肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

飛蚊症にお悩みの方に朗報(その19)その後の中原先生

前回のブログでは、僕が2017年8月に三度目の手術に成功して、その後の経過観察と、その後の深作眼科の様子について、お話しました。

 

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2019年11月の中旬、僕は本当に久しぶりに中原先生の診察を受けることになりました。

深作眼科に行く頻度は落ちていましたが、鈴木先生や他の先生の診察を受けることが多くなり、中原先生の診察を受けるのは、約1年ぶりでした。

「やあ、○○さん!本当に久しぶりですね!どうですか?眼の調子の方は!」

いつもの小気味良い、テノール調の声を聴いて、僕は懐かしさと同時に、強い安心感を覚えました。

「ええ、おかげさまで、すこぶる調子は良いです。もうあれから飛蚊症の濁りは全く感じられなくなりました。ただ、老眼はどんどん進んでいるようで、ハズキルーペをかけないと、見えづらくなってきました。」

「そうですか・・・」

そう言って、中原先生はいつものように、顕微鏡で僕の両眼を丹念に注意深く観察し、目を離すと、こう言いました。

「まあ、老眼は目の周りの筋肉の調整力の問題ですね。これは年齢的なものが影響しています。」

「私が行った硝子体手術による影響は無いようです。飛蚊症の濁りはもうだいぶ吸収されていますね。」

「もう僕の手を離れても、大丈夫ですよ。診察を終了しても構わないですけど、気になるようでしたら、3ヶ月に1回くらいで問題無いですよ。」

そして、おもむろにこう言いました。

「ただ、今後ですね。50代・60代と年を取っていくと、水晶体の問題は必ず出てくると思います。それは白内障です。その時は、この病院でもいいですし、僕のところに来てもらっても構いません。」

「ハッ?」と耳を疑いました。

「この病院でもいいですし、僕のところに来てもらっても構いません。」という言葉が引っ掛かりました。

(どういうことだろう?)

思い切って、尋ねてみました。

「先生、今おっしゃった『この病院でもいいですし、僕のところに来てもらっても構いません。』とは、どういうことでしょうか?ひょっとして・・・」

中原先生は、ハッとした表情になり、ついつい言ってしまった…という感じで、こう言いました。

「実はですね‥僕、この病院を辞めて、一人でやっていこうと考えているんです。」

(えっ?マジかよ・・中原先生まで・・)

僕は非常に驚いてしまい、すぐに質問しました。

「本当ですか?次の場所は決まっているのですか?」

「いやあ、この場で次に行く場所を言うのは、道徳的に問題があるので、言えないんですよ。まあ、いわゆる個人クリニックです。」

「私もそろそろ独立して、自分自身の力を試してみようと思いましてね。この病院でも力は発揮できるのですが、自分自身の病院を持ちたいと考えているのですよ。」

日本ではなかなかこれほどの難しい手術が出来る先生はいません。

もちろん、院長の深作先生や、鈴木先生も高度な手術が出来る素晴らしい先生ですが、僕の眼の飛蚊症の手術を3回にわたって行ってもらい、成功に導いてくれた中原先生とせっかくご縁があって知り合いになれたのですから、これで縁を切らすわけにはいきません。

「もう先生の病院は具体的に決まっているのですか?」

「いやあ、これからですよ。自分自身の病院を立ち上げるというのは、なかなか大変でしてね。そう簡単には出来ないんですよ。しばらくはフリーでやっていこうと思っています。」

「そうなんですか・・それじゃあ、先生とは連絡が取れなくなってしまいますね。僕はこれからも先生にお世話になりたいと思っているんですが、どうすればいいでしょうか?」

「いやあ、大丈夫ですよ。○○さんも登録していただいているYouTubeがありますので、そこにコメントでメッセージ送ってください。必ず僕の病院が決まったら、お伝えしますよ。」

「先生!これからもよろしくお願いします!」

中原先生と僕は固い握手を交わし、僕は診察室を後にしました。

 

 その後、中原先生は2019年11月いっぱいで深作眼科を辞められたようで、深作眼科のホームページを確認しましたが、名前はありませんでした。

僕と妻は、その後の中原先生の行方が気になり、事あるごとにパソコンなどで中原先生の名前で検索しました。

すると、中原先生は全国を股にかけて、いろいろな病院に招かれて、フリーの医師として、存分に腕を振るって活躍しているようでした。

翌年2020年はコロナ禍の時期に差し掛かっていましたが、それでも全国を渡り歩いて、まるで武者修行のように活躍されているのが確認できました。

僕たちはそれを見て、とてもうれしく、頼もしい思いで、見守っていました。

 

そして、2021年も春を迎え、暖かくなったある日、妻が興奮して、喜び勇んで僕に話してくれました。

「中原先生、眼科クリニック立ち上げたみたいだよ!しかも場所は町田駅前!」

実は僕たちは町田市内に住んでおり、まさか自分たちの街に中原先生が自分の病院を立ち上げるとは思ってもいませんでした。

「マジ?!じゃあ、さっそく行ってみよう!」

数日後の土曜日の午前中に僕たちは診察も兼ねて、行くことにしたのでした。

 

(次回に続く)

 

※参考に、中原眼科のホームページのリンクを貼っておきます。

www.nakaharaganka.com

 

※こちらは、中原先生のYouTubeリンクです。実際の眼を手術している動画ですので、眼科の執刀医を目指す方には、とても参考になると、中原先生もおっしゃっていました。

www.youtube.com

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その18)その後の深作眼科

3度の手術も無事終わり、僕は晴れて飛蚊症から解放されました。

そして、中原先生から、今回のことを患者の立場から情報発信してほしいと、真剣に頼まれました。

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8月1日に手術が終わってから、僕は経過観察を定期的に受け、特に問題は無い状態でした。

老眼は進んでいましたが、これは加齢からくるものであり、一番の心配の種である白内障の兆候は全く見られませんでした。

同時に、生活するために再就職活動を行い、僕は運良く、ある新興の外食企業の会社から内定をもらい、その年の12月1日から勤めることになりました。

直前の11月下旬に、中原先生の診察を受け、硝子体の中には以前見られたような濁りは無くなっていて、綺麗になっており、全く問題は無いことを告げられました。

「○○さん、私が診る限り、全く問題ありませんよ。次回は年明けでもいいんじゃありませんか?」

先生がそう言ったことと、再就職してからしばらくは忙しくなることが予想されるため、次回の検査・診察は、年明けの2018年1月下旬に設定することにしました。

 

その後、年が明けて、1月下旬に検査・診察を受けましたが、以前と同じように問題となるようなことは見受けられず、再就職先の仕事が忙しくなってきたこともあり、だんだんと深作眼科に行く回数が減り、診察を受けるタームが延びてきて、数か月おきとなっていきました。

僕の眼がほぼ問題無いこともあり、診察担当の先生は、中原先生ではなく、以前受診した鈴木先生や、他の先生になっていきました。

 

そうしているうちに、翌年の2019年に入り、だんだんと深作眼科に気になることが見受けられるようになっていきました。

僕の妻も、角膜にキズがあることが判明して、六本木の深作眼科に通院していました。女性の先生で、とても熱心でいろいろとアドバイスしてくれる良い先生だったのですが、次第に生気を欠いたようになってきて、突然辞めてしまったのでした。

その後、別の女性の先生が担当するようになりました。この先生も良い先生だったのですが、次回行ったときには辞めてしまっていたのでした。

「これはどういうことなんだろう?」

その後、妻が診察に行ったときには、見たこともない新しい男の先生が担当したそうですが、その先生も次回にはいませんでした。

僕の方はというと、4ヶ月に1回くらいのタームでしたが、横浜の深作眼科に通院して、主に鈴木先生が担当してくれました。

ただ、以前は優しく、柔らかい物腰の先生でしたが、だんだんと疲れてきているように見受けられ、以前のようなソフトで繊細な感じは影を潜めていきました。

ただでさえ、全国各地から大勢の患者さんたちが詰めかけ、いつも混雑しているのに、先生が次から次へと辞めていってしまうのは、さぞかし大変な状況なのではないだろうか。

患者の僕たちでも、内情の察しはつきました。

そんな状況下で、とても心配な中、その年の11月中旬、僕は本当に久しぶりに中原先生の診察を受けることになりました。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その17)全快しました!そして、中原先生からのお願い

前回のブログで、左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」を除去するための手術が成功し、その後の経過をお話しました。

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左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」が無事消滅し、安心したのもつかの間、またいろいろな浮遊物が出現して、僕を再び悩ませていたのですが、それも一晩で消滅しました。

翌日、中原先生に、それらの浮遊物の出現の理由や、眼の痛みの理由を一つ一つ丁寧に説明していただき、

「○○さん、これで大丈夫です。洗顔・洗髪は4日後の土曜日くらいからOKです。本当に良かったですね。」

と言っていただき、硬い握手を交わしました。

これで、僕は晴れて、飛蚊症の様々な苦しみから解放されたのでした。

 

8月2日(水)に退院し、翌週7日(月)に、経過観察のため、再び中原先生の診察を受けました。

いつも通り、二つの顕微鏡を使って、丹念に左眼の中を観察していただき、

「問題ありません!経過は良好ですよ。」

と言っていただきました。

すると、先生はおもむろに僕の正面に向き直り、真剣な顔になって、こう言いました。

「○○さん、お願いしたいことがあるのですが・・・○○さんには今回の飛蚊症の手術について、ぜひ発信していただきたいのです。そして、正しい知識を広めていただきたい。」

「僕のYouTubeへの登録ありがとうございました。ただ・・やはり自作自演でこういったことを発信するのは、いろいろと周囲からやっかみがあったりするので、患者さんの側から発信していただけるととてもありがたいです。特に、口コミサイトとかFacebookなどに投稿していただけるとありがたいです。」

「私はスマホを持っていないですし、Facebookを開くためにはわざわざPCを立ち上げてブラウザーを開かなければならないので、けっこう大仕事なんです。ぜひよろしくお願いします!」

目の手術をする方がよっぽど大仕事で大変なことだと思ったのですが、人によって得意不得意があるのだなあ、と実感しました。

普通ではやってもらえない飛蚊症の手術をしていただき、ほとんど「命の恩人」のような先生のお願いです。

断る理由など全くありません。

「わかりました。先生には本当にお世話になり、感謝しております。ぜひ、今回のことを僕の出来る限りのやり方で発信したいと思います。」

 

僕はまだその頃は、ブログもYouTubeもやっておらず、せいぜいFacebookの友達内での投稿のみでしたが、それを「公開」に切り替え、積極的に発信していきました。

Facebookですが、僕なりに文章を組み立てて、今回の飛蚊症の治療の経緯を説明してみました。

ブログと違い、長い文章の投稿はなかなか出来ないのですが、自分なりに工夫して投稿してみた結果、意外と反応がありました。

その頃、僕は40代後半で、学生時代の先輩や同級生、元勤務先の同僚だった人たちも、だいたい40代から50代くらいでしたが、意外と飛蚊症に悩まされている人が多かったのが印象的でした。

「僕も実は、変なモノが目の中に出てくるなあ、と思って悩んでいたんだけど、飛蚊症って治せるなんて初めて知ったよ。」

「○○君のおかげで、解決方法がわかりました。私も深作眼科に行ってみます。感謝します!」

発信してみるもんだなあ、と改めて実感しました。

自分が発信した情報によって、人の役に立つ喜びに、初めて携わった気がして、とても良い気分でした。

 

約一か月後の9月11日、久しぶりに中原先生の診察を受けました。

両眼を丹念に顕微鏡で観察しながら、中原先生は言いました。

「○○さん、最近はどうですか?」

「ええ、快調です。おかげ様で手術していただいて、眼の中の浮遊物はすっかり無くなり、本当に人生が明るくなりました。」

「人生、明るくなったと言ってもらえると、医者としても元気が出てきますね!」

そして、顕微鏡から目を離し、先生は言いました。

「もう、すっかり問題ないですね。」

(僕)「そうですか、少し乱視が残っている感じがするのですが、それもだんだん改善してきているような気がします。」

(先生)「でも、診たところ、もう乱視は出ていないようですけどね。まあ、手術して乱視になることはあり得ないのですが、患者さんは敏感だから、そのように感じるのでしょうね。でも、気になることがあったら、遠慮なく言ってください。」

(僕)「ええ、今回は本当にありがとうございました。先生に言われたとおり、Facebookですが、今回のことを投稿させていただいております。」

(先生)「そうですか、ありがとうございます。ぜひ、続けていただければありがたいです。ところで、僕のYouTubeなんですが、何とか盛り上げていきたいのですが、何か良い方法ありませんかね?」

僕はそのころ、精神科医で作家の樺沢紫苑先生の情報発信についての本やセミナーや動画を観ていましたので、そのことを話してみました。

「そうですね。やっぱりYouTubeFacebookとメルマガを連動させていくのが一番効果的だと聞いたことがあります。特にFacebookで自分がアップしたYouTubeの動画を紹介するのが、とてもやりやすくて、良いと思いますが」

「そうかあ、僕はFacebookはやらないからなあ。また何か良い方法があったら教えてください。」

 

せっかく素晴らしい眼科手術の技術を持っていても、世の中にアピールできるテクニックが無いと、本当にもったいないなあ、僕はとても痛感しました。

「僕が代わりに中原先生の眼科手術の技術力のすごさを、世の中に伝えていこう。」

そう僕は固く心に誓い、その2か月後の11月に、初めて「はてなブログ」で、個人ブログを開設しました。

しかし、初めてのことで、人に伝わる文章をきちんと書いて投稿するということが、なかなかうまくできませんでした。

同時に、生活するために再就職活動も行っていましたが、40代後半にもかかわらず、運良く12月から再就職が決まりました。

でも、新しい会社に入って、新しい環境に慣れていくのは結構心身ともにハードであり、初めて挑戦するブログと両立するのはとても難しく、僕は中原先生との約束を果たせないまま、おもむろに歳月だけが過ぎ去っていくのでした。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その16)左眼の新たな浮遊物「フライ」の手術その後

前回のブログで、左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」を除去するための手術の模様をお話しました。

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中原先生に三度目の手術を行っていただき、僕をさんざん悩ませた左眼の浮遊物「フライ」は、無事除去されました。

「よし、捕らえたぞ!よしよし!」

「取れた!取れた!○○さん!取れましたよ!」

という、中原先生の歓喜の声を、手術中に聞きながら、僕はやっと苦難から解放された喜びに浸っていました。

ただ、左眼はブラックアウトして、眼帯もしていて、見えない状態だったため、フライが除去された後の左眼の状態は、まだ実感していませんでした。

翌朝(8月1日)、起床後に目薬をさすため、眼帯を外した時に、初めて左眼の状態が確認できました。

あのエイのようにひらひらと浮遊していた「フライ」は、もうどこにも見当たりませんでした。

しかし、また別のものが現れていました。

それは、直径2㎝はあるように見える、ドーナツ状の円でした。

 

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「フライ」は消滅しましたが、また新たな直径2㎝位あるように見えるドーナツ状の円が現れました。

真っ黒く塗りつぶされたような円で、主に左眼の下部に常駐しているのですが、普通の「飛蚊」と同じように、眼の動きに合わせて動いていました。

「マジかよ・・何だこれは?」

僕はまた新たに出現した浮遊物にたじろぎ、動揺を隠せませんでした。

しかし、午後になると、だんだん「すっと」消えることが多くなってきました。自然に左横に移動して行って消えたり、左上の方に吸い込まれるようにして消えたりするようになりました。

かと思うと、突然上から下へ落ちてくる形で現れ、しばらく左眼の下部に常駐したりします。このように突然現れる時は、眼を上に向けた時によく起こっていました。

この「ドーナツ」は、じっと見つめるとサイズが小さくなり、見つめるのをやめるとサイズが大きくなる傾向がありました。

 

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左眼の上部に現れた、半楕円形状の黒い浮遊物です。右眼の手術後にも現れていました。

もう一つ現れる症状としては、「半楕円形の黒い浮遊物?」が左眼の上部に現れていました。これは右眼の手術後にも現れたのですが、その時はしばらくすると消えていきました。

横が約4cm位、縦が約2㎝位のサイズのように見え、先ほどの「ドーナツ」ほど真っ黒ではありませんが、黒っぽく、上を向いた時に必ず出てきました。

 

また、左眼を開けていると、まるでトゲに刺されたようなチクチクとした痛みを感じていました。

目尻に近い方により多くの痛みを感じ、常に痛くて涙が止まらない状況でした。

目を閉じていると、楽になるのですが、相変わらず涙は止まらず、溜まり続けていく状況でした。

そのうえ、眼球の奥のズキズキ痛む感じもありました。

ただ、これはバファリンを飲んだら、だいぶ和らいできました。

 

このような状況下で、手術が終わった後とはいえ、結構不安でした。

しかし、一番気になっていた「ドーナツ」は、深夜未明には出てこなくなり、消滅したようでした。

トゲに刺されたようなチクチクした痛みは、深夜の午前3時ころまで続いていて、結構ひどかったのですが、朝起きたころにはだいぶ落ち着いてきていました。

目の見え方としては、ボヤケがあり、少し霧がかかったような感じで、近くも遠くも見えにくい感じです。

 

翌日(8月2日)の昼頃に、中原先生の診察を受けました。

中原先生は僕の左眼を、いつものように細かく顕微鏡で見て確認し、僕の言うことをすべて聞いた後、意外にもそれほど重くとらえる様子はなく、こう言いました。

「ドーナツ状の黒い円は、おそらくエアー(空気)だと思います。2・3日経てば消えてしまうものですが、今現在出てこないのであれば、もう大丈夫でしょう。半楕円形状のものも、右眼の時と同じように、しばらく経てば消えていくでしょう。チクチクした痛みは、縫合したからだと思います。縫った糸はもう切ってしまいましょう。」

すると、先生は医療用のハサミを取り出し、眼をしっかりつぶるように言って、目尻の部分にあった糸をぷつんと切断しました。

そして、こう言いました。

「○○さん、これで大丈夫です。洗顔・洗髪は4日後の土曜日くらいからOKです。本当に良かったですね。」

先生は、手を差し出し、硬い握手をしてくれました。

それは、先生が手術は成功したという揺るぎない確信を示したと同時に、よくぞここまで耐えて頑張ったという僕への労いの気持ちが現れていました。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その15)左眼の新たな浮遊物「フライ」の手術

前回のブログで、左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」を除去するための手術を巡る中原先生とのやり取り、そして、やっと取り付けた手術の約束までのお話をしました。

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中原先生と手術の約束を取り付け、その日のうちに手術をしてくれることになりました。

1階のレストランで昼食を済ませた後、すぐに手術室の待合室に行き、3回目の手術に臨みました。

もう3回目なので、慣れたものでした。

いつも通り、結構な時間を待たされた後、最後の手術患者として、処置室に入っていきました。

手術直前に中原先生が出てきて、にこやかに僕に語りかけてくれました。

「○○さん、心配ありませんよ。しっかり取ってしまいますから、大船に乗ったつもりでいてください。」

先生のこの言葉にどれほど励まされたことか。

いつものとても痛い球後麻酔を済ませ、僕はいつものように手術室に運ばれました。

そして、3回目の手術は開始されました。

いつもより、明かりをかなり強くして、左眼の中を照らしているようでした。

僕はブラックアウトしてしまって、全く見えませんが、先生は「フライ」を探し出すのに苦心しているようでした。

そして、数分経った頃でしょうか、先生が「ん?よし、これだ!これだこれだ!」とつぶやき、次の瞬間叫びだしました。

「よし、捕らえたぞ!よしよし!」

そして、次の瞬間、歓喜の声を上げました。

「取れた!取れた!○○さん!取れましたよ!」

「これは縫合が必要だな。」

「良かったですね!これでもうストレスから解放されますよ!」

麻酔で少しぼやけた意識の中、まるで夢のような気分でした。

本当にこれで飛蚊症の苦しみから解放されるんだ!

僕は手術中だというのに、感極まってしまいました。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その14)左眼の新たな浮遊物「フライ」その2

前回は、左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」のお話をしました。

 

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中原先生に再度左眼の手術をお願いしよう、と決意して、7月31日の朝一番で、深作眼科の建物の前で、バスから降り立ちました。

7月10日の手術以来、左眼の中に新たに出現した浮遊物「フライ」のため、3回も深作眼科に来ていました。

今回は最後の解決策として、手術をお願いするということで、とても大事な局面でした。

僕と妻は、黙って決意を新たにし、建物の中に入っていき、受付に向かいました。

 

今回は中原先生ということで、中原先生の診察室の前で待ち、名前を呼ばれ、妻と一緒に中に入っていきました。

先生は、浮かない顔をしていて、じっとモニターの中の僕の眼と思われる画面を覗き込んでいました。

そして、こちらを向くと、顕微鏡の前に僕を促し、かなり細かく僕の左眼の中を覗き込み、こう言いました。

「キレイにやったはずなのに、なんでまだそんなに患者さんを悩ませるような浮遊物が存在するのだろう・・・」

先生としても、腑に落ちないようで、何度も何度も執拗に、あの「フライ」を探し続けていました。

 

そして、数分間でしょうか。かなりの時間が経ったと思われますが、ずっと探し続け、突然「これか!」と先生が叫びました。

「ああ!これなんだ・・・」

「ちょっと大変だけど、写真を撮ってみますよ」

そして、医療用の精密な撮影機械とモニターを用意し、さっそく取り掛かりました。

眼には大きく映りますが、実際は微細な浮遊物で、あちこちと飛び回っているので、それを写真に撮るのは容易ではなく、結構な時間がかかりました。

でも、なんとかもう一度苦心しながら探し出し、ボタンが押され、カシャッと音がしました。

 

「○○さん!撮れましたよ!これです!」

と先生が興奮して、叫びだし、「フライ」はモニターに映し出されました。

モニターに映し出された「フライ」は、ひし形の形をしていて、尾ひれが付いていて、まさに「エイ」がひらひらと浮遊して泳いでいる姿そっくりでした。

「コイツだったのか・・・」

先生と妻と僕は、その「フライ」の姿をまじまじと見つめていました。

 

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2017年7月31日当時の中原先生との診察メモ。「フライ」の姿を自分なりにスケッチし、先生に伝えるためのメモを書きました。まさに、このような「エイ」のような姿で、左眼の中をあちこちとさまよっていました。

 

そして、先生はモニターの「フライ」を見ながら、こう言いました。

「この浮遊物は、眼には大きく映るかもしれませんが、実際はかなり微小な本当に小さい虫のようなものなんです。」

「しかも、あちこちに飛び回るので、手術するときにしっかりとどこにいるのかを確認して、取り除く作業を行わなくてはならない。」

「でも、これが非常に難しいんです。硝子体の中の濁りを取り除く方法というのは、『ギロチン方式』と言って、カットしては水で流すという方法を繰り返すのです。」

「せっかく見つけても、水で流す作業の時に、どこか飛ばされて行ってわからなくなる可能性があります。水で流す部分に入ったと思われても、それは手探りでやっているようなものです。実際、非常に難しく、かなり運に左右されると言わざるを得ません。」

そして、先生は一瞬考えて、こう続けました。

「この浮遊物は明らかに硝子体繊維のカスであり、これは必ず小さくなっていきます。そして、いずれ消えて無くなるので、それまで待つという選択肢もあります。まあ、期間として、約3週間くらい、長く考えて2~3ヶ月くらいですが、それが最良の選択肢だと思いますよ。」

 

先生にこう言われ、僕は迷ってしまいました。

確かに待てば消えて無くなっていくのかもしれませんが、また3週間から最長3ヶ月もこの状態で待つというのは、結構しんどい。

それに、先生には申し訳ないが、本当に自然に消えて無くなるという確証もない。

僕が考え込んでいると、先生はそれを察したのか、こう言いました。

「今使っている機器ではなくて、今は出回っていない方の機器であれば、口径が細いので、眼に与える傷を最小限にすることが出来ると思います。ちょっと業者に確認してみましょう。」

先生はすぐに携帯電話を取り出し、目の前で業者に電話をかけました。

そして、事情を話し、目の前に患者がいて、どうしても早く手術をしてほしいというので、至急その機器の確認を頼む、とお願いしてくれました。

そして、しばらくすると、業者から先生の電話に返信がありました。

それを受けて、先生は僕にこう言いました。

「業者に今手配すると、約3週間かかるそうです。でも、それまで待って、手術日を判断するという方法がありますが、どうですか?いずれ手術が出来るという希望を持って、当面は我慢してみるということになりますが、いかがですか?」

 

僕はまた考え込みました。

でも、次の瞬間、何かが僕の心に降りてきたようでした。

「ずるずると時を引き延ばすのではなく、今すぐにやった方がいい。」

次の瞬間、僕はこう答えていました。

「先生、僕のために手配していただき、ご提案していただいて、本当にありがとうございます。」

「でも、僕は今日でもいいから早くやっていただきたいのです。なぜなら、僕は目の病気のために、仕事を辞めてしまって、早く生活のためにも仕事を探さなくてはならないのです。家族も養わなければなりません。」

続けて、妻もこう言ってくれました。

「夫は本当に苦しんでいるようで、なるべく『フライ』が見えないように、家の中を真っ暗にして過ごしているんです。家の中も、気持ちも真っ暗で、本当にツラくて苦しんでいます。」

 

目をつぶりながら、先生は僕たちの言葉を聞いていました。

そして、僕の目を見つめ、真剣な顔つきになりました。

先生は肚を決めたようで、ひとこと、こう言いました。

「わかりました」

さっそく看護師にその日の手術のスケジュールを確認してくれました。

そして、こう言ってくれました。

「ちょうど、運良くキャンセルが出たようです。今日やっちゃいましょう!」

「ライトを入れれば、何とかなるだろうし、その方が解像度が高くなるので、大丈夫でしょう。」

こうして、僕は晴れて、3度目の手術をすることになりました。

 

(次回に続く)

 

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飛蚊症にお悩みの方に朗報(その13)左眼の新たな浮遊物「フライ」

前回は左眼の手術を終えてからの経過のお話をしました。

 

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診察から3日後の、7月17日月曜日の起床後に、左眼の中を浮遊する新たな「飛蚊」を発見して以来、また飛蚊症との闘いの日々が始まりました。

せっかく手術をしてもらって、飛蚊症から解放されたと思っていた矢先の、この出来事は、手術をしてもらう以前より一層、精神的な焦燥感は高まっていました。

 

ちょっと大きめの、見え方の体感としては2~3㎝くらいの輪(リング)状の形をしている、その黒い浮遊物は、左眼の中をあちこち漂うようになりました。

飛蚊症を経験した方はわかると思いますが、飛蚊症というのはいったん気になると、いつまでも気になるようになり、何をやっていても、飛蚊症のことばかりが気になってしまいます。

何故ならば、目を開けていれば、本を読んでいようが、スマホを見ていようが、人と話していようが、見えてしまうからです。

 

大きな不安感に駆り立てられ、僕は二日後の7月19日に、再び深作眼科を訪れました。

この時の診察は、中原先生ではなく、深作先生以外で二人いるうちの一人の鈴木先生でした。

メガネをかけた、柔らかい物腰の、優しそうな40代くらいの男性の先生でした。

「細隙燈顕微鏡」(何と読むのか忘れましたが)と呼ばれる、かなり微細な物でも見える高性能の顕微鏡を使って、かなり細かく左眼の中を見てくれました。

そして、こう言われました。

「大丈夫ですよ。しばらく経てば、消えてなくなりますよ。手術後間もない時期ですので、いろいろなものが出てくる時期です。もうしばらく様子を見てください。」

「そんなものか・・」と思い、その日は納得して、帰宅し、先生の言ったとおり、しばらく様子を見てみることにしました。

 

しかし、その2日後の7月21日になると、起床後に、細かい粒状のものが連なった帯状の浮遊物が新たに発見されました。それは幸いしばらくしたら、出てこなくなりました。

でも、お昼過ぎ頃になると、長いミミズ状の浮遊物が頻繁に現れるようになりました。結構長い、見え方の体感としては、真っすぐに伸ばすと15~20cmはあるのではないかと思われ、先日から出てきたリング状の浮遊物と一緒に、左眼の至るところを浮遊するようになりました。

そのうちに、1cm程度の線状の浮遊物、少し大きめの点状の浮遊物などが2・3ほど現れ、みんなそろって浮遊するようになりました。

まさに、鈴木先生が言うとおり、いろいろなものが出てきました。

 

翌日22日になると、リング状の浮遊物と長いミミズ状の浮遊物は合体して、左眼の中全体を漂うようになりました。

そして、たまに1cm程度の線状の浮遊物が現れるようになりました。

こうなると、不安感はかなり高まってきて、何をやっていても気になってしまい、集中できません。

鈴木先生には、「大丈夫ですよ。しばらく経てば、消えてなくなりますよ。」と言われましたが、本当にそのうちに消えてなくなってくれるのか、とても心配になってしまいました。

 

翌23日の早朝、リング状の浮遊物と長いミミズ状の浮遊物は分離されていることを確認しました。それ以来、長いミミズ状の浮遊物は出てこなくなり、どうやら消失してくれたようでした。1cm程度の線状の浮遊物も出てこなくなりました。

ところが、リング状の浮遊物はいつまでも眼の中を漂い、眼を動かすたびに動くので、とても煩わしい気分でした。

妻にもこのことを話し、僕たちはこのリング状の浮遊物のことを「フライ」と名付けました。まあ、黒い浮遊物なので、「蠅」=「fly」と呼んだわけですが、本当に見ていると、蠅のようにあちこちを飛び回る感じです。

それから数日間、長いミミズ状の浮遊物や1cm程度の線状の浮遊物のように、消えてなくなることを期待しましたが、「フライ」は消えてなくなるどころか、以前にもまして、事あるごとに頻繁に現れるようになり、次第に僕の精神を蝕んでいきました。

非常に耐えがたくなり、また深作眼科を受診することにし、電話して予約を取りました。

 

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新たに左眼に現れた黒い浮遊物「フライ」を詳細に説明した、当時の僕のメモです。

 

27日の朝、8日ぶりにまた深作眼科を訪れました。

今度も中原先生ではなく、鈴木先生の診察となりました。

実は、右眼の見え方も、芳しくなく、老眼のように近くが見えづらくなったので、その件も診てもらったのですが、こちらは乱視の状態ではあるが、視力はきちんとあり(裸眼で0.7)、白内障の兆候もないとのことでした。

問題の左眼ですが、前回に続いて、この窮状を切実に訴えたせいか、かなり細かく見てくれ、細かく説明してくれました。

先生の説明は以下の通りでした。

①確かにその浮遊物は確認できました。これは血の塊などではなく、硝子体繊維のカスのようです。

②手術後に残した硝子体に引っかかったり固定されたり吸収されれば、見えなくなると思いますが、それには2~3ヶ月は様子を見る必要があります。それが最も良い選択肢だと思います。

③横になって寝たり、うつぶせになって寝れば、そのカスが周りの硝子体や水晶体の近くの硝子体に引っかかりやすくなる可能性があるので、試してみてはいかがでしょうか。

④また、眼を洗うような手術をすることも出来ますが、正直ちょっと短期間にやり過ぎであり、お勧めは出来ません。③の方法を2~3ヶ月くらい試してみて、それでも解決できず、我慢が出来ない場合に、また考えてみてはいかがでしょうか。

先生の言われたとおり、さっそく横になったり、うつぶせになって寝てみました。しかし、とてもじゃないが、肩や背中などが痛くなってしまい、とても眠れたものではなく、これを続けるのはかなり苦痛で、困難であることがわかりました。

朝起きて、「フライ」が出てこないことを祈りましたが、やっぱり起きて目を開けてしばらくすると、しっかり出てきました。

 

僕は本当に途方に暮れてしまい、これからの人生、生きていけるのだろうか?と、本気で落ち込んでしまいました。

何も手につかず、しばらく考えた末、やっぱり中原先生に再度手術してもらうしかない!という結論に至りました。

そして、「背水の陣」「四面楚歌」の追い詰められた気持ちで、深作眼科に電話し、手術をしたいことを告げました。

手術を考えているのなら、来週31日月曜日の朝一番で来てください、と看護師に言われ、検査と診察の予約を取りました。

そして、前日の晩、「このままでは本当にヤバい。明日中原先生に必ず手術してもらえるよう承諾してもらおう・・いや、中原先生は必ず再手術を約束してくれるはずだ・・」こう、必死に自分を慰めながら、眠りにつくのでした。

 

(次回に続く)

 

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