2021年11月12日から公開が始まった細野晴臣氏のドキュメンタリー映画「SAYONARA AMERICA」を先日観に行きました。
まだ、コロナ禍に巻き込まれる前の2019年5月~6月に、アメリカのニューヨークとロサンゼルスで行われたライブツアーのドキュメンタリー映画です。
まだコロナ禍の前ということもあって、マスクをしている人もなく、人々はごく普通に接触しあっていて、まるで遠い昔の世界のようです。
この映画を観て、僕なりに感じたことをお話したいと思います。
①細野さんの音楽を真摯に愛するアメリカ人ファンの人たち
いちばん印象に残ったのは、ライブが始まる前の長蛇の列のアメリカ人ファンたちに、インタビューをする場面です。
正直、1970年代後半から1980年代前半にかけて、イエローマジックオーケストラ(YMO)として、世界中の音楽シーンに影響を与え、その後の音楽シーンにも影響を与えた細野さん(以降このように呼びます)とはいえ、これほどまでに人が集まるとは思っていなかったのですが、ものすごい長蛇の列で、チケットは完売でした。
そして、この人たちにインタビューをするのですが、皆ものすごく細野さんの音楽が好きみたいで、そのコメントがとても核心をついているのです。
細野さんと同年代と思われる人から、かなり若い人まで、皆それぞれ熱く語っていました。
「好きなアルバムは「パシフィック」、文字通り100万回聴いたわ」
「彼の音楽は、「狂気」と「愛」が混在していて、とんでもなく幅広い音楽性で、聴いていて決して飽きることがないアーティストだ」
「細野への愛と偉大な良き時代のアメリカ音楽の愛のために来た」
僕は他人事ながら、とても感激してしまいました。
ライブももちろん大盛り上がりで、拍手大喝采で、これだけ海外の人たちから歓迎を受ける音楽家は、日本では細野さんと坂本龍一氏くらいのものではないでしょうか。
②多大な影響を受けた「アメリカン・オールド・ミュージック」
戦後直後の1947年に生まれた細野さんが、多大な影響を受けた、古き良きアメリカのオールド・ミュージックである「ブギウギ」を、本家であるアメリカの地で、アメリカ人たちを前にして、演奏するのは、本当に意義のあることだと思います。
そのアメリカ人たちが、逆に細野さんの演奏を聴いて、熱狂し、影響を受けていたのは、とても面白い現象ですね。
30代前半と思われる若い男性へのインタビューに対するコメントが印象に残りました。
「細野の「ブギウギ」を聴いて、初めて本当のアメリカの音楽の真髄を知ったよ」
「僕の人生の中で一番「アメリカ」を感じたよ」
③ナーヴァスになった細野さん
とはいえ、公演前の細野さんは、とてもひどくナーヴァスになっていたのだそうです。
細野さんは、2005年あたりから、自身のルーツのアメリカン・オールド・ミュージックをカバーするようになり、以降、この流れで活動してきました。
今回のアメリカ公演は、まさにその総決算となります。
それに加えて、本場アメリカの聴衆の前で、往年のアメリカ音楽を演奏するのです。
「こんなこと初めてのことだし、アメリカ人たちのリアクションが全く予想できない」
「果たして、これをやることに意義があるのか?」
細野さんは、その前年の2018年、イギリス・香港・台湾で、同じようにライブを行い、大成功させています。
そんな細野さんでも、このように自信を失くしているようなことを言うのです。
でも、それは全くの取り越し苦労に終わりました。
どのライブも大盛り上がりでした。
④細野さんの一番の発見
ライブが終わった後、細野さんは感慨深く、こう言っていたそうです。
「全く人が入らないと思っていたら、たくさん入ってくれていた。」
「会場前に並んでいるアメリカ人観客たちのインタビューを観て、正直ビックリした。みんなちゃんと聴いてくれているんだ!すごい!」
「核心を突くことを言うような人がいっぱいいて、ホントビックリした!いつから聴いてくれていたのかわからないが、これからはちゃんとやらなきゃ(笑)」
⑤「マスクの無かった世界」の思い出
それにしても、コロナが蔓延する前の2019年に、これまでの音楽人生の集大成として、アメリカ・ツアーを敢行できたのは、本当に良かったし、幸運なことだったと思います。
細野さんも言っていましたが、これが1年遅れていたら、もう永久に出来なかったかもしれません。
細野さんの日曜深夜のラジオ「DaisyHoliday!」で、細野さん・高田漣氏・伊賀航氏が口を揃えて言っていましたが、このツアーは、まるで10年以上大昔の出来事のようだと言っていました。
ミュージシャンにとっては、それだけコロナによって、世界や時代が大きく変わってしまったのでしょうか。
⑥まとめ
細野さんは、このツアーを利用して、はっぴいえんど時代に「さよならアメリカ、さよならニッポン」をレコーディングした、ロサンゼルスの「サンセット・サウンド・レコーダーズ」に行ったそうです。
細野さんが「マイ・ヒーロー」と呼んで、敬愛する、ヴァン・ダイク・パークスとの共作であり、今回の映画の主題歌として、新たにアレンジされてリリースされました。
そんなヴァン・ダイク・パークスが、ライブ会場の楽屋に遊びに来てくれて、細野さんの感激もひとしおだったことと思います。
最後に、細野さんのメッセージをご紹介して、締めくくろうと思います。
「戦後の波頭に立ってきた一人の人間が、アメリカでライブやって、アメリカの観客が喜んでくれた、ということをみんなに知ってほしい」
※映画の詳細は、下記のリンクからご覧ください。
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