肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

辻仁成 絵画展 「Les invisibles 見えないものたち」

先日ご紹介した坂本龍一トリビュート展を観た後、小説家で音楽家・料理もプロ並みに腕がある辻仁成氏の絵画展「Les invisibles 見えないものたち」を観るために、新宿伊勢丹まで行ってきました。

 

一切撮影禁止(当たり前か)なので、ここではご紹介できませんが、僕個人としてはとても素晴らしいと思い、感銘を受けました。

僕は特別絵画に詳しいわけではなく、完全など素人なのですが、作風に関してはピカソのような「抽象画」(間違えていたらすみません・・)という感じでしょうか。

僕個人としては好みなのですが、おそらくこういった作風は人それぞれの好みが分かれると思います。

ただ、その難解な印象の抽象的な絵画の中に、辻仁成氏なりの現代の混沌とした不安定な世界に対する想いがひしひしと感じられ、写実的ではないからこそ、感じるものがありました。

 

辻仁成氏は現在フランスに在住する、元々小説家で音楽家で、最近ではテレビで料理の腕も披露するなど、とてもマルチな才能を発揮していますが、絵画は全くの素人だったそうです。

ただ、あくまでも自分のプライベートな趣味として絵画を描き続けていて、以前から親しかった有名な画家である千住博氏に見せたところ、「ぜひ個展を開いた方がいい」と強く勧められ、今回新宿伊勢丹での初めての個展を開くこととなったのだそうです。

本人は素人である自分絵画の個展を開くことについて、いろいろと心配なことがあったようで、愛着のあった自分の作品が売れて他人の手に渡ってしまうことについての寂しさ、反対に個展を開いたもののほとんど客が入らず、全く売れなかったらどうしよう、などといろいろと考えあぐねていたそうです。

でも、僕が観に行った2月29日の夕方の時点で、ほぼ8割くらいの絵画は売約済となっていたと思います。

本日の時点で全て完売したと聞きました。

僕も妻もかなり気に入った絵画がいくつかあったのですが、比較的小型の絵画でも44万円(税込)でしたので、なかなか手が出せず、泣く泣くあきらめざるを得ず、代わりに画集(11,000円(税込))を購入して我慢することにしました。

 

残念ながら、この画集も昨日の時点で売り切れとなってしまったとのことでした。

この画集は辻仁成氏が自費出版でとても苦労して作成したとのことで、増刷は出来ないとのことでした。

 

好みは分かれるとは思いますが、一度この機会にあの辻仁成氏の絵画(しかも原画)はぜひ見ておいて損は無いかと思います。

3月5日(火)まで新宿伊勢丹本館6階アートギャラリーで開催されていますので、ご興味のある方はぜひ観に行ってみてください。

www.mistore.jp

坂本龍一トリビュート展

昨年2023年12月16日から東京・初台の東京オペラシティタワー4階のNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で開催されている「坂本龍一トリビュート展」を観に行ってきました。

 

 

坂本龍一氏は生前音楽とテクノロジーとのかかわりにとても深い関心を持っていました。

現代美術いわゆるメディアアートの分野でも、カールステン・ニコライ氏,高谷史郎氏,真鍋大度氏,毛利悠子氏といったアーティストとのインスタレーション制作などを行い、多くの作品の制作を行なってきました。

この分野でも多くの功績を遺してきた坂本龍一氏に敬意を表する意味で、このようなイベントが開催されたとのことでした。

なので、主にメディアアートに関する坂本龍一氏へのトリビュートであり、その他の坂本龍一氏の作品やYMO時代の作品などについてのトリビュートはほぼ無いことに注意した方がよろしいかと思います。

 

僕はほとんどメディアアートについての知識は無いので、観たままをそのまま述べたいと思いますが、なにぶん稚拙な話になってしまうことはご容赦ください。

 

僕の印象を一言で言ってしまうと、「ザ・アート」という感じであり、現代美術~メディアアートにある程度精通していないと、ちょっと難解かもしれません。

 

 

まず狭いエントランスの中に入ると、真っ暗であり、黒いカーテンのような仕切りをめくると、真っ暗な中に大きなスクリーンがあり、電磁波のようなもので描かれたような「図形」が映し出されていました。

その「図形」のようなものは、絶えず姿形を変えて、映し出されていました。

「○○〇MHz」と数値が数秒おきに表示され、どうやらその数字に合わせて変化しているように見受けられました。

何とも神秘的な光景で、初めのうちはとまどっていましたが、観ているうちに気分が落ち着いてきて、見入ってしまいました。

 

ずっと見ているうちに、なぜか気分が落ち着いてきました。
他の方々も結構集中して見入っていました。

 

反対側へ、また黒いカーテンのような仕切りをくぐって入ってみると、そこにも真っ暗な中に大きなスクリーンがあり、生前の坂本龍一氏がピアノを弾いている姿が映し出されていました。曲は「Perspective」や「Aqua」などを演奏していました。

映像に微妙にノイズを織り交ぜているため、電波が不安定で映像が揺れている演出が施されており、それがまるで異次元の世界に行ってしまった坂本龍一氏の演奏している姿に見えてしまうような錯覚を起こしました。

 

まるで異次元空間で演奏する坂本龍一氏のようでした。

 

黒いカーテンのような仕切りをくぐって、奥の方に出ていくと、そこは明るく広々としたエリアになっていて、中央にヤマハのグランドピアノが置かれており、その上に白い短冊のようなものが吊るされていました。

 

 

坂本龍一氏が東日本大震災後に対面したあの「津波ピアノ」かと思ったのですが、どうやら違うらしく、メディアーティスト毛利悠子氏の作品のようでした。

四方の壁に、様々な作品が展示され、入って向かって奥の壁には、メディアアート作品をレコード化して16枚をセットにしたと思われる(違っていたらすみません)「Dumb Type+Ryuichi Sakamoto(Playback 2022)」の作品の白い色をした16枚のレコードが個々に展示され、それぞれに関わったアーティストのコメントの文章も記載されていました。

ソニーの超高級アナログプレーヤーに白いレコードが乗っている展示もありました。

これらだけは、なぜか撮影禁止とのことでした。

 

向かって左側には、モニターが2台、それぞれ映像を映し出していました。

ひとつは「alva noto+ryuichi sakamoto(insen live (short))」の2006年のライブ映像、もうひとつは「alva noto+ryuichi sakamoto(try-out : behind the scene of utp_ )」の2001年頃と思われるドキュメンタリー映像が映し出されていました。

その横にはヘッドフォンが十数台ほどでしょうか、置かれており、十数人の方がヘッドフォンをしながら、それらの映像に見入っていました。

あまり観たことが無いレアな映像でした。

 

向かって右側には、写真やドローイング(イラストレーションのようなもの)が展示されていました。

高谷史郎氏の撮影した写真と思われる「Piano 20110311」これは「津波ピアノ」と思われますが、展示されていました。

その横に、坂本龍一氏のこの津波ピアノに関連したコメントが壁に書かれていました。

「もとはモノだったものが、人によって変形され、時間とともに、あるいは巨大な自然の力によって、またモノに還っていく・・・・・」

東日本大震災後の現地で見た惨状、「津波ピアノ」を見た後、坂本龍一氏は生前ずっとこのような考えが頭を離れなかったそうです。

 

 

また、坂本龍一氏生前最後に発表されたオリジナルアルバム「12」のジャケットのためのドローイングを制作したLEE Ufan氏の、ドローイングが数点展示されていました。

ひとつは、「12」のジャケットの元となったドローイングで、実際のジャケットはこれを13度の角度に傾けて完成させたのだそうです。

 

 

もうひとつは、坂本龍一氏の病気平癒を願って個人的に贈られたドローイングだそうで、裏面にはLEE氏からのメッセージが書かれているそうです。

 

ずっと眺めていると、本当に調子が良くなってくるような気がしてきました。

LEE Ufan氏から坂本龍一氏への病気平癒を願う個人的なメッセージ

 

そして、最後に手前側の一面一帯は、坂本龍一氏とこのメディアアートをずっと主催してきたICCとの関連年表や、様々な著名人たちの追悼コメントや様々な興味深いテキストなどが掲示されていました。

 

以上、簡単ではありますが、掲示してあるものを大まかに、ご紹介しました。

他にもご紹介したい展示物はたくさんありました。

とてもシンプルな内容ですが、メディアアートを通して坂本龍一氏が訴えたかったことがとてもよく伝わったと思います。

 

ギャラリーは5階ですが、4階のエントランス付近にはグッズショップもあり、あまり市販の書店やレコード店などでは手に入りずらい書籍やBlu-rayソフト・CD・レコードなどが置いてあります。

 

2009年に思想界の巨人である吉本隆明氏と対談した内容を収録した「音楽機械論」(ちくま学芸文庫)、これはなかなか入手しずらいので、思わず買ってしまいました。

 

3月10日(日)まで開催しており、今日2日(土)、3日(日)、来週週末の8・9・10日は、20時まで延長して開催していますので、坂本龍一氏のメディアアートに少しでもご興味のある方は一度行ってみることをお勧めします。

 

↓ 公式サイトです。

www.ntticc.or.jp

 

 

人事部長と直属上司との面談後の年始の状況

このところ、最近読んだ本の書評や、ライブの鑑賞レポートなどが立て込んで、僕の休職後のことについてお話していませんでしたが、軽くお話したいと思います。

前回は年末の状況についてお話しましたが、今回は年始の状況についてお話したいと思います。

 

年が明け、元旦は午前9時ころに目が覚めたと思います。

私は占いやスピリチュアルなどはあまり信じていない方でしたが、歳をとってきたせいか、だんだんそういったものにも興味を示すようになり、ゲン担ぎにも興味が湧いてきました。

僕が参考にしている四柱推命と西洋占星術を融合させたサイトによると、2023年の大みそかで幸運をつかさどる木星が逆行を終え、2024年に入ったと同時に解放感に満ち溢れた雰囲気になるとのことでした。

また、2024年の元旦は、天赦日(てんしゃにち)・一粒万倍日・甲子・建という超縁起の良い暦と重複した、ありえないほどの大幸運日とのことでした。

午前中に神様をお迎えする準備などを行い、午後は近所の氏神様である神社に妻と初詣に行き、きちんと参拝して、お札やお守りを買って、甘酒をいただき、清々しい気持ちで帰ってきました。

帰り際、近所のバーミヤンで美味しいずわい蟹のチャーハンを食べていたら、急に建物が大きく揺れ出して、ビックリしました。

揺れはしばらくすると収まりましたが、スマホで情報を調べ、能登地方で大地震が発生したとのことでした。

翌日には、羽田空港でも大きな事故があり、新年早々二日続けてこのような大惨事が起こると、さすがに僕のメンタルにも悪影響を及ぼしました。

幸い年が明けてからは熱が下がり、鼻詰まりもだんだん緩和されて、後は鼻水と咳だけとなりましたが、気分的にはなんとも落ち込んだ感じになり、メンタル的は重苦しい感じの日々が続きました。

 

そのうちに難病を患っている妻にも僕の風邪をうつしてしまったようで、妻も発熱を起こし、僕と同じ症状を患ってしまいました。

正直、プライベート的にも、社会状況的にも重苦しい雰囲気の漂った2024年の年明けとなったのでした。

人事部長と直属上司との面談後の年末の状況

このところ、最近読んだ本の書評や、ライブの鑑賞レポートなどが立て込んで、僕の休職後のことについてお話していませんでしたが、軽くお話したいと思います。

 

昨年12月26日に会社の人事部長と直属上司との面談が終わった後、27日・28日はリモートワークで自宅で仕事をしていました。

次回1月9日に初出勤する時に、同じ部署の方たちに引継ぎをして、主な取引先にもしばらく休職することを報告し、その翌日から正式に休職することが決まり(2月8日までは有給休暇の消化となりますが)、内心かなりホッとしました。

 

直属上司のA部長からは、チャットで連絡がありました。

「休職するまでに、漏れが無いように、完璧な状態にしておいてください」

何か労いの言葉があるわけでもなく、ただこのような文章がポンとチャットで送られてきただけでした。

僕はちょっとガッカリしましたが、まあ、彼は8歳も年下でまだ40代です。

「ほとんど病気らしい病気もしたことがないので、病気になった人間の気持ちなどわからなくて当然だろう」

「それに僕がしばらく休職することによって、かなりの重荷が彼にも掛かってくるので、そのように言ってくるのも仕方ないだろう」

こう思うようにしました。

 

休職が決まってホッとしすぎたのか、27日の午後あたりから急に喉が痛くなり始めました。

「風邪かなあ?」と思っていたのもつかの間、翌日の朝には38度を超える高熱となり、リモートワークだったので、数時間ベッドに入って寝て、少し調子が良くなってきたら、また仕事をする、ということを繰り返して、仕事納めである28日をやり過ごしました。

 

そして、退勤時間の午後7時ころに、チャットにその日の業務報告をして、「今年は大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。来年は適応障害でしばらく休職することになり、大変ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。」というような挨拶のような文章を送りました。

この共有チャットには、同じ部署の直属上司のA部長、I課長、O主任の他に、管掌取締役のD取締役も入っているのですが、特に誰からも労いの言葉はありませんでした。

「まあ、職場の人間関係なんて、こんなものか・・・」

僕は高熱でフラフラになった頭でそう思うことにして、会社のスマホもパソコンも閉じて、2023年の仕事納めとしました。

まあ、会社の人間関係とはこんなものだし、そもそも「メンタル疾患」というもの自体があまり認知されていないのは仕方のないことでしょう。

基本的に僕の会社は20代から30代の若い人が多く、健康な人が多く、病気のことについてよく理解している人は少ない傾向にあります。

 

僕は翌日29日には37度台まで熱が下がりましたが、30日には再び高熱がぶり返して38度台となり、かなり鼻が詰まって呼吸も困難な状態が続き、大みそかまで絶不調な状態が続きました。

こうして、僕にとって激動であり、大変だった2023年が終わりを告げたのでした。

ゆるく生きれば楽になる~60歳からのテキトー生活 和田秀樹 その5

クソ真面目で完璧主義な僕にとって、ピッタリの本に出会いました。

前回の続きです。

 

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4⃣ 一つのことに執着すると大事に至る

「ゆるく生きられない人」は、何か些細な一つのことが気になった時、そのことばかりが気になってしまい、心に余裕が無くなって、その結果本当に重要なことを忘れてしまって、慌てふためいて失敗する、ということがあります。

 

何を隠そう、僕もその一人です。

僕は「配置フェチ」というか、物が自分の納得するように整然と並んでいたり、収納されていないと気が済まない、という何とも面倒くさい性癖を持っています。

旅行や出張などに行く時も、着替えの服や洗顔グッズ、スマホやパソコンなどのモバイルグッズなど、綺麗に仕分けして収納するのですが、あまりにもそういうことばかりにこだわってしまい、肝心のパスポートや鉄道の乗車チケットなどを忘れてしまい、慌てふためいて、途中で引き返して取りに行き、乗り遅れる寸前に陥ったことを何度か経験しています。

 

本書では、電気の消し忘ればかり気にするくせに、やかんを火にかけてそのまま忘れて空焚きになって火事寸前になった例が載っていましたが、やはり物事は「程度」というか「バランス」を考えることが重要だと思います。

パスポートや鉄道の乗車チケットを忘れてしまったら、旅行や出張に行くことは不可能ですが、スーツケースの中が多少乱雑になっていたとしても、大して大事には至りません。

空焚きになって火事になってしまったら全財産を失う恐れがありますが、多少電気が点けっぱなしになっていても大した大事には至りません。

こういったことは他人事ではないと、この本を読んで改めて認識しました。

 

「何がいちばん重要なのか」きちんと考えて、要領よく進めることが何事も重要ですね。

 

また、別の例として、試験問題の解き方や仕事の進め方についても解説しています。

日本人は基本的に真面目な国民なので、何事も100点満点を目指し、全力を尽くして頑張ろうとしてしまいます。

あれもこれもと手を伸ばし見て回った結果、どこがいちばん重要な部分なのかわからなくなってしまい、結局肝心な部分を見落として、「枝葉の部分」ばかりを一所懸命やってしまい、結果的に成果が上がらなかったということがよくあります。

 

仕事でも上司やクライアントの要求していることだけに絞って注力すればよいものを、何でもかんでも手を広げて頑張ってしまうので、結局「こういうことをお願いしたわけではないのだけれど…」などと言われて、評価が下がってしまうのです。

 

精神科医で作家の樺沢紫苑氏は、何かの課題に取り組むときは、最初は「30点」を目指せばよいと言っています。

まずは、30点くらいの超ゆるい感じで骨組みを作る、そこで上司やクライアントに方向性を再度確認する、方向性が間違っていないとわかればそのまま進めていき、70点くらいのところで再度上司やクライアントに確認する、それで問題無ければそのまま肉付けしていき、最終的には100点満点を目指さなくても良く、85点くらいでも上司やクライアントは満足するのだということです。

 

次回のブログに続きます。

 

 

QUEEN+ADAM LAMBERT THE RHAPSODY TOUR IN TOKYO DOME 20240214 その3

先日2024年2月14日、東京ドームで行われたQUEENADAM LAMBERT による「THE RHAPSODY TOUR」の最終公演ライブを観に行きました。

前回の続きです。

 

pilgrim1969.hatenablog.jp

 

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5⃣ ライブ後半の流れ

ブライアン・メイアダム・ランバートによる日本へのオマージュ曲「 TEO TORIATTE 「手をとりあって」が終わり、二人がステージを去ると、ロジャー・テイラーのドラムを叩く姿が大型モニターの映像に大きく映し出されました。

前回4年前のさいたまスーパーアリーナでも披露されましたが、御年74歳になってもロジャーのドラムと高音の美声は健在でした。

激しいドラム・ソロを披露した後、ブライアンとアダム君が再び現れて、1981年のデヴィッド・ボウイとのデュエット曲にして大ヒット曲であった「Under Pressure」が演奏されました。

そして、ドラムを叩きながら、高らかな美声で歌う姿は健在でした。

聖歌隊にいたことによる美声は抜群で、アダム君と見事な掛け合いを演じていました。

 

ドラム・ソロの後、「Under Pressure」ではドラムを叩きながら、
デヴィッド・ボウイのパートの見事なボーカルを披露してくれました。

 

ブライアン・メイも今年でなんと76歳となるのですが、そのギタープレイは全く衰えていませんでした。

「Tie Your Mother Down」「Crazy Little Thing Called Love 」「Who Wants to Live Forever 」と3曲を披露した後、今度はブライアンによる長いギター・ソロが始まりました。

 

天文学者でもあるブライアンらしい、瞬く星々を背景に演奏する素晴らしい演出でした。

 

さすが天文学者でもあるブライアンらしい幻想的な演出で、様々な星が美しくいくつも浮かび上がる背景の前で、すばらしいギター・ソロを披露してくれました。

途中で隕石が現れ、その隕石の上で演奏するような演出も見せてくれました。

ギター・ソロの中で、日本びいきであるブライアンらしく「さくらさくら」を披露し、またクラシックの名曲「新世界「第二楽章」家路」も披露し、まるでクイーンのライブであることを忘れてしまうような、ブライアンの素晴らしい演出でした。

 

まるで隕石の上で演奏しているかのような幻想的な光景でした。

 

ブライアンのギター・ソロが終わると、再びアダム君他バンドメンバーたちが現れ、1984年にリリースされた「Works」に収録され、あの「Live Aid」(1985年)の夜の部でも披露された「 Is This the World We Created…? 「悲しい世界」」がしっとりと演奏されました。

この曲はクイーン時代、クイーン+アダム・ランバート時代も含めて、ほぼ演奏されたことが無いと思いますが、この曲が選ばれた背景は、歌詞を読むとわかるのですが、クイーン+アダム・ランバートなりの現在の不穏な世界情勢に対する彼らなりの見解のような気がしてなりません。

 

 

その後、派手なイルミネーションが印象的だった「A Kind of Magic」、2023年大みそかの「紅白歌合戦」に特別出演して披露された「Don’t Stop Me Now」、クイーン時代からの美しい人気ナンバー「Somebody to Love」と続き、アダム君の圧巻の歌唱力を見せつけられました。

 

そして、「終末」「無常感」を感じさせる「The Show Must Go On」が演奏され、ステージの大画面モニターに映し出された「城」をイメージしたイルミネーションがみるみるうちに崩れていく様を現した演出はとても素晴らしかったです。

 

この曲が演奏されたので、これでひとまず終わりか?と思ったのですが、しばらくしてすぐにアダム君・ブライアンが現れ、クイーンの代表曲にして永遠の名曲「Bohemian Rhapsody」が演奏されました。

この曲はフレディ・マーキュリーがピアノを演奏しながら冒頭のパートを歌うので有名ですが、そういったことをしなくてもアダム君はこの曲でさえ「自分のもの」にしているような感じを受けました。

そして、アダム君をはじめ、メンバーはステージを去っていったのでした。

 

 

6⃣ アンコール

いきなり大画面モニターにフレディが現れ、有名な「Ay-Oh」の叫びが起こりました。

会場はすぐさまこれに呼応して、「Ay-Oh」と叫び、フレディ存命中のクイーンのライブを想起させる「Ay-Oh」の大合唱が続きました。

これは前回には無かった演出で、とても良かったと思います。

まるでフレディが本当に生きているのかと錯覚させられました。

 

フレディの「All Right !」の叫びと共に、メンバーたちが再びステージに現れました。

そして、かの印象的なドラムのリズムをロジャーが刻み、アンコールの定番曲である「We Will Rock You」の演奏が始まると、会場は総立ちになり、「We Will Rock You」の大合唱となりました。

 

 

曲が終わり、「We Are the Champions」が始まると思ったのですが、突然ライブの冒頭で演奏された「Machines (or“Back To Humans”)」~「Radio Ga Ga」が再び演奏され、大画面モニターに「機械人間」たちが再び現れたのには、かなり意表を突かれました。

会場も呆気にとられたような感じでした。

「Radio Ga Ga」では再び大合唱となり、曲が終わると、何事も無かったように、アンコールの定番曲「We Are the Champions」のイントロが流れると、会場の熱気は最高潮に達しました。

 

 

皆両手を上げて左右に振りながら、東京ドーム中に「ウィー・アー・ザ・チャンピオーン!!」の大合唱がいつまでも続きました。

そして、アダム君の元にブライアン・ロジャー・他のメンバーたちが集まり、四方八方の観客にちぎれんばかりに手を振って、ステージを後にしたのでした。

 

 

アンコール含め、全25曲、2時間半近くに渡る、超充実した最終公演のライヴでした。

今回のライブでは、アダム君はフレディをリスペクトしながらも、全ての曲を本当に自分のものにしたという自信にあふれているような感じを受けました。

ブライアンもロジャーも70代中盤に差し掛かりながらも、衰えを感じさせない演奏には感動と共に安心しました。

年齢的に今回のライブが最後ではないかとしきりに言われていましたが、いつの日にかまた日本に来てくれることを願っています。

 

 

 

 

QUEEN+ADAM LAMBERT THE RHAPSODY TOUR IN TOKYO DOME 20240214 その2

先日2024年2月14日、東京ドームで行われたQUEENADAM LAMBERT による「THE RHAPSODY TOUR」の最終公演ライブを観に行きました。

前回の続きです。

 

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3⃣ オープニングの斬新さ

クイーンのライブはそのステージのイルミネーションの素晴らしさに目を見張るものがありますが、クイーン+アダム・ランバートとなってからもその素晴らしさはしっかり継承されていました。

今回の東京ドームのライブは、前回2020年のライブを上回るものとなりました。

 

約10分遅れでライブが始まったのですが、そのオープニングが前回とは違う斬新さがありました。

「Machines (or“Back To Humans”)」(「Works」1984年リリース)のイントロが流れ出すとともに、ステージ中央の円柱状の構築物が光を放ち始め、AIを思わせる機械人間たちの映像が出てきました。

 

その機械人間たちの映像がステージ上から消えたと同時に、パッと映像が切り替わり、クイーン+アダム・ランバートのメンバーが映像に現れ、往年のクイーンの代表曲の一つである「Radio Ga Ga」(この曲も「Works」1984年リリース)へとつながりました。

どちらもロジャー・テイラーの曲であり、彼の発想から生まれたオープニングなのでしょうか?

とても斬新でした。

 

4⃣ ライブ前半の流れ

「クイーン+アダム・ランバート」として、2012年から全世界ですでに300公演近くやっており、コンビネーションは抜群でした。

「Hammer to Fall 」「Fat Bottomed Girls 」「Another One Bites the Dust 」と、往年の名曲群を立て続けにそつなく演奏し、アダム君の歌唱力は相変わらず抜群でした。

ステージ上でのブライアン・メイとアダム君の「からみ」もなかなか良い雰囲気でした。

 

その後、ロジャーテイラーが自身の曲「I’m in Love With My Car 」をドラムを叩きながら熱唱しました。

前回も演奏しましたが、大画面モニターの映像に映し出されたロジャー・テイラーの、ドラムを激しく叩きながら熱唱する姿は、とても74歳とは思えない溌溂とした姿でした。

 

自身の曲「I’m in Love With My Car 」をドラムを叩きながら熱唱するロジャー・テイラーの勇姿

 

その後の「Bicycle Race」では、あの特徴あるメロディとコーラスに合わせて、アダム君は超豪華なバイクを回転させて乗りながら、歌っていました。

前回と同じですが、ド派手な演出には感心しました。

 

そして、日本でとても人気のある、フレディ・マーキュリーのさわやかで情熱的なソロ・ナンバー「 I was Born to Love You」をアダム君は情感たっぷりに歌い上げ、 「 I Want It All 」へと続いて、いったんアダム君はステージから姿を消しました。

 

そして、代わりにブライアンがひとりアコースティックギターを携えて、ステージ中央のイスに座り、フレディが元婚約相手だったメアリーに捧げた曲だと言われていた「  Love of My Life」(「A Night At The Opera」1975年リリース)を弾き語りでしっとりと歌い始めました。

途中からブライアンの「一緒に歌ってください」という意外と流暢な言葉が投げかけられて、会場は大合唱となりました。

やがて歌声がフレディの声に変わり、大画面モニターにフレディの生前の姿が現れました。

前回と同じ1986年の「ザ・ミラクル・ツアー」の頃と思われる可愛いキャラクターがプリントされたTシャツを着たフレディが、まるで本当にステージの上にいるかと思わせる臨場感を持って歌い上げるので、「まだ生きていて、そこにいるのではないか?」と思わせるほどでした。

曲が終わり、大画面モニター上のフレディが別れの素振りと共に去っていき、ブライアンがまた流暢な日本語で「ありがとう」と言いました。

 

そして、そのまま「TEO TORIATTE 「手をとりあって」」(「A Day At The Races)1976年リリース)をまた弾き語りで歌い始めました。

この曲は、日本に愛着を持ったクイーンが 日本のために作った曲で、日本語で歌われています。

ブライアンが流暢な日本語でワンコーラスを歌った後、突如アダム君が現れて、ツーコーラス目を歌い始めたのにはびっくりしました。

 

ブライアン・メイアコースティックギターの演奏に合わせて、「TEO TORIATTE 「手をとりあって」」を日本語で歌うアダム・ランバート

 

ここは前回とは違う演出でした。

かなり練習したのでしょうか。

なかなか上手い日本語で、素晴らしい歌唱力で、堂々と歌い上げてくれました。

そして、二人がステージから去った後、ロジャーのドラム・ソロが始まるのでした。

 

後半のもようは次回のブログで!