに深作眼科に診察に行ったものの、飛蚊症の治療はものの見事に断られ、断られるのは今回2回目となりました。

さすがに2回も断られると、精神的にかなりキツく、今後どうしたものか、という思いが、頭の中をぐるぐると迷走する日々が続きました。

 

会社を辞めたので、時間的な余裕はたっぷりありますが、先が見えない大きな不安の中での時間的な余裕は、自分をさらに追い詰めることになり、あまり良くありません。

何かとネガティブな余計なことを考えてしまうのです。

そこで、それらを払拭するために、好きな音楽を聴いて、それに関する本を読んだり、敬愛する精神科医で作家の樺沢紫苑先生の著作を読んだり、YouTube動画を観たり、ジムにも通って定期的にトレーニングをしたりして、一所懸命前向きに気を紛らわせていました。

 

しかし、当たり前ですが、飛蚊症の苦しみは一向に改善されることはなく、何をしていても相変わらず目の前には、黒い糸くずやゴミのようなものが視界いっぱいにゆらゆらと蔓延しており、僕は暗澹たる思いに満ちていました。

 

樺沢紫苑先生も言っていましたが、どんなにツラいことでも「期限」が決まっていると、人間はなんとか頑張れるのだそうです。

会社のプロジェクトで、毎日終電まで残業でも、3ヶ月後の決裁会議までの辛抱だとわかっていると、必死になんとか頑張れるものです。

ところが、「この苦しみがいつまで続くのかわからない」「いつ終わるのかわからない」となると、話は違ってきます。

精神的に追い詰められ、メンタル疾患になる確率が飛躍的に高まるのだそうです。

その境目となるのは、「3ヶ月」なのだそうです。

先が見えなくても、ガムシャラに頑張って1ヶ月は我慢できる、それが2ヶ月になると、かなり疲弊してくる、そして3ヶ月を過ぎると、とうとうメンタル疾患を発病してダウンしてしまうのだそうです。

 

そのような中で、僕は飛蚊症が発病して11ヶ月が経とうとしており、そういう意味では「驚異的」な精神力だったと思います。

でも、それもかなりギリギリの限界に達していました。

「このままだと、自分はもうダメになる。かなり難しいかもしれないが、『三度目の正直』ということで、もう一度深作眼科に行ってみよう。」

「ただ、今までと同じでは、また断られてしまうのがオチなので、今度は妻を連れて行こう。」

そう思い始めました。

 

妻は僕と同じ飲食店の店舗開発をやっていた経験があり、とても交渉が得意なタイプです。

僕はかなり朴訥な話し方ですが、妻は弁が立つというか、相手を圧倒する迫力があり、営業成績は抜群でした。

その妻も、診察室に入れて、僕と一緒に頼み込んでもらおう。

そうしよう!と思い、妻と相談し、再び3度目の予約を入れることにしました。

また、再び目が見えにくくなったなどとごまかして、前回受診日から約1ヶ月後の3月24日の朝一番8時半に予約を入れました。

 

例の深作眼科専用バスに乗って、建物の前に降り立ち、受付を済ませ、いつものように、かなりの時間を待たされ、一通りの検査を終えて、中原先生の診察室の前で、妻と二人待っていました。

「もう3回目だから、これで断られたら、本当に後がない・・・」

はやる気持ちと、プレッシャーに押しつぶされそうになり、なんとか気持ちを落ち着けるのに精一杯でした。

 

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いよいよ「三度目の正直」3回目の診察でしたが、そこで、僕たちは中原先生の口から意外なことを聞かされます。

「○○さん!」

呼ばれて、ビクッと武者震いをして、頭が真っ白になりながら、診察室に入っていきました。

いつものように中原先生が横を向いて、カルテを見ていました。

そして、こちらを向き、妻の顔を見た瞬間、ビクッと驚きの表情を浮かべました。

顕微鏡の前に座った僕の眼をいつものようにのぞきこみ、いつにも増して、注意深く上下左右に、何度も執拗に観察しました。

「ああ、これはすごい!すごい濁りだ!」

「すぐに手術しないとダメだな!」

前回2回の診察とは大違いの態度です。

たぶん、家族まで入ってきて、本腰で頼み込んできたのに驚いたのでしょう。

 

眼の観察が終わると、中原先生は僕たちの方に向き直り、僕たち二人の顔をまじまじと見つめ、素直な表情になって、言いました。

 

 「○○さん、僕は過去に2人の飛蚊症の手術をしたことは言ったと思うんですけど、○○さんの手術も実はすぐにでも出来るんですよ。」

「ただ、飛蚊症の手術というのは、この日本では出来ないことになっているんでね。○○さんも色々と調べてお分かりの通り、飛蚊症のことを書いた記事や資料などはあると思うんですけど、飛蚊症の手術が出来る医師というのは、この日本ではほぼいないんですよ。」

そして、先生は力強い表情になって、こう続けました。

「でも、僕は出来る。出来るんですよ。」

「日本でなぜ飛蚊症の手術が出来る医師がいないのか、それは日本の眼科技術が欧米に比べて、非常に遅れているからなのですよ。アメリカでは飛蚊症の手術は当たり前のように行われています。」

「だけど、日本では技術が遅れているから、出来ないことになってしまっている。前回飛蚊症の手術をして成功した時、僕は何故か、言われのないバッシングをこの業界の中で受けた。いわゆる「上の組織」からも圧力を受けた。」

そして、中原先生はとてもくやしそうな表情を浮かべて、話を続けました。

「そうしているうちに、僕もイヤになってしまってね。飛蚊症の手術をするのをやめてしまったんです。深作眼科のホームページにも『飛蚊症の手術はやりません』と明記することにしたんだ。」

「本当は飛蚊症で困っている患者さんたちを助けてあげなくちゃいけないのに、本末転倒だよね。」

上を向いて、自嘲気味に笑った後、中原先生は僕の目を真剣に見つめて、こう言いました。

「○○さんの前にも、飛蚊症の治療をしてほしいという患者さんはいたけれど、僕はすべて断ってきた。今回の○○さんについてもこのまま断って終わらせようと考えていた。」

「でも、○○さんは今回含め3回も来て、懇願してきた。今回は奥さんまで連れてきた。僕はその熱意に圧倒され、心を打たれたんだ。」

「だから、○○さんにお願いしたいんだ!医者の立場でいくら僕が頑張っても、周りから妨害されて、動けなくなる。でも、患者さんの立場で○○さんがこの実態を発信してくれたら、状況は変わると思うんだよ!」

 

そこへ、妻が泣きながら、口を開きました。

「先生!私たちも協力します。だから、ぜひ手術をお願いします!夫は飛蚊症に苦しめられて、本当にツラくて、家の中を真っ暗にして生活しているのです。黒い糸くずやゴミのようなものが目の前を現れるのがイヤで、家の中を暗くしないと、頭がおかしくなってしまうのです。」

「先生!どうか、こんな夫を助けてあげてください!」

 

中原先生は、妻の顔を見て、心を打たれたようで、しばし、上の方をじっと直視して、考え込んでいるようでした。

そして、笑顔を浮かべて、こう言いました。

「わかりました。奥さん。私も最善の力を尽くして、手術しますよ。」

そして、僕たちは口を揃えて言いました。

「ありがとうございます!」

思いもかけず、なかなか外の世界からはわからない、眼科の世界の独特な事情を知らされたと同時に、僕の人生が大きく前進した瞬間でした。

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その6)

前回の続きです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

初めての深作眼科の検査と診察に行ってきましたが、担当の副院長の中原先生にきっぱり断られ、落胆して家路につきました。

また、ツラい日常が始まり、また飛蚊症に悩まされる日々が続きました。

よく、「病気を受け入れることから、治療が始まる」「病気を受け入れないと、病気はなかなか治らない」「病気のことばかり考えているうちは良くならない。忘れたころに治り始める」などと言われていますが、実際病気になってみると、なかなかこれらのことは出来ることではありません。

常に、実際の感覚として、苦痛に苛まれているのに、「受け入れて、忘れる」ということは、なかなか出来ません。

論理として、言っていることはわかりますが、実際に病気になって、苦痛に苛まれる経験をしてみないと、本当のところはわからないと思います。

 

深作眼科を受診する前に、実は僕は心臓の疾患がありまして、「心房細動」という不整脈の一種の病気で、1週間ほど入院して手術しました。

こちらの方は、無事退院して、経過観察ということになりました。

 

しかし、会社の方は直属の上司が変わり、こいつがまた底意地の悪いヤツで、こんな大変な状況の僕のことをネチネチといじめ、社長や会社のコンサルタントの奴らまでが、冷たく接してくるようになりました。

今コロナで落ち目になっている「S光マーケティングフーズ」という飲食の会社ですが、僕はこの会社への恨みを一生忘れないでしょう。

 

年が明けて、2017年となりましたが、会社から僕への冷遇はますますひどくなるばかりで、このままではメンタルがやられてしまう恐れがありました。

「一度、この会社をきっちり辞めて、ゆっくり落ち着いてから、もう一度深作眼科へ行って、中原先生になんとかお願いしてみよう。」

策に窮して、切羽詰まってしまった僕は、にっちもさっちもいかない状況で、このように考えるほか、ありませんでした。

早速妻にも相談し、僕の大変な状況を察したのか、すぐに承諾してくれ、1月20日に退職願を提出しました。

黒い糸くずやゴミのようなもので視界がいっぱいとなり、メンタルも追い詰められた状況で、仕事に集中することはできません。

プライベートの遊びや趣味に打ち込むこともできず、日常生活も困難な状況です。

「今の会社をきちんと辞めて、まとまった時間を作り、飛蚊症をしっかり治してから、その後再就職するなり、身の振り方をきちんと考えよう。」

切羽詰まって、にっちもさっちもいかなくなった当時の僕としては、それが唯一の考えられる方策でした。

 

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飛蚊症に苦しみ、仕事にも集中できず、社内の人間関係は最悪で、退職しか道はありませんでした。

退職願を出した後は、なぜか心持ち気分が少し軽くなり、あっという間に1ヶ月が経って、2月20日に退職しました。

あまりにうれしくて、帰りに銀座のデパートに寄って、お祝いのケーキを買って帰りました。

翌日は早速市役所に行って、退職後の様々な処理を済ませました。

そして、最も大切なこと、深作眼科へ電話し、受診の予約を取ることを実行に移すため、電話をかけました。

また、目が見えづらくなったなどとごまかして、その翌日の朝一番の8時半に予約を取ることに成功しました。

「今度こそ、中原先生にお願いして、『治療をします』と言ってもらおう・・・」

 

翌日は、かなり朝早く起きて、今回は僕一人で横浜の深作眼科に向かいました。

例の専用バスに乗って、深作眼科の建物の前に立つと、ブルっと武者震いをしました。

そして、受付を済ませ、またかなりの時間を待たされ、中原先生の診察室の前で待っていました。

(絶対!治療してもらうんだ・・・)

その一心でした。

「○○さん!」

名前を聞いた瞬間、僕の身体がブルっと震えました。

(これで断られたら、後がない!)

その武者震いだったのでしょう。

 

診察室の中に入ると、中原先生が前回のカルテを見ていました。

そして、僕の顔を見るなり、顕微鏡の前の台に顔を乗せるように促し、前回と同じように、眼の中を上下左右に執拗に注意深く観察しました。

観察し終わると、またカルテの方に向き直り、乾いた声で、こう言いました。

「あれから、どうですか?」

「相変わらず、飛蚊症の症状はヒドイ状況です。」

「・・・」

僕の方を向いて、中原先生は話を続けました。

飛蚊症はね。実は過去に2人の方を手術したことがあるんですよ。」

意外な言葉が返ってきました。

「でもね、当人たちが満足するような結果にならなくてね。結局、完全に治すことはできなかったんですよ。」

「でも、今の状況がヒド過ぎるので、完全じゃなくても、少しでも良くなれば、構いません。」

僕は、なんとか食い下がりました。

中原先生は、僕の顔をじっと見つめ、こう続けました。

「でもね、○○さん、眼の中の硝子体(しょうしたい)と呼ばれるところの、濁りを取る手術になるんだけど、硝子体の中をいじくりまわすことになるので、リスクも大きく、失敗したら、何度も出来る手術じゃないんですよ・・・」

かと言って、今のままで放置されても、このままで生きていくことは出来ないリスクの方も大きいので、「いえいえ、構いません。ぜひ、お願いしたいと思います。」と、再度食い下がりました。

中原先生は、また僕の顔をじっと見つめ、なにか吹っ切れたような顔つきになり、また言葉を続けました。

「○○さん、やっぱりやめましょう。申し訳ないけど、あまりにもリスクが大きすぎる。緑内障網膜剥離なんかと違って、失明するなど重大なリスクがあるわけじゃなく、そのままでも日常生活は送れますからね・・・そうしませんか・・・」

(それはないぜよ!)

僕は、(これで引いたら、生きていけないぜよ!)と、なんとか返す言葉を探しましたが、あまりの緊張状態で、言葉がみつかりませんでした。

「○○さん、そういうことで、とりあえず様子を見てみましょうよ。」

(なんの様子をみるんだよ!)

失意のもと、診察室を出ていかざるを得ませんでした。

 

これで、断られるのは2回目となりました。

「せっかく、会社を辞めて、また来たのに・・・」

今度は独りで、とぼとぼと、何とも言えない失意のもと、家路につくのでした。

 (次回に続く)

 

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