肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

村上春樹「職業としての小説家」

村上春樹氏の「職業としての小説家」を読みました。

すでに2015年9月に刊行された本で、1年ほど前に読み終えていたのですが、自分としては少し心理的に重くて、なかなか書評を書くことができませんでした。

私は子供の頃より、文章を書くのが好きな方で、意外と得意でした。よく日記やエッセイのようなものを書いていたと思います。

23歳から就職して社会人となりましたが、紆余曲折が激しく、なかなか人生うまくいかず、子供の頃から得意だった「文章を書く」ということを駆使して、「作家になりたい!」と強く思っていました。

この本はそんな「物書き」を志す方にとてもピッタリな内容だと思います。

ただし、いつもの村上春樹氏と違って、少し辛口であり、「小説家になるのはそんなに簡単じゃないだよ。覚悟して望んだほうがいいよ」と言われているような感じです。

私が心に残ったことを簡単に箇条書きにまとめてみました。

 

f:id:pilgrim1969:20200229181521j:plain

 

①何かを自由に表現したい

村上春樹氏は、「何かを自由に表現したい」と考えているならば、「自分が何を求めているのか?」ではなく、「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」が大切だと言っています。

要は、「自分が何を求めているのか?」を考えていくと、どうしても話が重くなり、フットワークが重くなって、文章の勢いが失われてしまう、ということです。

それよりも、「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」を考えたほうが、気持ちが軽くなり、ふわふわと自由な気持ちになり、文章ものびのびとした感じになるというのです。

これはわかる気がします。

「自分は何を求めているのか」「自分は何をやりたいのか」「自分は何が好きなのか」を突き詰めて考えると、意外と気分が重くなってきます。ついつい考え込んでしまいます。

でも、「自分は何がやりたくないのか」「自分は何が嫌いなのか」というのは、なぜかスラスラと出てきて、気分が軽くなり、解き放たれた気分になることがあります。

村上春樹氏は、その後、「特に自己表現なんかしなくたって、人は普通に当たり前に生きていける。「にもかかわらず」何かを表現したいと願う。そこから意外に自分の本来の姿を目にする」という含蓄のある言葉を続けていました。

 

②小説家になるために必要な訓練や習慣

村上春樹氏は、小説家になるために必要な訓練や習慣として、以下の3つを挙げていました。

(1)本をたくさん読むこと。

(2)自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつける。

(3)素早く結論を取り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積すること。

上記(1)については、これはもうなんの目新しいことでもなく、ごく当たり前で地道で、何も面白みのない結論かもしれないけど、必須の訓練だそうです。野球選手がバットで素振りの練習をしたり、サッカー選手がシュートの練習をするのと同じようなものなのでしょう。樺沢紫苑氏も同じようなことを言っていましたし、スティーブン・キングも「書くことについて」という本でやはり同じようなことを言っていました。

(2)については、すべてをそっくりそのまま記憶することは現実的に不可能なので、「最小限のプロセス」が必要だそうです。進んで記憶に留めておくことは、「興味深いいくつかの細部」であり、できればうまく説明のつかないことで、理屈と合わなかったり、ミステリアスだったりしたほうが良いそうです。「個別の具体的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで、頭の中に保管しておく」

その際、メモするノートは必要ないそうです。村上春樹氏はむしろ頭の中にいろいろな情報を放り込んでおいて、消えるべきものは消え、残るべきものは残る、記憶の自然淘汰を好むそうです。

ある逸話があり、ポール・ヴァレリーという詩人がアルベルト・アインシュタインと対談した時、アインシュタインに「着想を記録するノートを持ち歩いておられますか?」と質問したそうです。アインシュタインは穏やかだが心底驚いた表情で、「ああ、その必要はありません。着想を得ることはめったにありませんから」と答えたとのことです。村上春樹氏も「今ここにノートがあれば」と思ったことは一度も無いそうなので、「ノートに記録する」ということは必要ないのでしょう。

(3)については、村上春樹氏は最も強調していましたが、何でもかんでも素早く「あれはこういうことだよ」と結論づけてしまう人は、評論家やジャーナリストに向いていて、小説家には向かないそうです。

昨今の世の中、あまりにも早急に「白か黒か」結論を急ぎすぎている傾向があります。

「ひょっとしたら、ちがうかもしれない」と立ち止まり、できるだけ結論を先延ばしにして、結論を急がず、物事をありのままに受け入れて、蓄積していくことが重要だと言っています。

 

③書くべきことが何もない

このように思ってしまう人は、かえって「何でも自由に書ける」可能性があるそうです。たとえ、大した経験の蓄積もなく、ネタが不足していても、「組み合わせ方のマジック」を会得すれば、いくらでも物語を立ち上げて、「重く深いもの」を構築できるそうです。

「石が流れて、木の葉が沈む」ということわざがあるそうですが、戦争体験など重く深いマテリアルから出発した作家は、ある時点で自ら「重さ負け」をしてしまい、次に何を書けばよいか、わからなくなってしまう傾向があり、作家としての力を失ってしまうことが往々にしてあるそうです。

それに比べれば、「軽いマテリアル」しか持ち合わせていない人は、そういった「重く深いマテリアル」に頼ることがありません。自分の周りの些細な事柄から物語を紡ぎ出していける作家の方が、ある意味楽であり、長続きするそうです。

 

④小説を書くのに必要な力

これについては、村上春樹氏は、かなりのスペースを割いて、強く主張していました。小説を書くことは、やはり大変ハードな作業であるらしく、以下の3つが必要とのことです。

(1)寡黙な集中力

(2)くじけることのない持続力

(3)あるポイントまでは堅固に制度化された意識

これらをコンスタントに維持していくのに必要とされるのは「身体力」だそうです。

やはり、精神的な「タフ」さ、強固な意志は、小説を書き続ける上で、どうしても必要であり、それを可能にするのは、「十全に生きること」すなわち、魂を収める肉体を整えること、です。

村上春樹氏は、小説家になってしばらくしてから、タバコをやめ、早寝早起きをして睡眠時間を十分に取り、毎日ランニングをすることを日課にしています。マラソンの大会にも多数出場して、身体を整えることに専念しています。

 

⑤身にしみて学んだ教訓

村上春樹氏は、長年小説家として活動する中で、ひとつ身にしみて学んだ教訓があるそうです。これは、氏の本当の心の声のように感じました。

それは、「何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ」

長い小説を書けば、「長すぎる。冗長すぎる」と言われる。短い小説を書けば、「明らかに手を抜いている。薄っぺらい内容だ」と言われる。新しい手法で書けば、「前のほうが良かった」と言われるし、従来の手法で書けば、「マンネリだ。退屈だ」と言われる。

村上春樹氏がよく聴いていたリック・ネルソンの「ガーデン・パーティー」に、このような歌詞があるそうです。

「もし全員を楽しませられないのなら、自分で楽しむしかないじゃないか」

氏は、長年小説家を続けてきましたが、マスコミをはじめ、世間からいろいろなことを言われ続けてきました。

そこで得た最終的な教訓は、「自分がいちばん楽しめることを、自分が「こうしたい」と思うことを、自分がやりたいようにやっていればいい」だそうです。

 

f:id:pilgrim1969:20200229181542j:plain

 

【まとめ】

本作は、小説家になるための、村上春樹氏の渾身の力を込めたメッセージであり、力作だと思います。

どちらかというと、結構辛口で、なんとなく小説家を志そうと思っている方には、心に堪える内容かもしれません。

ただ、読めば読むほど、村上春樹氏の長い経験に基づいた貴重なアドバイスが、心に降りてくるのがわかります。

でも、村上春樹氏の「最も言いたかったこと」、「本音」は以下のことではないか、と思いました。

①小説を書きたくないときには、あるいは書きたいという気持ちが湧いてこないときには、まったく書かない。「書きたい」と思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書く。

②「自分が楽しめる」「自分が納得できる」これが何より大事な目安である。