肥満と薄毛からの脱出!「背水の陣」に直面した中年男の日記

肥満と薄毛の話題だけではなく、趣味の読書・音楽・映画などのご紹介もしますよ。

休職中の4回目の精神科受診

休職してから3ヶ月が経とうとしていた4月6日、休職中の4回目の精神科受診に行ってきました。

前回からの続きです。

 

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今回は主治医のK先生に傷病手当金の支給申請書を書いてもらうため、きちんと準備をしました。

また、5月の中旬には復職したいと考えており、K先生に現状の僕の状態をきちんと伝えたいため、話したいことをあらかじめスマホのメモ欄にメモしていました。

約束の時間のかなり早めの25分くらい前にクリニックに到着し、話したいことをメモした画面を見たりして、準備していました。

 

そんな感じで20分ほど待ったころ、名前を呼ばれ、診察室に入っていきました。

僕はやっぱりメンタルが不安定で、不安障害があるのでしょうか。

すぐに傷病手当金支給申請書の原本をバッグから取り出して、手に持ち、話したいことをスマホにメモしたので、それを見ながら話すことをK先生に告げました。

 

K先生より、この約1ヶ月間の状況がどうだったか質問されました。

僕は堰を切ったように、この約1ヶ月間の状況を話し始めました。

①体調やメンタルはまだ不安定なところはあるが、少しずつ良くなっていることは感じている。但し、不安になることは増えてきて、リーゼはほぼ2日に1回飲んでいる。

②睡眠は平均7時間程度は取れているが、寝つきは日によって不安定なところはあり、睡眠剤のロゼレムはほぼ2日に1回は飲んでいる。

リーゼもロゼレムも1月から2月より摂取量は増えてきている。

これに対して、K先生は答えました。

「リーゼもロゼレムも摂取量は以前よりは増えてきているということですね」

「ただ、これらの薬は毎日指示したとおりに飲んでください」

それを聞いて、僕は(あーー、そうなんだ)と思いました。

「睡眠剤のロゼレムは依存性は無いので毎日飲んでも問題無いです。リーゼは多少依存性はあるので、絶対とは言いませんが、出来るだけ毎日飲んでください」

 

僕は承諾し、その後いちばん話したいことを話そうと思いました。

それは、この1ヶ月間、高尾山や鎌倉、立川の昭和記念公園など、比較的遠くて人が多いところにも行けるようになったのではあるが、まだ人ごみに関しては結構な抵抗感があり、他人が近寄ってくるだけで不快感を通り越して、怒りが込み上げてくることが多々あることでした。

例えば、①電車の座席に座っている時に隣に座られること、②駅のホームで電車を待っている時に、他のラインは結構空いているのに、わざわざ僕の後ろに並ばれること➡これに関してはK先生も(これはわかる気がしますが・・・)とポツリと答えました。

その他、歩いている時、車を運転している時でも、後ろに付かれると、なんか尾行されているような不快な気持ちになることなど・・・

以上の傾向があることは妻にも指摘されていました。

「このように不寛容になるというか、許容範囲が狭くなってくることは、メンタル疾患患者の特徴なのでしょうか?」

 

僕のこれらの話を聴いて、K先生は顔をしかめ、少し考えてこう言いました。

「・・・かなり過敏になっている傾向がありますね・・・」

「以前からそういう傾向はありましたか?」

僕は答えました。

「3~4年ほど前からそういう傾向が出てきて、昨年あたりからひどくなってきました」

すると、K先生は静かにこう答えました。

「メンタル疾患になると、余裕が無くなってくるので、不寛容な傾向になることは確かであり、それほど珍しいことではありません」

「ただ、お話を聴いていると、やはりかなり過敏になっていると思われます」

「興奮させる物質であるノルアドレナリンの放出を抑える薬を飲むなど、新たな薬を処方して飲んだ方が良いと思われますが、お聞きしたところリラポンさんは毎年今の時期は心身ともに不安定になる時期であり、今のところ新たな治療を始めるのは控えた方が良いでしょう」

「よって、もう少し様子を見てみましょう。調子の悪くなる時期を脱して、その時に必要であれば新たな薬で治療してみましょう」

「すでに処方しているリーゼはそのようなノルアドレナリンの放出を抑える作用は無く、お酒と同じように酔わせることによって細かいことを気にならなくさせる薬です」

 

K先生の話に納得して、僕はさらにこの1ヶ月間の近況を話しました。

「先生のおっしゃる通り、かなり過敏になっていることもあり、不安が強くなっており、それが原因なのか、日々のルーティンとして日記を書いたり、語学の勉強をしたり、運動などはほぼきちんと毎日やっています」

「また、以前はあまり気が進まず、なかなか出来なかった面倒な書類作成などがだんだんと出来るようになってきました。医療費控除の確定申告など結構面倒くさいのですが、これもやり遂げました」

「まだ不安定ではありますが、5月中旬頃には復職したいと考えていて、心と身体を整えていきたいと考えています」

これらの話を聴いて、K先生は言いました。

「次回の診察では、再度復職延長の診断書を書くか、復職に向けての話をする必要があります。復職OKという診断書を書くことも問題ありません」

僕は答えました。

「仮に復職する場合、事前に会社の産業医の面談が必要なので、なるべく早めの日付での診察をお願いしたいと思います」

K先生と話し合い、次回の診察は3週間後の4月27日となりました。

そして、傷病手当金支給申請書もその場で書いてもらい、会計の時に窓口から受け取ることが出来ました。

 

次回はいよいよ復職に向けた具体的な話となります。

 

 

 

休職中の生活 その5 傷病手当金について

「えっ?!マジかよ・・・・・」

3月25日になり、僕は不安な気持ちを抑えながら、自宅のパソコンを立ち上げ、給与明細のサイトを立ち上げ、3月25日支給の給与明細書のデータを確認しました。

僕はその支給額を見て、驚きとともに愕然とするのでした・・・

前回からの続きです。

 

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住民税や厚生年金などが差し引かれた後の給与明細書の支給額は、いつもの差引後支給額の10分の1にも満たない額でした。

傷病手当金の額は、通常の給与の額のだいたい3分の2と言われています。

「こ・これは・・・」

僕の不安は的中し、すぐさまいつもやり取りしている人事部長にメールを送りました。

「給与明細額を確認しましたが、これは8日間の有給休暇の支給額と残り21日間の傷病手当金の額を合算した額なのでしょうか?」

 

それからしばらく数時間の間、メールの返信は無く、僕はどうしたものかと考えあぐねていましたが、約3時間後の夕方頃に返信がありました。

返信の内容によると、やはり振り込まれた金額は8日間の有給休暇の支給額のみであり、それ以降の休職期間についての傷病手当金については別途申請が必要とのことでした。

僕はそれを確認して、ホッとすると同時に、

「なんだよ・・それだったら休職する前にひとこと言って説明してくれよ・・」

と半ばあきれた気持ちになりました。

しかも社内共有チャットに、詳細の内容と申請書原本のデータを送ったので、確認して欲しいということでした。

でも、僕は休職前に、社用パソコンと社用スマホは返却してしまっているので、確認のしようがありません。

そのことについてと、申請書原本と詳細概要を郵送で送ってほしいことをメールで返信しましたが、以降返信はありませんでした。

 

翌朝、ふと社内共有チャットのアプリのIDとパスワードは控えてあるので、このアプリを自宅のパソコンにインストールして確認できるのではないかと気づき、インストールしてIDとパスワードを入力したら、確認することが出来ました。

チャットを開くと、休職してからの約2ヶ月半以上のおびただしい数の連絡がはいっていましたが、それらはすべて無視し、やっと労務課からの傷病手当金に関する詳細の内容と申請書原本のデータを確認することが出来ました。

そのことを再度人事部長にメールで伝えましたが、相変わらず返信はありませんでした。

 

傷病手当金に関する詳細を確認しましたが、なにやら面倒くさそうだったので、しばらく放置していたところ、数日後に会社の労務課からレターパックで、傷病手当金に関する申請書類一式の原本が送られてきました。

僕はそれを元に自分が記入する必要があるところを記入し、わからないところは会社の労務課に質問してやり取りをして、とりあえず記入を済ますことが出来ました。

主治医が記入しなくてはならない書類は、4月6日の診察日にお願いすることになります。

 

僕は以前にも末期ガンで入院して休職したことがあり、その時のことを思い出しました。

その当時は前職の会社に在籍していた時でした。

たしか、あの時も傷病手当金のことについては会社側からは説明が無く、別の情報で傷病手当金が支給されることを知って、こちらから(入院している僕に代わって妻が)電話で会社の総務人事部担当者に確認していたことを思い出しました。

その時も当時の会社の総務人事部担当者から、「傷病手当金のことについてはこちらの管轄ではないのですよ」と言われましたが、末期ガンで差し迫っていた状況もあり、総務人事部担当者から必要な情報を入手し、手続きをお願いした記憶があります。

おそらく健康保険組合に直接連絡して確認してほしいということなのでしょう。

でも、こちらとしては初めてのことであり、滅多に無い緊急事態でもあるので、そんなイレギュラーなことは把握しているはずがありません。

休職前に社員本人や家族にきちんと説明しておくべきです。

 

「結局、会社というか他人というのは完全に信用してはダメだな・・」

僕は、どのような状況であるにせよ、必要なことはある程度自分で調べることが必要だし、何かわからないことや違和感があれば容赦なく確認するべきだな、と再度確信するのでした。

 

次回に続きます。

 

休職中の生活 その4 確定申告や傷病手当金などのお金の心配について

3月9日に主治医との診察で、今後のことについて話し合い、まだ不安定な状況が続いていて、今すぐに復職するのは難しいという結論に達し、休職期間は5月中旬まで延長されることになりました。

その後の生活について、簡単にお話いたします。

前回からの続きです。

 

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主治医に5月中旬までの休職延長の診断書を書いてもらい、翌々日にすぐにメールでやり取りしている人事部長宛にレターパックでの郵送で送りました。

これでまずは一安心。

僕自身もこれからすぐに復職してうまくやっていける自信がまだ無かったので、正直ホッとしました。

 

そして、次にやらなくてはいけなかったことは「確定申告」。

僕はサラリーマンなので、年末調整ですでに会社側で申告手続き済でしたが、医療費控除の申告がありました。

僕も妻も持病でひんぱんに病院に通っているので、毎年かなりの医療費を支払っています。

高い税金を払っているので、少しでも取り戻さなくてはなりません。

さほど大きな額が戻ってくるわけではないのですが、政治家の裏金問題や大増税政策に腹が立っているので、手間がかかってもやらずにはいられませんでした。

以前はわざわざ税務署に行って申告していたのですが、最近ではマイナポータルアプリやe-taxなどを使えば、自宅で申告書類を作成して、電子申告が出来ます。

しかし、そうは言っても、なかなか複雑で骨が折れる作業で、申告用のYouTubeやサイトなどを確認しながらやったのですが、本当に大変でした・・・(-_-;)

コロナ禍以降、毎年やっているのですが、やっぱり年1回だとどうしても忘れてしまいますね・・・

メンタルが弱っている中、こういう細かい作業を行うのは、かなり精神的にも負担となるのですが、仕方ありません。

午後3時ころから始めて、終わったのは午後9時ころでした・・・(-_-;)

ヘトヘトになりましたが、この休職期間中でいちばん面倒くさいことが終わったので、とりあえずやり遂げた充実感で気分は良かったです。

しかし、まあ・・・実は2023年は僕と妻の2人で年間165,111円も医療費を支払っていたのですが、医療費控除額となるのは65,111円、なんやかんやの計算で、最終的に還付される金額はたったの13,189円!!

これだけの手間をかけたのに、正直愕然としてしまいました。

 

3月はそれまでよりは気温が上がって暖かい日が増えてきましたが、暖かくなったり寒くなったり、寒暖の差が恐ろしく大きくて、体調もメンタルもあまり良いとは言えませんでした。

しかも春の長雨が、けっこうメンタルに悪影響を与えて、かなりツラかったです(´;ω;`)ウゥゥ

それでも、日々のルーティンとしてやっている自分を振り返る長い日記や、英語とフランス語の勉強、散歩、室内での運動などは、ほぼきちんとやっていました。

 

しかし、そのような中で、ずっと気がかりだったことが一つありました。

休職期間が延長されたこと自体は良かったのですが、問題は収入でして、2月8日までは有給休暇を消化していたので、2月25日に口座に振り込まれた給与は以前と変わらない額だったのですが、2月9日以降は純粋に休職期間となり、傷病手当金の支給となります。

その額は休職前に人事部長から簡単に説明されましたが、通常の給与の三分の二ほどの額になってしまいます。

まあ、ただそれは仕方が無いことで、人事部長から言われるまでも無く、このことは知っていました。

問題は、傷病手当金の支給に関して、手続きのことを何も説明されていなかったことでした。

最終出社日にまた会議室に呼ばれて、その時に説明されるのかな?と思い、人事部長に「再度、休職前のミーティングはありますか?」と尋ねたのですが、「もうミーティングはありませんから」と言われたのみでした。

そして、結局そのまま休職期間に入ってしまったのでした。

「ということは、労務課の方で手続きはやってくれるんだな・・・」

と勝手に解釈していたのですが、3月25日の給料日が近づくにつれて、不安は大きくなるばかりでした。

そして、3月25日になり、僕は不安な気持ちを抑えながら、自宅のパソコンを立ち上げ、給与明細のサイトを立ち上げ、3月25日支給の給与明細書のデータを確認しました。

「えっ?!マジかよ・・・・・」

僕はその支給額を見て、驚きとともに愕然とするのでした・・・

 

(次回に続く)

 

 

坂本龍一氏一周忌

とうとう1年が経ってしまった・・・

敬愛する音楽家で社会活動家でもあった坂本龍一氏が闘病の末亡くなってから、早くも1年が経ってしまいました。

 

この1年間、僕なりに様々な思いを巡らせてきました。

数多くの追悼番組やイベント、坂本龍一氏を忍んで発売されたCDや映像ソフトなど数多くのメディアがリリースされました。

まるで、まだ坂本龍一氏は生きているのではないかと思わせるほどの、氏に関する大量の情報が毎日のように流れていました。

しかし、どのメディアも情報も「2023年3月28日死去」という文字が目に入り、その度に言い知れぬ寂しさを覚えました。

 

そして、もし坂本龍一氏が生きていたら、これまでの1年間の世の中をどのように思い、感じるだろうとも空想しました。

未だ終わらないロシアとウクライナの戦争、その他勃発する紛争、腐った日本の政治家たちの裏金汚職問題、能登半島地震に対する政府の無策、大増税インボイス問題・・・・・

きっと激しくお怒りになり、坂本龍一氏なりの独自の運動を展開していたに違いありません。

坂本龍一氏の一ファンとして、氏の考え・思いを少しでも継承したい気持ちはありますが、僕はただのちっぽけなしがない一般のサラリーマンでしかなく、出来ることはとても限られています。

しかも、メンタル疾患を患い、休職中の身です。

しかし、僕なりに出来ることを出来る範囲でやっていくしかないと思っています。

 

今日は坂本龍一氏への追悼の意味も込めて、氏の「遺言」とも言える「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」(2023年6月発売・新潮社)の著書を静かに読んで過ごしたいと思います。

 

2009年に発売された坂本龍一氏の半生を綴った「音楽は自由にする」の続編です。
とても興味深く濃い内容です。読破したら、書評でご紹介したいと思います。

 

そして、坂本龍一氏が最も心血を注ぎ、「好き過ぎて他の人に聴かせたくない」と言わしめた「async」(2017年リリース・commmons」を聴きたいと思います。

 

坂本龍一氏が、最も愛着を持った作品だと言っていました。
静寂に包まれ、聴いていると瞑想状態になります。

 

坂本龍一氏のご冥福を改めてお祈りいたします。

 

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ゆるく生きれば楽になる~60歳からのテキトー生活 和田秀樹 その7(最終回)

クソ真面目で完璧主義な僕にとって、ピッタリの本に出会いました。

今回は最もこの本の中で重要で、最もご紹介したかった6つ目のポイントをお話いたします。

前回の続きです。

 

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6⃣ 難しい道ではなく、楽な道を選んで成果を上げていく

僕は以前からお話している通り、とてもクソ真面目で完璧主義な性格でした。

そのため、すべて当初の理想通りに完璧に物事が進まないと、途端にやる気が無くなってしまい、途中でやめてしまうことが多々ありました。

なので、ランニングや筋トレなどの運動や、日記をつけるなど、物事を継続することがなかなか出来ない性格でした。

決して根気が無いとか、根性が無いとか、そういうことではなく、「完璧」にこだわるあまり、それが叶わないとわかると、「ガタガタガタ!」と心が崩れ落ちてしまい、やる気が失せてしまうのです。

 

それに加えてやっかいな性格も持ち合わせており、ショートカットして楽な道を選ぶということが生来受け付けることが出来ず、クソ真面目に最初から順を追って進めることにこだわってしまうのでした。

受験勉強や資格などの勉強、仕事のプロジェクトのプレゼン資料などもそうですが、要領よく、出来るところから進めていけば、案外早く終わり、それなりの成果を収めることは出来ます。

勉強であれば、100点満点は無理でも、70~80点くらいのベースで試験に合格することは出来ます。

仕事のプレゼン資料でも、よっぽど重箱の隅を突くようなタイプの上司やクライアントでもない限り、まあまあの出来で、ポイントを押さえていれば、うまくいくでしょう。

しかし、僕はそれでは納得がいかず、完璧を求めてしまっていたのです。

なので、要領よく楽な道を選ぶことなどもってのほかで、常に正攻法の難しい要領の悪いやり方で勉強や仕事に臨んでいました。

そういう感じでしたから、ほぼ毎日遅い時間まで残業して、休日出勤なども進んで行い、だからといってそれで仕事がうまく運ぶわけでもなく、常に多大なストレスを抱えていました。

その結果、末期ガンを患って、1年半以上入院し、休職することになりました。

まったく本末転倒です。

 

 

和田秀樹氏は本書でこう言っています。

「もう『茨の道』を歩むことをやめましょう。楽な道を選ぶことは悪いことではなく、物事を効率よく進めるための最も有効な手段なのです」

「簡単な道を敬遠して無意識に難しい道を選んでしまう癖がある人(僕のことです)は考え直した方がいい」

「『楽な道は手抜きで悪いこと』という思い込みを捨てることが必要、それは無理することなく苦しまず、身体や心に負担をかけることなく、高い効果を得られる方法です」

「なのに、なぜか苦しいこと、ツラいこと、困難なことの方が正しいに違いないという思い込みが、この日本社会にはいまだに根強く生きています」

そして、こう提案しています。

「ツボを見つけて『手抜き上手』になることがポイントです」

「すべての仕事を大きな熱量ですべてこなすよりも、メリハリをつけて『ここぞ』というツボに努力を集中させるのです」

「これこそが『手抜き上手』になるための秘訣です」

 

 

「なるほどー!」と思いました。

まさに目から鱗が落ちました。

僕は現在55歳ですが、これから年を取っていくと、若い時には出来たことが、今後どんどん出来ないことが増えていきます。

そして、若い時には思っていた「頑張ればなんとかなる」ということがもうこれからは通用しなくなってくることも薄々気づいてきています。

和田秀樹氏は言います。

「出来なくなった自分を早いうちに認め、受け入れて楽になり、その上で出来ることを広げていきましょう」

「今出来ることを無理なく楽しもう」

「便利な器具がどんどん増えているので、臆せずどんどんその力を借りよう」

 

この本を読んで、クソ真面目で完璧主義な僕の心に、大きな石がゴロンと落とされたような気持になりました。

この人生55年間、良くも悪くも本当に頑張ってきたと思います。

それゆえの要領の悪さから、砂を噛むようなツラい思いもしたし、大病も患いました。

現在もメンタルを病んで適応障害となり、1月から会社を休職中です。

この歳を節目に、今まで敬遠し、毛嫌いしてきた「楽な道」「要領の良い生き方」を今一度見つめなおし、自分の心と身体に無理のない生き方をしていこう、そう考えています。

 

僕のようなクソ真面目で完璧主義な方には、うってつけの目から鱗が落ちる本です。

よろしかったら、読んでみてください。

ゆるく生きれば楽になる: 60歳からのテキトー生活 (河出新書 071) | 和田 秀樹 |本 | 通販 | Amazon

 

 

 

休職中の3回目の精神科受診

休職してから2ヶ月が経とうとしていた3月9日、休職中の3回目の精神科受診に行ってきました。

前回からの続きです。

 

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もうすぐ会社に申請していた休職期間が終わる時期が迫ってきたので、会社の人事部長からメールでどのような感じか様子をうかがう連絡が入りました。

数日後に主治医との診察があるので、主治医の判断を仰いでからまた連絡すると返答しました。

僕のその時の心境と状況としては、まだまだ不安定な状況であり、ちょこちょこ体調とメンタル不調を起こすので、このまま復職することはかなり心配でした。

そこで、復職延長をしたい旨を主治医のK先生に伝え、再度診断書を書いてもらう必要がありました。

なので、事前に現在の状況を正直かつわかりやすく伝える必要があると思い、事前にスマホのメモアプリに話すことをメモしておきました。

妻もそんな僕の状況を見て、もう少し休職期間を延長した方が良いと言っていて、意見は一致していました。

 

「休職を延長したい」

「そのために先生に診断書を書いてもらう必要がある」

そのような思いを強く抱きながら、クリニックにたどり着き、順番を待っていました。

すぐに名前を呼ばれ、診察室に入り、この1ヶ月の状況を事細かに説明しました。

 

この1ヶ月間、体調を崩したり、メンタルの調子を崩すことが多かった。

単純ヘルペスを患ったり、頭痛が頻発していた。

メンタルも落ち込み気味なことが多く、睡眠も質が悪い状況が多くて、なかなか寝付けないことが多く、リーゼとロゼレム(睡眠剤)はほぼ毎日飲んでいた。

中でも気になったのは、午前中や晴天時は比較的調子は良いが、夕方の黄昏時や天気が悪い時には必ずメンタルの調子が悪くなり、非常に耐え難い感じで落ち込み気味になり、このことは家族からも指摘された。

毎年2月下旬から3月・4月いっぱいまでの冬から春の時期に体調やメンタルの調子を崩すことが多い。

毎日のルーティンややるべきことに囚われて、それらが出来ないと自分に対してイライラすることが多い。

以上のように、様々なことをK先生に話し、このままの状態で復職するとすぐに再発するのではないかと危惧している、ただまた3ヶ月だと長すぎるとも感じているので、あと2ヶ月ほど、5月中旬頃までの診断書をいただきたいことを話しました。

 

以上の僕の話を聞いて、K先生は眉間にしわを寄せた厳しい表情となって、こう言いました。

「お話を聞いたところ、以前から夕方頃に調子が悪くなったり、ちょうど今頃の冬から春の時期に調子が悪くなるというのであれば、「季節性のうつ」ということも考えられますし、元々の「性分」であるということも考えられます」

「いずれにしても、抗うつ薬を飲むなどもう少し強い治療をする必要があるかと思います。試してみるのも良いと思います。ただ、そこまで考えていないということであれば無理強いはしませんが、いかがでしょうか?」

僕は答えました。

「ちょうど今の時期が一年で最も調子が悪い時期なので、試してみたいと思います」

続けてK先生は質問しました。

「あと、復職の時期が近くなってきたことによる影響はあったと思いますか?」

その質問がどのような意図があるものかわかりかねましたが、僕は答えました。

「そうですね・・やはり、それは多少あったと思います」

 

K先生は少し考えてから、再び話し始めました。

「いずれにせよ、現在の状況では復職は難しいと思います。休職しながらもう少し強い治療を試してみるのも良いと思います」

僕は答えました。

「わかりました。毎年初夏になるころには調子が良くなってくるので、最初の診断書の期間の次の日付の3月17日から5月16日までの診断書をいただけますでしょうか」

それに対してはK先生はこう答えました。

「あまり詳細な日付を記載することは出来ないので、5月中旬までということで、診断書を書きましょう」

そして、パソコンで作成した文章を僕に見せました。

「・・・・依然抑鬱状態が強く、就労は困難であり、引き続き5月中旬までの療養を要する」

僕は文章を読んで、この内容で承諾しました。

 

そして、K先生は意外そうにこう言いました。

「前回の診察の時は、いろいろとルーティンなどをこなしていて、けっこう調子が良さそうに見えたので、もう復職できるだろうと考えていました」

「毎日夕方頃に不安が生じるとのことですが、リーゼ(抗不安薬」はもう少し欲しいと思いますか?」

僕「はい」

「睡眠時間についてはきちんと7時間くらい眠れているのに、なかなか寝付けないということであれば、リーゼも効きますので、リーゼとロゼレムを就寝前に併用してください」

「次回の診察は4月6日にしますが、今の時期は調子が悪い時期ということですので、調子が悪くなってきたら、いつでもお早めにきてください」

K先生は、僕の調子がとても悪いと考えているようで、とても心配しているようでした。

 

強い治療を開始するため、新たに抗うつ薬を処方するとのことでしたが、処方箋を見ると、結局新たな抗うつ薬は処方されず、従来の抗不安薬であるリーゼを一日二回に増やして、就寝前に睡眠剤のロゼレムと併用することだけが変更点でした。

 

こうして、僕の休職期間は2ヶ月延長されることになったのでした。

 

 

 

 

休職中の生活 その3

休職後2回目の精神科受診が終わりました。

その後の生活について、簡単にお話したいと思います。

 

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2回目の精神科受診では、主治医のK先生は僕のこの1ヶ月くらいの生活状況を聞いて、毎日しっかり日記を書いたり散歩をしたりして、ルーティンを着実にこなしているので、そんなに心配ないだろうと思ったらしく、ちょっと安心している感じでした。

僕自身も特別にメンタルや身体の調子を崩すことも無く(まあ日々波があり、ちょこちょこ調子を崩すことはありますが)、まあ特に大きな波乱は無く過ごしている状況でした。

 

ただ、2回目の精神科受診以降の約1ヶ月間、誕生日を迎えたり、QUEEN+ADAM LAMBERT東京ドームライブに行ったりと、楽しいことは結構あったのですが、体調を崩したり、メンタルの不調が発生しがちな約1ヶ月間でした。

「楽しいこともストレスになる」と、精神科医で作家の樺沢紫苑氏も言っていましたが、やっぱり楽しいことは楽しいこととして、エネルギーは相応に消耗するので、QUEEN+ADAM LAMBERT東京ドームライブの後すぐに単純ヘルペス帯状疱疹のようなもの)を患ってしまいました。

15年ほど前に末期ガンを患ってから、免疫力の低下とともに頻発するようになり、左側のお尻の真ん中に必ずできるようになりました。

だんだん頻度は減ってきましたが、いろいろと疲れてくると、出てきます。

今回やっぱり出てきてしまい、これは膨らんでくると、患部が痛痒い状況が続き、何かに集中することも困難になり、結構ツラいものです。

約1週間ほど苦しめられました。

 

それが治ってきたと思ったら、今度は突然ひどい腰痛と、下腹部の痛みに襲われるようになりました。

2月末に坂本龍一トリビュート展と辻仁成氏の絵画展に行ってきましたが、その時があいにく症状のピークの時期に当たってしまい、かなり苦しい思いをしながら、両方の展示会に参加しました。

ただ、これは毎日日記を書いたり、英語などの勉強をしたりする時の姿勢が悪かったのが蓄積して痛みが出現したようで、きちんと姿勢を正すようにしたら、すぐに治ってしまいました。

 

あと、メンタル的には、夕方の黄昏時になると、メンタルが急に落ちて、ものすごく憂鬱な気分になるという症状が出現しました。

この症状は適応障害を患う前から多少はあったのですが、2月になってから症状が激しくなってきました。

まあ、こんな感じで、この2月中旬から3月初旬までの約1ヶ月間は体調的にもメンタル的にもあまり良い状態とは言えず、不調な時期が続いていました。

 

そんな感じで過ごしているうちに、3月初旬のある日、人事部長からメールで連絡がありました。

休職してもうすぐ2ヶ月が経ちますが、現在の状況はどんな感じかということと、診断書に書かれていた休職の期限が3月16日だったので、もしまだ調子が悪くて復職できる状況でなければ、再度休職を継続する手続きが必要なので、診断書を送ってほしいとのことでした。

「ちょうど数日後の3月9日に主治医の診察があるので、その結果をもってまた連絡します」と、返信しました。

休職開始後、まったく会社側とのやり取りが無かったので、

「僕のその後の処遇はどうなるのだろうか?」

「復職しても、自分のポジションはまだあるのだろうか?」

などど、実はかなり不安で心配していました。

今回連絡があって、正直ちょっと安心しました。

 

次回は、3月9日の休職後3回目の精神科受診のことについて、お話したいと思います。