肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

DOUBLE FANTASY / John&Yoko vol.2

前回の続きです。

前回のブログはこちらです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

実は、先日のブログの後、12月12日(土)に、またダブル・ファンタジー展に行ってきました。

前回11月7日の時は、なんとなく来場者がイマイチ少なく感じ、「大丈夫かな~、ジョンとヨーコもそろそろ飽きられてきたのかな~」と心配になってしまいましたが、今回は結構大入りの状況で、かなり安心しました。

あれから、NHK民法各局で、ジョン&ヨーコの特集番組を放映していたし、12月8日のジョンの命日後ということが影響したのでしょう。

 

今回はジョンとヨーコが出会って結婚し、様々な活動がピークを迎えた1969年からです。

ジョンとヨーコが平和運動の一環として、アムステルダムモントリオールで「ベッド・イン」を行った時に、ジョンが実際に演奏で使っていたギターが、当時の写真と模倣したベッドとともに展示されていました。

f:id:pilgrim1969:20201213135023j:plain

ジョンは2度のベッド・インで、このギブソンアコースティックギターを使って演奏しており、二人の自画像が描かれています。 よーく見てみると、ジョンが演奏時に付けたと思われるたくさんのキズがあり、「ああ、このギターは当時本当にジョンが実際に手に取って演奏したギターなんだなあ~」と感激してしまいました。

このベッドのすぐ左側で、12月4日に奥田民生さんとmilet(ミレイ)さんが、「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」を歌って、トークライブを行ったそうです。観に行けなかったのが残念ですが、オフィシャルサイトでYou Tubeで公開しているそうです。

f:id:pilgrim1969:20201213161500j:plain

左側の黄色地に黒字のサインは、アムステルダムのホテルの窓に実際に貼られていた現物のものだそうです。右側は「Give Peace A Chance」レコーディング時に実際に使用されたジョン手書きの歌詞です。

f:id:pilgrim1969:20201213162338j:plain

なかなか貴重なものが展示されていました。左下の「BAG ONE」と書かれた白いバッグは、署名とシリアルナンバーが書かれた14枚のリトグラフが収められており、当時300セットで限定発売された、マニア垂涎の超貴重なアイテムです!

f:id:pilgrim1969:20201213163603j:plain

このような貴重なジョン手書きの歌詞原稿がところどころに展示されています。

これらは主に「Sometime in NewYork City」時代の手書き歌詞原稿で、左上は「Happy Christmas」の手書き歌詞原稿と、貴重な初版シングルレコード、左下は「Power To The People」のB面のヨーコの曲が差し替えられる前の回収された初版シングルレコードです。

f:id:pilgrim1969:20201213164240j:plain

このような変わった書類も展示されていました。ジョンとヨーコがアメリカ政府から国外退去命令を出されていた時代のものです。移民局からの国外退去命令の書簡をはじめ、ジョンとヨーコを支援する手紙やジョンとヨーコをアメリカに在留させるため、様々な人が署名したと思われる入国嘆願書(知っている人がいるかと探してみましたが、ちょっと見当たりませんでした)、右下はこれらの一連の困難に嫌気が差したのでしょうか。空想上の国を作ると宣言した1973年4月1日付の「ヌートピア建国宣言書」がありました。

f:id:pilgrim1969:20201213171615j:plain

1972年~1973年頃、ジョンがよく来ていたミリタリー・ジャケットです。

f:id:pilgrim1969:20201213171726j:plain

「失われた週末」時代にボブ・グルーエンが撮影した有名な「New York City」Tシャツです。僕も2枚持っています。

f:id:pilgrim1969:20201213172014j:plain

ヨーコに関する珍しいものもたくさん展示されています。1971年の「THIS IS NOT HERE」個展のポスターやパンフレット、「グレープフルーツ」発売記念の二人のサインが入った子供用のTシャツなど。

f:id:pilgrim1969:20201213172502j:plain

ニューヨーク・ヒルトンホテルで書かれた「Imagine」の手書きの歌詞原稿です。名曲の歌詞も初めはホテル備え付けのメモ紙に書かれたのですね。

f:id:pilgrim1969:20201213172937j:plain

「失われた週末」時代の1974年2月18日のヨーコの誕生日に、ジョンがプレゼントとして贈った手鏡。「TO BEAUTIFUL YOKO・I LOVE YOU・JOHN・2・18・74」と書かれていて、ジョンの悲痛さが伝わってきます。そのころ、ヨーコはその上に展示してある「女性上位ばんざい」のシングルレコードを日本で発売して、日本でライヴを行うなど、精力的に活動していたそうです。

f:id:pilgrim1969:20201213173719j:plain

「失われた週末」時代に発売されたジョンのソロ・アルバム「Walls and Bridges」の初版レコード 奥田民生氏がこのアルバムが一番好きだと言っていました。僕も好きです。左横の手書きの歌詞原稿は、同アルバムに収められていて、エルトン・ジョンと共作して発売された「Whatever Gets You Thru the Night」です。この曲が一位となり、ジョンはエルトン・ジョンのライヴに飛び入り参加することになりました。

また長くなってしまったので、続きはまた次回へ。
次回はジョン最後の時代となる1975年~1980年です。

 

ジョン&ヨーコの「ダブル・ファンタジー」展は、来年1月11日まで開催中ですので、ご興味のある方は、どうぞ下記リンクからお申込みください。

doublefantasy.co.jp

 

 

 

DOUBLE FANTASY / John&Yoko vol.1

今年(2020年)10月9日からソニー・ミュージック六本木ミュージアムで開催されている「DOUBLE FANTASY / John&Yoko」展に行ってきました。

John&Yokoとは、世界的に有名なロック・ミュージシャンの故ジョン・レノンとヨーコ・オノのことです。

2018年5月から2019年11月まで、ジョンの故郷のリバプールで開催されていましたが、ジョン・レノン生誕80周年・没後40周年の記念すべき2020年に東京で開催することになりました。

コロナ禍ではありますが、細野晴臣氏や原田知世さんも展示会に行かれたようで(細野さんの日曜深夜のラジオ「Daisy Holiday」で聞きました)、やはりジョン・レノンということで、結構ミュージシャン関係者も行っているようです。

f:id:pilgrim1969:20201206185756j:plain

ダブル・ファンタジー展の建物のエントランス メイン通りからではなく、裏通り側(しかも住宅街の坂の途中)なので、わかりづらいかもしれません。

ジョン・レノンの展示会といえば、「ジョン・レノンミュージアム」が2000年から2010年までさいたま新都心で常時開催されていて、大ファンの私はしょっちゅう行っておりました。

ジョン・レノンの生誕から、亡くなるまでのミュージアムということで、いろいろな素晴らしい展示物が所狭しと飾られていて、とても度肝を抜かれたのを覚えています。

まだ展示するものが残っていたのか?と、半ば疑心暗鬼な気持ちで来てみたのですが、今回の展示会は、主にジョンとヨーコが出会ってから、ジョンが亡くなり、そして現在に至るまでの二人の人生に焦点を当てているので、ジョンだけでなく、ヨーコの人生や作品に関する事物も展示されていて、ちょっと趣向が異なるようです。

f:id:pilgrim1969:20201206191338j:plain

最初にジョンとヨーコのプロフィールが壁面に書かれています。

f:id:pilgrim1969:20201206191447j:plain

ジョンの少年時代に書いたイラストや漫画、ビートルズ時代に出版された著書、「イン・マイ・ライフ」の手書きの歌詞原稿などが展示されています。「ジョン・レノンミュージアム」に展示されていたものと重なるものや、今回初めての展示物があります。

f:id:pilgrim1969:20201206191928j:plain

ヨーコがジョンと出会う前の著書「グレープフルーツ」の初版本、初めてのコンサートのパンフレット、19歳の時に作った「An Invisible Flower 見えない花」などが展示されています。

f:id:pilgrim1969:20201207143016j:plain

1966年11月7日、ジョンがヨーコの個展に訪れて、初めて二人が出会いました。これは、その個展の作品であるハシゴと天井です。ジョンはこのハシゴを登って天井に書いてある小さな文字を虫眼鏡で見て、「YES」と書かれていたことで、安堵し、ヨーコの芸術に興味を持ったとのことです。ちなみに、僕たちがこの展示会に訪れたのは、11月7日でした。

f:id:pilgrim1969:20201207143830j:plain

ジョンとヨーコが実際に使用していたサングラスです。サングラス同士で見つめ合っている図です。奥田民生氏も言っていましたが、当時のメガネは牛乳瓶の底のように分厚く、僕も確認しましたが、やっぱり結構分厚かったです。ジョンは相当目が悪かったのでしょうか。

f:id:pilgrim1969:20201207144300j:plain

ジョンとヨーコが結婚式とハネムーン旅行で着用していた、ジョンのジャケットと、ヨーコのミニスカートです。この二着しか現存していないそうです。結婚記念として発売された貴重な初版のボックス・レコード・セットと内容物、そして、実際の結婚証明書が展示されていました。

f:id:pilgrim1969:20201207144817j:plain

二人は出会ってから、様々な活動を行っていたようです。自主制作映画のパンフレット・全国彫刻展覧会に招かれて自主制作したパンフレットと司祭への直筆の手紙・「ユー・アー・ヒア」展で二人が放った365個の風船の一つに付けられたタグと手紙 全て二人の平和運動の一環だったそうです。左下の黄土色の紙に包まれたレコードは「トゥー・ヴァーンジンズ」あまり知られていないレコードですが、二人の全裸のジャケットで、当時の検閲に引っかかり、このような装丁となったそうです。

結構、数多くの展示物があって、1回ではご紹介できないので、続きは次回ということで。

ちなみに、明日12月8日は、ジョンの40回目の命日なので、ジョンとヨーコの音楽を聴きながら、思いを馳せたいと思います。

↓ ジョンとヨーコの展示会「ダブル・ファンタジー」は下記のサイトから申し込めます。12月8日から10日までは献花台が設置されるそうです。

doublefantasy.co.jp

 

諏訪大社~下社春宮 其の二

下社春宮を参拝し、これで全て終わったと鳥居をくぐろうとしたところ、遠くに赤い橋が見えるのがわかりました。

この橋には「浮島橋(うきしまばし)」と書かれていて、下社春宮のすぐ西側を流れる「砥川(とがわ)」という川の上を通すための橋でした。

前回のブログはこちらです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

この川の中には小さな島があり、「浮島(うきしま)」と呼ばれていて、どんな洪水にも流されることがなかったという下社七不思議に数えられていたそうです。

f:id:pilgrim1969:20201202155130j:plain

「浮島社(うきしましゃ)」 小さなお社があり、清め祓いの神様を祀っているのだそうです。毎年6月30日に大祓式すなわち「夏越の祓い」がここで行われています。鎌倉武士が御射山の祭典に参列する時、まずこの川で身を清め、八島高原へ登山したと伝えられています。

f:id:pilgrim1969:20201202160007j:plain

砥川の清流と小林一茶の句碑 とても綺麗な清流で、せせらぎの音がとても心地よく、本気で心が癒やされました。動画を撮ったのですが、素晴らしい風景とせせらぎの音を公開できないのが残念です。小林一茶は有名な俳人ですが、長野地方に所縁があるようです。

赤い「浮島橋」を通り、奥へ進んでいくと、かの有名な「万治の石仏」の立て札が立っていました。

f:id:pilgrim1969:20201202160528j:plain

万治の石仏の立て札 万治三年(1660年)諏訪高島藩主の諏訪忠晴が下社春宮の鳥居を寄進するため、石工がこの石を材料にしようとノミを入れたところ、突然血が流れ出したので、恐れをなして、仕事をやめると、その夜の夢枕にお告げが現れ、上原山に良い石材があるとのことで、良材を見つけ出し、素晴らしい鳥居が完成したとの言い伝えがあります。石工達はこの石に阿弥陀如来を祀って記念としたとのことです。

f:id:pilgrim1969:20201202161432j:plain

こちらが、「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」 参拝するのに、決まった作法があるようで、立て札に書いてありました。①正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる ②石仏の周りを願い事を心で唱えながら、時計回りに三周する ③正面に戻り、「よろずおさめました」と唱えてから一礼する 

万治の石仏(まんじのせきぶつ)」は、「ばんじ」とも言うようで、読んで字の如く、「万(よろず)のことが治まる」物事を万事丸く治めて、願いを聞いてくれる有り難い石仏ということで、昔から人々に厚く信仰されているそうです。

f:id:pilgrim1969:20201202162056j:plain

大きな石の上に、チョコンと首が乗っている様は、とても可愛らしく、ユーモラスで、心が和みます。有名な「バクハツ」芸術家の岡本太郎氏も、この万治の石仏を愛してやまず、何度もこの地を訪れたそうです。

万治の石仏」で和んだ後、下社春宮を後にし、再び諏訪湖を訪れて、しばらくゆっくりしました。

f:id:pilgrim1969:20201202162443j:plain

戦前から戦後にかけて、中央本線で活躍していた有名な蒸気機関車「D-51」が展示されていました。

たった二日間でしたが、諏訪の旅行はとても充実したものでした。

皆様もぜひ訪れてみることをオススメします。

諏訪大社~下社春宮 其の一

諏訪大社の上社本宮・上社前宮・高島城、そして、2日目は下社秋宮を参拝し、遊覧船に乗って諏訪湖一周を楽しんだ後、残す所は下社春宮のみとなりました。

前回までの主なブログはこちらです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

諏訪湖を出発して、この下社春宮に着いた頃は、午後4時近くになっていたかと思いますが、なんとか間に合いました。

f:id:pilgrim1969:20201129134542j:plain

下社春宮の入口の御影石の鳥居 後ほどご紹介する「万治の石仏」と同じ作者だと言われています。

f:id:pilgrim1969:20201129134651j:plain

下社春宮の境内ガイドです。下社秋宮と配置や構成は同じで、まず神楽殿が鎮座し、その後方に幣拝殿・左右片拝殿が堂々と主な建築物として鎮座し、その後方に左右に御宝殿がそれぞれ配置されています。下社秋宮と違うところは、左右の御宝殿の間に御神木として、杉の木がそびえ立ち、祀られていることです。下社秋宮は「一之御柱」を御神木として拝しています。

鳥居をくぐり、進んでいくと、まず見えてくるのが、神楽殿と「結びの杉」です。

f:id:pilgrim1969:20201129210008j:plain

中央の建物が「神楽殿」右側の大きな杉が「結びの杉」と言われていて、先で二又に分かれているが、根本で一つになっていることから、「縁結びの杉」と言われています。恋愛に限らず、あらゆる「縁」に効果があると言われています。

 

f:id:pilgrim1969:20201129210709j:plain

下社秋宮の神楽殿と同じように、立派な大注連縄が施してありますが、こちらは少しコンパクトな感じです。建物も下社秋宮より慎ましい感じです。右奥に見えるのは「一之御柱

 神楽殿は、創建は江戸時代前期の天和年間(1681~1684年)とかなり古いですが、しばしば改築されていたようで、この建物は昭和11年に改築されたものだそうです。

 

f:id:pilgrim1969:20201129211309j:plain

「筒粥殿(つつがゆでん)」毎年1月14日夜から15日の早朝にかけて、神職が囲炉裏を囲み、一晩中葦筒を米と小豆の粥に入れて炊き込み、葦筒44本の内、43本は作物の吉凶を、そして残りの1本は世の中を占うとのことです。土間中央の囲炉裏は江戸時代初期のものということで、とても興味深かったのですが、この日は扉が閉じていて見られませんでした。

f:id:pilgrim1969:20201129212211j:plain

「幣拝殿(へいはいでん)」(中央の二層の建物)と「二之御柱」(左側)  祭祀や拝礼を行うための建物で、下社秋宮の幣拝殿と同様、全体に見事な彫刻が施されています。中央の二重楼門づくりを幣拝殿、左右を片拝殿と呼ぶのだそうです。図面は下社秋宮と同じとのことで、下社秋宮の立川流と技術を競った地元の宮大工の柴宮長左衛門により、下社秋宮より1年早い安永九年(1780年)に建てられました。

f:id:pilgrim1969:20201129213238j:plain

左右片拝殿(さゆうかたはいでん) 中央の二層の幣拝殿を挟むようにして、建てられています。下社秋宮に比べて、幅が短く、屋根は片切になっています。全体的に下社秋宮よりコンパクトなのですね。

下社秋宮よりコンパクトで、建物や祀られている神様が少ないと思いきや、下社春宮はこれで終わりではありませんでした。

西側に砥川(とがわ)という清流が流れており、この川の中に「浮島(うきしま)」という島があり、どんな洪水にも流されなかったという下社七不思議の一つと言われています。

続きは次回へ。

諏訪湖

諏訪大社の上社本宮・上社前宮・高島城、そして、2日目は下社秋宮を参拝し、残す所は下社春宮のみとなりましたが、その前に忘れてはいけない、諏訪といえば、シンボルの大きな湖「諏訪湖」へ行って、しばしブレイクすることにしました。

前回までの主なブログはこちらです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

下社秋宮を出て、名物の信濃そばを頂いた後、急いで諏訪湖へ向かいました。

なんでそんなに急ぐかというと、諏訪湖の遊覧船に乗りたいからですが、遊覧船の最終は15時半だからです。

下社秋宮はとても見ごたえのある神社であり、午前中から参拝しても、全部を回るのに3時間はかかり、昼食を食べると、14時を回ってしまいました。

そんなに遠い場所ではないのですが、不慣れな土地ゆえ、何があるかわかりません。

でも、なんだかんだで14時半の遊覧船には間に合いました。

f:id:pilgrim1969:20201123180723j:plain

諏訪湖の遊覧船は、9時半が始発で、1時間毎に出発し、15時半が最終です。料金は、大人920円(税込)・子供460円(税込)で、約45分の周遊です。

あいにくの曇り空でしたが、GoToキャンペーン前の9月下旬のため、船内はガラガラで、広々と楽しめました。

f:id:pilgrim1969:20201123181504j:plain

デッキの上は、なかなかオシャレで、丸テーブルとカウンターチェアがあり、くつろげました。遠くに見える建物は僕たちが泊まった「ホテル紅や」です。

f:id:pilgrim1969:20201123181632j:plain

少し進んでいくと、船の左側に「初島」という小さな島が見えてきました。なぜか鳥居があって、神社があるようで、不思議な光景でした。カモメがたくさん止まっていました。

諏訪湖の四方八方をぐるりと見渡しましたが、つくづく山に囲まれた土地なんだなあと思いました。

なんか、山に囲まれて周りから隔離されているというか、山に護られているというか、とても特殊な場所ですね。

武田信玄も無くなる寸前に、自分の亡骸は諏訪湖に沈めてくれ、と言ったそうです。

なにか、惹かれるものがあったのでしょうか。

武田家のお宝が沈められていると、昔から伝説となっており、戦後に調査に入ったそうですが、残念ながら、見つからなかったそうです。

景色に見とれているうちに、元の港に到着してしまいました。

 

船を降りた後、売店に寄って、楽しみだった名物のソフトクリームを食べました。

f:id:pilgrim1969:20201123182858j:plain

やっぱり諏訪湖の遊覧船は有名なようで、いろいろな有名人のサイン色紙が飾られていました。売店の名物はソフトクリームで、それもわさび味ということで、挑戦してみましたが、超ハンパなく、辛かったです・・・妻が食べたサツマイモはとても甘くて、一応オススメはこちらですね。400円でした。

f:id:pilgrim1969:20201123183409j:plain

ふと、レジ横に「バッタ飴」があったので、見てみたら、ホントにバッタが飴状になっていました(汗)勇気のある方はどうぞ・・・

ソフトクリームを平らげ、最後の目的地「下社春宮」へ向かいました。

諏訪大社~下社秋宮 其の二

2日目の午前中は、下社秋宮に行ってきました。

前回のブログです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

下社秋宮のメインの建物である、「神楽殿」・「幣拝殿」の「左右片拝殿」を堪能し、

幣拝殿の向かって右側の方に進みました。

左片拝殿の向かって右側には、昭和39年の昭和天皇・皇后両陛下の御参拝記念の「天覧の百松(三葉の松)」が、「秋宮一之御柱」と並んで高くそびえ立っていました。

f:id:pilgrim1969:20201115115255j:plain

「天覧の百松(三葉の松)」昭和39年の昭和天皇・皇后両陛下の御参拝記念だそうで、隣の「秋宮一之御柱」と共に仲良くそびえ立っていました。

その奥の方にも、神様が祀られていました。

上社本宮もそうでしたが、本殿だけではなく、至るところに様々な神様が祀られています。

f:id:pilgrim1969:20201115115645j:plain

左から「皇大神宮社」(伊勢神宮の御祭神である天照大御神などが祀られています)「若宮社」「稲荷社」

 その後、上社本宮と同じように、下社秋宮にも「宝物殿」があるとのことで、行ってみることにしました。

f:id:pilgrim1969:20201115132621j:plain

下社秋宮の「宝物殿」 建物の外観や中のレイアウト、展示物は同じような感じでしたが、微妙に違うものが展示されていました。

f:id:pilgrim1969:20201115132848j:plain

外観や内観はほぼ同じですが、上社と下社では歴史的に大祝の一族が異なっていて、微妙に歴史が異なり、それに応じて展示物も微妙に違っているので、こちらも一見の価値はあるかと思います。

宝物殿を出て、妻がトイレに行っている間、お土産を覗いてみました。

諏訪では、日本酒の醸造が盛んであるようで、「真澄(ますみ)」をあちこちで見かけます。

「諏訪の神酒」として「真澄」が展示してあったので、早速購入し、御柱から作ったという箸があったので、縁起が良さそうに感じ、こちらも購入しました。

f:id:pilgrim1969:20201115133753j:plain

諏訪の御神酒「真澄」と、御柱で作られた箸 まだ御神酒は飲んでいませんが、新年元旦の時に験担ぎで飲んでみたいと思います。それまでは我が家の神棚に飾っておきます。

f:id:pilgrim1969:20201115134216j:plain

お土産の建物の近くに、なぜか「さざれ石」がありました。あの「君が代」の歌詞に出てくる有名な「さざれ石」です。初めて見たのですが、気の遠くなるような長い年月を経て出来た風格と気品を感じ、その佇まいに圧倒されました。諏訪に元々あったものではなく、愛知県の某企業から奉納されたもののようですが、なかなか見応えがありました。

お昼過ぎとなり、鳥居をくぐって出たところ、妻が二つの鳥居が並んでいるのを見つけました。

八幡社と恵比寿社でした。

下社秋宮とは別の扱いの敷地のようで、八幡山と呼ばれている小山に建てられていました。

f:id:pilgrim1969:20201115135126j:plain

左側が「八幡社」、右側が「恵比寿社」

「恵比寿社」の方は、諏訪大神の御父神「大國主神」と兄の「事代主大神」が祀られており、諏訪大神とは非常に縁が深いということで、出雲大社美保神社からはるばる御分霊を受けて、昭和23年御鎮座祭を行って、諏訪大社末社となって、祀られることになったそうです。

この二大神は、農漁業・商工業などあらゆる産業の発展の神様であり、家の繁栄の神様である恵比寿様と同じ御神徳があるとのことです。

 

「下社秋宮」 「上社本宮」と共に、とても奥深く、しっかり堪能しました。

次は、昼食の後、諏訪湖へ向かいます。

諏訪大社~下社秋宮 其の一

夏季休暇を利用した諏訪旅行の1日目は、上社本宮・前宮そして高島城を訪れました。

↓ こちらがブログです。

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

ホテルをチェックアウトし、ホテル内のおみやげ店での買い物を楽しみました。

f:id:pilgrim1969:20201103123503j:plain

「長野の牛乳パンシリーズ」なにげにオススメです。ラスク・サブレ・キャラメル・サンドケーキ・フィナンシェといろいろと種類があり、地元長野の牛乳を使っているとのことで、フィナンシェを買いましたが、素朴な味で、昭和40年代生まれの方にはとても懐かしい味ではないかと思います。パッケージのデザインも素朴で、絵の男の子が何とも昭和的で愛らしいです。

2日目の最初は、下社秋宮にまず行きました。

ここは、上社下社4つの御社の中では、最も華やかなイメージが有りましたが、今回もそのように感じました。

上社本宮もとても豪華で華やかでしたが、下社秋宮はなんと表現すれば良いかわかりませんが、その「佇まい」に言葉で言い表せない気品と華やかさを感じます。

f:id:pilgrim1969:20201108200652j:plain

下社秋宮の案内図です。上社本宮と同様、いろいろな建物などが立ち並び、かなりの見応えがありそうです。

鳥居をくぐると、まず目につくのが、「根入りの杉」と呼ばれている樹齢なんと800年を数える御神木です。

f:id:pilgrim1969:20201103125026j:plain

「根入りの杉」樹齢なんと800年を数える御神木です。深夜丑三つ刻になると、枝先を下げるそうで、夜泣きの子供に小枝を煎じて飲ませると、夜泣きが止むと言い伝えられています。

そして、その後ろに控えるのが、有名な「神楽殿」です。

青銅製では日本一と言われている狛犬が両脇に控え、三方切妻造りで、1835年(天保六年)立川和四郎二代目富昌という人の作だそうです。

f:id:pilgrim1969:20201103130006j:plain

「神楽殿」正面の巨大な大注連縄は、重さ約一トンもあり、7年毎の御柱祭の時に新しく奉請されるそうです。

 

f:id:pilgrim1969:20201108194735j:plain

楽殿の奥に、「幣拝殿(へいはいでん)」が堂々と鎮座しています。

楽殿の奥が、「幣拝殿(へいはいでん)」で、二重楼門造りの拝殿を中心に、その左右に「左片拝殿」と「右片拝殿」が並びます。これらの建物は、江戸時代中期の絵図面では、幣拝殿が「帝屋(御門戸屋)」、左右片拝殿が「回廊」と記されており、諏訪高島藩の命により、1781年(安永十年)春に立川和四郎初代富棟によって造営されたそうです。

f:id:pilgrim1969:20201108195837j:plain

「幣拝殿(へいはいでん)」の正面 見事な彫刻が施されています。

f:id:pilgrim1969:20201108200224j:plain

左片拝殿 幣拝殿の左側で、こちらは彫刻は見られず、元々回廊だったようです。

f:id:pilgrim1969:20201108200405j:plain

こちらは右片拝殿 幣拝殿を挟んで、左右対称に鎮座しています。

幣拝殿と左右片拝殿の向かって左側には、下社秋宮二之御柱がそびえ立って祀られており、その手前に小さな四つの御社が祀られていました。

向かって右側から、「八坂社(やさかしゃ)」「賀茂上下社(かもじょうげしゃ)」「子安社(こやすしゃ)」「鹿島社(かしましゃ)」と呼ばれ、それぞれ御祭神は異なっていますが、諏訪明神とはゆかりのある御祭神です。

f:id:pilgrim1969:20201108201904j:plain

四つの御社と、秋宮二之御柱

まだまだご紹介する所がありますので、続きは次回へ。