肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

松任谷由実コンサートツアー「深海の街」神奈川県民ホール 2022年3月26日

先日2022年3月26日に行われた、ユーミンこと松任谷由実氏のコンサートツアー「深海の街」を観に行きました。
場所は、横浜の山下公園近くの「神奈川県民ホール」の大ホールで行われました。

 

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「深海の街」ツアー第2期は、3月2日の鹿児島からスタートし、4月23日の東京国際フォーラムまで続きます。



昨年の10月12日の川口リリアで行われたコンサートに続いて2回目の参加となりました。

pilgrim1969.hatenablog.jp


今回は1階席の前から3列目のほぼど真ん中の席が当選し、ユーミンを超間近で見ることができて、本当に素晴らしいライブを堪能させていただきました。
今回もやはりコロナ禍ということで、前回同様フェイスシールド(写真)をしなくてはならず、不器用な僕は妻に組み立ててもらいました。

 

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今回も会場に入るなり、この「フェイスシールド」を渡され、コンサート中は装着することを義務付けられました。説明書は入ってますが、意外と組み立てるのは面倒くさいです。早めに会場に行って、係の人にサポートしてもらうことをお勧めします。



前回同様、18時半きっかりにステージから「深海の音」と思われる音が聞こえてきて、やがてライブが始まりました。

ここからは多少ネタバレになってしまうため、これからユーミンのライブを見に行く方はご注意ください。


パープル色の軍服のような船員姿のユーミンが現れ、荒井由実時代の名曲「翳りゆく部屋」の演奏が厳かに始まりました。
演奏した曲の構成は、それほど変化はないと思いますが、ところどころの演出は変わっていて、「カンナ8号線」の途中でユーミンがいつの間にか消えてしまい、セットの階段の一番上からいきなりポンとジャンプして、赤いワンピースとストローハット姿で現れた時は「おー!」と圧倒されました。
そのまま赤いワンピース姿で歌い続け、コーラスの2人が前に出てきて、3人で息の合ったダンスを披露したり、パパラッチのようなカメラマンに追い回されて、絡み合うシーンなどはなかなかスリリングで面白かったです。

 

間近で見ると、カメラの長いコードに引っかかって転ばないように、結構注意して動き回っているのがわかりました。

ユーミンが転びやしないかと、観ているこちらがヒヤヒヤしました。


また、余談ですが、コーラスの2人の女性は、サックスを吹いたり、フルートを吹いたり、ダンスまで披露したり、本当に素晴らしいマルチな能力を持っていると思います。

 

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写真のようなガッシリした、ちょっと「ゴツい」感じの50代から60代くらいの男性客が多かった印象でした。


今回はこのツアーの第二期と言うことで、ユーミンの声が安定していて、声量がアップしているのがひしひしと感じられました。
また、間近でユーミンを見ることが出来たので、ユーミンの細かい表情や動きがよくわかりました。とても表情豊かに歌い、ミュージカル俳優さながらのキビキビとした動きは67歳とは思えない精力的なオーラを放ち、圧倒されました。


アンコールは今回は3回もやってくれて、しかも最後の曲はこの横浜にちなんだ「海を見ていた午後」を歌ってくれました。
本当に素晴らしいライブでした。


第二期は4月23日の東京国際フォーラムまで続きます。
ご興味のある方は、ぜひ体験してみてください。

 

ユーミンのオフィシャルサイト

yuming.co.jp

 

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会場で販売されていたオフィシャルグッズの数々 「桃里庵の桃ビューレ(1,000円(税別)」という商品が一番人気ということですが、今回も売り切れでした。個人的にはパープル色のTシャツ(3,500円(税別))が気になり、今回買いませんでしたが、次回検討したいと思っています。

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今回はこの「深海スノードーム」(4,500円(税別))を購入しました。値段が高く、ためらっていましたが、なかなか素晴らしく綺麗です。

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リマスターした80年代のCDを持っていなかったので、まずは1987年リリースの「ダイアモンドダストが消えぬまに」のCDを購入しました。2,000円以上のCD・DVD・Blu-ray・レコードを購入すると、このマスクケース(チケットケース?)が限定でもらえます。

YouTubeもやっていますので、ぜひこちらもご覧になってください。

 

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勝間和代「勝間式超スローライフ」を読んで

コロナ禍に突入して間もない、2020年秋に出版された勝間和代氏の「勝間式超スローライフ」を読んだのでご紹介したいと思います。

コロナの蔓延により、僕たちの働き方や生活様式は劇的に変わりました。

そういった状況の中、この本は勝間氏なりの新しい働き方そして生活様式及び今後の考え方についての提案が書かれています。

正直この本に書かれている事は、僕としては激しく同意することが多く、本は付箋でいっぱいとなってしまい、紹介したいことが山ほどあるのですが、文章がものすごく長くなってしまうと思うので、勝間氏が本当に伝えたかったことにフォーカスしてお伝えしたいと思います。

 

1⃣「穏やかな暮らし」の基盤は「短時間でしっかり稼ぐ」こと


コロナ蔓延により、僕たちは強制的に外出がままならなくなり、テレワークでの仕事を余儀なくされました。

そしてテレワークを経験するうちに、それまで当たり前だった「満員電車」「狭いオフィス」生理的要求や体調と噛み合わない条件等非常に強いストレスを抱えながら働いていたことに、多くの人たちは気づいてしまいました。

本来であれば働く意義と言うのは、自分自身や家族の生活を快適にして生活を支えることであるのに、それが全く満たされていませんでした。

特に大都市への通勤者は生活環境、労働環境が「快適」とはほど遠く、働く気力を大きく削がれるほどの多くの我慢が必要でした。

そしてそのことに多くの人が気づいてしまいました。僕もその1人で、このような我慢が強いられる非合理的な辛い生活はサラリーマンを続けている限り、永久に続いていくんだろうと暗澹たる思いで過ごしてきました。

それが私たちを脅かす存在であるコロナのおかげで、そのような生活から脱出することができました。
そしてこのような世の中になり、勝間氏は今後の生き方について、こう提案しています。
「穏やかな暮らし」の基盤は「短時間でしっかり稼ぐ」こと」

 

2⃣なるべく短い労働で高い収入を得る方法


これからは、なるべく短い労働で高い収入を得ることが重要だと言っています。

そのための最大のカギは働き方を「成果報酬型」へ切り替えることだと言っています。その方法として、まず「自分がどの分野なら活躍できるか」をよく見極めることが必要です。

この「成果報酬型」に移行しない限り、①長時間労働だが、ある程度定額で高給な仕事②短時間労働だがパートタイマー的な「マックジョブ(ほとんどスキルを必要とせず、社内での昇進のチャンスがほとんどない、低賃金の将来性が無い仕事)」のような仕事の二者択一しかないそうです。

そして、一生懸命仕事を効率化する努力をしても、仕事ができない他の社員たちの仕事が降ってくるような企業に勤めている人はさっさと転職や独立をしたほうがいいとまで言い切っています。

 

3⃣成果報酬の実力を磨く方法


成果報酬の実力を磨く方法として勝間氏は2つのことを指摘し提案しています。
成果報酬体系になっているのにあまり成果が上がっていない人の特徴として、生産性が高くない時間すなわちどんなに働いたとしても顧客の利益につながらない時間が長すぎるのだそうです。

典型例として「移動時間」をあげています。

勝間氏が以前勤めていたマッキンゼーで調査したことがあったそうですが、営業スキルの高い人と低い人とで最も明らかな差があったのが「移動時間の長さ」だったのだそうです。

そもそも生産性が低いのに長時間移動しているだけで仕事をした気になってしまうのが問題なのだそうです。

僕も営業をやっていた経験があり、車や電車であちこちと長時間移動しまくっていましたが、確かにその間はほとんど仕事をすることができなかったにもかかわらず、すごく仕事をした気になっていました。


もう一つは、顧客の利益につながらない仕事はなるべくしないことを徹底することです。

そのような生産性の低い業務は極力IT化を進めていけば、労働時間は驚くほど短くなるとのことです。
勝間氏いわく、労働を一生懸命行うことで生産性が上がる時代は既に終わっているのに、これを真剣に考えている人は10人に1人なのだそうです。

このように長時間労働を疑問なく行う人たちについて、勝間氏は昔の自分への揶揄も含めて「長時間労働を頑張る怠け者」と呼んでいます。

確かに長時間一生懸命働いても、疲労困憊して頭で考える余裕はなく、肉体的にかろうじて働いているだけです。

 

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「勝間式超スローライフ」の表紙 勝間和代氏が愛ネコのアオちゃんを抱いて、本当に自宅で有意義な生活を過ごしている雰囲気が伝わってきます。

 

4⃣成果報酬とお金に対する考え方


成果報酬型に移行すると、収入を得るためにどれだけ苦労したかよくわかるため、劇的に無駄遣いをしなくなるのだそうです。

そして収入につながるお金の使い方には熱心になりますが、そうではない支出には関心がなくなるのだそうです。


また、物の見方やその価格構造にも敏感になるのだそうです。

「地位財」と「非地位財」という言葉がありますが、ブランド物や高級品など他人との比較で満足を得るための「地位財」を集めようとするとお金がいくらあっても足りません。

勝間氏がわかりやすく説明していますが、フランクミュラーの高級時計をしていれば、他人は「お金を持っている人だ」と思ってくれますが、機能としては2〜3万円で買えるスマートウォッチにはかないません。

このような自分自身が満足できる「非地位財」を集めた方が現実的には使いやすくお金はかかりません。


また、「広告を一切見てはいけない」とも言っています。

サイゼリアは一切広告を出していませんが、とてもおいしくて、そこそこ量もある料理を安価で提供してくれます。

このような顧客へのサービスのために支出をする企業の商品はとても割安です。

そして広告宣伝にバンバンお金を使う企業はその分価格に上乗せしており、割高になっているのです。

 

5⃣自宅を世界一快適にする方法


勝間氏は、自宅で生産性を高くして快適に過ごすためには、最も生産性の高いツールを使って、短時間労働で大きな成果を上げることが必要だと言っています。

その代表的なものが「音声入力」だそうです。これは現在ではほとんどのスマホ、PCに搭載されているため、余分にお金がかかる事はありません。


そして2つ目に重要な事は、インターネット環境の整備が不可欠だそうです。

要はより早いネットワークを構築するためのWi-Fi環境を整えることが重要なのだそうです。


そして、ソフトの面では「気持ちのCPU速度」が重要とのことです。

僕たちは常に頭の中をマルチタスクで物事を行っているため、一つ一つのタスクの負荷を下げて、CPU全体の稼働率を下げる必要があります。

要はどういうことかと言うと、重要な仕事の時に実力を全て発揮できるようにしておくことが重要です。

よって、そこら辺に生ごみや段ボールが散らかっていたりして、余計なことに気をとられて仕事のパフォーマンスが落ちないようにすることが必要です。

 

6⃣大切な考え方


このように短時間労働で大きな成果を上げるためには、日頃常に「どうやったら快適に仕事ができるか」研究を惜しまないことが大切なのだそうです。

そして、そういうことを考え続けるために大事なことは、自分ひとりでいる時間をなるべく長くすることなのだそうです。

1日に最低2時間以上は1人でゆっくり考えられる時間を持つのです。


勝間氏はこう言います。

もっとも重要な時間とは、自分の心の内側や経験を振り返り、自分の将来について考える内省の時間なのだそうです。

そのためには他者を切り離す時間を持ち、このような貴重な時間を奪う酒、タバコ、ネットサーフィン、ドラマのダラダラ見などを遠ざけることが必要です。

それによって自分自身の正解を探ることができるのです。

 

7⃣大切な時間術


勝間氏は、昼間に「大きな時間の箱」を作ることが重要だと言っています。
要は、①とにかくスケジュールをなるべく入れない②その時間帯じゃないとできないことをなるべく入れない、ことを徹底するのだそうです。

スケジュールをあえてスカスカにしておくと、自分のペースで仕事を進めることができて、合間に食事、趣味、SNSなどを行うようにします。

このような感じで自由度があるからこそ自宅生活は生産性が高くなるのです。

その時々の心身の状態に合わせて行動ができるため、体力気力に余裕が生まれます。

繰り返しになりますが、移動時間は最も自由度と生産性が低いため、極力削減することを勧めています。

 

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アフター・コロナの過ごし方のバイブルのような本です。皆さんもぜひ今までの「我慢」の生活から脱却して、ストレスフリーな生活を獲得することを願います。

 

8⃣まとめ


勝間氏が最も言いたかったことは、次の2つのことだと思います。


①とにかくなるべくスケジュールはゆるゆるにして、外出するスケジュールは最低限にする。

そして移動時間は極力削る。

勝間氏はこの本の中で何度も力説していますが、スーパーでの買い物は極力ネットスーパーに切り替えることを勧めています。

スーパーまで行って、買うものをピッキングし、レジに並び、買ったものを袋に詰めて、家に帰るまでのこの一連の作業は、勝間氏にとっては非効率極まりない耐え難いことなのだそうです。

これをやったからといって、僕たちが幸せになることはなく、利益を生むことは無いからです。

僕もこの点については正直大賛成です。

買い物に行くということは、本当に面倒臭くて、そのことを考えるだけでも心が萎えていきます。


②自宅で、手に入る様々なテクノロジーを駆使して使い倒し、生活と仕事の生産性を高めていく。

勝間氏は自身のブログで、仕事や生活を効率化するために、より使いやすいマウスやキーボードを常に探して買い替えたり、ノートパソコンを立てて使ったり、常にさまざまに工夫を凝らしていることを伝えています。


以上、勝間氏は、これらを「ポジティブな引きこもり」と言っています。


この本は僕にとって激しく同意することばかりで、まだまだ伝え足りないことも多いですが、一つ一つできることを実践していって、短時間でしっかり稼げるよう、努力していきたいと思います。

 

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樺沢紫苑「もしも社畜ゾンビが「アウトプット大全」を読んだら」を読んで

精神科医で作家の樺沢紫苑先生の新刊「もしも社畜ゾンビが「アウトプット大全」を読んだら」を読みましたので、ご紹介いたします。


この本は2018年8月に出版されました「アウトプット大全」をマンガ化したものです。

マンガの部分と樺沢先生による解説部分に分かれております。
マンガの部分は、主人公の外山健が、社内新規プロジェクトに挑戦するのですが、真面目な性格ゆえに行き詰まってしまい、「社畜ゾンビ」化してしまった状態から始まります。

そこから主人公が自己成長をしていく話なのですが、サラリーマンを経験した方なら、誰にでも当てはまることで、とても共感する内容です。

さらにマンガですから、とても読みやすいです。

 

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「もしも社畜ゾンビが「アウトプット大全を読んだら」の表紙
漫画家の齋藤邦雄氏のマンガがとても親しみやすいです。

 

1⃣ マンガ部分について
この本のマンガ部分について、僕が印象に残ったことをご紹介します。


① 全てを書き出してみる

主人公の健は「社畜ゾンビ」の状態で疲弊しきっていました。

そんな健は会社のトイレで謎の清掃員「七(なな)さん」に出会います。

そして、一度紙に、頭の中にあることを何でもいいから全て殴り書きしてみることを勧められます。

家に帰った後、健は早速やってみます。

すると、みるみるうちに思考が整理され、自分を客観視できる状態になったことがわかります。

この「書き出す」ということは、頭の中の全てを書き出すことで「脳の棚卸し」になるのだそうです。

 

② 一人で全てを抱え込まない

やがて社畜ゾンビだった健の生活は良い方向へ回転し始めます。

そしてだんだんと今まで自分がやってきた方法が間違っていたことに気づいていきます。

それは「一人で全てを抱え込まない」ことです。

真面目な人にありがちなのですが(僕もそうです)、他人に任せることに引け目を感じてしまい、全てを自分でやろうとして行き詰まってしまう傾向にあります。

しかし、その分野で得意な人の知識を共有して、みんなで助け合えば、スムーズに事が運び、時間の節約にもなります。

 

③ 優先順位をつける

もう一つ真面目な人にありがちなこととして、全てを抱え込んで、あれもこれもと手をつけて、混乱してしまい、何も進まなくなることです。

人間の脳はマルチタスクには向いていないと言われています。

「優先順位」をつけて「本当にやりたいこと」から始めていくことが大切なのだそうです。

そして、一つのことに専念して、ひとつずつやっていくことが大切です。

健は、同僚から飲みに誘われますが、「ごめん、行かない」と企画書の作成に専念するため、はっきりと断っています。

 

④ 告白と心の距離

最も印象に残ったのは、健と営業部の大川との公園でのシーンです。

大川は「やりたい事は無い」と告白します。

それに対して健は自分がゾンビ人間で、何のために生きているのかわからないと涙を流しながら告白します。

これは大川が自分の本心を打ち明けたことによって、二人の心の距離が縮まったことを表しています。

そして、このように自分の辛さや苦しさを言葉で表現する事はデトックスになり、ストレス発散効果があるのだそうです。

そして、そんな健に大川はこう言います。

「何とか人間ぽく見せているけど、自分がゾンビって気がついていない人もたくさんいると思います」

外側から見ていると分かりませんが、結構「ゾンビ化」している人はたくさんいるのではないでしょうか。

 

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サラリーマンを経験した人なら、誰でもが自分にも思い当たる節があると思える、とても共感できる内容です。

 

2⃣ 解説部分について

後半の樺沢先生の開設部分について、僕の印象に残ったことをご紹介します。


①ぼーっとする
健と大川の公園でのシーンで、大川がこう言います。

「こうやって公園でぼーっとしていると、生きてるなぁって思いません?」

この「ぼーっとする」事はよくないこととして思われている節がありますが、実は脳の働きを活性化するのだそうです。
一日中スマホなどで絶えずインプットしていくと、脳疲労を起こします。

ぼーっとすることで脳が休まり、デフォルトモードネットワークつまりバックグラウンドで脳が活動することによって、考えがまとまり解決法が導き出されるのです。
「創造性の4B」という言葉を聞いたことがあるかと思います。

Bathroom (入浴中・トイレ) 

Bus (バス・移動中)

Bed (寝る前や起きた時) 

Bar (酒を飲んでリラックスしている時)

など、リラックスしている時に良いアイデアが思いついたり、ひらめいたりするのだそうです。

 

② 説明する
人に説明するときに、ついつい長々と話してしまい、結局何を伝えたかったのか分からなくなってしまうことが多いことと思います。

樺沢先生によると、最初に「ポイント」「結論」を話し、シンプルにまとめることが重要なのだそうです。

三波が真壁にプレゼンするときに、「成果を高めるには三つの要素が必要」と言ってから、「心、システム、スキル」と具体的に説明しています。

そして、リアルにイメージしてもらうためには、「例」(自分の実例や体験談)、「権威」(ハーバード大学の研究によると)、「数値」(「大多数の賛成」より「89%の賛成」)という この三つを使うとより伝わりやすくなるのだそうです。

 

③ 決断する
樺沢先生はこう言います。
何か決断するときに迷ったときは、まずワクワクする方を選ぶのだそうです。

そして、最初に思いついた方を優先することが重要だそうです。

というのは、後から出てきた考えは、たいていは打算的、常識的、保守的で、つまらない考えであることが多いからだそうです。

 

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樺沢紫苑先生の出版記念講演会に申し込んだら、こんなトートバッグが本と一緒に送られてきました。意外と丈夫でなかなかグッドです!

 

3⃣ まとめ
マンガ部分には、実は「アウトプット大全」の本は一切登場して来ません。

でも内容は「アウトプット大全」のエッセンスが満載で、とてもよく理解することができます。

そしてこのマンガは単なる自己成長の物語ではなく、感動してふと涙ぐんでしまうような意表を突くところもありました。

ネタバレになってしまいますが、主人公の健をいつも助けてくれる「七さん」の正体と背景がポイントです。
ぜひ読みやすいので、この本を気軽に手に取って読んでいただき、ゆくゆくは「アウトプット大全」も読んでいただければ幸いです。

 

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この本を読んで、「アウトプット大全」に興味を持った方は、下記のブログもどうぞ!

 

 

飛蚊症を治療した、その後の状況~5年経った今~

僕は飛蚊症の手術を2017年の5月から8月にかけて3回行い、ほぼ完治しました。

読者の方からその後の状況はどんな感じなのかというご質問をいくつかいただきましたので、今回は飛蚊症を治療して5年経った(2022年3月現在)僕の目の現在の状況についてお話したいと思います。

 

1⃣飛蚊症自体の症状について

飛蚊症特有の症状である、黒いゴミや糸くずのようなものは、手術前は目の中をうようよ漂っていて、ものすごく僕を悩ませたのですが、手術した後は、ほとんど全て無くなりました。

その後5年経ちましたが、この5年間、一度もこれらの黒いゴミや糸くずのようなものが再び増加することは無く、とても安定しています。

ただ、手術直後からなのですが、これらが全く無くなったわけではなく、ごくごく小さな、わずかな黒い点のようなものはちょこちょこ現れます。

でも、澄み渡った青空や、パソコンなどの白い画面を見なければ、全く見えることは無く、気になることは全くありません。

なので、日常生活には全く問題はありません。

 

2⃣飛蚊症以外の目の変化・症状

最後に手術をした2017年8月から約3ヶ月から4ヶ月ほどして、老眼が急激に進みました。

ただし、手術をした当時の年齢は48歳で、年齢的に考えて、老眼が進行し始める時期でもあるので、一概に飛蚊症の手術が原因とは考えづらいと思います。

手術をしていただいた中原先生にも診てもらい、相談しましたが、やはり年齢的に老眼が進み始める時期とちょうど重なってしまったのではないかということでした。

また、僕の目は右1.5、左1.2とかなり視力は良い方でした。

視力が良いと、老眼になりやすいとも言われています。

なので、飛蚊症の手術が原因とは考えずらいというのが先生の見解でした。

 

3⃣飛蚊症の再発を防ぐためにやってきたこと

①パソコン・スマホ・テレビなど、ブルーライトを発する画面を見る時は、必ずブルーライトカットメガネをかける。

これは本当に心掛けてきました。

飛蚊症発症前の僕は、裸眼でパソコンやスマホを長時間見続けていました。

仕事もプライベートもですから、いつも夕方頃には目は疲弊し、赤く充血して、涙が流れ続け、痛くてたまらず、また眩しくて目を開けていられないほどでした。

ほどなくして、白いネバついた膿のようなものが目の表面から出てくるようになり、それから3年くらいして、深刻な飛蚊症に悩まされるようになりました。

 

②目が疲れてきたら、必ず休憩を取り、目薬を差す。

休憩時間はなるべくスマホやパソコンは見ないようにしてきました。

仕事中も休憩中もスマホやパソコンを見ていたら、目を休める時間が無いからです。

昼寝、もしくは音楽などを聴いて、目は使わないようにしてきました。

 

③きちんと睡眠をとる(出来れば7時間)

目を休めるためには、睡眠が一番です。

また、寝る前2時間以内は、なるべくスマホやパソコン・テレビを観ないで、音楽やラジオを聴いたり、家族と語らったりして、リラックスするようにしていました。

 

④睡眠をきちんととるために、なるべく午後3時以降はコーヒーなどのカフェインを取らないようにする。

飛蚊症発症前の僕は、夜でも平気でコーヒーを飲むような生活をしていました。

なので、寝つきが悪く、睡眠の質も悪く、平均睡眠時間は4時間半から5時間半だったと思います。

しっかり目を休ませることが出来ないばかりか、脳にも悪影響を与えていたと思います。

 

4⃣まとめ

僕は、今では全く飛蚊症を気にすることはありません。

でも、やっぱり先ほどお伝えした「飛蚊症の再発を防ぐためにやってきたこと」をやってこなかったら、また簡単に飛蚊症が再発していただろうと思っています。

目は、僕たちが思っている以上にデリケートで、盤石なわけではなく、簡単に病気を患ってしまいます。

人生100年時代と言われていますが、目の寿命はそこまで追いついておらず、70年だと言われています。

70歳を過ぎても、いろいろなものを見て人生を楽しむためには、若い時からのメンテナンスやケアは不可欠だと思います。

僕のこの文章が、今後の皆様の目の健康のお役に立てれば、これに勝る嬉しいことはありません。

 

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「松任谷正隆の素」を読んで その3

「「松任谷正隆の素」を読んで」前回からの続きとなります。

前回・前々回のブログは以下のリンクからどうぞ!

pilgrim1969.hatenablog.jp

pilgrim1969.hatenablog.jp

4⃣ 外食が怖い

松任谷正隆氏は、意外にも30代くらいまでは、外食がとても怖かったのだそうです。

今でこそあちらこちらのの最先端のオシャレなレストランに行って外食をしていますが、若い時までは気が進まず、もっぱら自宅で食事をしていたそうです。

 

正隆氏がそうなってしまった第一の原点は、小学校の時の学校給食だったそうです。例によってとてもまずかったらしく、「学校給食」という言葉を聞いただけで胸がムカムカし、胃は拒否反応を起こし、食べ物を受け付けなくなるのだそうです。
これは僕にもよーくわかります。
このまずい給食がどうしても食べられず、次の授業が始まっても1人だけ残されて、給食を食べさせられていたそうです。

その頃の先生はおそらく非常に貧しい戦時中をくぐり抜けた人が多かったと見受けられ、「お米の最後の一粒まできれいに食べなさい。農家の人の血と汗が詰まっているのだから大切な食べ物なんです。」というのが決まり文句だったそうで、世代は違いますが、僕の時代もさんざんそのような言葉を浴びせられ、無理やりマズい物を食べさせられていました。


でも、まずいものはまずいのです。

正隆氏いわく、色々な人間がいるわけで「理性が感性を超えられない人間」だっているわけで、特に小学生は感性の塊です。

このようなことがあったゆえ、正隆氏は集団でご飯を食べるのが嫌いになってしまったそうです。
前回のブログにも書きましたが、半ば登校拒否のようになってしまったのも頷けます。

 

5⃣ 母に連れていかれたレストラン

2つ目の原因は、意外にも毎週日曜日に正隆氏の祖母と母に連れていかれたレストランでの食事だったそうです。
とても変わった家庭だったようで、母親はほぼ毎日祖母のいる実家に里帰りしていたようで、レストランの食事には正隆氏と弟の2人が連れて行かれ、なんと父親だけ留守番だったそうです。
祖母のしつけはとても厳しかったようで、ナイフとフォークを置いたら給仕が持っていってしまうので、食べ終わるまではナイフとフォークを置いてはいけないと言われていたそうです。
正隆氏は、そのように細かく形にこだわって食べることには、とても抵抗があったようで、非常に苦痛だったそうです。

 

6⃣ デートでの失敗

そんな状態でしたから、高校に入って彼女ができても、一緒に食事に行くこともできず、悶々としていました。もちろん2人の関係性もなかなか進展する事はなかったそうです。
しかし、とうとう意を決して、クリスマスイブの食事に彼女を誘います。

2人で六本木に行ったそうですが、過去のトラウマの影響で、ものすごく緊張し、胃は重くなり、できれば今すぐ逃げ出したい気分でいっぱいで、とてもデートを楽しむどころではなかったそうです。

それどころか六本木中のレストランがみんな消滅してくれればいい、などと矛盾した考えで頭がいっぱいだったそうです。
結局、どこのレストランにも入ることができず、そのまま彼女とは別れ、自然消滅してしまいました。
その後、また彼女ができることがあっても、食事での失敗が原因で、なかなかうまくいかなかったそうです。

 

7⃣正隆氏に起こった大いなる変化

そんな正隆氏に変化が起こったのは、これも意外ですが、ユーミンとの結婚式の披露宴でのことだったそうです。
自分のことだから、例によって、またメチャクチャ緊張して、晴れの席で嘔吐…と思っていたそうですが、突然何かが吹っ切れて、料理を美味しく食べられるようになったそうです。
吹っ切れた原因は何だったのか、正隆氏は次のように語っています。

それまでレストランで働いている人たちは、全員自分よりも目上で、はるかに物知りでスマートなマナーを身に付けていると思い込んでいたそうです。

だから、レストランに入ったら、頭のてっぺんから足の先までジロジロと見られて値踏みされる、と信じて疑わなかったそうです。
ところがその日、宴会場のスタッフを改めて観察してみると、全員自分よりも年下かもしれないとふと思い、それで急に美味しく食べられるようになったのだそうです。

 

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昔一緒にやっていたバンド仲間と結成した「SKYE(スカイ)」2021年10月にファーストアルバム?が発売されました。今年2022年2月のユーミンの苗場でのライブに出演したそうです。

8⃣ まとめ

松任谷正隆氏の「外食が怖い」の原因については、多分に親や学校教育が深く関係していると思います。

正隆氏は70歳、僕は50代前半(2022年2月18日現在)で、年代は全く異なりますが、親や学校というものは、子供の感性など微塵も考慮することなく、自分たちの考えやエゴを押し付けるものだと思います。

そう考えると、僕たちの世代以下の親たちは、きちんと子供を見守っている人たちが多く、時代は変わったのだなあとつくづく感じます。

 

最後に、「外食が怖い」の章の最後に、正隆氏が言っていた言葉が印象に残ったので、ご紹介したいと思います。

「おいしいこととは何だろう?」と、小学生の時代から、そのことに悩み、苦しんできた、正隆氏ならではの含蓄のある言葉です。

 

「おいしい環境も人それぞれ、場所が違えば味も違う。目の前にいる人が違えば味も違う、と思うのは気のせいじゃない。気のせいじゃないどころか正解そのものだ。どこそこのハンバーグはどこそこのハンバーグに決まっている、味は同じだ、なんて決めつけるやつは、きっと空を見上げれば晴れか曇りか雨、しかないやつだろう。」

「今僕は、明日どこの店がおいしいだろう、ということよりも、明日何がおいしく感じられるだろう、という自分の方に興味がある。」

 

自分を大切にする正隆氏ならではの言葉ですね。

 

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「松任谷正隆の素」を読んで その2

松任谷正隆の素」を読んでの書評の前半をご紹介しました。

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前回の続きとなります。

2⃣ 学校に行けない

松任谷正隆氏は、小学生時代、自宅から学校まで、電車と都電を乗り継いで通学していたそうです。

自宅のある高井戸から、超満員の井の頭線に乗って、渋谷まで行き、そこから都電に乗り継いで行くのです。

学校に行くのは本当にイヤだったらしく、その上、むせかえるような暑さと超満員の電車に揺られ、渋谷まで行くのが限界で、駅長室に飛び込んで休ませてもらい、自宅と学校に電話してもらい、自宅に戻って休むということを頻繁に繰り返していたそうです。

正隆氏は「軽いパニック症状だったのかもしれない」と言っていましたが、僕も似たような状況だったので、非常によくわかります。(今でもそうですが・・・)

正隆氏は、集団行動は苦手だったらしく、満員電車や人混みが大嫌いだったそうで、基本的にサラリーマンには向かないタイプだったのでしょう。

その代わり、音楽家としては大成功しました。

「〜がダメだから、自分はダメな人間だ」というわけではなく、人それぞれ向き不向きがあるだけなのだろうと思います。

親からも理解してもらえず、病気とは一触即発状態だったらしく、自分だけの「神様」にお祈りし、独り言のように会話をしていたそうですが、結構追い詰められていたのでしょうか。

子供の頃からモノに興味を持っていたのは、このような自分の「闇」に怯えていたからこそで、楽しいことを見つけるために、モノに逃げていたと言っていましたが、氏のモノへのこだわりの原点がこのようなことだったとは、とても意外な気がします。

精神科医で作家の樺沢紫苑先生も言っていましたが、「ストレスフリー」の原点とはこういうことなのでしょう。

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松任谷正隆の素」の裏表紙 面影のある中学生時代の松任谷正隆

3⃣  憧れのモノとの再会

松任谷正隆氏は、いろいろなモノに興味を持っていましたが、とりわけカメラには並々ならぬ情熱があったそうです。

中学生時代、毎日途中の自由が丘駅で下車して、カメラ屋の店頭に展示している憧れのペンタックスのカメラを眺めていたそうですが、我慢出来ず、出来心で祖父の金を盗んで購入してしまいます。

結局家族にバレてしまい、大いに怒られて、取り上げられてしまいました。

時が流れて、40歳を過ぎた頃に、地方の質屋で偶然、そのカメラを見つけました。持っていたカメラと同一機種ではなく、その上位機種です。

しかし、持ち帰って触ってみた正隆氏は、感激するどころか、複雑な気持ちになってしまったそうです。

「こんなものをロマンティックに感じていたのか…」

おそらく、かなりの年月が経ってしまったので、現代のカメラと比べて「チャチ」だと感じてしまったのでしょう。

これは僕にもよーくわかります。

僕はオーディオが大好きで、たまにビックロ新宿店などの大型電機店に行くと、昔相当憧れていたオーディオコンポと再会したりします。

ラックスマンのプリメインアンプや、ヤマハの3WAYスピーカー、ナカミチの「ドラゴン」と呼ばれた高級カセットデッキデンオンの分厚いボディのアナログレコードプレーヤーなど…

でも、懐かしいとは思うものの、「今度こそ手に入れたい」と思わない自分がそこにはいたのでした。

iPhoneBluetoothスピーカーで、日頃手軽に良い音を楽しんでいる今の自分の心には、すでに響かなくなっていたのでした。

「ならば、あんな熱病に侵されたような気持ちだけでも心の中の画像として保存しておこう、と思った」と正隆氏は最後に言っていましたが、僕も同感であり、時間が経つと「モノへの思い」というものも変わっていくのだなあ、と少し寂しい気持ちになりました。

また長くなってしまったので、続きはまた次回にお話します。

 

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「松任谷正隆の素」を読んで その1

楽家松任谷正隆氏が、2017年秋に出版した「松任谷正隆の素」を読みました。
松任谷正隆氏は、言わずと知れたユーミンこと松任谷由実氏の夫であり、ユーミンの全楽曲の編曲及びプロデュースを行なっている、素晴らしい音楽家です。

1970年代前半にはあの細野晴臣氏が率いる「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレイ」のキーボーディストとして活躍していました。

 

最先端のファッションや車にも詳しく、1980年代の、僕がまだ中高生の頃、よくユーミンのレコードのライナーノーツを読むと、作詞作曲松任谷由実、編曲松任谷正隆と書かれており、それを見るといつも「この松任谷正隆と言う人はどんな人なんだろう?」「あのユーミンの旦那さんだから、さぞかしハンサムでカッコ良く、ちょっと理知的な雰囲気のする人なんだろう」と勝手に想像していました。

 

そして、大人になって松任谷正隆氏の書いた本を読むようになり、見事にそのようなイメージは崩れ去りました。
正隆氏の書く文章は、とてもニヒルな感じで、ひねりが効いていて、それでいて軽快で、なかなか面白いのです。
山手育ちながらなかなか庶民的な面もあり、普通の男がよく遭遇するような、しょうもないトラブルや恥ずかしい体験や思い、プライドや見栄のために大変な思いをしたり、有名人なのに普通に物欲に振り回されたり、そういったことを赤裸々に綴っていて、とにかく人間味あふれる人なのです。

 

この「松任谷正隆の素」は、そんな正隆氏の小学生時代から、中高生・大学時代までの、いわゆる氏の「自伝」的な話の内容となっています。

正隆氏をよく知らない人は、よく著名人というか、偉人にありがちな「武勇伝」的なものを想像すると思いますが、そこは正隆氏、とても「人間的」で、僕たち普通の男でも共感する内容なのです。

正直、親しみが湧いてきます。

 

前置きが長くなりましたが、読んで印象に残ったことを5つご紹介したいと思います。

 

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松任谷正隆の素」表紙 「ユーミンの夫・プロデューサー」というイメージとは正反対の内容が、正隆氏独特のユーモアあふれる文章で書かれています。
1⃣ オーディオは僕の育ての親

松任谷正隆氏は、幼少の頃からいわゆる「モノ」に対する興味がすさまじく、オーディオや時計、スニーカーやコート、万年筆や楽器など、その当時の最新のものに大変興味を持っていて、それらを研究し、手に入れようとする熱意は人並み外れていたようです。
その中でもオーディオは、正隆氏が「モノ」への興味を持ち始める出発点であり、格別の思いがあったそうです。
 
正隆氏がオーディオに目覚めたのは中学生の頃で、とても可愛がってくれた鎌倉に住む伯父が原因でした。
伯父は自分で秋葉原などに行って部品を調達してアンプを製作するのが趣味だったそうで、よくそばにいてその制作光景を見たり、部品を買いに行くのに付き合ったりしていたそうです。
そして製作したアンプの音について必ず正隆氏の意見を聞き、氏にとってはとても居心地の良い快適な時間だったそうです。
そんなある日、伯父の自作のアンプを譲り受け、その音に感銘を受け、徐々にオーディオに熱が傾いていったのだそうです。
 
伯父から自作のアンプを譲り受けた後も、正隆氏のオーディオ熱は覚める事はなく、オーディオ機器のラインナップは様々に変わっていきました。

やがて、音楽家として成功してユーミンと結婚し、一番やりたかった事はこの伯父に今現在持っているオーディオの音を聴かせる事でした。
伯父に育てられた自分の耳を確かめて欲しかったのだそうです。
マッキントッシュのアンプ、JBLのスピーカー、マイクロの糸ドライブのターンテーブルなど、錚々たるオーディオ機器を所有し、音も素晴らしく、正隆氏としてはまさしくこれが「ゴール」で、長い道のりだったそうです。
そしてこの境地に達し、正隆氏が心に浮かんできたのは、次の言葉でした。
 
「音は先入観ではなく、自分の好みで選ぶべきだ。」
「他人がなんと言おうと自分の好きな音が一番だ。好みが変化していくのなら、それは進歩ととらえればいい。」

この言葉に僕は深い感銘を受けました。
人はとかく欲しいモノに関しても、口コミやマスコミの宣伝、専門家の意見やデータなどに心を左右されがちですが、本当に大切なのは、「それを自分が好きか嫌いか」なのではないでしょうか。
楽家らしい正隆氏の見解ですが、これが結局のところ、何事も判断する基準ではないかと思います。

 

ここまでで、かなり長くなってしまいましたので、続きはまた次回にしたいと思います。

 

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